152.奥羽の妖狐
新潟県新潟市にある不自然な空き地。そこで事件は起こった。
占術と〈蛇の目〉の予言により、新潟にも黒瘴珠を持った妖魔が現れることが確定し、近隣の退魔の家は精鋭部隊を率いて妖魔退治に赴いていた。
黒瘴珠の存在は如月家や一連の事件から全国に危機喚起がなされており、退魔士たちは上級妖魔を相手にするだけの十分な戦力と、犠牲を減らすために防御を固め、堅実に黒瘴珠を飲み込んだ鬼や狼の妖魔を退治していった。それでも犠牲は減ったがでないということはなかったが……。
しかし今回は違った。
4体の鬼が現れ、1体の猪頭鬼が現れる。その手には黒瘴珠があった。
退魔士たちは黒瘴珠を飲み込ませる前にどうにかしようとするがそれは叶わない。4体の鬼が猪頭鬼へ向かう術式を防いだからだ。
そして猪頭鬼が黒瘴珠を飲み込もうとした瞬間、異変が起きた。
突如現れた4尾の妖狐。銀色の毛が美しい妖狐は猪頭鬼の右手ごと黒瘴珠を飲み込んだ。
「奥羽の妖狐だと!?」
その妖狐は有名な4尾の妖狐だった。奥羽山脈に隠れ潜み、時に妖魔を襲い、時に退魔士をも喰らう。人にも化け、一般人も食べる。
東北の退魔士たちは長年妖狐を追っていたが4尾の妖狐は狡猾で逃げ足も早く、少しでも傷を負うとすぐに逃げ出してしまう。そして隙ができると退魔士ですらぺろりと不意打ちで平らげてしまう。故に奥羽の妖狐は未だ退治されず、受肉した妖魔の1体として恐れられていた。
銀色に輝く美しい妖狐は黒瘴珠を飲み込むと黒く毛の色が変化し、5尾に変化した。そして尾の1本が銀色の刃に変わり、猪頭鬼の首を刎ねると同時に4体の妖魔を切り刻む。そしてどうして良いか迷っている指揮官を前に4体の鬼を食べ終わると、尾が雷や炎に変化し、退魔士たちを襲った。
「全員攻撃しろっ、今しか退治する機会はないぞっ!」
それは嵐のような戦闘だった。強力な妖狐が黒瘴珠により更に強力になり、妖狐は試しとばかりに集まった退魔士たちを領域に幽閉し、なぎ倒し、喰らっていった。
なんとか生き残った退魔士は5人。100人以上の体勢で妖魔退治に臨んだ精鋭の退魔士たちはほぼ全滅だ。
そしてその話は一瞬で全国に拡散された。
◇ ◇
「奥羽の妖狐?」
レンがその話を重蔵から聞いたのは新潟で退魔士の集団がほぼ全滅した次の朝だった。
自宅で葵の朝食を取っていたら重蔵が訪ねてきて、即座に情報を共有してきたのだ。
それほどの大事件ということである。
「でもそれうちには関係ないよね? 新潟でしょ。しかも奥羽の妖狐ってことは元は東北を主軸に活動してるんだよね。東京まで出張って来ないんじゃないかなぁ」
「もちろんその可能性も大きいです。妖狐であれ妖魔であれ、縄張りから出ない種も多く、奥羽の妖狐はここ数百年東北地方から出ることはありませんでした。新潟に出たのもかなり希少ですね」
「にしても受肉した妖魔かぁ。東京は狩り尽くされてるから出会うことはないんだよね。いいことなんだけど」
妖魔は次元の狭間から出てきて、退魔士や人間を多く食べ、現界にある瘴気を摂取することで受肉すると言われている。
もちろん遥か昔は在野の妖魔などは受肉していたのだが、長い歴史の中でほとんどの受肉した妖魔は当時の退魔士に退治、封印されてしまっているという現実がある。
実際レンも天狗や仙狐の藤、封印されていたクローシュや大水鬼などいくつも受肉した妖魔を見てきたが、彼らは神霊と呼ばれるほど力を高めた妖魔であり、格が違う。更に悪行を重ねた神霊たちもほぼ肉体を滅ぼされ、封印されるなどして受肉した妖魔というのは驚くほど日本では少ない。
だが当然いないわけではない。
その地方独特の受肉し、まだ退治されていない妖魔などは存在するし、受肉前の妖魔を倒しそこねて逃げ出され、その妖魔が退魔士や人間を食べて受肉するという事件も稀に発生する。
「とりあえず受肉した妖狐が黒瘴珠を食べ、強力になり、多くの被害を出した。その事件はお耳に入れなければと思い来ました。獣形の妖魔にとって東北から東京など1晩も掛かりません。玖条家が狙われる理由は思いつきませんがお館様の特異な気に惹かれて来ないとも限りません。念の為しばらくは警戒態勢を巌にして備えたいと思います」
「うん、まぁそこらへんは任せるよ。僕より女の子たちを守って欲しいけどね」
「それは……。厳密に言うと玖条家の仕事ではありませんが」
「いいじゃない、僕の命令だよ。彼女たちにも危険がないか一応気を張って置いてくれればいい。彼女たちの家にも同じように連絡は来ているだろうから注意喚起の必要はないと思うけどね。特に水琴の獅子神家や楓の藤森家は防備が甘いから少し心配だしね」
「そうですね、受肉した上級妖魔が黒瘴珠を食べた例は全国で初めてです。故に全国にこうして即座に連絡が回りました。お館様もお気をつけてください」
「はいはい。わかったよ。葵、葵も注意しておいてね」
「はい」
重蔵は忍者のようにスッと……ではなく普通に玄関から出ていった。レンの家は厳重な結界が張られていて消えるように去ることはできないのだ。
「妖狐かぁ。そういえば妖狐とは戦ったことがなかったね。狐型の魔物とは対戦させたことがあったけど、日本の妖狐とは違うんだよなぁ」
「そうですね。獣型の妖魔は素早いですし爪や牙の攻撃力も高いです。魔法を使う妖魔も存在します。新潟に現れた妖狐は尾を様々な物や炎などに変化させて戦うと言っていましたもんね。〈箱庭〉ではそういうタイプの魔物と戦ったことはありません」
レンは妖狐と言われると藤を連想するが、藤は別格だ。人化もできるし聖気も纏っている。仙術も学び、野狐や気狐ではなく仙狐なのだ。仙狐の上には天狐というのがあるが、それは天に昇って天界で仕える狐になることらしい。
藤は自身の意思で天に昇らずに地上に残った仙狐だという。つまり天狐と同等の力はすでに得ているのだ。
奥羽の妖狐がどれほどの物だかは知らないが、黒瘴珠を食べたからと言って天狐ほどの力は得られていないだろう。仙狐すら怪しい限りだ。
精々下級の神霊レベルに上がったくらいだろうとレンは考えていた。
ただ実際にどれほどかは出会ってみなければわからない。
(出会わないと良いなぁ)
レンはなんとなく出会う予感がしながら葵が作ってくれた卵焼きをパクリと口に入れた。
◇ ◇
大学で必修の授業が終わった後、レンたちはオカルト研究会を訪れていた。
オカルト研究会でも妖狐の話は広まっていたらしく、織田信広を始め幹部格たちは研究会員に注意喚起をしている。
と、言われてもオカルト研究会にいるメンバーは将来退魔の家の幹部になるものも居れば単なる戦闘員と幅広い。
注意されてもほとんどの者は家の方針には従わなければいけない。10代や20代では若手の幹部候補生が精々で、重鎮に名を連ねる者は居ない。
注意喚起されてもどうしようもない者がほとんどというのが現状だ。
「玖条家ではどうにかするのか決めているのかい?」
「いや、狙われたら困るので防備は固めていますがこれと言って特別なことはしていませんよ」
信広に尋ねられ、レンは簡潔に答えた。
レンは希少な退魔の家の当主だ。菅もあの後実力の差を理解したのか頭を下げてきたが、レンにとっては些事だったので気にしていないと端的に伝えた。
「受肉した妖魔は厄介だ。何より領域を使えるレベルだと幾つもの家が連携しないと退治できない。今回の奥羽の妖狐は逃げ足も早いらしいから封印も難しいらしい。とりあえず会員のみんなは死なないように注意してほしい」
全国から集まっている大学であるからして東北出身者も当然いる。
彼らにとっては他人事ではない。
と、言うか関東と東北などそれほどの距離ではないので関東に住む多くの会員たちも他人事ではない。
しかし東京には多くの強力な退魔の家の本家が連なっている。京都や奈良と同じく他の地方と比べ過剰なほどの戦力があるのだ。
妖狐が素直に東京を通ってくれればどこかの家が退治してくれるだろう。
「妖狐についての資料は少なめですね」
「そうだね、残念ながら妖狐と一口に言っても幅広い。妖狐の研究者もいるけれどうちの大学の資料にはないね」
レンは妖狐の資料があればと思って研究会を訪れたが残念ながら良い結果は得られなかった。
水琴も獅子神神社や仲の良い近隣の退魔の家に聞いて見てくれると言ってくれているが結果は怪しいところだ。
(やっぱり豊川家に聞きに行くのが一番早いかな)
妖狐と言えばレンがすぐ思い浮かぶのは豊川家だ。朝に妖狐の話を聞き、そのまま大学まで来たので豊川家に訪問することはできなかったが、美咲に聞くのが一番だろう。
(やっぱり大学に通う時間を訓練に当てたいな。僕にそっくりの式符を作ってとりあえず出席しているようにだけしておこうか)
レンは出席が必須の、しかし面白くない授業はサボタージュすることに決めた。
見目を完璧に似せて簡単な動作を行わせるくらいなら遠隔でもできる。大学に通う時間は更に減り、その時間を訓練に割り当てられれば大学の学士を取りつつ強くなるための訓練時間を減らすことも最小限にできる。
真面目な水琴などはイヤな顔をするかもしれないが、レンにとって優先順位が違うのだ。水琴も真面目に大学など通わず剣術をもっと磨けば良いのだと思ってしまうがそれは水琴の自由だ。仕方がない。
(退魔士で色々優遇されているとは言え、日本社会は色々と息苦しいな)
レンは元々大学など元々通う気はなかった。しかし玖条家という家を興したことによって黒鷺や重蔵たちが今後の玖条家の為に学士は取っておいたほうが良いとあまりにも勧めるので仕方なく通っている次第だ。
オカルト研究会は良い意味で刺激にはなるし、レンの知らない術式などが書かれた本などがあるがそれもほとんど読破してしまった。
模擬戦など何回かやってみたがやはり対妖魔に特化した術士が多く、対人戦が苦手な者が多い。
鷺ノ宮信光が言っていたように決闘ですらそうそうないのだ。暗部での戦いはともかく家同士の抗争などはほとんど行われていない。平和なことは良いことだがその分退魔士の質が落ちているのではないのかと少し心配になった。
◇ ◇
「レンっち~、いらっしゃい! 葵っちもね」
「あはは、相変わらず美咲は元気だね。お邪魔します」
「レンっちならいつでも大歓迎だよ? 瑠華と瑠奈のおもてなしもついてくるよ」
「瑠華さん、瑠奈さんもお邪魔します。妖狐についての資料を既に集めてくれていてありがたい限りです」
レンはサークルに顔を出した後豊川家を訪れた。
目的は美咲に会う為、ではなく妖狐の資料を拝見させて貰うためだ。
豊川家は仙狐が祖とあって妖狐の資料には事欠かない。今までは他家だからと遠慮していたが聞いてみたらあっさりと閲覧許可が降りた。
当然美咲が強権を奮ったのだろう。だがそれは今のレンにとってはありがたいので何も言わずに重ねられた資料に目を通していく。
「妖狐の尾は500年に1本増えると言われていましたが違うのですね」
「基本はそうです。ですが他の妖魔を食べたり退魔士を食べたりすればそれだけ力の上昇が早まり、尾もそれに応じて増えます。美咲様が2尾になられたのも玖条様のおかげです。私たちの尾も1本増えました。あんなものの存在は聞いたことがありませんでしたが、貴重なものをありがとうございます。話を戻しますとそのように尾の数で何年生きたかというのは当てになりません。尾の数が多いほど強いのは間違いありませんが」
妖狐で有名なのはやはり白面金毛九尾の狐だろう。
絵本三国妖婦伝などに描かれ、紀元前12世紀頃の中国の殷という国で時の権力者であった紂王を誑かし、妲己という名で紂王と共に酒池肉林を楽しみ、
蠆盆とは毒蛇や毒虫などを入れた穴に罪人を放り込むことで、炮烙は火で炙った金属の上を歩かせ、渡りきれば罪を許すと言って灼熱の金属の上に罪人を乗せたのだ。そしてその罪人たちの苦しむ様を妲己は楽しんだとされる。
封神演義では元始天尊に命令された中国の高名な軍師とされる太公望・姜子牙が周に手を貸し、殷周革命を起こし、殷は滅び、周が興る。その際に妲己も逃げ出したとされる。
妲己はその後もいくつも名や姿を変え、インドや中国王朝を乱してきた。そして若藻と言う名で遣唐使船に乗り、日本に渡ってきたと記録に残っている。
平安時代末期、鳥羽上皇の時代には玉藻前と言う名で鳥羽上皇を誑かした。それらは神明鏡や玉藻の草子などで見られる。
しかし陰陽師・
紀元前12世紀ですでに1000年を生きた妖狐であったとされるから今生きていたら4000年以上前になる。1000年生きただけで9尾になったというのならどれだけの退魔士や妖魔を食べたのだろうとレンは思いにふけった。
「白面金毛九尾の狐は生きていますよ」
「え?」
レンが白面金毛九尾狐の書物を読んでいた際に瑠華がそっと囁いた。
「日本の武士や陰陽師に退治できるわけじゃないじゃないですか。創世神・
「そうなんだ。知らなかった」
歴史書や文献などで倒されたと扱われていても実際は狡猾に逃げ出していたらしい。
日本三大妖怪にも数えられる白面金毛九尾の狐だ。安倍泰成は優秀な陰陽師だったのであろうが倒しきれなかったというのが真相らしい。
実際白面金毛九尾の狐も元は中国を作り出したという創世神女禍という女神の命令で動いていた配下だ。
殷の紂王が女禍の気に障る詩を書き、それに怒った女禍により妲己が派遣されたというので紂王は自業自得である。ただ紂王に支配された殷の民衆は堪ったものではないだろうが、名君とされた紂王を愚王に落とした妲己の手管は素晴らしい。女禍も大満足であろう。
レンは他の有名な妖狐や気狐、仙狐などの伝承を読み、どのような術を使うのかなどを瑠華や瑠奈に説明を交えて貰いながら妖狐について詳細な知識を得ることができた。
だがレンは奥羽の妖狐と対峙するとは思ってはいなかった。調べたのは念の為だ。
「ねぇ、レンっち。豊川家で奥羽の妖狐を倒そうって話になっているんだけど一緒してくれない?」
しかしその目論見は美咲の一言で砕け散った。レンには美咲が危険に晒されることを見逃せるわけがなかったのだ。
◇ ◇
善狐がいるなら悪狐も当然居ます。日本の妖怪をテーマにするなら妖狐は必ず出さねばと思っておりました。今回は善狐である藤と対極にある悪狐と豊川家が絡んできて、レンが巻き込まれます。続きは乞うご期待というところです。
いつも誤字報告、感想ありがとうございます。
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