168.出陣前
「レンくん昨日の、感じた?」
魔力波動が日本全体を覆った次の朝、即座に麻耶から連絡が来た。
「麻耶さん、当然ですよ。むしろ感じられない方がおかしいです。震度7の地震に気付かないのと同じくらい気付かない者はいないでしょう」
「そうよね、鷺ノ宮様からレンくんに伝言よ。本格的な争いには参加して貰うからよろしく、だそうよ」
「はぁ、そうですよね。わかりましたと伝えてください。麻耶さんはこれから調査ですか?」
「えぇ、如月家は斥候として働くことになったわ。何かわかったらすぐに情報を共有するわ。黒縄は動かさなくても構わないわよ」
「そうですか、ありがとうございます」
レンは麻耶との通話を切ってため息を吐いた。
「なんとか間に合ったかな」
〈精霊眼〉を移植して約3ヶ月、そして慣らして2ヶ月。今は8月だ。
〈龍眼〉との併用も戦闘で問題なく行うことができるようになってきた。また、エルフリンデの強さも確認できた。相手によっては彼女の存在を明かすことになるだろう。どこでそんな精霊を拾ってきたかなどまたぞろ問い詰められかねない。だがまずは生き残ることが先決だ。戦いに行くことは決まっているのだから。
それから2日。麻耶から改めて連絡が来た。
「青木ヶ原樹海に神域ができていたわ。外域にはうちの部隊は入れなくて、東京と京都から来た精鋭と豊川家の精鋭がなんとか潜り込んだみたい。ほとんどの人員が失われて、中には大量の悪鬼羅刹、夜叉、妖魔、そして魔王級が4柱居たそうよ」
「4柱? 多すぎないですか」
「えぇ、私もそう思うわ。3柱の魔王は1柱の魔王に従っていたみたいなの。今はおそらく富士の地脈を利用して軍勢を集めているんじゃないかと予想されているわ。だからこちらも相手に時間を与えずに強襲部隊で行くと鷺ノ宮様が言っていたわ。玖条家の出番もすぐに来ると思うわ。お願いね」
「わかりました。準備しておきます」
日本一の山、霊峰富士。そしてその北西側にある青木ヶ原樹海。レンの考えられる限り最もまずい場所だ。
富士の地脈を塞ぎ、魔王級の神霊はその地脈の力を自らに注いでより強くなっているだろう。
青木ヶ原樹海には多くの怨霊が巣食っていると聞く。土岐家は怨霊を倒すのではなく、外に出さないのが役目だそうだ。つまりそれらの怨霊も全て取り込まれていると考えて良いだろう。
しかし魔王が4柱とは……予想以上の戦力だ。他の国に現れたと言われる強力な神霊も一気にそれほどの戦力が現れたという話は聞かない。
レンの予想では1柱の魔王か三大怨霊や三大妖怪のどれかが復活するくらいだと見ていた。4柱は予想外すぎる。
中国の場合は別だ。アレは不幸な事故が連鎖的に起きた訳で、強力な悪神の1柱が復活したとかそういう訳では無いのだ。実際落ち着いて縄張りに戻った神霊も居ると聞く。
つまりまだ中国では本格的な事態には陥っていない。それを心配して李偉は本国に帰ることを止めたのだろう。吾郎も同じだ。紅麗をそんな魔境のような場所に連れていく訳には行かないと日本に残ることを選んだ。
しかし魔王級が4柱となればどちらが危険かはわからない。ただ彼らが玖条家の味方であったことは幸運だと言える。存分に暴れて貰おう。
「アーキル、悪い報せだ。魔王級が4柱、それに悪鬼羅刹が大量に居るそうだぞ。悪鬼羅刹の類も上級魔物と同等かそれ以上だろう。死人が大量にでるぞ」
「それは……しゃぁねぇな。若い奴らは外すか。ボスはでるのか? 玖条家の為にはボスが残った方が良いんじゃないのか。まだ世継ぎはできてないんだろう」
「魔王が日本を支配したら玖条家がどうのとか言っていられないよ。それに僕が出たほうが勝率は上がる。出ない訳には行かないさ」
「まぁそうだがよ、普通ボスはそんなにフットワーク軽く動かないもんだぜ」
「今更だろ」
「はははっ、そうだな」
レンとアーキルが談笑していると重蔵が苦言を呈してくる。
「某としてはお館様には玖条家を守っていて貰いたいのですが」
「まぁそう言うな、重蔵。魔王に支配された日本なんて見たくないだろう。今叩いて置かないと近くにある斑目家も即座に潰されるぞ。今止められなければ大量の羅刹や夜叉、妖魔が山梨から溢れかえるのは間違いがない。しかも魔王付きだ、どれだけの被害がでるか想像も付かない」
重蔵は苦渋を飲んだような表情で仕方なくと言った感じで頷いた。
アーキルは相変わらず飄々としている。自身も死地に赴くというのにそれを楽しんでいるようだ。
「アーキルは変わらないな。頼もしい限りだ」
「死ぬなら戦場で死にたいからな。ベッドの上で死ぬなんてごめんだぜ。できればボスを守って死ぬシチュエーションが最高だな。一生忘れられないだろう?」
アーキルは笑いながらそう言ってウィンクする。似合っていてとても悔しい。レンがするとどうしても可愛らしく見られてしまうのだ。アーキルのように渋さを出すにはどうすれば良いのだろう。
レンは危機感をそのままにそんなどうでも良いことを考え込んでしまった。
◇ ◇
「うちも行くからね。というか豊川家から玖条家の婚約者になったのだから好きにしなさいと許可を得ているからねっ」
「私も行くわ。レンくんに貰ったこの力、使い所はここしかないでしょう」
美咲がレンに詰め寄っている。レンは隠していたが豊川家経由で情報を入手したようだ。そしてそれを聞いた水琴も美咲に同調した。
どうもレンは水琴たちを連れていくつもりはなかったようだ。美咲の勢いと、既に決定事項だと言われて頭を抱えている。
「水琴は獅子神家の要だろう。離れたらまずいんじゃないか」
「良いのよ、もう許可は取ってあるしうちでついていけるのは私しかいないわ。獅子神家が今回の討伐戦に協力したというだけで獅子神家の評価が上がるのよ。行かない理由がないわ」
「あたしは戦力になれそうもないから残念だけどお留守番してるよ」
逆に楓は残る選択肢を選んでいる。彼女の戦力では足を引っ張ると判断したようだ。事実レンが楓を守る余裕があるとは思えない、上級の神霊に楓の闇魔法が通じるとも思わない。
幸いにして水琴はこの5ヶ月で自身の力を十全に使いこなすことができるようになった。
大太刀も脇差しも手に馴染んだ。元々獅子神流は剣術と謳っているが大太刀、小太刀、槍術なども使う総合戦闘術だ。暗器は水琴に合わなかったので早々に辞めてしまったが大太刀、小太刀などは普通に使いこなすことができる。
命を幾度も、それに獅子神家すら助けてくれたレンの力になるならここだろう。恩を返す時がようやく来た。そして今この手にそれだけの力がある。ありがたい限りだ。
「私はダメだってお母さんに言われたわ」
「私もダメだって。レン、絶対に帰って来てね」
エマとエアリスはイザベラに止められたようだ。場合に寄ってはチェコに帰ることも考えているらしい。彼女たちは一時的に玖条家に身を寄せているだけで玖条家に組み込まれている訳では無い。渡航制限も問題がないのだ。
チェコもチェコで大変らしいのだが、魔王級の神霊が出たというのならばより安全な道を選ぶのが正解だろう。本人たちは納得していないようだがレンも連れていくつもりがないようなので諦めている。
「私は絶対ついていきますからね。レン様が死ぬならそこで一緒に死にます」
「葵、……ちょっと重いよ」
レンが葵の決心に苦笑している。これは止められないだろう。本気の目だ。
エアリスも付いて行きたそうにしているが、レンはイザベラの許可がないなら絶対ダメだと止めている。
灯火はすでについて行くことが決まっているようだ。現状唯一の妻なのに良いのだろうか。レンが失われても灯火が残れば玖条家という名は残すことができる。
「私じゃ蒼牙や黒縄はついてこないわよ。子供がいるならともかく瓦解するのが落ちね」
その点を聞いてみたが灯火は笑いながら言った。確かに嫁入りは歓迎されていたがまだ結婚して半年経っていない。玖条家内で統率力を求められても困るだろう。
レンが死んだ場合蒼牙は中東に戻り、黒縄は斑目家に合流することが決まっているという。
ただ水琴はレンが死ぬところを想像できない。楓もそうだからこそ、エマやエアリスもそう思っているからこそ待つと言う選択肢を選べるのだろう。
本気でレンが死ぬと考えていたら何が何でもついて行ったはずだ。
(彼女たちが居てくれたら頼りになるけれど、イザベラの気持ちはよくわかるから文句も言えないわ)
エマとエアリスは相当に強くなっている。特にエアリスだ。水琴が知っている毒は耐性をつけたが知らない毒も当然持っているだろう。レンに禁止されているという毒だ。そんなのを散布されたら近づくどころではない。斬撃を飛ばしてお茶を濁すしかない。本来の刀の斬撃と飛ばした斬撃では速度も威力が違うのだ。エアリスならパターンを読んで全力で回避しつついずれは水琴が捕まるだろう。
エマも剣術では負けないが総合力は相当高い。近距離、中距離、遠距離にも対応でき、隙がない。近距離に持ち込めれば勝てるがそれまでにエマの攻撃を受ければ負ける。
この2人が居ないのは残念であるが死地に向かうのだ。イザベラの判断は変わらないだろう。
「豊川本家が来るなら美咲はそっちと合流した方が安全じゃない?」
「うちはもう玖条家の嫁のつもりでいるからね、曲がらないよ! それにレンっちの傍が一番安全だよ!」
レンが美咲を説得しようとするがあれでは無駄だろう。レンはやれやれと両手の平を上に向けて諦めた。
◇ ◇
「3日後か。全国から精鋭を集めるなんて本気だなぁ」
「あら、玖条家もその精鋭に数えられているのよ、光栄なことじゃない」
「むしろ呼ばれない方が安心なんだけどね、流石にそうもいかないね」
灯火は出陣の日取りが決まったレンが遠い目をしていたので諌める。
呼ばれない家の方が多いのだ。むしろ家として呼ばれる所の方が珍しい。
大概が有名な術士を名指しで指名し、その者だけを呼んでいるらしい。それに護衛として数人がつく。そういう形だ。水無月家からも幾人かは呼ばれているが家として参加はしないらしい。灯火の叔母も参加メンバーとして名を連ねている。
総大将はなんと鷺ノ宮信光だ。まさかご当主本人がでるとは思っても見なかった。レンも驚いていた。
「参加者のリストを見てもほとんどわからないんだよなぁ。一応名前は知っているけど会ったことない人ばかりだし、どんな術式を使うのかも知らない」
「私は何人か知っているわ。というか有名人ばかりよ。年配の方がやはり多いわね。葵ちゃんは最年少かしら」
「最年少は福岡の天才少女って呼ばれてる子だね。流石に伊織ちゃんは出ないみたいだけど」
鷺ノ宮家からはとりあえずの参加者リストが送られてきた。1000人を超える規模だ。ただそのうち50人は鷺ノ宮家だし、30人は豊川家だ。なんと源家も参加するという。源家の存在はレンから聞いていたものの表に出てくるとは思わなかった。
これだけのメンバーで倒せなければ本当にまずいことになる。リストを見るだけで鷺ノ宮家の本気と、今回のことに関しての危機感が伺える。
レンとしては不本意らしいがカルラの存在だけでも玖条家を呼ぶ価値があるだろう。
源家には武蔵坊弁慶が、豊川家には藤と呼ばれる神霊がいる。他にもちらほら神霊持ちの術士の名前が見られる。
伊勢神宮の神官に、比叡山や高野山の僧侶たち、諏訪大社や熊野大社、出雲大社からも人員が派遣されることになっている。
総力戦と言って良いメンバーだ。そこに灯火や水琴、葵の名があるのが逆に不思議に思えてしまう。
最年少だと言われる子はエアリスと同じ年だそうだ。伊織よりは年長であるがまだ高校生だ。強力な神霊と戦う経験はそうないだろう。大丈夫だろうか。
「出陣までは他の子たちと一緒の時間を作ってあげて。私は遠慮するわ。もう十分あなたと一緒にいたもの。それに誰かがあなたの子を身ごもるかも知れないわ。そうすれば玖条家は安泰よ。やっぱり後継ぎがいないとね」
「灯火はそれでいいのかい?」
「構わないわ。むしろお願いしたいくらいだわ。もう少し彼女たちの気持ちを考えてあげて。特に待たされる側のね」
「参ったな。お見通しか。〈箱庭〉に籠もろうと思ってたんだけどな」
「ダメよ、あなたを心配する子たちがいるのよ。婚約もしたんだからきちんと向き合って」
レンは放って置くと3日間鍛錬をしそうで困る。危険な地に飛び込んでいく殿方を待たされる側の乙女心をわかって欲しいものだ。
灯火もレンが危険なことに飛び込む度に心を傷めてきた。後で聞いたものも多いが相当危ない橋を幾度も渡っている。しかしそれがレンなのだ。
それならば先に妻となった灯火がレンの行動を後押しするべきだろう。
特にエマとエアリスは一緒に行きたいという気持ちが隠せていなかった。これで何もなくレンが出陣して万が一亡くなったら彼女たちは悔やんでも悔やみきれないだろう。
なまじレンを助けられる力があるからこそ、悔やむのだ。
楓は割り切っている。今の楓ではレンの力になれないと悔やんではいるが、楓は大器晩成型だとレンが言っていた。それならば仕方のないことだ。
実際レンが灯火たちが生贄に選ばれたのはそれだけの潜在能力があり、更にその時にその力を発揮できていなかった為に攫いやすかったからだと教えられたことがある。
レンの教えを受け、黄金果などの上乗せもあったが灯火たちは同年代トップどころかそれ以上の力を実際に手にしている。レンの言葉に嘘はなかったのだ。
いや、灯火たちを狙った組織の情報網が優れていたというべきだろうか。そうでなければ家格が全く違う5人を別々に攫う理由がない。日本の組織ならば家格が高い娘を狙うだろう。楓や水琴、葵は選ばれなかったに違いない。もしくは逆に家格の低い、攫いやすい子を選んだかもしれない。
だが実際楓も水琴も美咲も葵も本当に強くなった。エマとエアリスもだ。彼女たちが玖条家に入れば盤石になる。そう思えるほどだ。
「とにかく、〈箱庭〉に籠もるなんて許しませんからね。一緒しない子を中心に2人きりの時間をしっかり取って来てくださいね」
「わかったよ」
レンは仕方ないと言う表情をしながらも頷いてくれた。
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