三、 キーボード
冷え込みが激しくなって、北風が吹き付けるような冬。高校二年生の、十二月。
今日は練習がない日で、
「あー、寒っ!」
「ほんと、急に寒くなったよね」
二人で寒い寒い言いながら駅まで歩く。コートはもちろん、制服の中にはカーディガンが離せないような毎日。
冬は、昔からなんとなく苦手だった。寒いと、寂しいから。
不安になることが、増えるから。
最近、健人との差を感じることが増え、自分の力の足りなさを実感することが多くなった。
健人は、ギターもボーカルもどんどん上手くなっている。隣で演奏しながらそれを実感できることは、すごく嬉しいことだ。
でも、彼は太陽のような眩しい存在で、僕はそれに釣り合えていないように感じることも増えた。
僕ではなく、もっと上手い人たちとバンドを組めば、彼はもっと光るのかもしれない。僕が、健人を縛ってしまっているのかもしれない。
そう考え始めたら止まらなくなり、堂々と彼の隣で演奏することができなくなった。
心の奥から、すっと血の気が引いていくような感覚だった。
冬の寒さのせいにしたかった。僕が健人の足を引っ張っている、なんて考えたくもなかったし、信じたくなかった。
「……う。
ずっと呼ばれていたらしい。
いつからだろう。全く気が付かなかった。
「ごめん、健人。どうしたの?」
「いや、どうもしないけど……、最近の優、上の空のこと多くない?」
……やっぱり、健人には薄々気付かれているようだった。
僕と健人の仲だ。隠し通せるとは思っていない。だけど、健人には思いの外早く気付かれていたようだ。
実は今、健人に秘密にしていることが一つある。
それは、軽音楽部を辞めようとしている、ということだ。
才能の差を感じて自分が健人を縛っていると自覚したというのに、健人とする音楽はすごく、すごく、楽しかったのだ。
その楽しい、という気持ちは今の僕にとって絶望的なものだった。健人の才能を潰しているかもしれない紛れもないこの僕が、彼との演奏を楽しんでいいわけがない。
健人から離れなければいけないことが分かっているのに、楽しんでしまう事実は、僕をひどく苦しめた。
軽音楽部を辞めよう。
結論は簡単に導けた。それが一番いいことは分かっていた。
もう気付かれているのなら、辞めることはいつ言っても同じだろう。
自分の決意と変わらないうちに、伝えてしまうことにした。まだ二人で音楽をやりたい、という気持ちが出てくる前に。
「健人。今日、時間ある?」
「あるよ。どうしたの?」
「そこの公園寄ろう。……話したいことがある」
公園には誰もいなかった。
四時とはいえ、季節は冬。そろそろ暗くなってくる時間だ。おまけに冷え込んでいる。吐き出す息は白かった。
誰もいないブランコに二人で腰掛ける。そして数回、軽く漕いでみた。
話を切り出さなければいけないことは分かっている。でも、やっぱり言いたくない。健人と、音楽をしていたい。
浮かんできた思考を打ち払い、自分ではなく健人のことを考えるのだ、と決意を改めた。
深呼吸をしようとしたが、結局少し深いだけの浅い呼吸を何回かしただけになってしまった。
「健人。話っていうのは、」
せっかく話し出せたのに、言葉はそこで切れてしまう。
健人を縛るのやめるって、決めたんだろ、優。
「いいよ、優。ゆっくりで。急かさないからさ」
健人はそう言って待ってくれている。
言うんだ、優。
「……僕、軽音楽部辞めようって、思ってるんだ」
言い終わっても、健人の顔は見れなかった。心臓はまだ早鐘を打っている。
寒いからかな。震えが止まらない。
「……え……? なんで、急に……?」
健人の声は、ひどく震えていて、そして微かな驚きを含んでいた。
「僕じゃ、健人と釣り合わないって思った、から」
言いたいことは、全部言えた。震えている心臓を抑えながら健人の方を恐る恐る見ると、その表情は今にも泣き出しそうだった。
「俺、優のキーボードがなきゃ、歌えない……」
なんで。なんで。健人は、僕がいなくたって輝けるはずなのに。
僕がいたら、健人の輝きを邪魔しちゃうんだよ。
「でもごめん。そういうこと、だから。僕、帰るね。冷えるから気をつけて」
健人に背を向けて帰ることしか僕にはできなかった。
雨なんて降ってないはずなのに、僕の顔はずぶ濡れだった。吹き付ける北風が、ひどく寒かった。
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