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「レンくん何か悩んでる?」
水琴は〈箱庭〉での訓練が終わった後にレンに尋ねてみた。
レンは案外考えが表情に出る。わかりやすいのだ。
葵も居るが葵は疲れたのか少し離れたところでハクのお腹に寝転んで目を閉じている。
「なんだ、水琴もか。そんなにわかりやすいかな」
「普段悩みなんてあまりなさそうにしているから余計わかりやすいのかも」
「普段悩みなさそうにしてる? そうかな。悩みなんてつきないよ。未だに四ツ腕の斬撃は思い出すし」
「アレは私も思い出すわ。そうじゃなくて、別に悩んでることがあるんでしょう」
レンは少し躊躇しながら話し始めた。
「葵にも聞かれたんだよな。今はエマとエアリスを〈箱庭〉の特訓をさせるかどうか悩んでるんだ」
「葵ちゃんはどう答えたの?」
「僕の好きなようにすればいいって」
「そう」
水琴は小さくため息を吐いた。
「葵ちゃんならそう答えるでしょうね。四ツ腕との戦いでエマとエアリスちゃんの実力に不安でも出た? そうでなければレンくんの一番隠したい〈箱庭〉を見せようとなんて考えないでしょう」
「そうだね。エアリスはそうでもないけどエマがね。実力に対して動きが悪かった。戦闘経験が少ないせいだろう。平和に過ごしてこれた証拠でもあるんだけどね。ちょっとアレだといつ攫われてもおかしくないなって思ったんだ」
「私たちは〈箱庭〉の魔物と戦うことで戦闘経験を積ませて貰っているわ。そしてそれは身になっていると思ってる。エマとエアリスちゃんの安全の為に〈箱庭〉の魔物と戦わせるというのは賛成よ。でもレンくんは〈箱庭〉の存在はできるだけ隠したいんでしょう」
レンは更に悩んだ表情をして続けた。
「そうなんだ。記憶を読む術者がいる。どこまで見られるかわからない。ハクやライカやエンの存在もすでにバレているかもしれない。そして玖条家としての全体の戦闘力はともかく、僕そのものの戦闘力が未だ足りていない。玖条家を苦しめる為に僕や水琴たちを狙う輩が出るかもしれない。それが心配なんだ」
「でもエマやエアリスちゃんが襲われて対応できなくてもイヤなんでしょう?」
水琴はレンが心配するほどエマやエアリスが動けないとは思ってはいなかった。魔女の血を引くと言う2人の戦闘力は高い。特にエアリスは相性の問題もあって水琴は1対1では敵う気がしない。
四ツ腕との戦いでもきちんと戦っていたように思えたし、レンが心配するような欠点をエマに見出すことはできなかった。
ただ玖条家と獅子神家は近くで戦っていたとはいえ、水琴もエマやエアリスばかりを見ていたわけではない。むしろ前衛で戦っていたので他人の戦いなど見るような余裕はなかったのだ。
「まぁそうだね。エマもエアリスも大切にしたい。そして僕が彼女たちを常に守るわけにもいかない。ならば本人の実力を底上げするしかない」
「レンくんはエマやエアリスちゃんだけでなく、私や他の子たちにもそうだけれど庇護欲が強いわよね。過保護だと思えるほどだわ。嬉しい反面、もう少し信用してほしいと思う」
「水琴たち5人は異国の組織に攫われ生贄にされそうになった。エマとエアリスも魔女狩りに狙われた。そして今後もそういうことが起きるかもしれない。だから鍛えてる。前回は僕は関係なかった。全く別の理由で君たちは狙われていた。でも今度は玖条家の関係者という理由で狙われることがあるかもしれない。可能性の話だけどね。だから悩んでいるんだ。僕のせいで誰かが攫われたり犠牲になるのはイヤだ」
なるほど、灯火との婚約の話も出ている。レンと親しくしている女性ではなく、玖条家と親密な関係の女性へとシフトするのだ。
少なくとも灯火は近いうちに、楓や水琴、葵や美咲も時期は違えど同じ婚約者、もしくは伴侶という立場になるだろう。
それに玖条家を狙う家がそのような関係性をわざわざ調べて狙うとも思えない。
玖条家に頻繁に通う他家の子女。それだけでレンとの関係を邪推し、レンを脅すために攫ったりする家や組織がないとは水琴も言い切れなかった。
玖条家の、いや、レンの秘密は大きすぎる。そして確かにその秘密を守るにはレン個人の現在の実力は足りていない。
最近悩ましい表情をしていたのは、エマとエアリスのことだけでなくそのことも関連していたのだろうかと水琴は思った。
「考えすぎだと思う部分はあるよ。でもチェコの魔法士界隈も荒れているらしい。そう考えればチェコに帰る前に彼女たちをもっときっちり鍛えておいて損はないと思うんだ」
「あら、エアリスはイザベラさんの許可は得られなかったの?」
「いや、得られたそうだよ。でも僕と一緒になったからって日本から出ないわけでもないし、チェコに帰る機会がないわけじゃないだろう。むしろ僕をチェコに連れて友人たちに紹介したいってエアリスは言ってたね」
「それは良かったわね、それで、話したことで少しは考えは纏まった? 私はレンくんが考えすぎだとは思うけれど、エマとエアリスを鍛えるのは賛成よ。この世界に生きていて強くて困ることなんてそうそうないわ」
「そうだね、ありがとう。確かに最近考えすぎてる。灯火が婚約を持ち出したのもあって余計にね」
レンの表情が少しは軽くなったように思える。それだけで水琴は声を掛けて良かったなと思う。
レンがどんな結論を出すかはわからない。
水琴が見えていないものをレンは見ているのだ。
水琴はレンと婚約することで玖条家関連で自分が狙われる可能性なんて考えたことがなかった。
そんなことを言えば自身が神霊を召喚する生贄に攫われる可能性すら想像すらしていなかったのだからあの時の危機感が足らなかったと言える。
しかし獅子神家でそんな目にあったという話は祖母の代まで遡ってもない。近隣の家でも同様だ。例え前例があっても対応できただろうか、いや、できなかっただろう。同じように攫われていた結果が見える。
獅子神神社だけでなく全国の退魔の家が異国の組織に襲撃され、子女が攫われた。警備が獅子神家の比ではないだろう水無月家や豊川家の娘まで攫われたのだ。時代と共に常識は変わる。豊川家も豊川家を狙う組織が現れるなどと考えていなかったと美咲は言っていた。
レンは500年を超えて生きた大魔導士だ。悲惨な事件や大国での暗闘、政略闘争なども経験している。街や国が滅んだ事例も幾度も知っているという。故にどのような可能性が存在するのか、水琴には考えつかないことまで見えてしまうのだろう。だから過剰に、レンは対処するし早く動く。
水琴たちに過保護なほど彼女たちを守ろうとする理由が、レンが見えすぎているからだと水琴は今更ながらに気付いた。水琴が想像もしていないような事象に対処できるようにレンは常に動いているのだ。
それが結果的にレンは過保護に彼女たちを守ってくれるように映る。
レンは前世で女性に困ったことはないしモテていたというが、それはそうだろう。
(考えすぎな部分はあると思うけれどね)
異世界と日本は、いや、地球は違うのだ。レンは異世界基準で物事を考えすぎている。それも仕方のないことかも知れない。なにせまだ日本で目覚めて3年も経っていない。500年生きた世界の後で別の世界に放り込まれ、3年で考え方や常識を全部塗り替えろというのは無茶というものだろう。
「うん、ハクたちを見せずに魔物とだけ戦う経験を積ませることにしよう。ほんの少しだけれどリスクは狭まるしエマとエアリスの強化にもなる」
レンは考え込んだ後、結論が出せたようだ。確かにクローシュやハクたちを見せなければ記憶を読まれても彼女たちが魔物と戦っている部分が見えるだけだ。
どこでなんで魔物と戦っているかなど記憶を読んだ術者は困惑するだろうが、少なくとも上位の神霊が大量にいるという事実にたどり着くことはない。
「迷いが晴れて良かったわね。でもちょっと手加減してあげてね。レンくんの特訓は泣きたくなることも多いのよ」
「それで目標の結果に届かなかったら意味がないだろう。これでも十分手加減してるんだよ」
(目標が高すぎるのよね。レンくんは私がいずれ剣聖に成れるって言うけどアレ多分冗談じゃなく本当に世界一の剣士に育てあげられると思ってるんだわ)
レンの見ている世界と水琴や他の者たちの世界。その乖離は未だ広大なようだった。
◇ ◇
『一体これはどういうことだい?』
イザベラはレンに誘われ、特別訓練室にエマとエアリスを連れて入った。
特別訓練室と言っても小さな板張りの道場のような場所で、特別なことは何もない。むしろ普段の訓練場の方が固い結界が張られているくらいだ。
しかし特別訓練室に入れるのは基本的に灯火たち5人と蒼牙と黒縄の幹部たち数人だけだ。彼らがそこで何をしているかをイザベラは知らされていなかった。
しかしレンに呼ばれ、エマとエアリスは訓練着だというものに着替えさせられ、特別訓練室に移動した。そしてレンが手をかざして作った黒い渦のようなモノに入るように言われた。
一瞬で世界が変わった。そうとしかいいようがない。なにせ見えるのは砂漠だ。空もあり、太陽がさんさんと照りつけている。遠くには大きな岩山が見える。
障壁の上にレンとイザベラ、エマ、エアリスは立って砂漠からは浮いているが、エマもエアリスもイザベラ同様ありえない景色に言葉もなくしていた。
『イザベラがエマとエアリスを鍛えたいと言っただろう。かと言って四ツ腕のような危険な妖魔と毎回戦わせるわけにはいかない。命がいくらあっても足らないからね。だからココへ連れてきたんだ。ココならあれほどの危険にあわずに実戦に近い訓練ができる。エマ、エアリス、2人は下に降りるんだ。油断しちゃダメだよ』
『え? え?』
『お姉ちゃん、いいからレンの言う通りにするよ。降りよう』
エアリスがエマの手を引くとエマとエアリスは砂漠に降り立つ。
レンの作った障壁が浮いて下がり、少し2人から距離を取ったのでエマとエアリスはイザベラと離れてしまった。
2分ほど経っただろう。砂が揺れているように見えた。エマとエアリスも気付いたのか警戒している。
しかし地中からいきなり巨大なワームが現れ、エマはその巨大なワームに飲み込まれた。
『エマっ!? エアリスっ』
エアリスはギリギリそれを避け、空中に逃げ出してワームの大きな口の中に毒魔法を放り込む。
毒魔法を受けたワームは苦しそうにバタバタと体を暴れさせ、しばらくすると息絶えたのか動かなくなった。
それよりエマだ。ワームに飲み込まれ、姿すら見えない。
『大丈夫、あのワームは地中に戻ってゆっくり消化するタイプだしそんなに強くない。エマなら自力で脱出するよ』
実際レンの言う通りになった。ワームの体から水晶の剣が幾本も生え、それがグルンと回るとワームの体は両断された。ワームの生命力はそれなりにあるようで胴体が別れてもバタバタと暴れているが、エマは即座にワームから離れた。
しかしエマの表情は優れない。汗だくになっているし溶解液で肌の露出しているところが多少の火傷になっているのがわかる。
レンが魔法を唱えるとエマとエアリスの体が浮遊し、イザベラたちの元へ戻って来る。
ワームは2匹だけでなかったようで、エマが居た場所に顔をだし、きょろきょろと探し、獲物がいないと気付くと地中に戻っていった。
『レン、どういうことっ』
『最初に説明したじゃないか。イザベラはエマとエアリスの戦闘力に不安を覚えている。それを解消するために僕は僕の秘密の1つを君たちに開示することにした。それがここだ。〈箱庭〉と呼んでいる。ワームだけじゃなくてココには様々な魔物がいる。エマとエアリスには今後それらと戦ってもらう。水琴たちと一緒に連携を組んで貰うことも増えると思う。彼女たちは同様の訓練をもっと前から行っているからね』
エマがレンに迫るが、レンは淡々とエマに返答をした。
確かにイザベラはエマとエアリスの心配をしていた。実際に戦闘の経験が少ないために危機感が足らないと感じていたのだ。
そしてそれをレンに相談し、運の悪いことに四ツ腕と邂逅した。
四ツ腕の鬼は如月家も玖条家も予想外の強敵だったらしい。アレほどの魔物が現れる予言や占いはなかったと後で謝られた。
実際イザベラも自身だけでなく娘たちの死をも覚悟した。
レンの機転とカルラの存在で死ぬことはなかったが、それほど危うい戦いだった。
『ココの魔物なら安全なのかい』
『安全の保証はしない。死にそうな目に遭うこともあると思う。むしろそういうギリギリの相手を選んで水琴たちにも戦わせているからね。でも本当に危ない時には僕やカルラが助けるから死なせることはない。それは約束する。危険度のわからない妖魔討伐についていくよりもまだマシだと思うよ』
レンは水神だけでなく大きな秘密を持っているだろう。確かにそうイザベラは予想していた。しかしこれほどの物だとは予想の範疇を超えている。
空間魔法? いや、そんなレベルではない。領域のように異界を作る魔法も存在するがこれほどの広さはありえない。神の領域だと思った。
エマやエアリスはまだ高位の魔法使いの真価を知らないので、レンが行っていることの高度さの欠片すら理解できていないだろう。
イザベラが知る最も高位の魔法使いでもこの〈箱庭〉は作れない。更に内部に様々な地形があり、魔物まで放し飼いにされているなどとは例え目の前で見た事実なのに未だ信じられない気持ちでいた。
『レン、あんた何者なんだい』
『その質問に答える気はないかな』
『そうか、そうだよね。アタシも特別訓練に参加させてくれるのかい』
『イザベラはエマとエアリスとは戦闘経験が違う。一緒に戦うのは彼女たちの訓練として良くない。だからアーキルや重蔵たちと一緒にでよければ参加してもいいよ。〈箱庭〉を見せてしまったしもう今さらだ』
『そうかい、助かるよ。アタシも鍛えているつもりではあるけれど魔物相手の実戦を積める機会はそうないからね』
エアリスは落ち着いてエマに「今更レンの非常識さを責めても何にもならない。むしろこれはチャンスであり、レンの厚意なのだ。むしろレンは多大なリスクと引き換えにエマとエアリスのために〈箱庭〉を公開してくれたのだ」と説得している。
エマも納得できていないようだが、自身が強くなれる機会を与えられたと前向きに捉えてくれたようだ。
(全く、レンの秘密は水神だけじゃないと思っていたけれど、予想以上だったね。それにきっとこれだけじゃない。強力な覚醒者じゃなくて英雄候補か、エアリスの見る目は間違っていないけれど、こりゃ巻き込まれるね。暗黒期か、冗談じゃなく本当かもしれないね)
イザベラは〈箱庭〉がどれだけ異常かを知って、レンがただの覚醒者じゃないことに確信を抱き、どれだけ先の未来かどうかはわからないが動乱の時代がやってくることに憂いを抱いた。
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