171.始まり
「丘か」
外域から神域に入るのは特に問題がなかった。それぞれの陣営に別れて入ったが出た場所は一緒だ。そして広がっていたのは大きな丘。そして向こう側にも丘が見える。
向こう側の丘には陣地が張ってある。信長の本陣なのだろう。しかし陣の外には3柱の魔王らしき者たちがいる。距離は5km。身長は15mから20mだろうか。
武器を持たぬ巨大な魔王が一番力を持っているように見える。烈風魔王だろうか。頭が龍の魔王がいる。金棒を持っていて吐く息が白い。天龍魔王だろうか。獅子の頭で大斧を持っている魔王がいる。荒ラ獅子魔王だろうか。確信は持てないが伝承からするとその可能性が高い。
そして魔王の周囲には羅刹や夜叉族と思われる鬼が1000は居て、他にも大蛇や大狼、大百足などの妖魔がいる。総数は2000にも上る。
「合戦か」
「野戦で決着をつけようと言う気のようね。城攻めじゃなくて良かったわ。しかし瘴気が濃いわね。息苦しくて堪らないわ」
「禍津神の神域ですからね、向こうに有利なように作られているのでしょう」
「それにしても数が多いわね。同等の戦力だったら絶対勝てないわよ」
「まずは妖魔を減らさないとだねっ。まさか妖魔が陣形を組んでいるとは思わなかったよ。イヤな相手だね、本当に信長公だとしたら戦が上手いはずだよ。寄せ集めのうちらで勝てるかな?」
灯火、葵、水琴が発言する。最後の美咲の感想にレンも同じく頷く。
魔王には知性があるのだ。陣形くらい敷くだろう。オーク程度の知能では陣形を組むということはないが鬼の王は陣形らしきものを作る。更に竜や龍ともなれば手下たちをまるで人類のようにうまく操って戦う。
レンは前の世界でそういう経験があったが、日本での妖魔退治ではそういうことはなかった。
ただ鷺ノ宮家の方向を見ると特に焦っている様子はない。相手が陣形を組んでいても驚いた様子はないということは経験があるのだろう。
玖条家は歴史が浅い。こういうところでは経験値の差が出てしまう。実際見たことのない妖魔が多くいるのだ。本や絵巻で知っていても、戦った経験がない。弱点はどこか、どんな攻撃をするのか、この中で玖条家は最もそういうことを知らない家だろう。
灯火、水琴、美咲、葵も強いが実戦経験は〈箱庭〉の魔物だけだ。日本の妖魔の、しかもトップレベルの妖魔との戦闘経験はほとんどない。奥羽の妖狐は強く狡猾だったが1体だけだった。集団戦の経験はないのだ。
「まずいな、密集陣形を取ってはぐれないようにしよう。灯火、水琴、美咲、葵。離れちゃダメだよ」
「わかったわ」
灯火が代表して答える。瑠華と瑠奈は言わなくとも美咲から離れないだろう。レンたちの周囲には蒼牙と黒縄がいる。豊川家が右手にやってきてくれた。やはり美咲が心配なのだろう。
鷺ノ宮家は遠い。左手には陰陽師の集団がいる。土御門家と賀茂家だろう。助けてはくれないだろうが頼りになりそうな布陣だ。
「突撃せよっ」
烈風魔王が号令を掛けると丘から妖魔たちが突撃してくる。
丘の取り合いという形なのだろう。信長が合戦と言う訳だ。わかりやすい。
「殲滅せよ、あの程度の妖魔に負けておっては魔王などに届かぬぞ」
信光の声が響く。
寄せ集めだと言うのにきちんと陣形を整えて鷺ノ宮軍も動き出す。と、言っても丘の上という有利を手放す理由はない。攻めて来てくれるのであれば防衛に徹した方が地形的に良い。実際むやみに動こうとする退魔士たちは居なかった。
「鞍馬山大僧正坊、行きなさい」
「くそっ、なんで儂がっ」
藤の声が聞こえた。すると豊川家の軍勢から寸前まで人間に化けていた天狗たちが現れる。
中心には少し痩せたかもしれない鞍馬山大僧正坊が居た。過去レンを使おうとして殴り倒した大天狗だ。だがもう恨みはない。渾身の一撃を喰らわせたからだ。
更に味方であるならばなお良い。腐っても大天狗だ。慣れて居なかったとは言え紅麗と殴り合ったほどの神霊である。
「臨兵闘者皆陣烈前行、
土御門家の者が九字を切り、符を撒き散らす。そして12天将と呼ばれる式神が現れる。
「おお」
「レン様、よそ見してはいけません」
「つい」
レンは土御門家の秘伝であろう12天将につい見とれてしまった。そしてどうやればアレに勝てるだろうかと思考を巡らせてしまう。
葵に突っ込みをくらい、レンは前をしっかりと見る。だが玖条家が動くまでもない。12天将と天狗の軍団が目の前の妖魔たちと決戦を繰り広げているからだ。
レンたちは漏れ出てくる妖魔と相手をする。どれも上級妖魔か下級神霊並の力を持っている。よくぞこれだけ集めたものだ。黒瘴珠の出元も信長だろう。ならば元の妖魔はそれほどの力を持たなくても良いし受肉している理由もわかる。
玖条家は40人も居ない。ちょっと目を離した隙に潰されてしまってもおかしくない。
「仕方ないな。カルラ、クローシュ。近寄ってきた妖魔を倒してくれ」
レンはカルラとクローシュを呼び出した。ここで出し惜しみをしては行けないと感じたのだ。
30m級の青と黒の大蛇が現れ、妖魔たちを食い散らかす。
豊川家は驚きがなかったが、左手の陰陽師勢は驚いたようだ。
「行くぞっ」
「「「はいっ」」」
レンの号令で玖条家も前にでる。
まだ戦いは始まったばかりだ。
◇ ◇
「むぅ、これほどとは」
鷺ノ宮信光は敵の布陣を見て危険度を上方修正した。あれらが溢れれば日本は本当に魔の国になってしまうだろう。
実際荒ぶる神霊に壊滅的な被害を受けてしまった小国が存在する。日本まで同じような道を歩ませるわけにいかない。
「〈封眼〉」
信光が〈封眼〉を使うと近寄ってくる巨大な妖魔たちの動きが鈍くなる。妖気をかき乱し、陣形が崩れる。
そこに信孝、信頼、信興の3人が十拳剣を手に突撃する。10人ずつ精鋭を付けている。十拳剣は神剣の名に恥じぬ斬れ味を見せ、大百足、土蜘蛛、大狼の妖魔を斬り裂いていく。一撃で死ななかった物にも護衛たちが追撃を加えて確実に止めを刺して行く。
鷺ノ宮家が開けた穴に神官たちが神剣を召喚し、光る剣が妖魔たちの首を刈って行く。僧侶の召喚した三叉鉾や独鈷杵が妖魔たちを貫いていく。
流石日本の中でも有数の力を持つ神官や僧侶たちだ。上級以上の妖魔でさえ苦も無く狩っていく。
ちらりと玖条家がいる方向を見る。土御門家の12天将が、鞍馬山の天狗たちが、そして水蛇と黒蛇の神霊が暴れている。
(いつの間に黒蛇の神霊など調伏したのじゃ。聞いておらぬぞ)
信光は玖条家の情報を逐一チェックしていた。黒蛇の神霊と言えば川崎事変で現れたアレであろう。
倒したとされていたがまさか配下に加えてしまっていたとは知らなかった。実際信光の知るレンの戦いで黒蛇の神霊を使った例はない。
水神を使えば相応の副作用があると聞いていた。だがレンはピンピンしている。黒蛇まで使っていると言うのにどういうことだろうか。
(まさか騙されておったのか)
神霊使いが神霊を使うのにリスクなしなどあり得ない。故にレンが水神を使うのに相応のリスクがあると言うのは納得できる話であった。
四ツ腕との戦いで水神を使い、数日寝込んだと聞いている。それからたった2年、その2年で克服できるほど神霊のリスクは軽いものではない。
レンの底知れなさは最初会った時から感じていた。
だがそれでも小さな霊力を持つ少年だった。水神を使えても鷺ノ宮家の敵ではない。いつでも制圧できる。そう思っていた。
しかし5年。覚醒してたった5年だ。たった5年でこの場に立つ資格を持っている。それは外域で弾かれた退魔士たちを見ればわかる。実力で選別されていたのだ。つまりレンたちは信光が集めた日本の精鋭と並ぶ力を持つと言う証左にすぎない。恐るべき成長速度だ。
更にレンと仲良くしている少女たち。水無月家の3女とは結婚し、他にも婚約していると聞いていたがそのうちの4人がこの場にいる。豊川の姫はわからないではないがその他の3人まで神域に入れているのだ。
どう考えても何かしら信光の知らない強化する手段があるとしか思えない。
レンの異能だろうか。そうとしか考えられないが覚醒者が水神を宿すだけでも異常だと言うのにそんな異能を持つだろうか。
不可解なことが多すぎる。
「翁」
「すまぬ、ここは戦場じゃったな」
レンに視線をやったのは一瞬だった。〈封眼〉は視線で相手の霊力や妖気を封印し、かき乱すものだ。視界に入る妖魔たちに〈封眼〉を使い、神剣を持つ3人が妖魔たちを斬り裂いていく。そして残りの者は3人をサポートする。それが鷺ノ宮家の戦い方だ。
「ぐぬっ」
羅刹や夜叉が動く。イヤなタイミングだ。魔王たちが指示を出しているのが見える。
戦況は乱戦に入っている。妖魔たちの掃討はまだ終わっていない。死人も既に出ている。妖魔はどこから集めたのか全て上級か神霊に足を踏み入れている物ばかりだ。翼を持つ妖魔や怨霊が空を飛び、空からも攻撃が飛んできている。空を飛べる退魔士たちはその相手もしなくてはならない。
信光はたまに空に視線を飛ばし、飛んでいる妖魔たちを落としていく。
地上だけではない、空でも戦わなければならない。
問題は魔王がいつ動くかだ。魔王を退治しないと安寧は訪れない。阿弥陀如来の軍勢ですら逃がしたという魔王たちだ。そう簡単には行かないだろう。その時こそ、鷺ノ宮家が本気を出す時だ。
信光はその瞬間を見極める為に、丘の上でじっと魔王たちの動向も伺っていた。
◇ ◇
「あれ、レンくんは黒蛇の神霊なんてものも持ってたんやねぇ」
「あれは初めて見ますね。川崎事変で現れた異国の旧き神でしょう。よく躾けたものです」
藤は笑いながら戦況を見ていた。美弥も玖条家の動きを気にしている。正確には美咲の動きをだ。
この2年で美咲は突然強くなった。藤ですら予想できないほどに。実際仙術もかなりの速度で修めている。どうやって美咲を強くしたのかはわからない。だがレンには必ず秘密がある。それは会った時からわかっていた。
だからこそ美咲を嫁に出すという決定をしたのだ。そしてそれは間違いではなかったと今でも思っている。
「美咲ちゃんも強くなったねぇ。あの年齢で2尾になるなんて普通はありえへんのやけど」
「あれは私も驚きました。50年は修行しないと普通は行かないものですが。瑠璃もまだ至ってもいません。それなのに瑠華と瑠奈もです。何があったのか問い詰めてもただ金色の果実を食べたと言われただけです。金色の果実なんて聞いたことがありません。藤様は知っておられますか?」
「いや、知らんなぁ。どっから手に入れたんやろね。気になるなぁ」
藤は美咲の戦いぶりを見ながら美弥とのほほんと会話を続けていた。
なにせ先鋒は鞍馬山の天狗たちに任せている。鞍馬山大僧正坊は必死で妖魔たちを薙ぎ倒している。腐っても大天狗だ。そこらの妖魔などには負けはしない。だが修行をサボっていたツケが出てきているのか息切れ間が否めない。
そこに羅刹や夜叉が動く。
「あははっ、イヤなタイミングで動くんやねぇ。流石信長公や。ええ男やったんやけど、まさか怨霊になって隠れ潜んでいるとはねぇ。本当に魔王になるとか面白い男やなぁ」
「藤様、笑い事ではありません」
藤は生前の信長も知っていた。なにせ信長は尾張国の生まれだ。当時から豊川家の権勢は強かった。織田家など頭が上がらないレベルでだ。
だが豊川家は戦国の世を誰が支配しようと気にしていなかった。足利家だろうが三好家だろうが織田家だろうがどこでも良かったのだ。豊川に手出しさえしなければ。
信長は豊川に援軍の要請をしにきたことがある。まだ美濃と争っていた頃だ。
藤は信長の謁見を許したが援軍については突っぱねた。
信長は悔しそうにしながらも独力で必ず美濃を平定すると言い放った。
そして信長は実際に美濃を平定し、上洛した。それからは歴史の通りである。
織田家は豊川家に干渉せず、豊川家も織田家には干渉しなかった。
藤は謁見の際、信長の才を見抜いた。天下を取るかもしれないと思った。実際その寸前まで行った。本能寺の変がなく、あと10年生きれば信長の天下は決まっていただろう。それを言えば三好長慶があと10年生き、後継者の三好義興が生きていれば三好政権ができただろう。
数十年しか生きない儚い命ではあるが、儚いからこそ美しく散る物だ。それを藤は楽しんで見ていた。
稀に美咲のような子も生まれてくる。それが楽しみで仕方がない。
しかし今回のような神霊災害は違う。藤の遊び場と言える日本を魔の国にされるなど言語道断だ。
藤の狙いは魔王だ。それまででるつもりはない。そこまでは他の仙狐や妖狐たちに切り開いて貰おう。それだけの精鋭は連れてきた。
妖魔も羅刹や夜叉も強いが豊川家以外の精鋭たちも日本の上澄みと言えるものだ。魔王を抜けば十分戦えるだろう。
右手の武士が大百足に食べられる。悲鳴を上げているがもう助ける術はない。ほんの一瞬の油断で強い退魔士ですらやられてしまう。
「長くなるかしら」
「どちらも短期決戦を望んでいるようですからそうはならないでしょう」
「そうね。はよ帰ってゲームでもしたいわ」
「ふふっ、藤様はゲームがお好きですもんね」
「人間の考える物は面白いからなぁ、人間の居ない日本なんて見たくないわ。其の為にもこの戦いは勝たな……な」
「はい」
藤が笑いながら言うと美弥が恭しく頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます