127

 カルラは四ツ腕の上半身を食いちぎった後、霧となって消えた。

 その霧は浄化の力を含んでおり、周囲の瘴気を浄化する。


「ふぅ、なんとかなったかな? もう出てこないよな」


 狭間が閉じるのが見える。領域ももう崩れている。

 残っているのは四ツ腕の下半身だけだ。

 上半身が生えてくることもなく、四ツ腕の下半身はどちゃりと地面に倒れた。


「ボス、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

「気にしなくて良い。しばらくすれば治る。もう一体四ツ腕が出てきたらまずいがな」

「それはないだろう。狭間も閉じた。この戦いは終わりだ。しかしボスの水神はすごいな」

「見せたくなかったんだけどな、仕方がない。出さなければ死人が出ていた」

「見せてしまったな。これから厄介なことになるかも知れないぞ」

「命より重い物はないさ」


 レンが苦痛を我慢して笑うとアーキルもニヤリと笑った。


「ボスが切り札を切ってくれたおかげで蒼牙の人員は無事だ。玖条家全員で特攻すればアレは倒せただろうが確実に死人がでていただろうからな。戦場なのだから死人が出るのは仕方がないが部隊の長としては出ないに越したことはない。助かった」

「蒼牙は玖条家の大事な戦力だ。無駄に損耗させる気はないよ」


 アーキルは背中を見せると部下たちの元へ戻って行った。

 そして入れ替わりに大分回復したらしい水琴が来た。


「レンくん大丈夫? 辛そうよ。そしてありがとう。玖条家の人たちがあの一撃を防いでくれなければ獅子神家にもどれほどの被害が出たか」


 水琴はレンの心配をしつつ礼を言い、ちらりと如月家の方を見た。

 水琴の視線の先の如月家は重傷者の治癒や死体の片付けをしている。


「気にしなくて良いよ。しばらくすれば治るから。それにアレは防がなければ僕たちにも死人が出ていた。獅子神家の結界士じゃ防げないのもわかっていたからね。ついでだよ」

「そんなふうに言わないで。レンくんが私たちも一緒に助けてくれようと思っていたことなんてわかっているのよ」

「そうだね、でもまぁ結果論だよ。なんとか防げて良かった。獅子神家にも死者が出なくて良かったね」

「そうね、重傷者も葵ちゃんが治してくれたわ。うちの治癒士では治せなかったと思う。葵ちゃんもありがとう」

「どういたしまして。でも今回の戦いでは私の役目の1つは治癒です。役目を果たしただけですよ」


 葵は水琴の礼に素直に返した。

 水琴はレンに近づき、そして神妙な表情でレンの耳元で囁いた。


「良かったの?」


 水琴は心配そうにレンに簡潔に言葉を紡いだ。

 カルラのことだろう。

 レンがカルラやクローシュのことをひた隠しにしていたことを水琴は知っている。

 なにせその為に〈制約〉を掛けているのだ。


「仕方ないさ。それにそろそろ僕自身の力の一端を見せつけておく時期だと思う。ちょっと予定より早かったけどね」

「そう、レンくんが納得しているのなら良いわ」


 水琴は少しよたつきながら、獅子神家の集団に戻っていった。


「葵」

「はい、レン様」

「如月家の者たちで何人か瘴気のせいでで治癒できていないものがいるようだ。霊水で瘴気を祓ってやってくれないか」

「わかりました」


 葵はレンに言われた通りに如月家の元へと向かっていく。

 四ツ腕の黒い斬撃は非常に濃い瘴気の一撃だった。故に斬られた断面に瘴気が残ってしまっているのだ。そしてその瘴気はだんだんと体を侵食していっている。

 胴体や首が斬られた者は死んでしまっているが、腕や足が斬られただけの者は如月家の治癒士たちの治癒を受けてなんとか腕や足をつなげようとしている。

 しかし断面に残った瘴気が祓いきれずに繋げられずにいるのが見えたのだ。


 葵は一抱えもある準備していた霊水の壺を持ち、如月家の重傷者たちの傷跡に霊水を掛けていった。

 すると瘴気に侵されていた傷跡や肉体が浄化され、如月家から大きな歓声が上がった。なにせあの大水鬼の瘴気も浄化した霊水だ。あの程度の瘴気なら簡単に浄化できる。

 如月家の治癒士たちが大急ぎで取れた腕や足、斬れたまま塞げなかった腹などに治癒を掛けていく。

 葵も如月家の治癒士たちと共に怪我人の傷を癒やしていく。

 如月家の治癒場には他家から集められた重傷者たちも治療を受けている。


「おいっ」


 20代だと思われる如月家の男がレンの元へやってくる。


「なんだ?」


 レンは片膝をついたままの格好で男を見上げた。


「あんな切り札があるならなぜ最初に切らない。そうすればあれほどの死者はでなかった」

「玖条家は如月家の与力として来た。それにアレは僕の秘術だ。使うのにリスクもある。そうそう他家に見せるものでもないし簡単に使える物でもないんだ。文句を言われる筋合いはない」


 レンは男を睨み返した。


「ぐっ」

「やめなさいっ」


 怯んだ男に向かって慌てて駆け寄った麻耶が声を上げる。


「青炎虎だって如月家は使う予定はなかったわ。あなたも知っているでしょう。そして青炎虎は敗れた。あのままあの鬼が暴れていたら被害はもっと大きくなっていたでしょう。それを助けて貰ったのよ。戦場でたらればを言えばキリがないわ。むしろ礼を言うべきところを文句をつけるなんてどういうつもり。上に報告させていただきますからね」

「麻耶お嬢様、そんなつもりはっ」

「どんなつもりだったの。私にはそういう風にしか聞こえなかったわ。玖条家は如月家の傘下でも何でもないのよ。それなのに合同討伐に30人もの精鋭をだしてくれて、あの強力な鬼をリスクを負ってまで倒してくれた。それが事実よ。下がりなさい」


 麻耶の言葉に男はぐぅの音も出せずに下がった。


「ごめんなさい、レンくん。ああいうのが如月家の一員だなんて恥ずかしいわ。彼も戦場の熱で感情的になっていたんでしょう。代わりに私が正式に謝罪するわ」


 麻耶は神妙な表情でしっかりと礼をしてレンに謝罪した。


「いいですよ、確かに最初から使っていれば如月家の死人や重傷者は減らせたでしょう。でも四ツ腕があれほどの一撃を放ってくるとは僕も思っていませんでした。うちのメンバーも如月家同様に何人死んでいたか危ういところでした。結果論としてなんとかなりましたが、そう言われるのも仕方ない部分もあります。正直龍との戦いに出向いた時よりも命の危機を感じましたね」

「そうね、私もあの時よりも命の危険を感じたわ。玖条家があの一撃を防いでくれなければ私の首か胴も切り裂かれていたでしょうね」


 麻耶は戦いの際、玖条家後衛に居た。レンたちが防がなければあの一撃は麻耶にも当然襲いかかっていただろう。

 そして麻耶はそれなりの術士ではあるがアレを防ぐ手立ては持っていない。

 結果的にではあるが、レンは麻耶の命も守ったのだ。


「麻耶さんも無事で良かったです」

「素直にありがとうと言っておくわ。それにしても大丈夫? 霊力が乱れているわよ」

「後遺症のような物です。こればかりは仕方ありません。数日は休むことになりそうです」

「そう、あれほどの水神だものね。私の知る限りレンくんが使うのは川崎以来かしら。何のリスクもないはずがないわね」

「リスクなしに扱えたらもっとバンバン使うんですけどね。それはそれで狙ってくる組織がいそうでイヤになりますね」

「そうね、それを頼りにしたい家は多くあると思うわ」

「勘弁してください。アレを勘定に入れた依頼は受けませんからね」


 麻耶はレンよりも遥かに退魔士事情に詳しい。今後どうなるかも予測がついているのだろう。


「どちらにせよ普段使いするつもりはありません。むしろ普段使いできるようになるように鍛えている最中です。未だ長い間顕現させることはできないんですよ」

「川崎ではもっと長い時間出していたと思うけれど?」

「あの後一週間以上動けないまま寝込みました。御免被りたいですね」


 レンはカルラについては見せたのだからある程度情報を操作しながら麻耶に開示した。

 強力な力を持つがリスクがあるためにそう簡単には使えない。そう思って貰わなければならない。

 その為に本物の魔法毒を飲んで体調を崩しているのだ。

 〈龍眼〉の権能も封じている。魔眼持ちが見ればレンの魔力がかなり弱っているのが即座にわかるだろう。


「そろそろ撤収みたいね。私も行くわ。改めて今日は本当にありがとう。玖条家抜きでは全滅もあり得たわ。謝礼は後日になるけれどちゃんと上層部から毟り取ってくるわ」

「僕も辛いのでさっさと帰って休みたいと思います」


 賢三が撤収を指示しているのを見て麻耶は如月家の陣営に帰っていった。

 葵も十分に働いたのかレンの元に戻ってくる。

 レンは自身で歩けたが重蔵たちに担架に乗せられて運ばれてしまった。


(しかしあの四ツ腕、どういうつもりだったんだ。何かしらの意図があるとしか思えない。黒い珠も僕の知る知識にはないものだったし、アレを飲み込んだだけで四ツ腕は受肉した。今回はわからないことばかりだな)


 レンは担架に乗りながら今回の戦いの反省と妖魔の意図について考えたがレンの知識の中で結論がでるようなものではなかった。



 ◇ ◇



 レンは玖条ビルに着くと担架のままレン用の私室のベッドの上に慎重に寝かされた。

 レンはアーキル、重蔵、葵、イザベラ、エマ、エアリスだけ部屋に残るように言いつけた。


 今回の玖条家の戦力は蒼牙20名、黒縄5名、レン、イザベラ、エマ、エアリス、葵の30名だ。李偉はこっそりとついてきて貰ったので勘定には入れない。李偉が居たのを知るのはレンだけだ。すでに彼は吾郎たちの待つ〈箱庭〉に帰っている。

 残っていた黒縄は玖条ビルの警備をしている。彼らは戦いに出なかった代わりに今日は徹夜だ。


「それでボス、状態が悪そうだが大丈夫なのか」

「あぁ、気にしないでくれ。というかこのままなのも辛いな。治すか」

「レン様、私が」

「いいよ、すぐ治る」


 レンは解毒薬と霊薬を飲むと即座にレンの体調が回復した。荒れていた魔力もいつものように制御が取り戻され、漏れ出す魔力が落ち着いていく。顔色も自身では見えないが元に戻ったはずだ。

 葵が即座にタオルを取り出してレンの顔の汗を拭いてくれた。


「おいおい、そんな簡単に治るならすぐさま治せば良かったじゃないか」

「あぁ、説明してなかったな。あれは自作自演だ。カルラ」


 1mほどのカルラの分霊が現れる。

 葵以外の5人が驚きの目でカルラを見る。アーキルはカルラを知っているが小さくなれることを知らなかったのだろう。


「紹介していなかったな。カルラだ。分霊なのでそれほどの力はないけどね、本体の力の一端はさっき皆も見ただろう」


 アーキルとの戦いではアーキルの部下たちを大人しくさせるためにカルラの力は借りたがアーキルの前では出していない。ただし川崎でカルラの姿は見ているはずだ。

 大水鬼との戦いでは出していないし、その後も重蔵の前でカルラを表立って使ってはいない。

 イザベラ、エマ、エアリスはカルラが存在することすら知らない。

 存在を知っているアーキル、葵以外の4人は驚いて声も出ていない。


「カルラの存在は秘匿していた。だがもう見せてしまったからな、〈制約〉の掛かっている君たちにも紹介しておこうと思う。僕に従ってくれている神霊のカルラだ。彼女を使うのにリスクはない。ないがそうと知られると利用しようとする奴らが大挙して現れるだろう。だからわざと僕は毒を飲んでリスクがあるように振る舞ったんだ。如月家や他の家の目があったからね」

「さすがボスだな、味方ごと騙したのか」

「今後もカルラの力が必要な時以外に頼る気はない。例え蒼牙や黒縄に死人が出たとしてもだ。まぁ今回は危なかったね。あの黒い斬撃は予想を大きく上回っていたよ」

「アレはやばかったな。ボスが止めてくれなかったら何人か死んでいたはずだ」


 エアリスがイザベラに翻訳している。イザベラはまだ日本語が不自由なのだ。


『レン、助かったよ。アタシたちの結界だけじゃどうにもならなかった。アタシだけじゃなくエマとエアリスまで失うところだった。流石の判断だね。あの一瞬で障壁と相殺する斬撃を出すなんて。アタシなんて自分の結界が破られただけで精一杯だった』

『それは俺も同じさ』


 アーキルがイザベラに同意した。


「レン、ありがとう。助かったわ」

「うん、水琴や葵も含めてみんなレンの行動で助かった。命を救われるのは3度目ね」


 エマとエアリスも礼を続ける。


「本当は命を賭けなくて良い生活ができればいいんだけどね。今回は相手が悪かった。危険度のレベルを見誤っていた。イザベラたちを連れていくべきじゃなかったと反省したよ。ある意味じゃ下手な神霊を相手にするよりも厄介だった」


 神霊が相手ならさっさとカルラを出してしまって終わらせてしまっても良かった。もしくは話が違うと言って逃げ出してしまっても良かったのだ。

 四ツ腕は最初出てきた時は中級妖魔程度の妖気しか持たずに出てきた。しかし瘴気の塊と言える黒い珠と強力な妖刀を持っていた。そして黒い珠を飲み込んだ瞬間、霊格が上がり、受肉した。その大きな変化に対応できたものは誰もいなかった。

 判断が遅かったことは否めない。


「いいえ、結果的にだけど無事に帰って来られたのだし、良い経験ができたわ。いくつも大事なことに気付きがあった。私はまだまだだって思い知ったわ」


 エマは少し暗い顔で言う。

 自身の不足に気付いたのだろう。戦う者と言う意味では妹であるエアリスの方が覚悟は決まっている。それはイザベラに言われなくてもレンは気付いていた。


「そんなことを言ったら僕もまだまだだよ。カルラが居るから、アーキルたちや重蔵たちが居るから頼っている面も多い。僕1人だったらひっそりと隠れ住んでただろうね」

「レン様はなんだかんだ言ってどこかで厄介事に首を突っ込んで誰かを助けて目をつけられていたと思いますよ?」

「え、酷いなぁ。葵は僕のことをそんな目で見ていたの?」

「レン様の性格上助けられる相手は男女問わず助けるでしょう。遅いか早いかの違いだけでしかありません。どの道レン様はどこかで世に知られて居たと思います。蒼牙や黒縄を配下にでき、玖条家を興した現状は覚醒者の身としては最良に近い結果だと思いますよ」

「俺もそう思うぜ」

「某もそう思います」


 葵の意見にアーキルと重蔵まで乗ってきた。

 葵はレンが単なる覚醒者ではなく異世界の大魔導士であったことを知っているがそれは口に出さない。出せない。

 部屋の空気が軽くなる。

 なんだかんだ全員が欠損もなしに帰還できたのだ。玖条家としての目的は十分果たした。

 カルラを公開したのは予定通りではないが、川崎で一度見られているカルラはどこかでレンの力として公開することになるだろうと思っていた。

 と、言うよりもカルラ以外の戦力は公開し得ない。

 クローシュもハクもライカもエンも見せ札としてだけでも強力すぎる。

 せっかく落ち着いてきたのにまた玖条家の周囲が騒がしくなるだろう。それはごめんだ。


「まぁそういうわけで、玖条家にはカルラという切り札があるということを一応教えておこうと思って君たちには残って貰ったんだ。でも僕は君たちがカルラに頼ることは許さない。その心は油断に繋がり、死ぬよ。油断して死地に立つ者のために僕はカルラを使わないからね。そんな奴らはそのまま死ねばいい」


 レンの言葉は冷ややかに部屋に響いた。

 アーキル、重蔵、エマ、エアリスの表情が凍る。そしてエアリスの翻訳を受けたイザベラの表情も険しくなったが、コクリと首肯した。


「お、おう。ちゃんと部下たちに言い聞かせておくぜ」

「うちの者たちにも肝に銘じさせておきます」


 アーキルと重蔵が厳しい表情で頷いた。

 続けてイザベラが語りだす。


『当然だね。特に今は護衛契約をしているわけじゃないんだ。自分たちの命は自分たちで守る気概でいるよ。実際守れるかどうかは別の話だけどね。今回のアレは想定の数倍強力だった。アタシも甘かったよ、娘たちに経験させたいと思っていたがあんなのが出てくるとは思わなかった』

『アレは僕も想定外だったんだ。ごめん。素直に謝罪させてほしい』

『いや、アタシが言い出したんだ。謝罪は不要だよ。安全にしていたければ魔物の討伐なんてのについていかなければいいだけなのさ。アタシたちに日本の魔物討伐の義務なんてないんだからね』

『今回は皆無事に帰ってこれたことで良しと言うことにしよう。僕はそう思ってる』

『そうだね、経緯はともかくアタシの目的は達せられたよ。エマもしっかりと自覚しただろうしエアリスも一皮むけた。なんならアタシも久々に肝を冷やす経験をしたよ』


 アッハッハとイザベラが笑い、エマとエアリスは微妙な表情を作った。


「さて、僕はしばらく寝込んでることにするから君たちはみんな休んでくれ。疲れているだろう。話し合いたいことも多少はあるけれど明日以降で十分だ。汗を流して、必要なら食事を取ってゆっくり休んで欲しい」


 レンはそう言い、彼らを帰した。

 葵は残り、レンと一緒に〈箱庭〉に入った。

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