123.ロックオーガ
『レン、ちょっといいかい?』
『イザベラ、珍しいね。いいよ、何かな』
『ちょっと場所を変えて話したいんだ。アタシの研究室に来てくれないかな』
『構わないけれど』
レンはイザベラに呼ばれ、彼女の研究室へ向かった。
イザベラたちは玖条ビルの1フロアを貸し切っている。エマやエアリスもいるのかと思ったがいるのはイザベラだけだった。
イザベラが紅茶を淹れてくれ、レンはソファに座った。そして口をつけた頃にイザベラは語りだした。
『今度大きな戦いがあるんだろう?』
『あぁ、誰かから聞いたのかな。まぁ隠してないし準備もしているからわかるか。間違ってはないね。規模がどのくらいかははっきりしていないけれどね』
『それにアタシとエマとエアリスを連れて行ってくれないかい?』
レンは首を傾げた。
『守れるなら守るけれど、死ぬかもしれないよ?』
『わかっているさ。わかっているけれど、あの2人にはもっと経験が必要なんだ。確かに訓練のおかげでエマもエアリスも思っていた以上に強くなっている。同年代の魔法使いでも魔女でもトップクラスだと思う。それはレンのおかげさ。でもね、実戦は経験しないとわからないことのが多いんだよ』
『獅子神家の妖魔討伐についていっていたりするじゃないか』
エマとエアリスは幾度か獅子神家の妖魔討伐に同行させて貰っている。
実際に戦っているかどうかは知らないが、イザベラから日本の妖魔を見させたいという要望があったのでレンから水琴に頼んだのだ。
『エマとエアリスはある意味経験を経ずに強くなりすぎたんだ。あの程度の魔物じゃ危険さえ感じちゃいない。本人たちは油断しているつもりはないかも知れないし、増長しているとも思っていない。でもね、強敵との戦いを経験しないと得られないものは確かにある。それが足りていないんだ』
『例えそれで2人の命が危なくなったとしても?』
イザベラは少し困った表情をした。
『そりゃ親だからね、安心安全で居られるに越したことはないさ。どちらかというとレン、あんたへの信用だよ。レンとアーキルたちがいる戦場なら酷いことにはならないだろう。そういうことさ。危ない時はアタシが命を賭けて守るよ。特に心配なのがエマだね』
『エアリスじゃないんだ』
『エアリスはゲイルに襲われた経験があるだろう。エマよりエアリスの方が緊張感は高いよ』
確かにゲイルやハスキルに狙われた際、2人は計画通り逃げ出させた。そしてエアリスは別働隊の襲撃を受け、エマは受けなかった。
その後エアリスは変異したゲイルの襲撃も受けた。
戦いはしなかったが、その場に居てレンの戦いを見ていた。
当時のエアリスでは例え葵と一緒だったとしてもゲイルに敵わなかったことは肌で感じたことだろう。
『今度の戦いは少し制約が多いんだ。だから万全とは行かない。それでも?』
『それでもだね。第一レンとアーキルや共闘できるというだけでアタシら3人で戦うよりよほど安全度が高い。それでいて自分より強いかもしれない相手と対峙できる機会なんてそうそうないんだよ。日本は安全だからね』
『言うほど安全じゃないけどね』
『今の欧州や中東よりはよほどマシだよ』
『そりゃ比べる先が悪い』
レンは苦笑しながら出されたクッキーを摘んだ。
エマもエアリスも真面目に訓練に励んでいる。〈箱庭〉内の特殊な訓練は受けさせていないが、ポテンシャルもモチベーションも高く、更には彼女たちよりも上位の術者が玖条家には揃っている。
魔力回路の調整や霊水も飲ませている。
ただ実戦経験が足りないのは事実だ。エアリスは陸奥家の者と戦ったがアレは相性の問題もあった。
魔力持ちは自分たちに効くほどの魔力毒への耐性が驚くほどないのだ。
それは蒼牙や黒縄たちにも言えた。
レンの元居た世界では考えられない常識だが、現状の日本では強力な魔力毒というのは材料を準備するのも作り出すのも難しいらしい。
それを魔法で生み出せてしまうエアリスという魔女が特殊なだけだ。
故にレンは蒼牙や黒縄たち、灯火たちなどにも魔力毒への耐性をつけさせるよう定期的に摂取させている。
『まぁいいよ。3人の参加を認めよう。ただし相手がどんな相手かはわからないし、僕の指示に確実に従ってもらう』
『もちろんさ、ありがとう。レン』
『こんなことで礼を言われてもな。無事に帰って来て、良い経験が積めてから聞きたい言葉だね』
『日本でアタシらが経験を積める場なんてないんだよ。獅子神家の人たちは優しくしてくれているけどね』
獅子神家はレンに、玖条家に大きな恩がある。獅子神家襲撃の際に姿を隠してだが助けに入ったし、水琴が攫われた際も彼女の命を救った。
襲撃で減った戦闘要員も蒼牙や黒縄などを傭兵として貸し出して彼らの安全に寄与している。
欧州の魔女がなにの伝手もなく妖魔討伐に参加させてくれと言って応じる家はないだろう。
それぞれの家には縄張りがあり、その縄張り内の妖魔を退治することで、退魔の家として様々な特権を享受しているのだ。
例え戦力になるとしても彼女たちの受け入れ先などそうそうない。
『用事はそれだけかい?』
『あぁ、そうだよ』
『なら最大警戒で準備をしてくれるかな』
『わかった。2人にもちゃんと伝えておくよ』
話が終わったのでレンはイザベラに手を振って彼女の研究室を後にした。
(エマとエアリスも守らないとか。難易度が上がったな)
葵もついてくると言っている。
レンにとってはエマもエアリスも葵も護衛対象だ。失いたくないと思っている。
しかしイザベラの危機感もわかる。
エマもエアリスも強い。しかし強いからこそ狙われるということもある。
欧州の魔法使いにも魔女にも寿命の軛から逃れた者たち、つまり何百年も生きる化け物たちが居ると言う。
今の2人ではひとたまりもないだろう。ゲイル単体なら今の3人ならなんとかなったかも知れない。だが〈暁の枝〉を相手にしても、ハスキルたち教会勢力と戦っても勝てない。
それに天狗などのような神霊と戦えば相手が単体であっても歯が立たない。そしてそんな相手と戦う機会が一生のうちにいつ来るかわからない世界なのだ。
(まぁいいか。確かに彼女たちには実戦経験が足らないからな)
水琴たちはそれを補うために〈箱庭〉の中で魔物相手に実戦経験を積ませている。李偉や頼通のような特殊な術士との戦いも経験させている。
〈制約〉が掛かっているのだからいっそ〈箱庭〉に2人も入れるべきだろうか。
レンにとってリスクにはなるが、エマとエアリスはすでにレンの中では大切な存在になってしまっていた。
◇ ◇
「なんだかピリピリしているわね」
「そうだね、いつもより緊張感が高いね」
灯火は楓と共に玖条ビルに着くと、玖条ビル内の緊張感が高いのに気がついた。
「何かあったのかしら」
「如月家と合同で妖魔討伐に行くって言ってたからそれじゃないかな」
「妖魔討伐でこれほどピリピリするかしら? 玖条家が?」
「ちょっとそれはわかんないよ」
地下駐車場から階段を登って行くとレンたちが居る。レンと水琴と葵だ。
美咲は毎日1時間だけレンに会いに来ているらしい。どうも豊川家の特殊な訓練を実施しているようで、レンとの訓練はお休み中だ。
しかしレンに会えないのはありえないと本人は言い、昼食か夕食のどちらかをレンと取っている。
「今度の花火大会、行くのかな?」
楓が聞いてきた。
今年はどこかに泊まり込みで旅行に行くのではなく、日帰りで行けるお祭りや花火大会などをいくつもみんなで回ろうという話になっている。
「わからないけれど、中止の話は聞かないわね」
「灯火、楓、花火大会は予定通り行くつもりだよ」
灯火が楓に返したところにレンが答えをくれた。
「大丈夫なの?」
楓が心配そうに問う。
「妖魔が現れる予定日は花火大会より少し後らしいからね。同日だと申し訳ないけどキャンセルになっちゃうけど、そうじゃなければ問題ないよ」
「でもこの雰囲気」
「あぁ、警戒レベルを高く取れって言ったからね。杞憂であればいいんだけど念の為、ね。2人は気にせず訓練に行こう。訓練しに来たんだよね?」
「そうね。その通りよ、楓。鍛えられる時に鍛えて置きましょう」
「うん、わかった」
灯火たちは〈箱庭〉に入り、戦闘服に着替える。
庭先ではハクとエンがじゃれあっている。
「今日の相手はロックオーガ変異種だ」
「ロックオーガ!? あの堅いヤツ?」
楓がイヤそうな顔をして問い返した。
レンは灯火たちにわかりやすいように妖魔の名前を言い換えてくれている。当初は妖魔の名前を聞いてもどんな相手か全く理解できなかったが、魔物の特徴を表した名をわざわざ考えてくれているのだ。
「うん、それも変異種だから前戦った個体よりも強いよ」
「うぇ~、あたしの術ほとんど効かないじゃん」
「そんなことはないさ。使いようだよ」
レンはそう言って4人を岩砂漠のフィールドに黒い渦を通らせて移動させた。
周囲に妖魔の気配はない。1つを除いて。
わざわざこの辺りの妖魔を間引き、ロックオーガだけを残したのだろう。
しかし油断はできない。ロックオーガは岩盤のような硬さの装甲をつけており、背も3mほどの大きさの鬼のような妖魔だ。
その膂力は間違えてもまともに受けてはいけない。即死しなくても内臓が破裂するか、四肢が千切れるか、どれにせよ戦闘不能になってしまう。
ロックオーガが5人に気付き、「UOoooooo」と叫ぶ。
獲物が来たことに喜んでいるのだ。
灯火は強化の舞を舞い、3人に強化を掛ける。楓は一抱えもありそうな尖った岩を作り出し、発射した。
ガァンとロックオーガと岩が衝突し大きな音がなる。しかし両腕をクロスして受けたロックオーガにダメージらしきものは見えない。
「行くわ」
水琴がロックオーガに向かって駆け出す。
しかし辿り着く前にロックオーガは右手から岩が伸び、剣を形取っていく。
長さは2mを超え、幅も50cmを超えた大剣だ。
ロックオーガは易々とその大剣を振りかぶり、水琴に向かって振り下ろす。
(速い)
水琴は見切って大剣の外側に回り、抜刀して装甲に覆われていない脇腹のあたりを斬り裂く。
しかし肉までは斬れても内臓まで届いていない。
ロックオーガの動きは全く鈍らず、水琴に剣を浴びせていく。
ガチン
ロックオーガの左足が凍る。葵の術だろう。急に足が動かなくなったためにロックオーガの体勢が崩れる。
そこにすかさず楓がさっきよりも質量も密度も増した岩槍を発射した。
灯火も神通力で刃を作り、ロックオーガの装甲の隙間を狙っていく。
岩槍はロックオーガの太ももの装甲を破り、肉までえぐった。灯火の刃もそれほど大きくはないが傷をつけていく。
ギンとロックオーガが灯火と楓の方を睨み、体勢が崩れたまま右手の大剣を投擲した。
「楓っ、避けて!」
灯火は少し離れていたために問題なかったが、狙われた楓は反応できなかった。
グルグルと回転しながら楓の胴を裂こうとした高速で迫る大剣はレンの障壁によって遮られた。
「楓、アウト。下がって」
「うぅぅっ。悔しい」
楓に死亡判定が出て下がらされる。実際あの一撃を食らっていたら死んでいたはずだ。レンの助けがなかったらと思うとゾクリと背筋に冷たい汗が走った。
「はぁぁぁぁっ」
大剣を失い、体勢を崩したままのロックオーガの右肘に水琴が渾身の斬撃を喰らわせ、ロックオーガの右肘から先がゴトリと重そうな音を立てて落ちた。
「GUOoooooっ」
ロックオーガの右肘から吹き出た血はすぐさま止まり、岩の装甲が傷口を覆っていく。
左足の氷を無理やり剥がし、左手に大剣を作りあげる。驚異的な生命力と再生能力だ。すでに太ももの傷は塞がっている。
(悔しいわ)
灯火の攻撃力ではロックオーガをどうにかすることはできない。
〈箱庭〉の妖魔、レンの言う魔物は日本の妖魔よりも神通力の効きが悪いのだ。
水琴はロックオーガの攻撃を避けながら、装甲の隙間に斬撃を入れようとしているが、ロックオーガも水琴の刃を脅威と認識したのか防御への意識が高くなっている。
そこに葵がロックオーガの腹に氷槍を3連撃入れる。傷を与えるための攻撃ではなく隙を作る為の攻撃だ。
ドンドンドンと衝撃を与えロックオーガを2歩下がらせる。
「せいっ」
水琴がその隙を逃さず、今日一の霊力を込めた突きをロックオーガの喉元に突き刺す。
その突きは貫通し、ロックオーガは苦しげに暴れた。喉を貫かれても即死しなかったのだ。
水琴は刀を諦めてロックオーガの肩を蹴り、宙に浮く水琴を狙った大剣を宙を蹴って避けて更に距離をあけた。
「はぁっ」
灯火は練りに練っていた霊力の縄を作り上げ、ロックオーガの動きを一瞬止めた。
同時に葵もロックオーガの左腕を氷で固めている。
「水琴ちゃん」
水琴は返事もせずにロックオーガに縮地で接近し、大蛇丸の柄を再度握って大蛇丸に神気を込めた。
大蛇丸が光り、塞がっていた傷が開く。水琴は真横に刃を傾け、ロックオーガの首筋を斬り裂いた。
それだけでなく、ついでとばかりに左肘も斬り落とす。
「UGO……」
ロックオーガの動きが鈍くなり、ズゥンと地響きを立てて倒れる。
左腕や首は再生しかけているがその速度は遅い。
水琴は静かに刀を振り上げ、その首を断った。
「うん、悪くなかったね。楓は惜しかったね。遠距離攻撃をしてくる魔物は多いんだから多少距離があるからと言って油断しちゃダメだよ? 灯火は見せられない術なんかもあるんだろうから仕方ない。ちゃんと連携も取れてたよ」
確かに水無月家の秘伝というものはある。灯火の一存でレンに見せて良いわけがない。
ただ秘伝もまだ灯火はすべて受けているわけではないし、使いこなせるようになっているわけでもない。
使えればもう少し役には立てただろうが、まだまだだという思いは強い。
第一水琴という前衛がいなければロックオーガには勝てなかっただろう。
(それに楓ちゃんへのアレ、私は避けられたかしら)
もし大剣が灯火に向かって放たれていたら、灯火は楓よりも少しロックオーガから離れていたが思っていた以上の速度だった。威力は言わずもがなだ。
ギリギリ避けられたか、レンに助けられたか。どちらかは実際に起こったことではないのでわからない。しかし余裕を持って避けられたと言える自信はなかった。
「水琴は〈水晶眼〉の使い方がうまくなったね。葵は小技で色々と邪魔してたね。今回のテーマはサポートかな? とりあえず今日の魔物相手の特訓はこれで終わりだよ。後は訓練所に戻って普通に訓練をしよう」
レンに言われ、いつものレンの家の前に戻って全員でシャワーを浴びて着替える。
「ねぇ、レンくん。今日の相手がロックオーガだったのは如月家との合同討伐の為?」
「そうだね。純粋に鬼とは違うけど強力な鬼が出てきたときに対処できればなと思ったんだけど、ロックオーガより強力な鬼だと全滅しちゃうんだよね。鬼の王とかも一応いるんだけど数百体を超えるオーガの集落を構成しているし、王単体でもバカみたいに強いんだ。僕もちょっとまだ相手したくないな」
「鬼の王」
「そう。えっと、オーガキングとか呼べばいいのかな。ライトノベルとかではそう呼ばれることが多いけれど、そう簡単な相手じゃないよ」
灯火は早めにシャワーを終えたのでレンに聞いてみたのだがやはり思っていた通りだった。
日本は鬼の妖魔が出ることが多い。故に事前演習として、強力な鬼との対戦を今回参加すると言う水琴や葵にさせたかったのだろう。
「レンくんは優しいね」
「優しさじゃない、甘いっていうんだ。せっかく救った命だ。散って欲しくないという気持ちもある。正直に言えば傷1つ負って欲しくない。でも退魔士として生まれた灯火たちは戦いとは無縁ではいられない。前回のように外国の組織に狙われたり、国内の組織に狙われることもあるかもしれない。なら僕にできることは君たちを鍛え上げることだ。攫われないように、死なないように。それでも死は突然にやってくる。それを少しでも先延ばしにしたい、それだけだよ」
「ふふふっ」
「何?」
「ううん、なんでも」
それを優しいと言うのだ。レンは退魔士としての灯火たちの立場もわかった上で訓練や霊脈の調整などをしてくれている。
毎回飲まされる霊水も霊力を増強する効果があるという。
灯火たちはそれに1円も対価を払っていない。レンが「自分のためにすることだから金も物も要らない」と言って受け取ってくれないからだ。
「ふふっ」
灯火はついつい照れているレンを見てまた笑ってしまった。
◇ ◇
いつも御覧頂いてありがとうございます。まだ章の序盤なのでゆっくり展開。普段の訓練の一節です。序盤でしか日常回は書けないのでヒロイン成分を存分に補給してください笑
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