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「レン様、美咲ちゃんが来ています」


 レンは葵にゆさゆさと起こされた。時計を見ると朝の8時だ。4時間ほどしか寝ていない。


「あぁ、通していいよ」

「でも瑠華さんと瑠奈さんも居ますよ。あと午後になりますが灯火さんと楓さんも来るそうです。灯火さんには護衛がついてきますよ」

「あぁ、それはまずいな。仕方ない」


 レンは昨日飲んだ毒よりも少し弱い毒を服毒した。体内の魔力が乱れ、体が重くなる。

 瑠華と瑠奈、そして灯火についてくる女性護衛たちには〈制約〉が掛かっていない。

 今のレンが元気だという情報を漏らすとは思わないが、一応対外的にはレンはカルラを召喚した後遺症で寝込んでいることにしている。

 実際2、3日玖条ビルから出ないつもりなのだ。

 ないとは思うが万が一彼女たちの口からレンは全く問題なく動いていたと如月家に伝わってしまえばレンの言い訳が利かなくなる。


「レンっち~。大丈夫? ってだいじょばなさそうじゃんっ!?」


 早速入ってきた美咲が大慌てでレンの傍に寄ってきた。なんだか日本語が怪しくなっている。

 心配を掛けて悪いが実際魔毒の影響で体調は悪い状態にしてある。


「大丈夫だよ、この通り無事だし少し休めば元に戻るから」

「ほんとに? うちにあるお薬持ってこようか?」

「ほんとに大丈夫だから。それより仙術の修行はどう? 進んでる?」

「あ~、うん。基礎の基礎くらいはなんとかって感じかな。難しいよ~」


 美咲はしょんぼりとした表情をした。

 美咲のポテンシャルは非常に高い。今のままでも同年代の術士の中では上位だろうが本来はトップクラスでもおかしくはない。

 豊川家の教育が悪いのではなく、おそらく藤の意向でゆっくりと育てる方針だったのだろう。


 だが事情が変わった。美咲が異国の犯罪組織に誘拐されたのだ。

 美咲が通っていた中学校は幼稚舎から大学まであるお嬢様学校で、同じ学年にも上下の学年にも豊川家の同年代の子女が護衛として通っていた。

 しかし美咲が攫われた状況は、体育の授業中で運動場に出ている時にスモークグレネードを投げられ、混乱している間にあっという間に攫われてしまったようだ。

 豊川家としてもまさかそんな白昼堂々と強引な手段で豊川の姫と呼ばれる美咲を攫うとは思っていなかったのだと後で聞いた。

 平和な時代が長すぎた弊害だという見方もあるが、防ぐのは豊川家でなくとも難しかっただろう。

 実際同様に他の4人も人目の事など考えずに白昼堂々強引に攫われたのだ。死人さえ出している。


 川崎事変でレンに美咲が救われて以来、美咲の教育方針が変わった。

 そしてレンの施術や訓練なども受け、十分な基礎が整ったということで最近は仙狐になるために必要な仙術の修行に取り掛かっている。


(そう考えると伊織ちゃんは凄いな。鷺ノ宮家の教育レベルの高さが窺える)


 鷺ノ宮伊織は年齢が低いのに相当鍛え上げられていた。

 戦闘自体は見たことがないので戦闘能力は不明だが、魔力量と制御力が伴っていたのだ。聖気も溢れ出るほどだった。そちらの制御はまだなのだろう。

 それでもあれほどの魔力を制御するのはかなり難易度が高い。

 美咲もきちんと制御しているが、そのポテンシャルが解放されれば制御に苦労するだろう。

 その為に仙術の基礎を学びながらも魔力制御の訓練は欠かしていない。

 しかし仙術を治め、そのポテンシャルが解放されればどれだけの術士になるかレンも予想できない。

 水琴は剣聖になれるかもしれない才能を持っているが、美咲は日本トップクラスの仙術士に成れる可能性を持っているのだ。


「仙術は残念ながら僕も教えてあげられることはないからね、頑張ってとしか言いようがない」

「うぅ~、その分慰めて~」


 美咲が抱きついて来たので頭を撫でてあげる。

 瑠華と瑠奈が「美咲様、玖条様は体調が悪いのですよ」と苦言を呈しているがこのくらいなら問題はない。

 三枝吾郎や楊李偉に美咲に仙術を教えられないか聞いたことがあるが、人間の仙術と妖狐の血を引く者が仙狐になるための仙術は分野が違うらしい。

 変に人間用の仙術を教えてしまうと美咲におかしな癖がついてしまうかもしれないと言われてしまった。

 美咲の仙術の師は美弥や藤であろうから彼女たちに任せるのが適任だ。


「美咲様、そろそろ」

「うん、わかった。レンっち、ごめんね。でも無事を確認できて良かった」

「いつでも来ていいよ。でも修行もサボらないようにね」

「うんっ」


 美咲は元気よく返事をして帰って行った。


「なんか騙してるみたいで、というか実際騙してるんだけど気が引けるな」

「まんま騙してるじゃないですか。毒まで飲んでわざわざ寝込んでいるんですから」


 葵に突っ込まれてしまう。

 以前のレンなら気が引けるなんて感情は持ち得なかった。必要だからやる。それだけだ。

 これが美咲に対する後ろめたさなのか、それとも転生した弊害なのかレンには判断がつかなかった。



 ◇ ◇



「レンくん、寝込んでるって大丈夫なの?」

「また無茶したんでしょ」


 灯火は楓と共にお昼を過ぎたくらいの時間にレンの元へやってきた。

 昨日の夜に妖魔との戦いがあるのは聞いていて、葵に連絡を取って見ると無事だが寝込んでいると返事が来た為に様子を見に来たのだ。

 実際レンはベッドの上で大きなクッションの上に上半身を預けていて、寝間着のままだ。

 珍しく魔力が乱れている。顔色も悪い。しかし本人は全く気にしていなさそうな表情で「大丈夫だから気にしないで」と返答してくる始末だ。

 どう見ても大丈夫そうに見えない。何かしら無茶をしたのだろうと簡単に予想がつく。灯火も楓も心配するのは仕方がないだろう。


「2、3日休めば元に戻るし、食事も取れているし自分の足で歩けるから大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないよ! もうっ。心配してるんだからっ」


 楓が怒って言葉を荒げるが気持ちはわかる。


「昨日の戦いは死人が2割も出るほど危うかったんだ。玖条家は怪我人は出したけど死人は出なかった。それで十分だ。この隙を突かれてどこかの家から攻撃を受けると少しまずいけどね。主力が疲弊しているのは否めないから」

「そんなに危なかったの?」


 灯火が問うとレンの表情が曇った。


「僕は妖魔討伐の経験がそんなに多くない。それでも色々とおかしいと思うことが多かった」


 そう始まり、レンは妖魔討伐の始まりから語ってくれた。

 餓鬼が大量に湧くのはまぁないことはない。牛頭馬頭と土蜘蛛が出てくるのも理解できなくはない。そういうこともあるだろう。

 だが四ツ腕四ツ目の鬼の話は灯火も真剣に聞かざるを得なかった。

 なにせ漆黒の瘴気の珠を飲み込み、受肉したと言うのだ。そして領域を展開し、数十人の術士を一撃で斬殺したと言う。

 現れた時は中級の妖魔くらいだと思ったとレンは語ったが、瘴気の珠を飲み込んだ瞬間、おそらく上級の妖魔か準神霊にまで格が上がったと「予想でしかないけれど」と前置きを置きながら言った。

 実際如月家の切り札と思われる式神と如月家が呼んだ術士の鵺の式神を下している。

 灯火も護衛の2人もそんな話は聞いたことがなかった。


(家に帰ったら文献を探しましょう。いえ、お母様に相談するのが先かしら)


「同時に攻めてこなかったことが一番気になるね。土蜘蛛と牛頭馬頭、それと四ツ腕。餓鬼もかな。なんで順番に攻めてくるような真似をしたのか理解できない。同時に攻めて来られたら死人が倍ではきかなかっただろうね。全滅もあり得た」


 術士たちのレベルを測るために送り込まれた駒のような挙動だったとレンは語る。


「そんなの聞いたことないよ」

「私もないわ。どういう意図があるのかしら」


 楓も灯火も首を傾げてしまう。

 灯火の護衛は熱心にレンの話を聞き、メモまで取っている。

 普通の妖魔はそんな挙動はしない。

 知性のある妖魔は存在する。人語を解する妖魔すらいる。人から妖魔になった者もいるくらいだから当然だ。

 だが今回レンが語った妖魔の挙動は明らかにおかしかった。


「尖兵、かな。憶測だけどね」

「尖兵?」

「そう、何かしらを測る為に送られてきた下っ端か中間管理職。それか何かの前触れだと考えればありえないこともない。単なる気まぐれで特異な鬼だったんであればそれでいいんだけどね、いや、死人がでているんだ。そういう言い方は良くないか。でももっと悪い方向につい考えてしまう雰囲気があったよ」


 そう言われてみればしっくりこなくはない。しかし憶測ならいくらでも湧いてでてくる。

 ただどんなパターンでも今後の日本の術士にとって良い方向性だとは思えない。

 レンの言うように何か悪いことの始まりのように思える。

 実際ここ10年と少し前から妖魔の量や質が上がっているという純然たる事実がある。

 暗黒期の前触れや予兆なのではと一部の界隈では言われているのだ。


(もしそうならレンくんは特別な覚醒者で英雄候補ね)


 暗黒期は同時に強力な術者や覚醒者が現れる時期でもある。

 実際に美咲は豊川家でも数百年ぶりレベルで仙狐の血を引いていると言われているし、葵も白宮家の歴史の中でも特に強い血を継いで生まれてきているらしい。

 他にも水無月家の情報網で天才と言われる術士や強力な力に覚醒した覚醒者の存在が多くなっていると言う情報は掴んでいる。


「心配は掛けたかも知れないけれど、ギリギリ乗り切れた。僕はそれで良かったと思ってる。如月家や他家は手酷い犠牲者を出していたからね。玖条家も獅子神家も危ないところだった。灯火も楓も黒い珠を持った妖魔に出会ったらすぐに逃げ出した方がいい。一旦逃げて態勢を整えてしっかりと準備して討伐に当たらないと被害が大きくなるよ」

「わかったわ。水無月家内でも情報を共有しておくわ。ありがとうね、レンくん」


 灯火はレンに軽く頭を下げた。


「僕の知らないところで2人に死んで欲しくないだけだよ」

「あたしは妖魔討伐に駆り出されることは無くなったけどね」

「私も戦闘部隊が出るから現場に出ることはほとんどないわね」

「それは良かった。ハズレを引いて2人が殉職したなんて連絡は聞きたくないな」

「むしろ私たちが言いたいわよ。レンくんは玖条家当主なんだから現場に出張る必要はそんなにないんじゃないの」


 灯火はレンの言葉につい言い返してしまった。

 しかしすぐにそれが失言だと気付く。


「僕は初代だからね、ある程度戦えることを示さないと周囲に玖条家全体が舐められる。それに妖魔討伐経験がない当主についてくるものはいないさ。今の部下たちは色々事情があって僕に従ってくれているけれど、それも実績があっての物だからね。でも今回は久々に死ぬかと思ったね」

「そうね、そうよね」


 灯火は自身の護衛2人がいることでレンが言葉を選んでいることに気付いた。

 〈箱庭〉の中ならばまた違った話もできたかも知れない。だが今はそうではないのだ。

 楓は気付いていないようだ。素直にレンを心配し、レンと言葉を交わしている。

 話が一区切りし、葵が3人分の紅茶を用意してくれた。


(少し羨ましいわね)


 葵は立場上ほぼほぼフリーだ。家の柵もない。

 美咲が羨んでいるように、常にレンの傍にいることができる。

 楓はそれに準じる立場だと言える。藤森家はもう楓になにかさせることはないだろう。彼女の意思を尊重するはずだ。

 灯火は内々にだが火種になりそうなことを水無月家当主である母から聞いている。

 それも近々発表されるはずだ。

 灯火本人の意思としては問題ない。だが水無月家として見れば、全く問題がないとは言えない。


(はぁ。憂鬱だわ)


「灯火こそ大丈夫? 少し顔色が悪いよ」

「ごめんなさい、少し気の重いことを思い出してしまったの。お見舞いに来たはずなのに心配を掛けてしまってごめんなさいね」

「僕が手伝えることはある?」


 あるかもしれない。レンも関連してくるのだ。だがまだ言えない。


「いいえ、大丈夫よ。まずは体調をしっかり治してまたみんなで一緒の遊びにいきましょう」

「そうだねっ、次はお祭りと海だもんね!」


 楓は楽しそうに次の予定を並べている。


「じゃぁそろそろ私たちもお暇しましょう。お見舞いにクッキーを買ってきてあるから食べられるなら食べてね」

「わかった。レンくん、早く良くなってね」


 灯火が楓を促すと楓も席を立った。


「お見送りはできないけど無事に帰ってね。訃報でなくともまた攫われたりしちゃダメだよ」

「ダメって言われても難しいなぁ。なんとか頑張る」


 楓は茶目っ気たっぷりに返した。


「そうね、気を付けて帰るわ」


 灯火はそれだけ言ってレンの部屋を出た。


「水琴ちゃん、レンくんと一緒で良かったね。話を聞いた限り、一緒じゃなかったら多分死んでたよ」

「そうね、それに葵ちゃんやエマやエアリスも一緒に行っていたそうだから全員無事で本当に良かったわ」


 絶対にレンが何かしら彼女たちの安全を期していただろうことは予想がつく。

 なにせレンは過保護なのだ。

 本人は自覚しているかどうかわからないが、灯火たち5人とエマとエアリスは保護対象として見ている節がある。京都でも灯火と美咲は前線に送り出されなかった。

 今回の戦いも例え如月家や獅子神家の面々が全員死んでも水琴だけは生き残っただろう。

 エマとエアリスも同じだ。


 レンが隠している実力は半端ではないのだ。それを灯火や楓たちは知っている。

 玖条家という藪を突けば龍が出る。冗談でなくそうなのだ。

 藤森家はまだ鷺ノ宮家が間に入った事で軟着陸することができた。

 レンを本気で怒らせれば藤森家や水無月家が族滅の憂き目にあったとしても灯火は驚かない。

 問題はどこでレンが本気で怒るのかがわからないところだ。

 藤森家は楓の〈制約〉を解こうとして龍の尾を踏んだ。

 しかし出てきた龍は体も起こさずに尾にひっぱたかれただけで済んだ。

 レンは楓の自由を取り戻そうと動いたが、常識を多少逸脱していたとはいえいきなり藤森家に襲撃を掛けたりはしなかった。襲撃の内容も凄惨なものではなかった。

 本気で怒るとしたら何だろう。


(楓を死地だとわかっていて無理やり送り込んで彼女が死んでいたらレンくんは藤森家を容赦なく潰したかもしれないわね)


 灯火を死地だとわかって水無月家が送り込むことはない。

 水無月家当主である母がそんなことをしないと灯火は信じているし、実際ないだろう。不慮の事故はあり得るかも知れないがそんなことを言い出したらきりがない。

 灯火は玖条ビルを出ると3台の車の中央の車に乗った。

 楓は自身の車で気軽に来ている。


(攫われる危険性、それもないとは言い切れないのが辛いところね)


 一度あったのだ。二度ないとは言い切れない。そう考えると楓は護衛が居ない。危険だ。しかし他家の事だ。水無月家から楓に護衛をつけるわけにはいかない。

 灯火は楓に車の中から手を振って、自宅へ向かって発車するように命じた。


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