135.婚約
水無月美輪子は顔に無表情を貼り付けながら心の中ではルンルンでいた。
なにせ灯火の伴侶となる少年、レンとこれから面会できるのだ。
美輪子自身が玖条家を訪ねることに眉をしかめる重鎮や、諌める声もあったがそれらを黙殺し、美輪子は水無月家として玖条家当主に申し込むのだから自身が行くのが適任だと言い張ってこの場にいる。
おかげで多くの護衛が付き従うことになってしまったがそれは仕方がない。
(玖条漣くん、どんな子なのかしら)
灯火からは内々にレンに水無月家から婚約の打診があることが伝えられ、それが受け入れられることも教えられている。
つまり婚約自体は成るのだ。
結果がわかっていないのならば不安にもなるが、すでに返答は頂いたようなものだ。
ならば灯火が選んだ少年が、灯火を救ってくれた少年がどんな少年か知りたいという好奇心を満たしたいという思いが強い。
玖条家の所有するビルに到着し、屈強な水無月家の護衛に守られていたが、玖条家からは灯火を含めて6人までしか応接室に通せないと言われてしまった。
美輪子は上位の4人を選び、彼らを連れていくことに決め、他の護衛たちが止めようとするのを当主権限で封殺した。
実際水無月家と玖条家はそれほど縁が無かったとはいえ、これから縁続きになる家なのだ。
同盟などを結ぶかどうかはわからない。玖条家の戦力の把握も済んでないからだ。ただ調べた限りそんなに心配することもないだろう。
玖条家の評判は高い。
異国の傭兵を雇っているということで眉をしかめる者たちはいるが、近隣の他家に戦力を貸出し、インストラクターのようなこともしていると言う。
また、チェコの魔法使いと懇意にし、魔道具の販売なども行っているようだ。
どちらにせよ玖条家と言っても興したばかりの家なので玖条の名を冠するのはレン1人しかいない。
そして玖条家の後ろ盾は鷺ノ宮家なのだ。それほど強い後ろ盾を持つ家はそうそうない。それだけでも水無月家が縁組を持ち出す理由になってもおかしくはないが、水無月家内でも鷺ノ宮家の大きさを知らない者が多いので理解は得られづらい。
だが先日の如月家との妖魔との戦いで水の神霊を操ったという情報が流れている。
ただの覚醒者ではないのだ。神霊を操る術士など美輪子も数えるほどしか知らない。
神霊持ちの代表格、豊川家も玖条家と縁を結ぼうとしているらしい。
豊川家は遠いが、縁付いておいて水無月家に損はない。
「どうぞ」
案内してくれた女性が応接室に通してくれる。
そして少し背の低い少年と、使用人の格好をしたおそらく忍者であろう者たちが部屋に居た。
「初めまして。玖条家当主、玖条漣です」
「初めまして、水無月家当主、水無月美輪子よ。気軽に美輪子と呼んでちょうだい」
「美輪子さんで良いですか。こちらもレンで構いません」
「ではレン殿で」
(可愛らしい子ね)
そう見目を評価しながら促されて美輪子と灯火はレンの正面に座った。
紅茶かコーヒーか緑茶かどれが良いかと問われ、コーヒーと答えると少しして美味しそうな香り高いコーヒーと有名なブランドのシガールとフィナンシェが出された。
護衛たちは美輪子たちの後ろに並んで立っている。
彼らには当主同士の話し合いであるので発言は禁止してある。万が一の危険があった時だけ動いても良いと言っているが、流石にないだろう。
なにせ灯火が選んだ相手に、縁談を申し込みに来ているのだ。そして相手もそれをわかって歓迎してくれている。危険などあるわけがない。
「まさか水無月家の当主である美輪子さんがいらっしゃるとは思ってもみませんでした。使者が来るとは聞いていたのですが」
「わたくしが直々にレン殿を見てみたいとわがままを言ったのです。多少反発もありましたが、当主同士の話ですもの。下手な使者を送るよりも自身で来た方がよほど楽だわ。こうして直接お話できるものね」
そう言いながら美輪子はレンの霊力や魂の色を感じていた。
霊力量は抑えているのかあまり感じられないが、灯火と同等か少し下くらいはあるだろう。年齢を考えれば優秀な方だ。むしろ覚醒して3年も経っていない。それを考えれば異常だ。何より霊力の制御能力は灯火どころか美輪子を超えているかもしれない。一瞬パチクリと目を瞬かせてしまった。
そして魂の色だ。灯火からも聞いていたが白い殻のような魂の状態をしている。
こんな魂は初めて視る。灯火はまだ未熟なのでわからないのだろうが、おそらくかなり高位の神が絡んでいるはずだ。
覚醒者と聞いたが、明らかに神に愛されている。実際神霊の加護がいくつも感じられる。
(思っていた以上だわ。むしろわたくしが頭を下げて灯火を貰ってくださいとお願いしても良いくらいだわ)
話の流れからそんなことをすることにならなくて良かったと美輪子は思った。そんなことをすれば必ず重鎮たちから反発がでる。そしてその理由を説明しても理解されないだろう。
灯火の姉たちですら、理解できないに違いない。
前当主である美輪子の母や叔母たちならわかってくれるだろう。
どちらにせよ今回は普通に婚約の打診をすれば良いだけだ。美輪子が感じたことは母には話そうと思うが他に話すつもりもない。
「先に灯火から聞いているでしょうけれど、灯火ももう19歳です。退魔の家の娘としては婚約者がいて結婚していてもおかしくありません。しかしながら灯火には未だ婚約者すらおりません。それは色々とあったからであるので仕方ないのですが、そろそろ決めるべき時期なのです。そこで水無月家当主として、灯火の母としてお相手をレン殿にお願いしたいと思ってやって参りました」
「えぇ、聞いています。玖条家は僕1人でしかなく、部下たちからは早く後継ぎを作れとせっつかれています。個人的にはそれほど急ぐつもりもないのですけどね。玖条家が一代で潰えたとしても、僕個人としては問題がないとまではいいませんが、急いで妻を娶り、義務的に子を作るほどの情熱はありません」
「ほんの数年前までは一般の方だったものね。覚醒者は覚醒してから元の価値観と退魔士の価値観との違いに戸惑いが見られることは多々あります。だからわたくしも気持ちはわかりませんが理解はできます。普通の高校生は婚約者や結婚などはまだあまり考えていない子のが多いでしょう。ですが玖条家という家を興し、当主となったからにはそうは行きません。どこかの家に拾われたのであればそこの家の当主の方針に従えば良いのでしょうけれど、当主という立場はそれほど重いものなのです」
レンは覚醒者だ。ほんの2年と半年前に覚醒したという。それからの動きを追っても美輪子は正直理解できない。
まず〈蛇の目〉がその存在を予言し、如月家が探したのに見つからなかったというのが驚きだ。
実際川崎事変後までレンはその存在を隠し通していた。
川崎事変でも灯火を含む5人の少女を救い、水神を操って黒蛇神を倒した。
しかも〈制約〉という魂魄に影響を持つ特殊な術を使い、自身の存在を5人の少女から漏れるのを秘匿した。
水無月家でも〈制約〉を解こうとする動きはあったのだが、その危険性に気付き、即座にやめさせた。
そうでなくとも解くことは難しかっただろう。なにせ鷺ノ宮家が連れてきた術士ですら解けなかったのだ。鷺ノ宮家が連れてきた記憶を読む術士がうっすらとだけレンの顔を読むことができたので特定できたが、そうでなければレンの存在は秘匿され続けただろう。
どこでそんな術を身に着けたのか、どうやって自身の存在を秘匿し続けられたのか。その秘密は今でも明らかになっていない。
(でもこれほど神に愛されているならば理解ができるわ)
レンは明らかに異常だ。異常だがレンの魂魄を美輪子は肌で感じて初めて、その異常さの理由の一端を知った。
「当主の重さには今更ながらに気付かされることが多いです。ですが僕は他人に強要されることが嫌いなので、どこかの家に拾われるというのは我慢がならなかったと思います。この辺ですと如月家でしょうか。如月家が悪いとは言いませんが、如月家の方々の命令を聞いて修行や妖魔討伐に駆り出されるのはごめん被りたいですね。そういう意味では玖条家を興すことが許されたのは幸運だとは思っています」
「そう、多少なりともわかっているのね。それならば良いわ。得た力の大きさに振り回されたり、逆に振りかざして討伐や封印される覚醒者もいるのよ。そんな相手には灯火をあげたりできませんけどね」
美輪子はコーヒーに口をつけ、その香りを楽しんだ。確かこれはあるホテルが専属契約していて、そのホテルに行かなければ飲めないコーヒーのはずだ。
どこでこんなものを手に入れたのだろう。
美輪子ともなれば手に入るが、そうそう手に入れられるものではない。
「そういえばきちんとお返事していませんでしたね。灯火さんとの婚約、正式に受けようと思います」
「ありがとう。受けてくれて助かるわ。灯火は三女なので本人の意思を優先させてあげたいと思っていたのよ。おかしなところには嫁がせられませんけどね、玖条家は新興にも関わらずその武勇は広がっています。そして悪い話もそう聞きません。水無月家と縁付く家として規模はまだ小さいですが、それは新興の家ですから仕方ありません。むしろ今の時代一代で新しい家を興すことの方がよほど難しいのです。それに灯火の命の恩人ですものね。それを除いてもわたくしはレン殿を非常に高く評価しているのですよ」
「ありがとうございます。恋や愛というのはまだ正直わからない部分がありますが灯火さんを幸せにしたいと思います。灯火もこれからは婚約者としてよろしくね」
「うん、レンくん。宜しくお願いします」
レンは誠実な表情でしっかりと答えた。灯火も顔を赤くしながらも軽く頭を下げた。
美輪子の言葉は本心だった。
灯火の命を救って貰っただけでも灯火を嫁に出す価値はある。なにせ命は替えが利かないのだ。
しかし水無月家当主としてはそれだけで灯火を嫁に出すことは許されない。
幸いにしてレンは玖条家を興し、玖条家の評判も上々だ。
水神を従えているというのも良い。少なくとも水無月家内の反発するものたちはその事実だけで黙らざるを得ないだろう。
晴継に限らず灯火を狙っていた水無月分家の者は多い。
灯火は見目麗しく、親の欲目を除いても良い娘に育ったからだ。
灯火が長女であったら、美輪子は何の心配もせずに灯火に次期水無月家当主の座を決めただろう。
姉2人の器量も良いので心配はないが。後継者に恵まれたことに美輪子は神に感謝する。
「婚約が成ったことは素晴らしいわ。実際に結婚はいつが良いかしら。レン殿はもうすぐ18歳になるんでしょう。すぐ貰ってくれても良いのよ」
「ちょっと、お母さん」
少し興奮して声が高くなってしまった自覚はある。なにせ婚約が成ることは知っていてもいつ結婚するかは決まっていなかったからだ。
レンが18歳になってすぐ、もしくは高校を卒業したら。それが最速だろうか。灯火の大学卒業に合わせても良いかも知れないが、一番遅くともレンの大学卒業に合わせては貰いたい。
灯火を手元に置いておきたい母心と、うきうきとしながらレンのところに通っている灯火が早く幸せになって欲しい気持ちが美輪子の中ではせめぎ合っていた。
灯火に声を掛けられて体がぐいと前に出てしまっていたのに気付いてコホンと咳をして、ソファにしっかりとかけなおす。
当主としてではなく、母親としての面が強くでてしまった。反省しなければならないが、こればかりは治らない。
「そうですね、すぐというのは少し早いので灯火さんの大学卒業に合わせてというのはいかがでしょうか」
「そうね、そこが無難なところよね。でも婚前交渉も構わないし先に子供を作って授かり婚でも構わないわよ。むしろ結婚前でも妊娠させてしまってもいいわ」
「お母さんっ!」
灯火が声を荒げるが美輪子は本心で言っている。さっさと子供を作ってほしい。玖条家も後継ぎが必要なはずだ。
「あら、でもそういえば豊川家の子もいるのよね。灯火、貴方正妻なの?」
「え、あ、うん。一応豊川美咲ちゃんとの話し合いでは私が正妻で良いってことになってるわ」
「そう、そうなのね。でも豊川の姫なら灯火じゃなくて正妻になってもおかしくないけれど」
「本人が性格的に向いてないって言ってたのよ。でもやるならしっかりやるって言ってたわよ。どっちみちレンくんのお嫁さんは増える予定だし正妻かどうかなんてそう大きく差はつけられないと思うわ。レンくんは全員平等にとはいかないかも知れないけれど、みんなを愛してくれると思うわ」
「あら、そんな増えるの。でもそうよね、川崎事変で5人の子を助けたんですものね。5人はいてもおかしくないわよね。豊川家が嫁に出すことには驚いたけれど」
そこら辺は美輪子も灯火から詳しく聞いていなかった。ただ豊川の姫と呼ばれる美咲がいる事も、豊川家が美咲を嫁に出すことを決めたことも聞いていた。ただ他の娘たちについては詳しく知らない。
どんな子たちがいるのか、どこの家なのか、灯火と仲良くしているのかくらいしか把握していないのだ。
豊川家なら玖条家の名を残しつつ美咲の婿としてレンを迎え入れ、灯火は豊川家の婿の側室となる未来もあったかもしれない。
どちらにせよ中部地方の雄である豊川家と縁が結ばれるのは喜ばしいことだ。
どれだけ豊川家が荒れたかは考えたくはない。水無月家でも長女の婿を決める際に色々とあったのだ。女系である水無月家の長女を他家の嫁に出すという選択肢は存在しない。しかし同様にその存在しないだろう美咲を嫁に出すと言う選択肢を豊川家は認めた。
ただ神霊の血を濃く引く娘は命を助けられた相手に惚れ込むことは有名だ。おそらく美咲はかなりわがままを言ってレンの妻に収まることにしたのだろう。
「豊川家については僕も驚きましたが、受け入れることに決めました。ありがたいことに他にも数人、僕の妻になりたいと言って来てくれている子が居ます。少し戸惑うこともありますが、彼女たちも順次妻として迎え入れるつもりでいます」
「あら、モテる男は大変ね。でも全くモテない男よりは良いわ。良い男の証拠ですもの。それに分家もいくつか作らないと行けないものね。それも当主の義務よ。初代は大変ね」
実際レンは身長こそ低いものの顔立ちは整っているし体も細いながらも鍛えているのがわかる。
霊力も2年半しか鍛えていない覚醒者としては破格だ。そして水神を持ち、少ないながらも強力な兵力も持っている。
一般人からも、退魔士からも魅力的な相手だろう。水神の情報が流れた今、今後どんどんと縁談の申し込みが来てもおかしくはない。
「そういえば水無月家の者たちから灯火の婚約者になる人物を直接見たいという要望があったわね。申し訳ないのだけれど一度水無月家に顔を出してくれないかしら」
「良いですよ、どちらにせよ灯火さんの両親にご挨拶に伺うつもりでした。美輪子さんが直接来られたので美輪子さんとは顔合わせできましたが、お父さんやお姉さんたちにもご挨拶したいと思っていたので問題ありません」
「良かったわ。日取りは、再来週の日曜日でどうかしら。家族だけでなく水無月家の重鎮たちも参加すると思うのだけれど」
「わかりました。詳細な時間は灯火さんを通して決めたいと思いますが良いですか」
「えぇ、構わないわ。話が楽しくて言い忘れるところだったわ。思い出してよかったわ」
美輪子はからからと笑った。
とりあえず美輪子が見たいと思っていた灯火の相手は直接見られた。そして直接会いに来て良かったと思った。
灯火が幸せになれるかどうかはわからないが、誠実そうな少年だ。
レンの本質を感じ取れない者たちから多少の反発はあるだろうが、そこは美輪子が当主の権限でなんとかするしかない。
どちらにせよ思ったよりもよほど良い縁談になるだろうと美輪子は結論付けた。
◇ ◇
いつも閲覧ありがとうございます。毎日一万PV以上行っているので励みになります。これからもよろしくお願い致します。
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