163.原液

「ここがレンくんの新しいおうちなのね。なかなか立派だわ」

「ね~、凄いよね! もうすぐ灯火のおうちにもなるけどね」


 灯火は楓と一緒に新築したというレンの新居を訪れていた。レンが結婚すると言うことでしっかりした屋敷を構えることにしたのだ。

 そしてつい先日、準備が整ったということで灯火と楓は玖条家にお呼ばれしていた。

 広い屋敷で地下には訓練場があり、地上にも道場がある。庭は広く、庭師が植樹して整えられた庭の景観もなかなかに良い。


「あら、楓は一緒に住まないの? 同時でもいいのよ」

「最初くらいは新婚気分を味あわせて上げたいなぁと思って。あたしは水琴ちゃんと同時くらいでいいかな」

「そう、お礼を言っておくわ」


 灯火がそう呟くと一緒に来ていた楓がからかってくる。だがそれは事実だ。

 大学を卒業した灯火はレンと神前式をした後、玖条家に引っ越すことになる。そしてそれはもうすぐなのだ。


「そうは言っても葵ちゃんはとっくに一緒に住んでるし、使用人もたくさんいるから2人きりって感じじゃないけどね」

「それはどこに居たって一緒じゃない? 水無月家でも同じようなもんでしょう」

「そうね、プライベートスペース以外で1人になることすらないもの」

「いいとこのおうちも大変だね。うちは家族で普通に暮らしているもの」


 楓の家は横浜のマンションだ。家族4人で住むには大きな家ではあるが、水無月家や今目の前にしている新しい玖条家とは大きさでは比べ物にならない。

 レンが新しく建てた屋敷は使用人含めて数十人がいても問題ないほどの広さを誇っているし、和風建築だが最新の施工を行ったと斑目家が言っていた。庭も立派なものだ。

 屋敷自体も立派な新築で、歴史こそないが新しく興した玖条家の拠点としては十分だろう。

 実際玖条家は蒼牙の人員を増やしたこと、ここ2年で黒縄でも成人して人員が増えたことによって玖条ビル内だけでは完結できなくなって新しいビルも1棟購入している。家族向けにマンションも1棟買いしたと言っていた。

 蒼牙や黒縄の人員だけでなく、彼らの家族たちもいるので総勢で見れば軽く500人を超えるのだ。特に蒼牙は子供の人数が多く、将来のためにレンはもう1棟マンションを買うべきかどうか迷っているらしい。


「やぁ、いらっしゃい」

「お邪魔するわね、レンくん」

「そろそろ結婚するんだから呼び方を変えてみたら? 旦那さまとかあなたとか」


 家主であるレンと葵が迎えてくれると、楓が茶化してくる。

 しかし灯火はそれもそうかと思った。実際に変えるのは結婚後になるが、目の前の少年、いや、もう20歳になるのだから青年が灯火の伴侶になるのだ。背も伸びていないし見た目が少年に見えるのでつい少年だと思いそうになるがレンが気にしていることを知っている皆はそこには突っ込まないことにしている。


「なんだか気恥ずかしいわね」

「僕はみんなの呼び方を変えるつもりはないけどね。別に好きに呼んでくれていいよ」

「私もありません。レン様はレン様です」


 灯火が言うとレンが苦笑し、葵は真面目に答えた。


「灯火が新婚になるのに、レンくんと葵ちゃんは熟年夫婦に見えるわね。不思議だわ」

「それは私も思うわね。2人の間に割り込める気がしないわ」

「ちゃんと私もわきまえていますので大丈夫ですよ。実家に帰る頻度も増やしますし、お2人の時間は邪魔致しません」


 そう言いながらも葵はレンの斜め後方を定位置としているようで彼女が離れる姿が想像できない。実際レンと一番長い時間を過ごしたのが葵なのだ。出会ったのは一緒であったのに灯火や楓など後から割り込んだ気さえしてしまう。


「まぁ気にしないで。そのうち慣れるよ」


 レンは灯火との結婚にもあまり緊張はしていないようだ。事実過去のレンは何十人も妻が居たと言うから慣れたものなのだろう。嫉妬しないこともないが今更言っても仕方がない。灯火が惚れたレンという男はそういう男なのだ。


 独占欲がないわけではないが、独占しきれないという思いもある。

 実際灯火の後には楓、水琴、美咲、葵、エマ、エアリスと妻が増える予定だ。それに凛音と複数人の神子や神子見習いがレンの子を欲していると聞く。

 凛音とも顔合わせをして幾度かお茶会をしたがふんわりした女性だが芯は強いと感じた。

 古風な教育を受けているらしく、レンを立てることを忘れず、レンが複数人の妻を娶るのは当然という考え方をしている。むしろもっと増やしたほうが良いと公然と主張しているが、レンはもう十分だと言っているらしい。


「新築の家って独特の匂いがするよね」

「そうね、うちは古いからなんだか不思議な気分になるわ」


 レンに案内されて家の中を見て回る。そこには灯火の部屋になる予定の部屋もあった。

 家具や調度品は好きな物を選べるようにとまだがらんとしている。ただ十分な広さで日当たりもよく、良い場所を選んでくれたのは伺える。

 そういう気遣いをレンは欠かさない。女心はわからないと嘯くが押さえるべきところは押さえていると灯火は思っている。


「さて、今日はこれを飲んで貰うよ。ただ遊びに来たわけじゃないからね」

「うっ、これ本当に大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。むしろちゃんと灯火と楓用に調整しているくらいだから。葵も水琴も美咲も飲んでるよ。エマやエアリスもね」


 渡されたコップには茶色に濁った飲料が入っていた。しかし灯火は知っている。これらはとても筆舌に表し難い味と匂いをしているのだ。すでに香りだけで体が拒絶反応を示している。

 黄金果を食べ、しばらくしてからレンは灯火たちにお手製の魔法薬を飲ませるようになった。それまで飲ませなかったのは彼女たちの体が耐えられないと判断されていたからだという。

 そんなものを飲んで大丈夫か、イヤだと主張するのは楓だが結局レンに促されるままに飲み、物凄く不味そうな表情をした。

 灯火も自分の顔を今鏡で見たいとは思わない。きっととても人には見せられないような表情をしているはずだ。

 だが効果は確かだ。飲み始めてから約2年、灯火も楓も霊力の質があがり、肉体的にも頑強になっている。効果が実感できるからこそ灯火たちも飲まざるを得ない。


「うぇ、毎回思うけどこれ味とか匂いとかどうにかならないの?」

「むしろ頑張って改善してその状態なんだよ。原液は飲めたものじゃないよ」


 レンはそっと視線を逸らした。



 ◇ ◇



「さて、水琴の晴れの舞台の始まりだよ」

「そう言われても実感がないわ」


 水琴は5人の中では今は最も弱い。最弱を楓と争っているのだが楓は闇魔法を中級まで修めたことで水琴の知らない所でレンの役に立っている。

 主に精神系の魔法を修めたということで、水琴にできない範囲攻撃も覚え、水琴も精神系の魔法への耐性を高めなければ一瞬で楓に意識を刈り取られていた。近づくことさえできなかったのだ。

 耐性をつけるための魔法薬を飲まされ、近づくことができるようになって模擬戦の勝敗数は逆転したが対魔物相手、さらに集団相手だと楓の闇魔法の効果は物凄い。


 どうもレンの教える精神魔法は通常の精神魔法耐性や対策を全く無意味にしてしまうらしいのだ。

 そんなものを教えてしまって良いのかと不安になるほどだ。

 実際楓はエアリスと同じで、使う術式の制限をレンに受けている。危険過ぎるし見せすぎると対策されてしまうからだ。初見殺しは初見であるからこそ恐ろしい。水琴はそれを散々レンに味合わされてきた。


「僕がずっと水琴の体を見てきたんだ。霊脈も剣士に最適な形に整ったし、強度も十分だ。そしてこれを飲めば水琴のレベルが1段階あがる。この1段階が重要なんだ」

「今までの延長線上とはどう違うの? 強くはなれるけれど剣聖の道への一歩だとは思えないわ」

「水琴は今まで100%で戦ってきたことはある?」


 水琴は首を傾げ、幾つかの戦いを思い出した。どれも気を抜くことはできなかった。本気で戦っていたと言って過言はないだろう。


「もちろんよ」

「それがそうでもないんだなぁ、水琴の肉体が、魔力がその剣才について来られていなかったんだ。だから水琴は無意識下で自身の力を封印していたに等しい。ほら、禁術を使ったことがあるじゃない。あれをノーリスクで自由自在に操れるようになると言えばわかるかな?」

「それで最近変な薬や禁術の修行をさせられていたの?」

「そう! そして今日でその最終段階、と、言っても剣聖の道の第一歩だからまだまだ最終段階というか始まりなんだけどそれが叶う日なんだ」


 レンのテンションが高い。これはかなり珍しい。新しい魔花や魔草を見つけたエアリスと同系統の匂いがする。

 危険な香りがするが断る理由はない。

 レンに3年ほど前に「強くなりたいか」と問われて即座に「なりたい」と答えた。

 その時は〈水晶眼〉の出力を上げてくれた。あの後も〈水晶眼〉の調整を行ってくれていて、水琴はかなり〈水晶眼〉を使いこなせるようになってきた。

 少なくともレンの初級の魔法などは一睨みしただけで魔法の構築を乱すことができ、消し去ることができるようになった。


 人に使えば相手の魔力が乱れ、うまく制御ができなくなる。これだけでも相当なアドバンテージだ。実際妖魔相手にも使えるので水琴の戦術の幅は相当広くなった。

 崩しが視るだけでできるのだ。上級の妖魔にはほとんど効かないが、ほんの少し動きを止められるだけで戦闘では相当なアドバンテージが取れる。中級までの妖魔には効果は絶大だ。更に霊力の節約にもなる。


 また、水琴の記した〈水晶眼〉の制御方法は年少であって苦しんでいた〈水晶眼〉の持ち主の千夜にはかなり有用だったようだ。今後も〈水晶眼〉の制御方法を残していけば、獅子神神社が今後隆盛を誇っていた時に戻れるかも知れない。なにせ1度潰れかけているのだ。2度目がないとは到底思えない。更に今は妖魔が活発化する暗黒期であるというのはもう定説だ。


 国連加盟国は全て魔物や妖魔の存在を認め、その対策を進めている。

 日本はまだ凶悪な神霊の被害は受けていないが、世界全体で見れば強大な封印が解け、神霊が暴れまわっていてどうしようもない国も存在する。

 日本もいずれ未曾有の危機が訪れることは〈月読〉や〈蛇の目〉、高名な占術師たちがこぞって予言している。ただ時期や場所などはわかっていないようで、日本の退魔士たちはいずれくる危機に備えている状況だ。

 そんな状況で水琴が強くなれるチャンスを逃すのはありえない。

 故にレンに出された紫色のボコボコと酷い異臭のする魔法薬を一緒に出された霊薬と共に飲み干す。


「それ原液だからマジきついよ。気をつけてね」

「ごほっ、……お……」


 今までのもきつかったが原液は更に酷い味がした。1週間は食事が喉を通らないかも知れない。食べられても味がわかるかどうかもわからない。明らかに舌が、鼻がバカになっていることがわかる。


「水琴の体がようやく追いついてくれて良かったよ。その原液は下手な術士が飲むと即死するんだ。むしろ即死毒と言っても過言じゃない。だけどちゃんと準備ができていたものが飲むと大幅なパワーアップを期待できる。そして水琴はちゃんと体も魔力も準備ができているから大丈夫だよ」


 レンは恐ろしいことをさらっという。一緒に出された霊薬はいつもの物より遥かに強い物だと言う。即死毒と同様の物を飲まされた水琴は文句を言いたいが喉が痛くて声がでない。霊薬で緩和していてさえそうなのだ。

 そして身体中が痛い。まるで体の中を改造されているようだ。いや、実際改造されているのだろう。水琴は声を出せずにビクビクと痙攣して昏倒した。


「うん、成功かな。良かった、僕の見立てに間違いはなかった。水琴は大事な前衛だからね、これからの戦いを考えたら強化しない理由はない。ちょっとかわいそうな気はするけれど、本人が強くなりたいと言っていたんだから問題はないよね」

「レン様、流石に酷いんじゃないですか、乙女がしちゃいけない顔と格好をしていますよ」


 葵が水琴の状況を見てドン引いている。


「なぁに、触手の怪物に捕まって一生苗床にされるよりはよほどマシさ。カルラより大きい触手の怪物、戦ってみる?」

「丁重にお断りします。絶対勝てないのわかっていってますよね」

「あははっ、ちょっと実験で強化したら強くなりすぎちゃったんだよね。そこらの神霊よりも強い上に言う事聞かないから魔境の奥に放り込んでいるんだ。どうなってるんだろうね」


 レンが笑いながら言うと葵はジト目でレンを貫いた。


「襲ってくることはないんですか」

「竜の居る山脈の向こう側に放したからね、流石にあの山脈を超えてくることはないよ。むしろ竜のお食事になっている可能性が高いね。と、言うかそう願いたいところだよ。どっちみちハクたちのが強いからココは安全だ」


 レンは苦笑しながら葵に過去の失敗談をいくつか話してくれた。

 レンは笑っているが葵には〈箱庭〉の魔境の魔物の方が暗黒期なんかよりもよほど危険なんじゃないかと気が気ではなかった。



◇  ◇


新居と結婚。そして水琴のパワーアップ。詰め込んでみました。次回はパワーアップした水琴のお披露目回です。楽しみにしていてください。


いつも誤字報告、感想ありがとうございます。

面白かった、続きが気になるという方は是非ブクマ、いいね、感想、☆評価を頂けるとありがたいです。レビューも大歓迎です。

☆三つなら私が喜びます。宜しくお願いします((。・ω・)。_ _))ペコリ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る