125.領域
「レンくん、もう来てくれたのね」
「麻耶さん、少し早く着きましたが如月家はすでに集合していたんですね」
妖魔討伐の当日の夜中。如月家の部隊は既に目的の場所で集合していた。
70人を超える人数がいる。全員が戦闘要員ではないようだが、〈龍眼〉で視れば個々の魔力が高い者たちが動員されているのがわかる。如月家の本気が伺える部隊だ。
「本当はもう1部隊くらい用意したかったんだけどね。でも賢三さんが部隊を指揮してくれるのは少し安心だわ。若い子たちは参加したがったけれど、実力のない子や経験の少ない子は足切りされたのよ」
麻耶が視線でその賢三という男を見る。
なるほど、確かに周囲に比べても圧倒的に強い。レンは〈龍眼〉で視たが賢三はそれに気付いたようだ。
「本当に30人も連れてきてくれたのね。助かるわ。と、言っても他の家にも精鋭を融通してくれと要請したので人数自体は多くないのよ」
如月家以外の退魔士は獅子神家が12名と聞いている。他はいくつかの家で合わせて30名ちょいと言うところらしい。
全体をあわせて150に届かないというところだろう。
(150名の退魔士か。流石に規模が大きいな)
場所は如月家が管理している学校くらいは余裕で入りそうな土地だ。
強力な妖魔が現れる場所というのは大体決まっていて、冥界との距離が近い場所だと言われている。
そしてそのような土地はその土地を縄張りとしている退魔の家が管理し、いつ妖魔が現れても良いように常に監視しているそうだ。
実際土地の所有者というわけではなく、国有地になっていて、貸し出されているという形を取っているらしい。
5mほどの高さの厚い壁に囲まれていて、一般人は気にならないように術式が掛けられている。
そして今日は合わせて人払いの術も掛かっていて夜中だと言うこともあって人通りも車通りもほとんどない。
「やぁ、君が玖条家の当主。玖条漣くんで合っているかな?」
如月賢三が麻耶と話しているレンに歩み寄り、話しかけて来た。
「初めまして、玖条家当主、玖条漣です」
「そう堅苦しくしなくていい。私は如月賢三と言う。今回の合同討伐の責任者を任されている。本音を言うが私個人としては玖条家に何か悪い感情を持っているわけではない。うちの全員がそうとは言えないがね。久しぶりの合同討伐だ、玖条殿の華々しい戦歴に苦い思いをしている若い者もいる。だがそんな余分な感情は戦場には不要な物だ。無駄に張り切っているものもいるのが困りものだがね。責任者としては頭の痛い限りだがまずは妖魔の討伐を成功させねばならん。玖条殿たちには期待している。よろしくたのむ」
賢三は30代後半に見える偉丈夫だ。偶然にもレンと同じ道着と袴の格好をしている。
レンは普段ミリタリー系の戦闘服を好むのだが、今回は様々な術具を隠し持てるということで弓道で使われるような白い道着と群青の袴を履いている。
「こちらこそ宜しくお願いします」
「しかしすごい構成だな。聞いてはいたが日本人の術士の割合の方が少ないのは見慣れないな。他国の組織だと言われた方がしっくり来る。美しいお嬢さんたちもいる。彼女たちも戦うのか? 危険だぞ」
「それも理解して彼女たちはこの場に居ます」
そういうと賢三は「そうか」とだけ言ってアーキルやイザベラたちから視線を切った。
「さて、玖条殿にも挨拶ができたことだし他の家の者たちにも挨拶に行かねばならぬ。悪いがこれで失礼させて貰うよ」
「どうぞおかまいなく」
颯爽と賢三はレンの元を去り、如月家の者たちに指示を出し、他の退魔の家から借り出した精鋭たちに声を掛けて行く姿が見えた。
「ね、良い人でしょう。偏見もないし強さも指揮の上手さも折り紙付きよ。賢三さんが指揮官で本当に良かったわ」
「麻耶さんは賢三さんを信頼しているんですね」
「そうね、関係としては叔父に当たるのだけれど小さい頃からかわいがって貰っていたし、如月家内では両手の指に入る実力者よ。発言力も高いわ。本人は玖条家に悪い感情を持っていないと言っていたけれど如月家内では玖条家派として見られているのよ。それでも反玖条家派の中でも彼を慕う者たちは多いの」
「完璧ですね」
麻耶はくすりと笑った。
「如月家が玖条家を探るのを縮小するように提言したのも賢三さんなのよ。無駄に非帰還者を出して情報を得られないのならやめてしまえと幹部会で言ったの。暗部の長はカンカンだったわ。でも情報を得られていないのも行方不明者を出したのも本当だったからどうにもならなかったわね」
「別に如月家を狙って捕らえたわけではありませんよ。熱心に探ってくる奴らをランダムで捕らえた中に如月家の者がいたというだけです」
「認めちゃうのがレンくんよね。どちらにせよ如月家の面目は丸つぶれよ。レンくん、貴方の家はどういう防諜をしているの」
「それを教えるとお思いですか」
「聞くまでも無かったわね」
麻耶は苦笑し、できれば今夜はレンたち玖条家と行動を共にしたいとお願いしてきた。
玖条家の戦力を見極めたいのだろう。
しかし麻耶以外の如月家の者はほとんど接点がない。精々麻耶が幾度か連れてきた部下たちくらいの者だ。
レンも麻耶以外が頼んで来たのだったら断っただろう。
麻耶に対して他の娘たちのような感情は流石にない。秘密を明かしてまで麻耶を救うかと言えば怪しいところだ。
ただどうせ麻耶を断れば他の誰かが監視役として派遣されてくることは目に見えている。
賢三も「悪い」、という表情をしながらも押し付けてくるだろう。
「仕方ありませんね」
「助かるわ」
麻耶はレンが考えたことなどお見通しだろう。妥協点として麻耶を受け入れたのは明白だ。
実際玖条家の方を見てギラギラと敵対した感情を向けて来ているものが幾人か存在する。
若い者たちも40代を超えた者にも幅広く多いように思える。
あぁいうのはとりあえず無視するのが正解だ。構っても良いことなど何1つない。
「レンくん、今回はよろしくね」
獅子神家12名が到着し、玖条家に合流する。
その中には水琴もいるが他は全員30代か40代の男たちだ。
水琴は鍛えすぎたのか元々の剣才が花開いたのか獅子神家の中では剣術だけなら誰1人として寄せ付けないほどの腕前になった。
〈水晶眼〉の扱いにも慣れ、〈空歩〉や〈天駆〉、刀を使わずに霊剣を作ることもできるようになった。
水琴の習っていない、もしくはまだ習得できていない獅子神家の秘伝はあるだろうが、戦力として獅子神家は水琴を連れてこない理由がない。
なにせ如月家という大家からの要請なのだ。
水琴を外せば獅子神家は今回の合同討伐で手を抜いたと言われてしまってもおかしくはない。
「あぁ、よろしく。でも危険な時は一旦下がるんだよ。今回は水琴だけでなく多くの術士がいる。頼りにもなるけれど混沌とした状況になるはずだ。過信はせずにまず自分の命を大切にしてほしい」
「ふふっ、戦士として認めてくれていたんじゃかったの」
「うぐっ、そうだけれど、心配は心配なんだ。そこらへんの線引きは難しい。感情の問題だからね」
「レンくんを焦らせることなんてそうそうないから少し楽しいわ。それにしてもどんな妖魔が出てくるのかしら。普通占術で大体はわかるはずなんだけど今回は情報がないのよね」
水琴がくすりと笑い、そして難しい顔になる。
「だからこそ今回は警戒度を上げて欲しいと思っている。うちも万全の状態で装備も人員も連れてきた。何かイヤな予感がするんだ」
「レンくんの予感は当たりそうだわ。しっかりと伝えておくわ」
水琴は獅子神家を統率しているだろう30代の男に話しかけに行った。
獅子神神社で幾度か出会ったことがある剣士だ。
キリっとしていて髭を整え、今日は槍を右手に持っている。腰には刀を2本刺している。
男はチラリとレンを見て、水琴に向かって頷いた。
伝わっただろうか、どちらにせよレンの言えることはそうない。
ほとんど勘であり、少々見知っただけの少年の勘を信じる指揮官はいないだろう。
「そろそろ来るわ」
麻耶が言う。
実際予兆と呼ばれる冥界との狭間はすでに開かれている。
まだ1mほどだが時間が経つごとにだんだんと狭間は大きくなっている。
そして狭間の向こうからは瘴気が漏れ出し、妖気も感じられる。
そろそろだろう。
「来るぞ、隊列を組め」
そう思ったときに賢三の声が響いた。同時に大量の餓鬼が狭間から溢れ出した。
◇ ◇
「できるだけ魔力を温存しろ。餓鬼程度に手こずるな」
レンは蒼牙、黒縄に指示を出した。
餓鬼の数は多かった。100を超えてもまだ出てくる。
陣形は自然と中央が如月家、右翼が玖条家と獅子神家、左翼がその他となった。
餓鬼は120~150cmくらいの小さな鬼だがその力は侮れない。
妖魔としては弱い部類に入るのだが金属バットくらいは余裕でへし折る膂力を持っている。
棍棒や錆びた鉄の刀などを持っているがどこから調達したのだろう。
そんな疑問を思いながらレンは十文字槍を振るい、レンの近くに突撃してきた餓鬼たちを一掃した。
蒼牙はアサルトライフルをセミオートで連射し、黒縄も弱い忍術を使ったり苦無などで対処している。
この餓鬼たちは本命ではない。その思いは変わらないようで如月家も近隣の退魔士たちも節約しながら戦っているようだ。
獅子神家も同様でたまに斬撃を飛ばして集団を斬り払ったりする程度でほとんど魔力を使用せずに戦っている。
餓鬼たちは殺せば黒いモヤになる。それが救いだ。
おそらくすでに出てきた餓鬼は200を超えただろうが、それだけの餓鬼の死体が残っていたら次の戦闘で邪魔になることは間違いがない。
過去のレンなら死体どころか餓鬼の集団程度、生きたまま獄炎魔法で焼き尽くして終わりなのだが今はそうもいかない。
魔力も体力もあの頃と比べてまだまだ貧弱なのだ。
「はっ」
水琴も愛刀大蛇丸を手に戦っている。集団戦も経験させているので無駄なく動き、手こずってすらいない。
獅子神家の精鋭たちも餓鬼程度は相手にならない。
後ろからたまに小さな魔力弾が飛んできて餓鬼の頭を弾けさせていく。
楊李偉だ。
彼は今回玖条家の隠し玉としてついてきて貰った。
基本的には何もしなくて良いが、水琴や玖条家、主にエマやエアリスが危機に陥った時に助けてくれるよう要請しておいたのだ。
カルラとクローシュにも護衛をお願いしているが彼女たちの姿を見られるわけにも行かない。
李偉は姿隠しのローブを羽織り、玖条家の後衛についてくれている。
魔力弾は暇だったのだろう。実際的確に餓鬼集団の厚い部分を薄くしてくれている。
餓鬼相手なら李偉がいなくても問題はないが、居てくれるだけで安心感が違う。
「えいっ」
「やぁっ」
エマとエアリスの声が響く。彼女たちは今のところは問題なく戦えている。
2人は魔法使い色が強い為、魔法を使って戦っているがイザベラの指導の元、無駄に強い魔法を使ったりはしていない。
水晶の弾丸や餓鬼の多い部分に餓鬼を弱める毒を撃ち込むなどの攻撃を使用していて、イザベラがフォローに回っている。
イザベラは2mほどの六角杖を持っていてその杖から炎を吹き出して餓鬼を焼いていた。
如月家の方へ目を向けると彼らは3段の陣を敷いていて前衛は刀や槍などで餓鬼を殲滅し、中衛は弓などで出てくる餓鬼を撃ち殺している。
後衛は前衛、中衛を強化しているようだ。
怪我人はまだ出ていないが、おそらく回復役も担うのだろう。
「終わりか? そんなわけはないよな」
200を超える餓鬼は全て出尽くし、ほぼ狩り尽くされた。
玖条家も獅子神家もまだ余裕を残している。数は多かったがそれだけだ。
当然如月家や他家も同様だ。
狭間はまだ開いている。漏れ出る瘴気も止まらない。
「来るぞっ」
賢三の声が響いた。
同時に狭間から2体の鬼が出てきた。牛頭鬼と馬頭鬼だ。2体とも3m半ほどの巨体で5mほどの金棒を持っている。
牛頭と馬頭は地獄の門番と言われている。個体差はあり、見た目だけで強さは測れないが鬼の中では強い者が多い部類だ。
感じられる瘴気量から油断のできない相手だとわかる。
牛頭馬頭がずるりとその巨体が狭間を超えてくると、金属質の前足が出てきた。
「土蜘蛛?」
葵が小さく呟いた。
土蜘蛛とは元々は朝廷にまつろわぬ者たちを纏めた呼称だ。
土蜘蛛は源頼光などに倒された伝説が残るが、その後怨霊となり、実際に蜘蛛の妖魔になって各地で暴れまわったという伝承がある。
故に元々在来の蜘蛛の魔物や大陸からやってきた蜘蛛の魔物まで土蜘蛛として一括りにされてしまうことがあるらしい。
天狗などと同じだ。似た種類というだけで一纏めにされ、明確な分類は行えていない。葵の言う土蜘蛛とは蜘蛛の魔物の総称のようなものだ。
牛頭と馬頭、そして2体の仮称土蜘蛛。
レンは〈龍眼〉で視るがこの布陣を崩せるほどの相手とは思えなかった。
つまりまだナニカある。もしくはいる。
そうでなければ如月家の占術師や吾郎が危険だなどと言い出さないだろう。
如月家は餓鬼とあの4体だけなら単独でなんとかしたはずだ。
狭間から4本の手が出てくるのが見えた。
そして2mほどの牛頭や馬頭よりも小さな鬼が現れる。
四ツ腕四ツ目の2本角の鬼だ。
しかしレンは四ツ腕その物よりも四ツ腕が持つ物に注目した。
まず右上腕部に持つ黒い珠だ。明らかに瘴気の塊で、恐ろしい密度があるのを〈龍眼〉で見通した。
そして左下腕の持つ大太刀。鞘に入っているが瘴気の強い魔剣だ。
左上腕には盾を、右下腕には矛を持っているが黒い珠と魔剣はレベルが違う。
レンは何かされる前に強力な魔法を四ツ腕に放とうとした。
何かヤバイと思ったのだ。それはアーキルも同様だったらしく、〈赫雷〉を放とうとしているのが見えた。
しかしそれは数瞬遅かった。
四ツ腕は右上腕が持っていた黒い珠をゴクリと飲み込んだ。
瞬間、瘴気の風が吹いた。
ゴウと音を立て、結界内に瘴気が溢れたのだ。
レンの魔法もアーキルの魔法も、瘴気の風で魔力を乱され中断されてしまった。
「受肉したっ? それに領域持ちだと!?」
賢三が叫ぶのが聞こえる。
領域とは神霊が作る神域の妖魔版のようなもので、周囲の空間を自分たちの都合の良い空間に変えてしまう能力……らしい。
レンは実際に領域持ちの妖魔と対峙したことはない。
鬼一法眼の神域や、おそらく藤の居たお堂も神域であったのだろうが、確かに雰囲気が少し似ている。
四ツ腕の領域は瘴気で退魔士たちを弱らせ、逆に牛頭馬頭、土蜘蛛たちを強化した。
四ツ腕がニヤリと笑うのが見えた。
戦いはこれからが本番なのだと言うように。
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