122
「楓には闇魔法の素養がある」
「はっ?」
そう楓が言われたのはレンに特訓をお願いした時だ。
このまま陰陽術を修行するのも闇魔法を極める道に鞍替えするのもどちらでも良いと言われた。
陰陽術を修行し続ければ藤森家でも最強に成れるだろうと言われた。
しかしそれは藤森家という家単位の中の話だ。
日本一の陰陽師に成れるかというと難しいと答えられた。
楓は強くなりたいとは思ってはいるが自身が日本一の陰陽師に成りたい、成れるなどとは考えていなかった。
それに成れるとしても数十年後の話だ。
明日自身の命があるかどうかもわからない稼業だ。
楓自身は家族内ではともかく藤森家では腫れ物として扱われ、玖条家預かりのようになってしまっている。
藤森分家では本家の者に見初められなければ少し血の遠い分家同士で婚姻が結ばれることが多い。
そして楓を迎える藤森家の者は存在しない。
楓を軟禁し、〈制約〉を解こうとしただけで藤森家は没落しかけたのだ。
レンが宝物庫の中身を返さなければ藤森家の影響力は大幅に下がっていただろう。
「でも闇魔法を極めれば日本一の陰陽師なんて簡単に倒せるようになるよ」
レンはそう言っていた。そして陰陽術を極めるのも今から闇魔法を学び直すのも同じくらいの時間が掛かるだろうとレンは予想した。
しかしこの予想は当たるかどうかはわからないと言うことだ。
「うん、わかった。やる。闇魔法とか全然わからないけど」
「闇魔法の初級中級はそれほど強くないんだ。どちらかというと後衛向きで、えぇっと、伝わるように言うとデバフ系統の魔法が多い。訓練も地味だし水琴たちと一緒に戦えるようになるには何年も掛かるかもしれない。それでもやる?」
「やるよ。レンくんが保証してくれているんだもの。やらない理由はないわ」
楓はレンに2度も助けられている。1度目は川崎に攫われた時。2度目は藤森家に軟禁された時。
どちらも楓自身の力ではどうにもならない状況だった。特に川崎では命を落とす寸前だった。
「そう、じゃぁまずスクロールで魔術から覚えて行こうか。魔術で魔力の流れや闇魔力の感知ができるようになって、それを魔術具なしで魔法として発現させる。もちろん体力をつける訓練や護身術も学んで貰う。いいかい」
「いいよ、レンくんの言う事だったら何でも聞くから」
「そんな崇拝のようなことを言われても困っちゃうね。やる気があることはいいことだけど」
レンが居なければ家族に会うこともできずに黒蛇の神霊、今はクローシュと言う名を与えられたレンの従魔の復活のための生贄とされていたのだ。
そして自身の陰陽術には限界を感じていたのも事実だ。そうではなく、まだまだ伸び代があることはレンが保証してくれたが。
「〈暗幕〉」
魔術陣を使わずに初めて使えた闇魔法は〈暗幕〉という魔法だった。
両手から真っ黒な煙のようなものが吹き出ている。
この煙は楓が自在に動かせ、且つ中にある物を感覚的に捉えることができる。
その感覚を得るためにも多大な労力を消費したが、ようやく第一弾の闇魔法が完成した。
「やった~!」
「おめでとう。思っていたよりも早かったね。良かった、見立てが間違っていなくて。術式もきちんと間違いがなかったよ」
レンから闇魔法を習いだして半年以上経つ。
レンはわざわざ初級の闇魔法書を日本語に訳して楓に渡してくれていた。
ただし読むのは〈箱庭〉の中だけだ。
「次は〈影蔦〉を練習してみようか。〈暗幕〉はどちらかというとソロ用だからね。逃げるには便利だけど集団戦では使いづらい。ただ闇魔法の基礎としてとても完成された術式なんだ。〈暗幕〉を完全に覚えていない術者は絶対に大成しない。それに感覚は掴めただろう、初級の他の闇魔法もすぐに覚えられるよ」
「わかったわ。ありがとう、レンくん」
楓はレンに近づくと抱きついた。
レンはレンで槍や体術の訓練をしていたのでレンの匂いがする。
汗臭いはずなのにレンの匂いというだけで良い匂いに感じてしまうのが不思議だ。
楓の大きな胸はレンの胸板に当たっているはずだがレンは照れる様子もない。
それが少し不満だ。
手を出そうと思えば少なくとも楓、葵、美咲、エアリスは受け入れるだろう。灯火や水琴も受け入れるかもしれない。
流石に直接的に好意を示しているのだから多少は反応してほしい。
「レンくん」
「ん?」
ちゅっ
レンの唇に自身の唇を軽く重ねるだけのキス。これだけすれば流石に楓の好意を意識してくれるだろう。
珍しいことにレンの耳元が赤くなっている。
「楓」
「ふふ~ん、レンくんからしてほしいってずっと思ってたんだけど我慢できなくなっちゃった。みんなの好意も気付いてないわけじゃないんでしょう?」
「流石にそこまで鈍感じゃないよ。黒鷺にも早く跡継ぎを作れとうるさく言われているしね。でもそんなに急ぐ必要はないと僕は思っているんだ」
「ねぇ、レンくん、乙女で居られる時期って短いのよ。特に年上組のあたしたちは焦ってるわけ。あたしだけでなくみんなレンくんを待っているんだよ。そこらへんも考えてあげてほしいな」
「考慮するよ」
「よし、よろしい」
そこで初めて楓はレンの傍から離れた。
身体が火照っている。耳も頬も赤くなっているだろう。
美咲のように番(つがい)とまでの熱量はないが、楓は自身が嫁ぐとしたら相手はレンと決めている。
何人もの1人でも良い。独り占めできなくても構わない。それでもレンの傍に居たい。
2度目に助けられて気付いた想いは、燻りながらも大きな炎となっていた。
◇ ◇
「如月家が援軍を要請するような妖魔、ねぇ。どんなのかしら」
「それを相談してるんだけど」
〈箱庭〉の中で訓練を終え、水琴はレンに問われて答えに窮していた。
なにせ妖魔と言っても種類は豊富だ。日本は鬼の妖魔が多いが獣型や虫型などの妖魔も出る。
大雑把に分けて大妖、中妖、小妖などと言われるがそれは強さでの分類であって鬼1つ取っても同じような見た目で強さが違うなどざらなのだ。
大水鬼のように封印されていて文献に残っている妖魔ならともかく、新たに現れる妖魔を特定する手段はほとんどない。
「私としては人型が一番戦いやすいわね。獣型や虫型はあまり得意じゃないわ。ただどんな妖魔であっても如月家がわざわざ応援を要請するほどの相手よ、数も1匹とは限らないしとても油断なんてできないわ。何人死ぬかわからないもの」
「玖条家は妖魔との戦闘経験が不足してるからなぁ。大水鬼や龍とは戦ったけど」
「むしろそっちのがおかしいわよ。まぁ獅子神家じゃ呼ばれても戦力になれなかったからそんな経験はしたくないわ」
「普通そうだよね」
レンがくすりと笑う。
会話には出さなかったがレンは黒蛇の神霊であるクローシュを鎮め、配下にしてしまっているのだ。
あの時の戦いは水琴には、いや、誰であっても衝撃的であっただろう。
そしてその戦いにレンが首を突っ込んだ発端は攫われた水琴を救う為だったのだ。
「私としては小さくて強い妖魔が大量に出てくるのが一番イヤね。レンくんたちみたいに範囲攻撃ができる人たちが羨ましいわ」
「水琴の斬撃の範囲もずいぶん広くなったじゃない」
「それでも物量というのは怖い物なのよ。思い知ったわ」
レンとの〈箱庭〉の訓練で虫型の妖魔が大量にはびこっている巣に放り込まれたことがある。
倒しても倒しても減った気さえせず、体液を浴び、身体中の様々なところを囓られた。また、通常の妖魔と違い死体が残るので足場にも苦労した。
葵が一緒にいた事と小妖並の力しかなかったためになんとかなったが、一匹一匹が中妖並の力を持っていたら灯火、楓、水琴、美咲、葵が揃って居たとしても全滅は必至だ。なにせ相手は何百という数だったのだから。
レンの特訓は必死になればなんとかなるが、少しでも油断すると死んでしまうギリギリのところを攻めてくる。
実際油断したつもりがなくとも危険な場面でレンやカルラが助けてくれたことが幾度もある。
後にあぁすれば切り抜けられたと教えられるが、死線に立たなければ鍛えられない部分というものは確かにあると知った。
実際咄嗟の判断力や危機感知能力は〈箱庭〉の訓練で非常に鍛え上げられた。そうしなければ死ぬのだ。
いや、レンが助けてくれるから死ななかったが、死んでいたというのが正しい。
そしてレンが居ない場所で、同様の場面に襲われていれば水琴の命はとっくに無くなっていただろう。
退魔の家に生まれた以上、そんな場面に出会うことがないなんてことはありえない。
そんなことを言えば最初に助けられた時にすでに水琴の命は無かったも同然だ。
「レンくん」
「ん?」
「ありがとうね」
「急にどうしたの」
「急にじゃないわ。いつも思っているわよ。ただちゃんと伝え直して置こうと思ったのよ」
「じゃぁ、どういたしまして?」
2人で見合いながらくすくすと笑う。
「お二人とも楽しそうですね。私もレン様に常に感謝をしていますよ」
着替えが終わった葵がやってくる。
レンとの訓練時はレンが用意した専用の戦闘着で行うのが通例だ。
水琴の巫女服は特注の戦闘着だが訓練でも使っていたら何十着もダメにしてしまっていただろう。
1着あたり1000万円を超えるのだ。妖魔との争いならともかく訓練でダメにして良い物ではない。
「僕も2人に感謝しているよ。色々助けられている。2人だけじゃなくて灯火や楓、美咲にもね。あの時助け出せて本当に良かったよ」
レンがにこりと笑う。水琴は自身の顔が少し赤くなっているだろうことに気付いた。
水琴がレンにしたことなどほとんどない。
最初に助けられ、多少獅子神流や日本の退魔の家の事情を教えただけだ。
レンは水琴が居なくてもどうにでもなっただろうが、水琴はレンが居なければ少なくとも2度は命を失っていた。
「本当ですか。なら態度に表してください」
「えぇっと、どうすればいいのかな?」
「ぎゅっとしてください」
葵が両手を広げるとレンは立ち上がり、葵をぎゅっと抱きしめる。
葵の表情が蕩けるのが水琴からは見えた。
「水琴もやる?」
「えっ、私はっ」
「やって貰ったほうが良いですよ。さぁさぁ」
葵に背を押され、立ち上がらされる。
そこにぎゅっとレンが水琴を抱きしめてきた。
背の高さ的にレンは水琴より少し低い。しかしそんなことは関係なかった。
「レンくん、これ、恥ずかしいわ」
「僕も少し恥ずかしい」
自然と離れるレンの温かみに後ろ髪を引かれてしまう。
しかしこれだけでも十分だった。
「レンくん」
「ん?」
「今度の戦い、勝ちましょうね」
「もちろん。負けるつもりなんてないよ。どちらかというと如月家にどこまで見せるか考えるくらいかな。でも水琴や葵の命より重い秘密はないから最悪は全部見せてでも守ってあげるよ」
そう断言されてしまうと水琴の緊張が解けた。
獅子神家より大きい如月家からの招集にやはり気張ってしまっていたらしい。
どんな相手でもレンと共に戦うなら大丈夫。
そう思えた。
◇ ◇
「合同討伐か、レイドって言うんだっけ? 守るって言っちゃったしな」
レンは水琴と葵が帰った後に持ち込む武器などの吟味をしていた。
フルーレやシルヴァなどはまだ見せたくはない。
イザベラやヘレナから買った魔道具は良いだろう。チェコの魔女が玖条家に居ることは周知の事実だからだ。その中に〈闇の茨〉などレンが作った魔道具も多少は混ぜ込んでしまうことにする。
合同討伐は大水鬼や龍との戦いでも経験済みだが、大水鬼の時は遊撃で3人とも姿を隠していた。
龍との戦いは見物という意味合いが強く、レンはほとんど手を出さなかった。鬼一法眼が斬った髭がレンのせいにされているかもしれないが、鬼一法眼は隠蔽の結界も張っていたので髭を斬った術士はなぞのままだろう。
蒼牙や黒縄は近隣の退魔の家に傭兵として貸し出しているが、レン本人が出ることはほとんどない。あったとしても獅子神家くらいだ。
そしてその場で多少の魔法はともかく非常識な規模の魔法や術具を使ったことはない。
そして今回は相手が強力な妖魔ということしかわかっていない。しかも如月家が主導だ。
如月家は玖条家を警戒している。レンの手の内を見られるのであれば見たいだろう。むしろその為に玖条家を誘ったと言われても疑問はない。
如月家に〈収納〉は見せられないので武具や魔道具は持ち出さなければならない。
守るのが水琴だけであれば良いが獅子神家の手勢が失われれば水琴は悲しむだろう。
そう考えると獅子神家全体も守った方が良いのかもしれない。
「いや、流石にそれは過剰か」
思考がかなり甘く揺れたのを感じてレンはその考えを振り払った。
確かに獅子神家と玖条家は良い関係を築いているが、戦士として戦場に立っている者たちを全員守ってやろうなんて考えるべきではない。
それは戦士たちへの侮辱にあたる。
水琴もその命を掛けて戦場に立つのだから本来は守るべきでないのかもしれない。
しかしもう水琴はレンにとって特別な存在になっている。
その剣才の行き着くところを見てみたいという興味が強いのは認めざるを得ないが、では水琴がその剣才を持っていなかったとして今更彼女の命を救えるのに救わない選択肢があるかと言えばない。
「甘いのはどうにも治らないな。むしろ漣少年のせいでより甘くなったようだ」
過去のレンもついつい窮地にいるものを助けてしまったことがあった。
冷徹にならなければ行けない場面でなりきれなかったこともあった。
潜在的であれど敵ならばレンは冷徹になりきることができる。日本に転生してから命を奪った数は100を超える。それでも自身の甘い部分を捨てきれていない。
「治らないなら治らないで仕方がないな。前なら僕の力は知れ渡っていたから何をしても問題なかったんだけど、今はまだ僕自身の力は大したことないからな」
強すぎる力を見せれば必ず利用しようと無理難題をふっかけてくるヤツが出てくるのは確実だ。
そしてそんな面倒にレンは巻き込まれたくない。
「一応、準備だけはしておくか」
見せるか見せないか、それはわからない。だがレンは本来なら見せないだろう武具も準備しておいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます