165.エルフリンデ
「お邪魔します」
「あははっ、もうただいまって言ってよ」
「た、ただいま」
「うん、おかえり。これからよろしくね、灯火」
伊勢神宮での神前式が終わり、灯火がレンの伴侶となった。同時に灯火は数人の使用人と共にレンの家に引っ越してくることになったのだ。
婚姻届けは出していないが退魔士の婚姻は紙など問題ではない。共に生涯を歩むと神に誓うのだ。違えると良くないことがあるらしい。
実際何があるかはその神によって違うのでなんとも言えないらしいのだが、伊勢神宮で天照大神に誓ってしまったからにはそれなりに問題が起きるのだろう。
ちなみに楓の場合はどうかというと獅子神神社で神前式を行うことになっている。
陰陽道系の式はないのかと聞いてみたがあるらしい。陰陽道というよりは道教の式に近いようで、泰山府君の前で誓いを交わし、盃を交換する。
ただ玖条家と藤森家の間には確執と言うほどではないが不干渉なので、楓は獅子神神社での神前式を希望した。半年は後で良いと言うので灯火との新婚気分を楽しもうと思う。
同時に葵がレンの家に通ってくる日も半減する。これは葵が言い出したことだ。レンとしてはどちらでも構わないのだが葵が灯火と2人きりの時間を大事にするべきだと言ってきた。女心のことはよくわからないので、同じ女子である葵の言うことを聞いて置こうと思い、レンも頷いた。
「それにしても凄い披露宴だったわね。豊川家はともかく鷺ノ宮家の方まで来るとは思わなかったわ。あと伊織様がいらしたのもびっくりしたわ」
「うちは親族に玖条家が退魔の家になったと言ってないからなぁ、僕の親戚付き合いも薄いし、水無月家にはちょっと申し訳ないと思ってたんだけどなんかいっぱい来たね」
式自体は2人きりで行った。それが伊勢神宮側から求められた条件だったからだ。そして披露宴には豊川家と鷺ノ宮家、如月家、獅子神家、楓、葵にイザベラ、ヘレナ、エマやエアリスなども参加してくれた。
こちらの世界の結婚はよくわからないが、まぁ良い披露宴だったのではないのだろうか。
灯火が妻になったからと言ってレンの日常はそう変わらない。
玖条ビルに行って訓練を行う。妖魔が出れば蒼牙や黒縄などの差配を行う。場合によってはレンも出る。
カルラの強さが明らかになってからレンを指名して来て欲しいという依頼が増えたが大概は断っている。カルラありきで戦っては日本の退魔士は育たない。近隣の弱小退魔の家も玖条家に依存しすぎるのも問題があるのでその辺の塩梅はかなり気にしている。
妖魔が強くなってきているのだから退魔の家も相応に対応できるようにならなければならない。日本は平和な時期が長かったせいか退魔士の質が低い気がするのだ。上澄みはそんなことはないのだが中堅層が少し弱い。李偉などに中国の方士や道士事情などを聞くとよりそう思う。
彼らは多くの妖魔に悩まされ、排除することを政府に強制されているので戦闘経験が豊富だ。人口も多いし国土も広いことがあり、道士も方士も足らない中必死でやりくりしているという。その分道士や方士たちの実力は高い。
中東は暗黒期が始まる前から紛争で退魔士同士での争いがあったので案外強い。新しく雇った蒼牙のメンバーも如月家の精鋭くらいの力は全員持っている。末端ですらそれが標準なのだと言うから動乱の時代はやはり厳しいのだろう。それ以下の実力の者や運のない者はすべて排除されてしまったのだ。
日本も室町末期から戦国時代では強国だったと言われているので平和と動乱、どちらが良いのかは一概に言えない。なにせ平和だったせいで暗黒期への対応が遅れている面が否めないのだ。弱小の退魔の家はこの2年でどんどんと淘汰されていってしまっている。
「ねぇねぇ、灯火っち。やっぱり家ではあなたとか呼んでるの?」
「そうね、2人きりの時なんかにはそう呼ぶようにしているわ。普段はレンと呼ぶようになったわね。どっちもまだ慣れないわ」
「きゃ~。いいないいな~。うちもレンっちと早く結ばれたいな~」
美咲がチラチラとレンを見ている。そう言われてもそうポンポンと妻を増やすのも大変なので美咲にはゆっくり待っていて貰いたい。一応婚約はしたのだ。瑠璃や美弥、藤に挨拶に行くときはレンでも少し緊張した。
美咲の左手薬指にはリングが、レンの指のリングには8つの宝石が光っている。凛音を含む8人の婚約者に送ったそれぞれのリングに入れた宝石だ。瑠華と瑠奈は正式な妻でなくて構わないようだ。その辺りは他の神子たちと変わらない。レンに侍り、子を産めれば良いと割り切っている。妾のようなものだろうか。
灯火は結婚したので結婚指輪に変わっている。レンは普段は結婚指輪をつけていない。家に帰り、灯火と2人の時に着けるようにしている。
「ボス、吾郎がなんかヤバイって言ってるぜ」
「なんだって。それはまずいな。すぐに話を聞きに行こう」
「あぁ、あいつがヤバイっていう時は本当にヤバイ時だからな」
アーキルが慌てたようにレンに報せに来た。彼が慌てるのは珍しい。どんな戦場でも沈着冷静に部隊を操り、膨れ上がった蒼牙を纏める歴戦の
レンは灯火や美咲も連れて吾郎の元へ走った。
◇ ◇
「ついに日本にもヤバイのが現れるのか」
レンは〈箱庭〉で1人で居た。考え事をしたかったのもあるが、やるべきことがあるのだ。
それは〈精霊眼〉の移植だ。5つ目の魔力炉も稼働し、安定してきた。そろそろできてもおかしくないはずだ。
魔力炉は6つ目からが難しい。どう足掻いても6つ目には5年は掛かる。5年でもかなり勘定を甘く見積もっているくらいだ。魔剣も何本かはレンに従ってくれるようになったがフルーレたちとそう力は変わらない。属性が違うというだけだ。手札は増えたが戦力が増えたというわけではない。
だが〈精霊眼〉は違う。移植するだけで視える世界が変わる上に精霊との契約ができる。霊樹の精霊と契約ができれば大きな戦力になる。なにせ彼女は浄化においては右に出るものは居ない。
吾郎の占術では日本が危機に陥るほどの神霊が現れると卦が出たと聞いた。念の為凛音たちにも外に出て貰い、予知もして貰った。
全員が予知を視られた訳ではなかったが、凛音と未来の2人が恐ろしい魔王が現れると予知をした。時期は半年以内だそうだ。
ここ2年で予知の精度も占術の精度も落ちていると聞いている。様々な勢力が蠢動し、それに伴って未来が幾重にも書き換えられるのだ。
だが今回は違う。〈蛇の目〉で神子長をしていた凛音が確実に来ると断言した。占術の得意な吾郎も間違いはほぼないと言っていた。それほど確実な未来なのだ。
日本中の退魔の家には警告がすでに出されているだろう。ただわかっていても対処できるとは限らない。玖条家も出陣させられるはずだ。鷺ノ宮家が今の玖条家の戦力を放っておくはずがない。
龍の時は参加だけすれば良いという感じであったが、次は違うだろう。
今欧州では吸血鬼の王が現れて教会は聖女を担ぎ上げ、必死で戦っていると言う。
中国では
日本にもそのうち大きな災厄が来ると言われていたがついにその時が来ただけだ。その為の準備はできるだけしてきた。
「さて、〈精霊眼〉はどうかな。う~ん、8割ってところかな」
悩みどころだ。8割の成功率ならレンは他人には勧めない。もう少し鍛えてせめて9割を超えるように勧める。しかし日本に災厄が現れるのは半年以内だ。〈精霊眼〉を移植して慣らすのに2ヶ月は掛かる。例え半年待っても成功率は変わらないだろう。
「仕方ないか」
レンは片目で戦う訓練も欠かしていない。例え〈精霊眼〉の移植が失敗したとしてもレンの現在の戦闘力はそれほど衰えない。ならばより確実に強化できる〈精霊眼〉の移植に踏み切ることにした。
〈精霊眼〉の移植は片目だけだ。幸いにして〈精霊眼〉は2つある。今回失敗したとしても次があるのだ。失敗すれば本来の瞳は潰れるが今度は本当に眼そのものを移植すれば良い。エメラルドグリーンの綺麗な瞳だ。
「そういえば葵が〈龍眼〉か〈精霊眼〉が欲しいと言っていたな」
〈龍眼〉と〈精霊眼〉に拘っているわけではない。レンとお揃いの魔眼が欲しいらしい。葵は〈龍眼〉に適正がある。彼女にも〈龍眼〉を移植すべきだろうか。今の葵なら使いこなすだろうし、失敗もしないだろう。悩ましいところだがすべきだと感じた。
「まずは自分の方が先だな。これの成否で色々と変わって来ちゃうし」
レンの昏い趣味、魔眼の蒐集癖もまさか転生してから花開くとは思っても見なかった。しかしこうして実際に役に立っている。人生長く生きているが何がどう転ぶかは相変わらずわからない。
「よし、やるか」
〈精霊眼〉の移植自体は〈龍眼〉の移植とやり方は同じだ。専用の魔術陣を敷き、カルラやクローシュに補助もして貰う。
呪文を唱え、1つだけの〈精霊眼〉をレンの瞳に移し替える。
今回はレンの力が上がった為か儀式は6時間で済んだ。
「成功だ、良かった」
8割と言うと高いように思えるが案外失敗するものだ。なにせ5回に1回は失敗する計算になる。それで瞳が吹き飛ぶのだからリスクは大きい。
レンとて何回も失敗したことがある。むしろ9割5分成功すると思っていても失敗したことすらある。確率など当てにしてはいけない。そして100%ということもない。あるのは成功するか失敗するかの2つだけだ。
「しかし両目で視える物が違うのは慣れるのが大変そうだな」
今まで視えなかった精霊力の流れが左目だけ視える。〈龍眼〉とは違う世界が視えすぎ、思わず右目を閉じてしまう。〈龍眼〉の制御はできているので右目を閉じれば問題ないが、〈精霊眼〉の制御ができておらず、左目を閉じても瞼を透過して視界は変わらない。
「ん~、やっぱ眼帯必要かな、これ」
〈龍眼〉を移植した時にやはり視えすぎ、更に当時はまだまだ魔力が足らなかったので能力過多の〈龍眼〉を封印する為にレンは特殊な眼帯を付けていた。今回は魔力が足らないということはない。〈龍眼〉もかなり使いこなせているし〈精霊眼〉も本来のスペックに近いだけの出力が出ているだろう。
だからこそ混乱する。同じ物を見ても右目では青く視える物が左目では赤く視えるようなものだ。
「しまった、2つの魔眼を別々に移植なんて流石にしたことなかったからなぁ」
流石のレンも左右の眼で違う魔眼を施術したことはない。片目だけ、もしくは両目のどちらかだけだ。ただ施せることはわかっていた。わかっていなければ流石に自分が被検体でもやりはしない。
過去の文献でやった術士がいたのだ。ただその文献では結果成功したということしかわからず、被術士がどうなったのかまでは書かれていなかったし、更に中位の魔眼だったので高位の魔眼を2つ移植した例はレンが最初かもしれない。
「こうなるのか、面白いなぁ。慣れるまで2ヶ月だと思ってたけど3ヶ月は掛かるかな」
こればかりは流石のレンでもどうしようもない。ただ手札は増えた。〈精霊眼〉の制御はどうせすぐできないと作っておいた左目用の眼帯を付け、念の為ハクに載せて貰って霊樹の精霊の元へ行く。
『あら、可愛い子、ようやく来たのね。待ちわびていたわ』
『待たせちゃったかな、済まないね。〈精霊眼〉の移植にも成功したよ、これで契約してくれるかな?』
レンが霊樹に近づくと即座に霊樹の精霊が現れる。言葉通り待ちわびていたのかワクワクした心情が伝わってくる。
『もちろんよ、むしろ契約者が現れることは精霊に取っても大事なことなのよ。それがお気に入りの相手なら尚更ね。以前のレンは強かったけれど適正がなかったものね、私も残念に思っていたのよ。でも今は違うわ。私の契約者として十分な適正と魔力を持っている。霊樹を〈箱庭〉に植えてくれたお礼がようやくできるわ。さぁ、契約しましょう』
霊樹の精霊が手を伸ばしてくる。レンもそれに併せて手を取り合う。
精霊の力がレンの中に入ってくる。〈精霊眼〉を通して霊樹の精霊とのパスが繋がる。
霊樹の精霊は聖に属する精霊だ。レンは聖魔法はそれほど得意ではないが、これで聖魔法の適正も上がったはずだ。
レン自身は強くなったわけではないが、ハクたちにも劣らない格の霊樹の精霊はレンの頼もしいパートナーになってくれるだろう。
『ねぇ、レン。私にも名前が欲しいわ。契約者が名付けてくれるものなのよ』
『知ってるよ。精霊魔法使いとは何度もやりあったし仲間になったこともあった。彼らが精霊と契約しているのを羨んでいた時期すらあった。ようやく僕も彼らの仲間入りだ。しかも霊樹の精霊だ。精霊王に準ずる精霊と契約できるなんて嬉しい限りだよ。名前は考えてあったんだ。エルフリンデ、どうだい?』
『エルフリンデ、エルフリンデ。良いわね。これから私はエルフリンデよ』
名付けられたエルフリンデに霊樹から相当の聖気が流れ込んでいくのが視える。霊樹もエルフリンデが契約者を得たこと、名を得たことを祝福してくれているのだ。
『エルフリンデ、早速だけど僕たちは未曾有の危機にある。早速戦って貰いたいと思っている。君の力を貸してくれないかい』
『もちろんよ、むしろ除け者にされたら拗ねてしまうわ。何百年待っていたと思っているの。いずれは契約に値する者を連れてくると言っていたのに結局貴方しかいなかったわ』
エルフリンデは微笑みながらも怒るという器用な芸当をやってのけた。
実際レンはエルフリンデにふさわしい契約者を連れてくると約束していた。しかしエルフリンデほどの格の高い精霊と契約できる術者は限られるし、大概が他の精霊と契約してしまっている。
精霊契約は1柱のみと決まっているわけではないので重複契約はできるのだがキャパシティというものがある。
レンもエルフリンデ以外の精霊と契約できる気がしない。むしろギリギリだ。〈精霊眼〉がなければエルフリンデとの契約は成らなかっただろう。
そういう意味でも〈精霊眼〉の移植は成功して良かったと言える。
「魔王か、なんとなく古いゲームのイメージで西欧で現れるイメージなんだけど実際は東アジアに多いんだよな」
仏教系で魔王を調伏した如来や菩薩、明王や天部などの文献も多いし、どれほどの脅威か全く理解が及ばない。でも魔王ならば瘴気を纏っているはずだ。エルフリンデの力は特効になるはずだし、彼女自体も強い。本当に成功して良かった
レンはエルフリンデとパスを繋いだことによって少し疲れていた。なにせ〈精霊眼〉の移植の儀式を済ませて即座にココに来たのだ。少し休んでからくれば良かったと今更気付いた。
エルフリンデは待っていたと言っていたが彼女の時間感覚は人間のそれとは違う。1日2日どころか1月2月後でもついさっきの感覚だ。
レンが十分に休息を取ってから向かっても何も問題はなかったはずだ。
だが契約が済み、名を得たエルフリンデは非常に喜んで歌いだしている。花や草の妖精たち、そして今まで視えていなかった小さな精霊たちが祝いでくれているのがわかる。
「さて、3ヶ月、魔王は待ってくれるかな。僕も気合を入れなくちゃ」
吾郎と凛音が未曾有の危機だというのならば日本の退魔士の上澄みが集結しなければどうにもならないだろう。
玖条家が本気を出しても焼け石に水だ。ハクやライカやエンたちを頼ればなんとかなるかも知れないが、カルラを表に出しただけでアレだけの反応があったのだ。これ以上厄介事は勘弁して貰いたいし、日本のことは日本の退魔士に対応して欲しい。
レンも退魔の家として退魔士の一員として組み込まれてしまっているので協力するのは吝かではないが、特攻してこいと言われれば例え鷺ノ宮家に命令されても断る。
『少し休みなさい、愛しい子。〈精霊眼〉の力の制御も粗雑になっているわ。疲れているのでしょう。霊樹の果実を上げましょう。しばらくココで休み、眼を慣らせば良いわ』
『うん、甘えさせて貰うよ。流石に疲れていたようだ。頭がもう回らない。こんな状態で攻めて来られたら大変だな。だけど必要な処置だったと確信している。こういう勘は当たるんだ』
『そう、ならば尚更休むべきね。決戦の時まで時間はあるのでしょう。せめて眼帯が取れるようになるまではココで修行して行きなさい』
エルフリンデはそうは言ってくれるがそうも行かない。
灯火は家で待っているし水琴たちの強化も焼け石に水かも知れないが続ける必要がある。
『そうしたいところだけれどやることは満載なんだ。また来るしパスは繋がっているからいつでも話せるよ。時間がある時は召喚するからそれで許してくれないかな』
『仕方ないわね。でも今日はお眠りなさい。このままでは倒れてしまうわよ』
『お言葉に甘えさせて貰うよ』
レンがそう言うと霊樹の蔦が伸びてきてベッドのようなふかふかの場所に移動され、霊樹の果実が枝と共にやってきたと思うと果実が今熟れたとばかりにレンの手のひらの上に落ちる。
霊樹の果実も希少なものだ。そして霊樹の精霊と契約したレンには必要なものでもある。
レンはありがたく果実にかぶり付き、そしてエルフリンデの詩を聞きながら目を閉じ、眠りに入った。
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