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『お母さん、話があるの』

『なんだい、エアリス。かしこまって。可愛い娘の話だ。いつでも聞くよ』


 イザベラは私室にノックをして入ってきたエアリスに対して、クッションを勧めた。

 エアリスも静かに座る。

 珍しく神妙な表情をしている。

 今日は確かレンたちと山梨に観光に行っていたはずだ。イザベラはヘレナとの打ち合わせがあり、更にレンや蒼牙、黒縄たちの護衛があると聞いていたのであまり心配せずに送り出した。

 何かあったのだろうか。


『えっとね、率直に言うとレンと結婚したい。そうなると日本に残ることになると思う』

『あ~』


 イザベラはエアリスがレンを想っていることに気付いていた。と、言うかエアリスは隠そうともしていないのでエマも他の皆も気付いているだろう。

 スキンシップは多く、レンと話している時は花開くように表情が明るいのだ。それで気付かない母親は鈍感すぎるというものだろう。

 レンとも直接そういう話をしたことはないが気付いているはずだ。


『お付き合いだとか好きだとかじゃなくいきなり結婚かい? それはまた話が一気に飛んだね』

『あぁ、そうね。ごめんなさい。私はレンが好き。それは前から思っていたの。いずれはレンの伴侶になりたいと思っていたのよ。そしたら今日灯火が正式にレンに婚約を打診するって話が出たの。そして楓や水琴、美咲や葵もレンと結婚したいって言い出したのよ。だから乗り遅れちゃダメだって思ってレンに私もって言ったの。そしたらお母さんにちゃんと相談しなさいってレンに言われて……』


 なるほど、とイザベラはエアリスの話を聞いて納得が行った。

 レンがよく顔を合わせる少女たちに慕われているのは知っている。彼女たちはいずれもレンに命の危機を救われたらしい。それはエアリスも同じだ。

 エマも憎からずレンの事を想っているようだがおそらく自覚がない。それはレンに直接助けられた感覚がないからだろう。エアリスの想いとは強さが違う。もしくは意図的に気持ちに蓋をしている。


『そうだね、いずれはエマやエアリスと共にチェコに帰るつもりだったけれど、チェコの騒動もなかなか落ち着かなさそうで数年は帰れないんだよ。まぁ日本に居れば安全かと言えばあんな鬼が出てくるんだからそうじゃないけどね。でも玖条ビルに居れば安全度は高い。アタシとしては数年はココでお世話になるつもりだし、それだけ時間が経てばエマやエアリスのそういう話も出てくると思っていたよ。でも思ったより早かったね。エマより先にエアリスを送り出すことになるとは思わなかったよ』

『反対じゃないの?』


 エアリスは不安そうに聞いてきた。


『反対も何もレンはいい男さ。水神を持っていなくても十分エマやエアリスに釣り合う実力を持っている。魔法使い界隈を見渡してもそうそうアレほどの男はいないよ。それにレンはまだまだ隠していることがある。これは勘だけどね、間違いないよ。水神並、もしくはソレ以上の秘密がレンにはある。悪い意味じゃなくてね、おそらく隠さなきゃ行けない理由があるんだろう。そういう慎重な性格も悪くない。ときおり危なっかしい気配は感じるけどね』


 実際レンはエマとエアリスの護衛依頼を完遂させた。教会勢力の横槍というイレギュラーはあったが、レンの指揮能力はあんな若い子が持っているレベルではなかった。

 エマやエアリスの魔法を見て、即座に伸ばすためのアドバイスをしたし、エアリスですら解毒できない魔毒の解毒薬を持ち出して来たときは冗談かと思ったが現実だった。

 魔力回路の調整ができるというのも驚きだ。それだけで〈制約〉という特殊な契約系の術を受けなければいけない理由もわかる。

 なにせイザベラは魔女界隈でも魔法使い界隈でも魔力回路を弄れる術士を知らない。

 実際イザベラも受けたがかなり魔法の使い勝手が良くなった。

 さらに〈制約〉の術の精巧さにイザベラは舌を巻いたほどだ。全く解ける気がしない。イザベラの知る高位の魔法使いたちに頼んでもおそらく不可能だろう。


 エマやエアリスよりもイザベラはレンという個人を高く評価しているのだ。

 そしてそのレンを見初めたエアリスの目は間違っていないと思っている。むしろレンを認めたくないと意地を張っているエマはもう少し目を覚ませと言いたくなる。

 別にエマもレンに嫁がせたいというわけではない。ただエマのレンに対する評価や態度は客観的に見てねじ曲がっているように見えるのだ。

 他人に対する正当な評価ができないということはいざという時に致命傷になることすらある。


『そう、良かった。反対されるかと思ってドキドキしちゃってた』

『エアリスがレンに首ったけなのは見ているだけでわかっていたよ。反対するならその時にやめておきなと言っているさ。ただああいう男は危険を顧みずに特攻する癖があることが多いよ。危険にも好かれる傾向がある。一緒に戦うにせよ、家で待つにせよ辛い結果になるかも知れないよ』

『うん、わかってる。レンは玖条家の当主なんだもの、先日の四ツ腕鬼のような相手と戦わざるを得ないようなことはこれからも絶対ある。それでレンが死んじゃうかもしれない。でもそんなこと言ったら魔法使いでも魔術士でも似たような物だわ。実際お父さんは死んじゃったし』

『そうだね、アレは運が悪かった。でもアタシは後悔しちゃいないよ。大事な娘を2人も残してくれたしね』


 イザベラはもう亡くなってしまった自身の伴侶を思い出した。良い男だった。才能もあった。実力もあった。人望もあった。しかしほんの少しの運がなかった。故に命を落とすことになった。後数十年生きれば寿命の軛を超えて魔法使い界隈でも名を轟かすことができただろう。


『うん。今すぐレンと結婚したいって話じゃないの。だけどいずれそうなりたいってレンにもう伝えてしまったし、それは多分今後も変わらない。チェコに戻りたい気持ちもあるけれどレンの伴侶になったからってチェコに行ってはいけない理由はないもの。いずれレンを連れてチェコに行きたいわ』

『そうだね。まぁ話はわかったよ、アタシは反対しない。どうせ順番からいって数年後の話でしょう。エアリスの思う通りにすれば良いさ』

『ありがとう、お母さん。そういえばお母さんはアーキルとどうにかなったりはしないの?』


 イザベラは危うく吹き出しそうになった。

 アーキルは確かに良い男だ。惹かれている部分も確かにある。だからこそ距離を敢えて取っていた。

 まさかエアリスに見抜かれているとは思わなかった。


『アタシのことは良いんだよ。アーキルとそういうことになることはないよ』

『本当に? 私は応援するよ。アーキルも良い男だと思うんだけどな。レンとは違う意味でだけど』


 イザベラは反論できなかった。前夫とは全くタイプは違うが、ワイルドなアーキルの魅力を否定することができなかったのだ。そして実力も高い。

 イザベラが即座に反論できなかったことで、エアリスはニヤリと笑みを作った。


『ほら、やっぱり惹かれてるんじゃない。いいと思うよ。私もお姉ちゃんももう良い年齢なんだし、再婚したって反対しないよ。いや、お姉ちゃんは反対するかも?』

『やめておくれ。まずはエマとエアリスを一人前に育てることがアタシには一番大事なんだよ。再婚なんて考えたこともないよ』


 言いながら苦しいなとイザベラは自身で思った。

 だがイザベラの優先順位がエマとエアリスであることは間違いがない。

 そしてエマはまだ危なっかしい。

 四ツ腕との戦いで思うところはあったようだが、まだ少し手放して良いとは思えなかった。


『そういうことにしておくわ。私の相談であって、お母さんの恋愛話が主じゃないもんね。それに反対されなくて良かった』

『反対しても1人で日本に残るつもりくらいの覚悟を持って話に来たんじゃないのかい?』

『あら、バレてた?』


 エアリスはてへっと舌を出した。


『魔女は惚れると一途だからね。エマも変な男に引っかからないと良いんだけど』

『お姉ちゃんもレンの魅力に気付けばいいのに。ううん、気付いてるのに見ようとしてないだけで意地になっちゃってるんだよね』

『エアリス、あんたね』


 年下のエアリスが姉のエマについて厳しい意見を言ったことにイザベラは少し頭が痛くなった。何よりそれは核心をついていたのだ。



 ◇ ◇



「じゃぁ私たちは帰るわね。楽しかったわ」


 灯火と楓が玖条ビルから出ていく頃には既に空は暗くなっていた。

 今日は8月28日。葵の誕生日だ。

 夏休みに色々なところへ行こうと計画し、結局花火大会を2回、お祭りを2回、海にも遊びに行き、山梨と埼玉の観光もした。

 そして夏休み最後のイベントは葵の誕生日会である。


 レンは2人を玖条ビル入口まで送り出し、夏休みももう終わりかとまだ暑い夜の空気の中で思った。


「婚約か」


 水無月家の使者はまだ来ていない。8月の31日に来る予定らしいと灯火に聞いた。

 返答は決まっているものの少し気が重い。

 悪い話ではないのだがレンは結婚に夢など見てもいなかった。


 なにせ正式な妻だけでも数十人居た。愛人やレンの子を生んだだけという女性を含めれば軽く100人を超える。

 一夜を共にしただけの女性を含めると数える気にもならない。実際覚えていないのだ。

 500年以上の長い人生を生き抜いたレンに取って婚約や結婚はもう飽き飽きだと言う思いすらあった。


 だが日本に転生し、身体的には同年代の少女たちを救ってしまった。事情が事情だけあり、〈制約〉も掛けた。

 カルラの存在は秘匿されなくなったとは言え、レンはまだまだ隠し事が多い。責任を取って娶れと言われればレンも文句も言えない。

 それらを除いてもあの時救った少女たちは良い娘たちばかりだ。付き合っているうちに情も湧いている。愛しているかと問われると難しいが、好きかと言われれば好きだ。

 いずれ彼女たちと結婚という話が出るであろうことは目に見えていたが見えないふりをして先送りしていた。

 手を出さなかったのも彼女たちの魅力が足らないのではなく、手を出せば先送りが効かないという自制心からだ。

 むしろレンの肉体は若く、同年代の美女美少女たちの魅惑は抗うのは難しいレベルだ。


「そういえばエアリスもか。伊織ちゃんも増えるかも知れないんだな」


 まぁ7人くらいなら良いだろう。それほど苦労する人数ではない。

 嫉妬でギスギスされるようでは困るが、あの5人とエアリスならばとりあえずは大丈夫だろう。

 伊織についてはなんとも言えないので先送りである。

 信光が手放すとも思えないし、まだ若いというか幼い。2回しか会ったことがないのもあり、どうとも言えない。予知能力者でも見通せないだろう。


 日本の退魔士事情にもある程度慣れてきたが、クローシュやハクやライカやエンたちを気軽に出せる状況でないのは肌で感じている。

 安易に彼らに頼ることをしなかった判断は正しかった。

 少なくとも玖条家の名をもっと大きくしなければならないし、レン自身の実力ももっと高めなければならない。

 神霊ではない妖魔の四ツ腕相手にかなり危ない目にあった。

 水琴や葵、エマやエアリスを危険に晒してしまった。

 他にも紅麗や凛音のことなど、隠さなければならないことは多くある。

 彼女たちの存在はまだ玖条家には重すぎる。

 玖条家より遥かに大きい家に危険視され、レンや未来の婚約者たちを狙われては堪らない。

 せめてレンは自身の身をカルラなどに頼らなくとも守れるようにならなければならない。


「一気に強くなれたら楽なんだけどな」


 そんな手段があれば四ツ腕の戦いの前に使っていた。

 しかし色々と検討したが、そんな手段はないという結果に落ち着いたのだ。

 故に楊李偉に密かに付いてきてもらった。

 それでもカルラという手札を切ることになった。


「レン様、どうしたんですか」


 考え事に浸っていたら葵が心配そうな表情で話しかけてきた。


「なんでもないよ」

「なんでもない表情じゃありませんでしたよ」

「いや、強くなりたいなって。でも簡単に強くなれる方法なんてそうそうないんだ。むしろ予定より早く強くなれてるくらいだ。それでも四ツ腕みたいな相手と相対することがある。あのくらいの鬼なんか軽く捻るくらいの実力が欲しいなって考えていたところだよ」

「四ツ腕ですか。確かに上位の妖魔レベルの力を持っていましたね。あの大太刀もヤバイ感じがかなりしました。そういえばあの大太刀ってどうなったんですか。カルラちゃんが飲み込んでそのまま消えてしまったような」


 葵が思い出したように聞いてくる。


「あれはカルラが回収してくれたから〈箱庭〉にしまってあるよ。でも瘴気塗れで触るのも危険だから霊水に漬けて瘴気を抜いているところだね」

「回収してたんですね、知りませんでした」

「回収を命令したわけじゃないんだ。カルラが気を利かせてくれたんだよ。ただ持っただけで腕が腐り落ちるような刀は使えないからね、使えるように調整しているんだよ」


 葵はレンの蒐集癖を知っている。レンが回収したと聞いて納得行ったような表情をしている。


「私も強くなりたいです。霊格を上げて、より上位存在になります。でもそんな簡単に成れるものではありません。水琴さんは一皮剥けた感がありますし、灯火さんや楓さんも強くなっています。そして美咲はおそらく仙術を習得すれば一気に私たちを抜き去ると思います。負けていられません」

「日本がこんなに危ない土地だなんて思っても見なかったよ」


 レンは当初日本には魔力持ちがいないと思っていたのだ。

 実際普通に暮らしている大半の者たちは安全を享受している。

 妖魔や怨霊の被害は退魔士たちが受け持ち、その存在すら知らずに普通に生きているのだ。

 だが実際は違った。日本にも、他国にも魔力持ちは存在し、魔物のような妖魔という存在がいる。怨霊も存在する。そして過去の術士たちが封印せざるを得ないような妖魔や神霊も存在する。

 中位の妖魔程度ならともかく、上位の妖魔、神霊格になると今のレンだけでは歯が立たない。

 それは四ツ腕との戦いで証明されてしまった。

 そしてレンはこの3年に満たない期間で多くの守りたいと思う人たちと交流を深めてしまった。


「厄介なことになる前にさっさと強くなりたいね。そうも行かないからちゃんと訓練に励むことにしよう」

「そうしましょう。私もレン様の隣で戦いたいです」


 葵は決意を込めた表情でそう言い切った。



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