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「キスか、ダメだな。ついその先を考えてしまう。これが若さか、枯れたと思ってたんだけどな」


 レンはつい独り言を呟いてしまった。

 聞いているのはハクたちしかいない。「なぁに」とレンのことをエンが覗き込んでくる。


「なんでもないよ。早く君たちくらいには強くなりたいなと思っただけさ」


 エンを撫でながらレンは嘘ではないが本心は述べなかった。

 少し気が抜けている自覚はある。今襲われたらまずいかもしれない。


(いかんな、ちょっと集中しよう)


 レンは魔法練習場に移動した。

 そして少しでも構成を間違えると発動しない複雑な魔法を編み上げ始める。

 今のレンでは即座にこの魔法を使うことはできない。レンの脳内でゆっくりと1枚ずつ魔法陣が編まれ、重ねられていく。幸いにして魔法はうまく編み上げることができた。


 出来上がった魔法を放つ。魔力が体からごっそり抜けていく。特有のだるさがレンを襲い、それを心地よく感じる。

 レンの腕の先から巨大な水龍が現れ、身体をうねらせながら八角柱にドゴンと当たり、5位階上位程度の威力であったことが柱の色でわかる。


「5位階を練るのにこんなに掛かってちゃなかなか実戦じゃ使えないな」


 これでも上級魔法士に片足くらい突っ込んでいる。上級魔法士はその名の通り上級魔法が使えなければ名乗れない。レンは幾つもの国や地域にある上級魔法を網羅していて、種族特有の上級魔法まで学んでいる。そしてそれらの魔法は全て頭の中に残っている。

 だが魔力回路が上級魔法を使うには貧弱で、魔力の属性を変える速度も魔力量全体も上級魔法士を名乗るレベルには至っていない。


「せめてあと魔力炉を1つは稼働させたいな。2つあれば上級魔法くらい完璧に使えるようになるけれど。時間を掛けるなら超級の魔法を使いたい」


 レンは結果に不満を残しながら、しかし現状では最高峰の魔法をうまく発現できたことには満足していた。

 思考が少しお花畑になっていたかもしれないが、魔法の組む工程に影響はない。それに少しホッとした気持ちでいた。こういう浮ついた気持ちの時は油断を招き勝ちだ。

 カルラやクローシュが常に守ってくれているのでそうそう不意を打たれて殺されるということはないだろうが、それで油断して良いというわけではない。

 実際少数にはなったが玖条家を張っている者たちは未だいるのだ。

 ご苦労なことである。警告のためにたまに間引いているが、根絶することは難しそうだ。



 ◇ ◇



「お姉ちゃん機嫌悪そうね」

「そうね、ちょっと憂鬱よ。私まで巻き込まなくて良いのに」


 エマは不機嫌にエアリスにそう返した。なにせみんなの前で自身のまだ淡かった恋慕を看破され、更に暴露されたのだ。

 それを行った妹は全く悪びれていない。

 美咲たちからの要望があがり、レンとの2人きりの時間を取れるように灯火が調整することになった。

 レンはその要望を聞いて苦笑いしていたが「わかったよ」とだけ答えてすでにエアリスや美咲とはすでに数時間、一緒にデートをしたらしい。

 そしてエマの機嫌が悪い理由は、エマもそのローテーションに組み込まれ、そろそろエマとの時間の予定が迫っているからだ。

 正直レンと2人きりになったところで何をどうして良いかわからない。


「レンは綺麗な景色のところに案内してくれたし、話してみると色々知っているし時間なんてあっという間にたっちゃうよ。別にイチャイチャしなきゃいけないなんてルールはないんだから、お姉ちゃんはお姉ちゃんなりにデートすればいいじゃない」

「デートって時点でありえないのよ。確かにレンは優良物件だと思うけれどそこまでしたいわけじゃないわ」

「でもこうでもしないとレンは時間なんて作ってくれないよ? レンもなんだかんだ忙しそうだし。退魔の家の当主って大変なのね」

「うぅ~」


 エマは抱き枕に抱きついて唸った。

 確かにこのまま灯火や楓たちとレンの仲が進行し、それを見ているだけというのも辛いのは事実だ。

 灯火とレンが婚約したのを皮切りに彼女たちはレンとの距離を詰めようとしている。そしてその波に乗り遅れるということはエマが後から声を掛けるはめになる。それはかなりハードルが高いことのように思えた。

 今ならば多少の差はあれレンを取り巻く女性陣に自然に混ぜて貰えるのだ。

 後はエアリスの言う通りエマはエマのペースでレンと親交を深めれば良い。

 いきなりハグしたりキスしたりその先まで……とする必要性はないのだ。

 他の女性たちはしているかもしれないと思うと少しイラッとしてしまう。

 それが嫉妬という感情であることくらいはエマもわかっていた。

 と、言うか年下でまだ中学生なエアリスがレンとすでにデートし、「レンから抱きしめてキスして貰った、幸せだった」などと報告されてしまっている。

 妹と同じ相手を好きになり、すでに妹がレンとそういう関係であることになんとも言えない感情がグルグルしてしまう。


「エアリス、貴女なんだか私より大人じゃない。気の所為かしら」

「別にそんなことないと思うけどな。お姉ちゃんより気持ちを認識したのが早かったのとあまりうだうだ考えずにレンと将来を一緒にしたいって素直に思っただけだよ。お姉ちゃんは考えすぎなだけだと思うな」

「そうなのかしら。そうだとしても思っていた感じじゃなくて戸惑うわ」

「レンはモテるからね、こればっかりは仕方ないよね。独占しようとかは考えたくても実行できないし。美咲や葵たちとも仲良くやっていけたらなって思うわ」

「割り切ってるのね」

「割り切らないと美咲や葵に排除されちゃうわよ? 一番独占欲強いのがあの2人だわ。魔女の血ってのも厄介よね。私にはレンがキラキラ輝いて見えるもの」


 美咲も葵も日本の神霊の血を濃く引いているのだと聞いたことがある。

 そしてエマもエアリスもキリスト教に悪魔に落とされた旧き神の血を引いた魔女という存在だ。

 そして例に漏れず、魔女は惚れると一途になる。

 エマはいずれチェコに帰ることになると思っていたので、レンに惹かれている自分を認めるのが怖かったのだ。

 認めてしまうとおそらく一直線にレンに惚れる。そうなればチェコの魔女界で名を馳せるという夢は霧散してしまう。故に自身の気持ちに蓋をしていた。

 だが実際はもう2年弱も日本にいるままだしチェコに帰る予定も立っていない。

 そんな中でレンと一緒の時間を過ごし、四ツ腕との戦いで、改めてレンの凄さを思い知った。

 今更自分の気持ちに嘘は付けないと悩んでいたところに灯火の婚約話が持ち上がったのだ。


「独占欲か、今更よね。レンと最初に出会ったのが私で最初の恋人になったのなら独占欲とかも出たのかもしれないけどね」

「私たちは後からだもんね。日本に来た時から水琴や葵はレンの隣にいたもの。どっちみちチェコの魔法使いに惚れても独占なんてそうそうできないよ。お父さんもモテてたみたいだし」


 優秀な魔法使いはモテる。魔術士でも同じだ。そしてその血を紡ぐために多くの女性を侍らす魔法使いが多いのはチェコでも同じだった。

 そして日本の退魔の家事情を楓や水琴から聞いているがそれらは変わらなかった。

 やはり優秀な術士はモテるらしい。そしてレンは覚醒者であることが信じられないくらい破格の術士だ。モテないはずがない。

 むしろ7人程度で済んでいるのがおかしいくらいだ。


(あれ、でも隠している女性が確かたくさんいるのよね)


 エマはそれについては考えないことにした。

 レンが活躍すれば、もっと広い世界に出れば、直近で言えば大学に通っただけで新しい女ができるかもしれない。

 そしてその可能性は非常に高いようにエマは思えた。


(空間系魔法なんてなんで使えるのよ。超複雑でお母さんですら使えないのに)


 レンは〈箱庭〉や〈収納〉など空間系魔法の使い手だ。

 〈転移〉などが使えるかどうかはわからないが、〈箱庭〉だけで明らかにおかしい。〈収納〉が使えるだけで高位魔法使いと呼ばれる世界なのだ。


「まぁお姉ちゃんもレンとのデートを素直に楽しんできなよ、大丈夫。レンは紳士だから望んでなければいきなり手を出されることはないと思うよ」

「わかった、わかったわよ」


 エマはボフンと抱き枕をエアリスの方に投げ、ベッドの上にあったクッションにうつ伏せに倒れた。

 なにせレンとのデートは明日なのだから。



 ◇ ◇



「灯火はなんていうか、自分を後回しにするタイプだよね。もっと主張しても良いんだよ? 正式な婚約者なんだし」


 灯火はライカの背に乗り、レンにしがみつきながら移動していた。

 そして風の結界で物凄いスピードで移動しているのにレンとの会話は成立する。

 レンの言っている意味はレンとのデート権の順番を年下の子からにして灯火が最後になったことを言っているのだろう。

 それは灯火が考えて決めたことだ。


「そうかしら。そういう意識はないわね。レンくんとの婚約者になったのだって水無月家が最初に手を挙げたってだけじゃない。豊川家なんて美咲ちゃんを東京に送り込んで来ているのよ。すでに周囲は婚約者としてみなしているとおもうわ」

「豊川家内ではそうかもしれないけれど、周囲の目はどうなのかな。そこまではわからないや。ライカ、そこ右ね」


 ライカの背は意外と揺れず、ビュンビュンと景色だけが移り変わっていく。

 レンは灯火よりも小さいが抱きついてみるとがっしりとしている。


(見た目は細いのにしっかりしているわね)


 なんてつい考えてしまう。


「僕も美咲を豊川家が手放すとは思ってなかったよ。そのくらい大事にされてたからね。豊川の姫って呼ばれるのは本人は嫌がっていたけど実際お姫様扱いされてたからね。豊川家では崇拝してる人すら見かけたし」

「そうね、ふふっ。私も水無月家の姫なんて呼ばれたらくすぐったくなりそうだわ」


 灯火とレンは婚約を当主同士の会談で正式に交わしたが、灯火の意識が即座に婚約者に移り変わることはなかった。

 今もレンにくっついているが、こんなに接触したのは初めてなくらいである。


「よし、到着っと。どうかな、一応景色は良い所だと思うけれど」

「わぁっ、素敵」


 森を抜けると見えたのは一面の花畑だった。

 色とりどりの花が丘一面に咲き誇っている。ただし花の種類はわからない。見たことのない花ばかりだ。

 この〈箱庭〉内の景色だけで、レンが異世界の大魔導士だと信じられてしまう。


「とりあえずお弁当にしようか。今日は僕が作ったから簡易なサンドイッチだけどね」

「別に葵ちゃんお手製のお弁当でも構わないわよ」

「流石に今日くらいはね。葵も遠慮してたし」


 レンが〈収納〉からシートを取り出し、景色の良い場所に広げてクッションまで配置されてしまう。

 そこにレンの手作りだというバスケットを開けてみると確かにサンドイッチが並んでいる。

 〈収納〉は便利なもので紅茶のセットが出てきたと思うと、レンは即座に魔法でお湯を沸かし、香り高い紅茶を淹れてくれた。


「砂糖は1つでストレートでいいよね」

「ありがとう、美味しいわ」


 ティーカップから香る紅茶の匂いをゆっくりと堪能し、それから口をつける。

 サンドイッチもきちんと作ってあって多少ゆがみはあるが中身は豪勢だ。

 レンの手作り料理は食べたことがないので渡されたサンドイッチをパクリと食べるとスパイシーなBLTサンドだった。

 レンと灯火はゆっくりと昼食を花畑を眺めながら食べる。

 2人きりになったところでどうすれば良いのかと実は頭を悩ませていたりしたのだが、これだけでも灯火は十分だと思った。




「あ、そうそう。灯火は正式な婚約者だからね、渡す物があるんだ」

「あら、何かしら」


 灯火とレンはしばらく花畑の中で色々と話をし、そろそろ時間かなと言うところでレンが切り出してきた。


「はい、これ。一応お手製だよ」


 そして渡されたのは指輪だった。ちゃんと装飾された箱に入っている。

 灯火は予想もしていなかったので声もでなかった。

 見た目はシンプルな銀色に輝く指輪で、小さな青い石が金属の中に埋め込まれている。


「これ、お手製って単なる指輪じゃないわよね」

「そうだね、小さな〈収納〉の機能がついているよ。予備の武器とか着替えとか入れて置けばいいんじゃないかな」


 毎年の誕生日にはレンがお手製のアクセサリーをプレゼントしてくれることは恒例になっている。

 腕輪にネックレスにイヤリング、それぞれ様々な機能がついていて、とても他人には話せない。

 しかも今回は指輪だ。

 他の女性陣たちはすでにレンとのデートの時間を終えていて、指輪をつけている娘はいなかった。

 灯火は自身が本当にレンの婚約者になったのだと今更自覚した。


「ありがとう。すごく嬉しいわ」


 なんとか声を出すとレンはスッと左手の薬指につけてくれる。

 誂えたようにぴったりだ、というか誂えているのだから当然だ。いつの間に指のサイズなど知られたのだろうと考えてしまうが、自分の左手の薬指に指輪の青い宝石がきらりと光るのを見て涙が溢れそうになってしまう。


「灯火、これからもよろしくね」


 レンはそう言って灯火を優しく抱きしめた。

 お互いが見つめ合う。

 自然と唇が重なり合った。


(幸せだわ。レンくんに助けられて本当に良かった)


 灯火はレンのぬくもりを全身で感じながらそう思った。

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