153.豊川家からの依頼
「どういうこと?」
レンは美咲に真意を訪ねた。倒したいだけなら豊川家の精鋭を使えば倒せるとレンは踏んでいる。ただ念の為に理由を聞いておきたいと思った。
しかし答えたのは美咲ではなく瑠奈だった。
「妖狐には善狐と悪狐に大まかに分けられます。これは人間にとって善か悪かということであって妖狐が善に寄るとか悪に寄るとかそういうことではありません。人間を助ければ善狐、人間を誑かしたり食べれば悪狐。そういう分け方です。しかし仙狐に昇格したいとなると別です。東嶽大帝の娘である泰山娘娘の試験を受け、それに合格しないと仙狐とはなれません。そして泰山娘娘の試験を受ける際に人間を食べていたりすると試験を受ける資格がなくなってしまうのです。退魔士などを食べれば早く尾の数は多くなり強くなれますが仙術を得る機会がなくなってしまうのです」
「へぇ、妖狐の世界ってそうなってるのか。知らなかったな」
瑠奈はレンが理解したことを確認してから続ける。
「そして我々、豊川家のように稲荷信仰をしている者たちにとって悪狐は敵です。悪狐が増えればそれだけ稲荷信仰が衰退するということです。故に豊川家は悪狐が現れれば積極的に狩って来ました。奥羽の妖狐は距離も遠いこともあり、奥羽にある稲荷神社や寺院にまかせていましたが今回は別です。なぜなら仙術を修めかけ、仙狐になろうとする美咲様がいらっしゃるからです」
瑠奈の説明では悪狐が仙狐になる方法は抜け道があるという。それは仙術を修めた仙狐を食べることだ。
だが普通の妖狐が泰山娘娘に認められた仙狐に敵うわけがない。日本には幾柱も仙狐がいるはずだがそれらは大概
退魔士などを食べる妖狐も強力になっていくが仙狐たちも同様に仙術を磨き上げ強くなる。その差はそうそう縮まらないので妖狐が狙うことはできないと言う。
中国の創世神女禍の配下であったという白面金毛九尾の狐であればさすがに仙術くらい修め、仙狐になっているだろう。と、言うよりも女禍に通じているなら天狐の可能性すら高い。なにせ9尾なのだ。
そして通常の野狐や気狐が仙術を修めた仙狐に敵う道理はないのだ。
しかし今は違う。美咲の存在だ。美咲は仙術を学び始めたばかりであり、まだ基礎しか得ていない。だがレンの与えた黄金果により2尾の気狐になった。仙術を今後も励み修め、泰山娘娘に認められれば仙狐への道が開けるのだ。
そして奥羽の妖狐は日本で今最も弱い仙狐の卵、美咲を必ず狙ってくるのだという。
「奥羽の妖狐は狡猾で且つ逃げ足が早いことで有名です。豊川家の精鋭で固めてしまえば狙ってくることはないでしょう。そして護衛の少ない学校に通っている間に襲ってくることは明白です。それでは美咲様のご安全だけでなく御学友たちも被害にあってしまいます。故に豊川家では必要最小限の護衛だけを残して奥羽の妖狐を誘い出す作戦を考えています」
「え、それって美咲を囮にするってこと?」
「端的に言うとそうなりますね」
豊川家が美咲を囮に奥羽の妖狐を誘い出すなんて作戦を取るとはレンも思いもしなかった。それだけ奥羽の妖狐討伐への意気込みが高いというのもあるのだろうが、レンとしては美咲の身が心配だ。
「黒瘴珠は効果が最大に発揮されるまで1週間程度掛かると言われています。故に美咲様は10日ほど学校を休み、この屋敷で仙術の訓練に勤しんで頂きます。そして玖条様は力を抑えるのがうまく、従えている神霊の存在も感知できないようにする術をお持ちですよね。実際私では玖条様の水神の気配すら感じることはできません。故に玖条様に美咲様の護衛を依頼したいと思っているのです」
黒瘴珠は妖魔を劇的にパワーアップするアイテムではあるが、レンの魔力炉の励起と同様に調整する時間が掛かることがわかっている。
魔力炉も動き始めたからと言って最初から最大の効果は得られない。時間を掛け、魔力回路や肉体に魔力を馴染ませ、段々と出力が上がり、安定していくのだ。
同様に黒瘴珠も飲み込んで即討伐できなかった例があったことから、時間が経てば黒瘴珠を食べた妖魔の力がより増すことが判明している。
瑠奈の説明では1週間程度奥羽の妖狐は自身の力を増すことに努め、その後美咲を狙って襲ってくるだろうという予想を立てているらしい。これは占術も使って得た情報なので確度は高いと言う。
「美咲はそれでいいの? 囮になるなんて怖くない?」
「怖いよ~。でも悪狐を成敗するのは豊川家の責務の1つなんだよ。やらないなんて選択肢はないよ。それにレンっちがうちたちに見せていない秘術があるみたいに豊川家でも他家の前では見せられない秘術があるんだよ。それを使って悪狐を倒すんだよ!」
レンは驚いた。豊川家の秘術などそうそう見られるものではない。玖条家は他家なのだ。
「え、豊川家の秘術を僕に見せちゃっていいの?」
「レンっちはもう身内みたいなもんだからいいんだって。それに見せてもそう簡単に真似できるもんじゃないからそんなに隠してないんだよ。もう許可も取ったよ!」
美咲はレンに抱きつきながらわざとらしくうるうると目を潤ませてレンにすがりつく。
エマやエアリスの護衛依頼は来るかどうかもわかっていなかったが、美咲の場合は長くて10日ほどだ。襲ってくることもほぼ確定している。大学も式符を使って通っている風にすれば出席も問題ない。
(念の為、李偉にも協力を要請しておこう)
〈箱庭〉からなら即座に彼らを呼び出せる。カルラやクローシュも同様だ。だが〈箱庭〉はまだ見せたくはない。カルラは召喚されたように見せられるが紅麗たちはそうはいかない。表立って使えるのはやはり李偉だろう。
奥羽の妖狐がどれほどの物かはわからないが、武蔵坊弁慶のような圧倒的な武威を誇るということはないだろう。美咲は矢面に立つ気満々なので危険度は多少あるが想定範囲内だ。
「レン様、私もご一緒したいです」
「いいよ~、葵っちもいたら百人力だね」
葵がレンに頼むと答えが美咲から帰ってきた。
瑠奈が豊川家からの正式な護衛依頼であり、報酬も出ることを説明してくれる。
そこまで言われたらレンも協力せざるを得ない。
「レンっちと10日間一緒だ~、やった~」
美咲はなんだか違うところで喜んでいるようだがレンは仕方ないかと瑠奈に了承の返事をした。
◇ ◇
「……と、言うわけで10日ほど豊川家に泊り込むことになった」
レンが説明口調で水琴たちに語る。
玖条ビルでの、いや、〈箱庭〉での訓練が10日ほどはないということだ。
玖条ビル自体は好きに使って良いらしい。灯火が神通力の使い方を教えてくれると言うので水琴はそちらに集中しようと思った。
「それ美咲ちゃん大丈夫なの?」
楓が心配そうに美咲を見る。
「大丈ブイ!」
美咲はピースをして明るくそう楓に返した。
「奥羽の妖狐ね。今話題の受肉した上級妖魔が黒瘴珠を食べて新潟の退魔士たちをほぼ全滅にさせたと聞いているわ。黒瘴珠を食べれば妖魔が受肉するのは知られているけれど既に受肉した妖魔が食べるのは初めてよ。受肉するための分の力も増されているのではないかしら? 豊川家が強いのは知っているけれど心配ね」
「そうね、美咲ちゃんが心配だわ」
「だからレンっちにバックアップについて貰うんだよ! レンっちが居れば千人力だよ!」
灯火と水琴が美咲を心配するが美咲は明るいままだ。
自身を囮にするなどやりすぎだと思うが豊川家には豊川家の事情があるのだろう。どのみち囮にしなくても狙われるのだから先に倒してしまいたいという現実がある。討伐してしまえば危険はないからだ。
実際稲荷信仰は古くから日本に根付き、全国に稲荷を祀る神社や寺院が存在する。諏訪神社や春日神社のようにどこにでもあると言ってもおかしくないのだ。
獅子神神社のように独立した小さな神社とは違う。
獅子神神社は武御雷神を祀る神社だが武御雷神から神託があり何かをしたという記録すらない。
灯火の水無月家も婚約にあたり多少ごたついたと言うし大きな家はそれなりに責任もあり大変だなという印象を持った。
ただ水琴は美咲の身は心配していなかった。レンならば本当に危なくなれば手の内を晒してでも美咲の身を守り切ることだろう。
エマやエアリスの身も守りきった。あの時はカルラさえ出さずに敵を殲滅した。更に誰も気付いていなかったゲイルの再襲撃すら備え、倒してしまったというのだから驚きだ。
「どこの家も大変ね」
「灯火っちも何かあるの?」
「うち? 色々あるわよ。私は絡んでないけれど戦闘部隊は忙しそうにしているわ」
灯火は何かあるのかため息をついた。
水無月家は表向き神社を構えていないが神道系の家柄で、
レンが水無月家を訪問した際、立派な神社のような建物が邸内にあったと教えてくれた。
灯火は水琴よりも神通力に通じている。最近は灯火によく神通力の使い方を教わっているくらいだ。
「そんなわけで、しばらくみんなは自主練しててね。サボっちゃダメだよ。あと僕の居ない所で攫われないでね」
レンは最後の言葉をお茶らけて言った。
全員がそれぞれの言葉で笑いながら頷いている。
確かに美咲の護衛依頼を受けている最中に誰かが攫われたらレンは困るだろう。
ただそんなことを言ったらいつだってこの世は危険に満ちあふれている。
日本は平和だと言うが実際には異国の組織が入り込んで小銃や術具を持って襲撃してきたり、強力な妖魔が現れて毎日のように退魔士は大怪我を負ったり死亡したりしているのだ。退魔士の死亡率はどの職種よりも遥かにかけ離れて不動の一位だろう。
異国の組織に襲撃され、さらに攫われて生き残った水琴は幸運な部類だ。
(そうね、私も頑張らなくちゃ)
獅子神神社も玖条家のサポートにより戦力があがり、安定している。水琴も師範として獅子神家の門弟たちに獅子神流を教える立場だ。
更に神剣召喚や神懸りなど覚えなければいけない術式は山ほどある。
師範になったからと言って獅子神神社の術式を全て使いこなせるようになったわけではない。
神通力ももっと精通しなければならない。
水琴は10日ほどレンの姿が見られないことに寂しさを覚えながら鍛錬を怠らないことを心に決めた。
◇ ◇
「えへへっ、レンっちいらっしゃい。そのうちおかえりって言うからね」
「その時を楽しみにしているよ」
レンは豊川家に泊まり込みで護衛をすることになった。
〈箱庭〉は見せられないのでリミッターを掛けた楊李偉と葵を連れて3人だ。
楊李偉も葵も魔力制御力が高いのでその力が漏れ出ることはほとんどない。
逆に紅麗などはまだまだその辺りが雑で力が意識しなくても溢れ出てしまう。紅麗は戦いたがっていたが紅麗ほどの強者が居れば奥羽の妖狐は豊川家に近づきすらしないだろう。
そんなわけで紅麗と吾郎、由美は〈箱庭〉でお留守番だ。
「ご助力感謝します」
「瑠華さん、そんなにかしこまらなくて良いですよ」
レンは笑いながら頭を下げる瑠華と瑠奈に答える。
豊川家を訪ねるのは初めてではない。むしろ獅子神神社の次くらいに訪ねているくらいではないだろうか。なにせ美咲がよくお茶会なり食事になりに誘ってくるのだ。
常時50人くらいの護衛や多数の使用人が居たが既に彼らは引き払い、20人程度の人数に減らされている。
このくらいなら慎重な奥羽の妖狐も美咲を狙ってくるだろうという塩梅だそうだ。
10日くらいは猶予があるというがそれは100%ではない。占術も予知も100%などありえないのだ。
東北衆は奥羽の妖狐が完全に黒瘴珠に馴染む前に倒そうと躍起になって山狩りをしているという。
妖狐が隠れ潜まず、もしくは見つかり逃げ出してもっと早くに豊川家を襲ってくる可能性も10%くらいはあるという。故にレンたちは早めに豊川家を訪問しているという訳だ。
「へぇ、なかなかの屋敷だな」
李偉などは楽しそうに豊川家を見て回っている。
使用人の姿をしている者も全て美咲の護衛であり豊川家の精鋭だ。
感じられる魔力は制御されていて見通せないが〈龍眼〉で視ると源家の者たちと同等の力を持つことがわかる。
豊川家のレベルがこれだけでわかる。日本のトップレベルの退魔士と言うのは伊達ではない。
「今日はうちの奥まで見て良いよ。レンっちこっちこっち。葵っちもね」
美咲に手を引かれて行くとレンが入ったことのない部屋に通された。
そこには横たわる九尾の妖狐の石像があり、宇迦御魂神と荼枳尼天の木像に挟まれるように飾られている。部屋自体も神社のように装飾されている。
宇迦御魂神は元々天照大神の弟である
稲を食べるネズミを狩ることから稲荷信仰と結び付けられ、三狐神と字が当てられることもある。伏見稲荷大社の主祭神でもある。
荼枳尼天は元は女神カーリーの従者ダーキニーというインドの女夜叉でそれが仏教に取り入られ、天部の1柱として数えられる。日本には仏教の伝来と共に伝えられ、稲荷信仰に習合された。
元々は吸精鬼で死者の匂いを嗅ぎつけ、心臓を食べるというのだが時代と共に信仰が変わり、現在では天女の姿で白い狐の神使に乗っている姿がよく描かれる。どちらも稲荷信仰には欠かせない神仏だ。
だが豊川家では九尾の狐の脇にその2柱が侍っているように見える。
「なんか、独特だね」
「えへへっ、豊川家はちょっと特殊だからね。お狐様が一番なんだよ。神社や寺院には怒られちゃうからこうして奥にこっそり祀ってるんだけどね」
(豊川家を怒れる神社や寺院はそうそうないと思うけどな)
レンはそう思いながらも心に秘めた。過去に実際なにかしらの事件なり対立なりがあったのだろう。神職に就く者はその信仰心故か暴走し、時に力の差も考えずに突っかかってきたりするものだ。
美咲は笑いながら九尾の狐の石像に正座をして礼をし、2礼2拍手1礼をした。瑠華と瑠奈も続く。
レンと李偉、葵も同様に美咲の真似をして同様の作法で豊川家で祀られている九尾狐神に参った。
◇ ◇
豊川家は大事な美咲が狙われるのをわかっているので、即座に奥羽の妖狐を討伐しようとします。そしてそれに当然のようにレンも巻き込まれます。レンも藤の依頼は断れません。
この章は読めばわかるように美咲を焦点に当てた章です。続きを楽しみにしてお読みください。
いつも誤字報告、感想ありがとうございます。
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