166.邂逅

「〈龍眼〉の移植をしてくれるんですか!?」

「うん、葵の戦力の拡充にもなるしね。いいかなって。でも絶対はないよ、成功確率は高いけれど失敗すると片目が失われちゃう」

「いいです。全然構わないです。むしろノーリスクだと言われた方が詐欺かと疑ってしまいます」


 葵に〈龍眼〉の移植の話をしたらいつになく食いついてきた。これほどの勢いのある葵は珍しい。それほど欲しかったのだろうか。葵は静かに傍に居るタイプであまり要求をしてくることはないのでレンは気付かなかった。


(いや、単に鈍かっただけかな。移植だけなら黄金果を食べさせた後でもできた。そっちの方が慣熟するための時間も作れた。むしろ手を打つのが遅かったと見るべきか)


 レンは反省した。葵は十分に強くなっていたのであまり危機感がなかったというのもある。霊格も上がり、今の水琴とさえ互角に戦える。流石に真剣でやると間違いがあった時に大怪我になるからやらせないが。


「うん、じゃぁやろうか。灯火、少し僕は〈箱庭〉に籠もるよ。1日くらいまたいなくなる」

「わかったわ、レン。その左目の眼帯と言い相変わらず忙しないわね」

「予言が出ちゃったからね、できることはやっておかないと。そういう意味では水琴が間に合ったのは良かったよ。彼女の力はきっと必要になる」

「私にも頼ってね。お母様からは水無月家の秘伝を見せても良いって許可は取っているわ」


 レンはその発言に驚いた。灯火はすでに玖条家の人間だ。だがだからと言って水無月家の全てを得た訳では無い。秘伝は灯火が死ぬまで見ることができないか、もしくは〈箱庭〉などの空間でこっそり見せてくれるだけだと思っていた。しかしそうではないらしい。水無月家も腹を括ったと言うことだろう。


「どっちみち水無月家の秘伝は見せたところで真似ができるものではないわ。水無月家の血を引いていて、特殊な儀式を行わないと使えないの。だからあまり隠していないのよ、ただ使う機会もそうないから秘伝になってしまっているけれどね」

「わかった、期待しているよ。今度こっそり教えてくれるかな」

「もちろん、あなたに隠すことなんてないわ」


 灯火に礼を言って葵と共に〈箱庭〉に飛ぶ。

 儀式の用意は既にできている。やはり葵は〈龍眼〉との相性が良い。白蛇の神霊の血を引いているというが白龍の間違いではないのだろうか。

 日本や中国の神話では蛇や龍は混同されやすい。水神も蛇神か龍神だ。蛇は龍になる手前であるという説すらある。

 生物学的にはありえないのだが妖魔の世界ではありえる話だろう。


「その魔術陣に座禅を組んで座って目を閉じて。後は僕がやるから。気を落ち着けてね。多分6時間位掛かると思う。大丈夫?」

「大丈夫です!」


 葵が気負ってる気がしたので鎮静作用のあるお茶を飲ませて落ち着かせる。施術者も被施術者も変に気負えば失敗する確率が上がる。レンは失敗する気はなかったが絶対に失敗したくもなかった。


(絶対なんてないのにな)


 そう思いながら葵は両目を瞑り、瞑想の態勢に入る。

 葵の気は落ち着いている。これなら施術に入れるだろう。

 レンが呪文を唱え、〈龍眼〉から葵の右目に力が流れていくのが視える。

 レンより葵の方が〈龍眼〉との相性が良さそうだ。つまり使いこなせればレンが魔眼使いとしての格で負ける可能性がある。


(しまったな、さっさと儀式をやっておけばよかった)


 そう思いながら儀式を続け、やはり約6時間くらい掛かった。


「成功だ」

「すごい、これがレン様の視界。今までと全然違いますね」

「あははっ、葵は〈龍眼〉をすでにある程度使いこなしてしまっているね。凄いや。僕は封印に近い眼帯が必要だったというのに葵には要らないかな」

「いえ、せっかくですからしてみたいです。レン様が使っていた眼帯を頂けませんか?」

「ん? 構わないけれど。制御訓練にもなるからいいよ」


 レンは右目用の以前使っていた眼帯を調整して葵に付けてあげる。

 葵は何が嬉しいのかくるくると回っていた。


「1月か2月か、そのくらいは慣れるまでは妖魔や魔物との戦闘は禁止ね。〈龍眼〉の使い方はその間に教えるから」

「はいっ」


 元気の良い葵の返事を聞きながら、レンは成功して良かったと心の底から思った。



 ◇ ◇



「あら、眼帯がお揃いね」

「えへへ~、これレン様が使ってた眼帯なんですよ。宝物です」


 灯火は〈箱庭〉から出てきた葵が右目に眼帯をしていることを指摘すると葵が嬉しそうに言った。

 葵の魂魄の色が濃くなっている。魔眼を移植して貰ったのだろう。

 灯火は残念ながら魔眼を移植して貰うことはできない。適正のある魔眼はあるらしいのだが、魔眼の移植の結果、灯火の術式に影響があるかもしれないと言われたのだ。魔眼は魅力的ではあるが必須な物ではない。流石にそんなリスクは取れなかった。


 楓の場合は高位の魔眼に適正があるらしいが、今の楓では耐えきれないと判断されているようだ。親友の楓は最近戦闘面でレンの役に立てないと落ち込んでいるのでなんとかならないかと思うが、すぐにどうにかなるものではない。裏方で楓は大活躍しているのでそれで十分だと灯火は思う。

 しかしこのタイミングでのレンと葵への魔眼の移植。レンがこのままでは良くないと考えていることが見て取れる。


「そんなにまずいの?」

「う~ん、多分? 少なくとも凛音と吾郎がまずいって言っているのは相当ヤバイね。なにせ李偉や紅麗を連れて行く前提だからね。カルラももう公になっているし全力で戦ってもらう予定だ。それでもまずいってことは相当強力な神霊が出るんだと思う」

「玖条家も大変ね。本来退魔の家はその土地の守護だけしていればいいはずなのに……」

「そうありたいとは思うんだけどね、そうも行かない事情がある」


 レンは苦渋を舐めたような表情をした。


「鷺ノ宮様ね」

「うん、信光翁は必ず僕を連れ出そうとするだろうからね。実際ここ2年で何度か依頼を受けたしね。それなりに報酬は貰ってるけど正直割に合わないんだよなぁ。もう十分貢献したと思うんだけれど」

「あちらに取っては使いやすい駒だものね。それに鷺ノ宮様は日本全体の視点で考えているから、玖条家みたいなフットワークの軽い強力な家を使わない手はないわ」


 玖条家はこの2年でかなり大きくなり、勢力も伸ばした。他国の術士を雇うと言うあまり日本では行われない手法ではあるが、戦力だけなら近隣一帯で敵になる勢力はそうそう居ないだろう。如月家も玖条家を探ることを当主が変わったことでやめたようだ。

 レンは過去宮廷魔道士長などもしていたとあって部下や部隊の使い方が巧みだ。妻となった灯火も助けになりたいが手を貸す隙すらない。まだ結婚して1月も経っていない。段々と玖条家のやり方を学んでいければと思う。


「玖条家の妻と言っても何をしていいかわからないわ。実際私の仕事はないようなものだしね。黒縄たちが大概のことを熟してくれていてくれるから私の出る幕がないわ。料理も水琴ちゃんや葵ちゃんのが美味しいしね。新しく雇ったシェフも美味しいご飯を出してくれて水無月家と遜色がないレベルよ。よくあれだけのシェフを見つけたわけね」

「日本人は食に対する貪欲さは世界一だからね。能力の高い人は多いし、報われていないシェフも多い。ちょっと如月家に相談したら即座に準備してくれたよ。魔力持ちじゃないからスパイではないと思うし、〈制約〉もこっそり掛けたから玖条家の情報が漏れることもない。安心安全だね」


 灯火は簡単な料理は作れるが、水琴や葵には敵わない。もちろん玖条家に雇われているシェフにもだ。

 それでもレンはたまに灯火の手作りの料理を所望することがある。故に灯火はシェフたちに頭を下げて料理の腕を上げている最中だ。灯火にとって料理は料理人が作るものだった。レンに手作りを要求されるとは思っても見なかったのだ。

 だがレンは灯火の手作りを本当に美味しそうに食べてくれる。味も見てくれも本職に比べれば見劣りするだろうがレンはそこらへんは気にしないそうだ。


 むしろ日本の料理は平均レベルが高く、いくら食べても新しい食事に出会えて飽き足らないらしい。

 宮廷の料理も雇っていた料理人も相当な腕前だったらしいが、食材も調理法も違うのでレンの好奇心を刺激しているようだ。それは5年経っても相変わらず変わらないと言う。

 食いしん坊なのかと思えば可愛らしいものだ。灯火は自身が必死で作った料理を美味しそうに食べてくれるレンの姿を見てほっこりとした。



 ◇ ◇



「来客?」

「えぇ、鷺ノ宮家の方だと聞いています。ただ護衛をつけていません。相当な腕前だと推測します」

「アポイントメントもなしに来るなんて珍しいな。信光翁はそういうお茶目なところもあったけれども息子や孫たちはしっかりしていた。どんな人物だった?」

「まだ若いですね。しかし霊力や神気は尋常な物ではありません。正直彼が暴れたら止められる自信がありません。万が一戦闘になったときにせっかく作った玖条家が荒れ地になってしまうのは避けたいので玖条ビルに案内しています」

「そう、わかった。鷺ノ宮家だと会わないわけには行かないからね。名前は?」

「鷺ノ宮信興様と言っています。鷺ノ宮家に問い合わせた所、確かに信興様という者が居るとは聞いていますが、本人かどうかはわかりません。ただ霊力などを見ればどれほどの力量か推測できます。鷺ノ宮家の方だとしてもおかしくありません」


 黒縄のメンバーが恐縮しながら報告してくる。

 レンも鷺ノ宮家の名を出されたら粗雑に扱うわけにも行かない。


「仕方ないか、会おう」

「御屋形様には苦労を掛けますがお願いいたします」


 レンは灯火や遊びに来ていた水琴、美咲などに鷺ノ宮家から何かしら使者が来たと言って玖条ビルに向かった。



 ◇ ◇



「鷺ノ宮信興だ。一応鷺ノ宮家に籍を入れているが猶子だ。次期当主の権利なんかないし比較的勝手にさせて貰っている。今回は伊織お嬢様が執心だと言う玖条殿を見極めに来たという感じだな。実際近いうちに大きな戦いがある。共に戦うこともあるだろう」

「そうですね、日本の危機があれば鷺ノ宮家と共闘ということもあるでしょう。玖条家としては勘弁して欲しいところですけどね」


 信興は霊力も隠さず、威圧するようにレンに相対している。

 しかし制御能力がないというわけではない。むしろその魔力は洗練されている。

 レンは信興の情報をほとんど持って居なかった。信光に鷺ノ宮家の面々はいくらか紹介されたがそのメンバーには居なかったのだ。だが信興の顔と魔力に見覚えがあった。


「信興殿は龍退治に出ていたのではないのですか? 十拳剣で龍の角を斬り落とし、あわや喉元と突き通すところまでは見ていました。その術士が信興殿だと思うのですが」

「あぁ、アレか。倒せなかったのは業腹だが良い素材にはなった。本気で戦える神霊なんかそうそう居ないからな、楽しませて貰ったよ。十拳剣は信光様に聞いたのか? アレは鷺ノ宮家の中でも秘事の1つのはずなんだがな。それだけ玖条家が信用されているということだろう。最近は強い妖魔が出てきているので楽しみが増えた。更に〈月読〉からは強力な神霊が日本を揺るがすという予言まで出た。龍の時の予言はそれほどでもなかったからな、戦えるのが楽しみだ」


 レンが信興に抱いた感想は戦闘狂だ。そしてそれを全く隠していない。しかし洗練された霊力に膨大な神気。若さに似合わぬ戦闘力。さすが鷺ノ宮家としかいいようがない。彼が鷺ノ宮家の後継者候補にすら上がらないというのは信じられない。それだけの実力は持っているだろう。

 ただそれは鷺ノ宮家の秘事に当たるだろう。レンが探ろうと思ってもどう足掻いても探ることはできない。


「まぁいい。背中を預ける相手を視れただけで満足だ。お前、実力を隠しているだろう。家の小ささからして仕方ないと思うが今回ばかりは隠してばかりはいられないぞ。それに本気で戦うというのは楽しいものだ。是非戦場でその姿を見せて貰いたいものだな」


 信興はぐいとお茶を飲んで言いたいことだけ言って帰っていった。

 本当にレンの顔を見に来ただけらしい。

 ただ感知能力が高いようでレンの隠している実力を感じ取られてしまった。

 ロックオンされたと見て間違いがない。

 信興と戦ったとしたらどうだろう。今のレンでも敵わない。戦いになるとしたらカルラの世話になるだろう。それほどの実力を感じた。なにせ本人は隠す気がなかったのだ。ダダ漏れだと言っても良い。

 ただ信興ほどであれば隠す必要などない。むしろ公開しているからこそ、変な虫など付かないだろう。荒れ狂う神霊に巻き込まれるようなものだ。頭の良い者たちは近づかないことを選択するに違いない。


「とりあえず戦闘にならなくて良かったね。玖条ビルが更地になるところだったよ」

「それほどですか」

「感じただろう」


 重蔵が警戒度マックスで信興が去るのを見つめている。

 念の為玖条ビルには強力な結界を張ったあと、重蔵を含め数人残して全ての人員を外に出すようにしていた。

 信興を見た瞬間ヤバイと思った。アーキルや重蔵でも死ぬ確率がある。

 これから大きな戦いが控えているというのに主力たちを失うわけには行かない。向こうもある程度わきまえていたので済んだだけで、争いにならなくて良かったというのはレンだけでなく、黒縄たちや蒼牙たちにも共通する感想だった。


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