新たなる脅威と婚約
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「あっついわね」
獅子神水琴は7月の朝の日差しに肌がジリジリと焼けるような感触を味わっていた。学校は休暇に入っているので朝一からレンの持つ玖条ビルに行く途中、つい空を見上げてしまう。
すれ違いざまにふと視えてしまった悪霊に憑かれかけている女性の後方から右手人差し指と中指から発した霊力剣で悪霊を祓う。
獅子神神社では悪霊祓いや呪いの品の鑑定、預かりなどもやっているので家の仕事を取ってしまっているのかもしれないが、流石に具合の悪そうな女性は放っておけない。あのままでは熱中症でどこかで倒れてしまってもおかしくなかっただろう。
「それにしてもようやくうまく使えるようになってきたわ」
霊力剣は過去の水琴では扱うことができなかった。地道な修行とレンの霊脈の調整、それに毎回行く度に飲まされる霊水。楊李偉と言う方士の助言。どれが原因かはわからないが、水琴は剣なしでも悪霊や妖魔程度ならどうにでもできるようになっていた。
これで武具がなくとも外を歩くことに多少の安心を感じることができる。
トラウマというわけではないが、武具がなかったために容易に2年前は攫われてしまったのだ。
相手の実力が高かったので刀があっても結果は同じだったかもしれないが、今の自分ならば前ほど簡単に攫われることもないだろう。そのくらい2年前と今とでは大きな差ができているのを水琴は実感していた。
「あ、水琴っち。早いね」
「おはよう、美咲ちゃん。そちらこそ。葵ちゃんもおはよう」
「おはようございます、水琴さん」
玖条ビルに着くと豊川美咲と白宮葵がすでに居た。ということはレンもすでにビル内にいるのだろう。
美咲はともかく葵がレンの傍から離れるとは思えないからだ。
(やっぱり2人は霊力の質が全然違うわ)
〈水晶眼〉の出力を上げてもらってようやく調整が効いたのが先月だ。そして視える世界が変わった。今までは量や流れしか視えなかった同じ霊力や妖気でも質や密度というものがわかるようになったのだ。
レンの霊力を視ることはできないが、自身や獅子神家の者と美咲、葵は明らかに霊力の質が、色すら違う。そういう意味ではエマやエアリスも同じだ。2人は姉妹であるが全く質や色が違う。
逆にアーキルや重蔵と言った実力者たちはほとんど自分と変わらない。密度や量では敵わないが、質が違うということはない。自身が鍛錬を重ねれば同じ領域に達することができる。
(やっぱり神霊や魔女の血なのかしら)
しかしその違いはサンプル数があまりに少なすぎて確信には至らない。豊川家の人員も視たが瑠華と瑠奈は美咲に近く、他はほとんど水琴と同じだ。
レンにも聞いてみたのだがレンの視えている世界と水琴の視えている世界は違うと言われた。ただ美咲と葵、エマとエアリスは確かに他の術士とは違うと教えて貰えた。どうも霊脈の形が違うらしい。
「おはよう、水琴」
「あら、おはよう、レンくん。ずいぶん落ち着いてきたわね」
「ようやくね。急にやったから調整が大変だったよ」
レンは何をしていたかは教えてくれなかったが、ほんの2ヶ月前ほどにレンの霊力が急激に上がり、そして荒れていた。
いつもは凪いだ湖面のように静かなレンの霊力が妖魔のように荒ぶっていたのだ。水琴のような特殊な眼を持たなくとも術士ならレンの力を推し量れてしまうほどに。
だが最近になってレンの霊力は落ち着いている。これらは〈水晶眼〉の力ではなく、単純な感知能力でわかったことだ。
「そういえば麻耶さんが近々大きな戦いがあるって言っていたけどレンくん聞いてる?」
「いや、聞いてないよ」
「獅子神家に応援要請が入ったの。珍しいことだわ。玖条家に要請しないのはなぜなのかしら」
「如月家の一派は未だ玖条家を認めていないからね。その関連なんじゃないかな? 如月家の諜報部隊を何人か殺しちゃってるしね」
そんなことがあれば如月家は玖条家を敵視するのは当然だろう。だが麻耶の態度はレンと、玖条家と仲良くしようとしているように見える。如月家にも色々あるのだろう。
「そうなのね。それは知らなかったわ。それで、要請が来たら受けるの?」
「貸しを作るチャンスだからね、それに妖魔討伐は退魔の家の義務の1つなんでしょ。特に理由もなく断ることはしないよ」
「そう、うちも出るからもし玖条家が来てくれることになったら素直に助かるわ」
如月家から獅子神家へも妖魔討伐の依頼が来ていると水琴は父から聞いていた。
如月家は獅子神家より何倍も大きな家だ。戦闘部隊も十分に備えている。小さな妖魔討伐を獅子神家に振ることはあっても共闘することはめったにない。しかも玖条家以外の近隣の寺院や神社、陰陽師の名の知れた退魔士たちにも声が掛かっていると言う。
(これはまずいかしら、出すメンバーをきちんと選ばないと死人が出そうね)
水琴は家に帰ったら父に進言しようと心に決めた。
◇ ◇
「ねぇ、これいっつも思うんだけどどうにかならないの」
エマは施術を受けるにあたりビキニの水着に着替えていた。
「どうにもならないことは最初に説明したじゃない。むしろまっぱになってくれた方が施術しやすいんだけどな」
「それは絶対イヤ!」
レンから感情が乗っていない返事が返ってくる。
今日はエマの霊脈調整の日だ。そのためには体中のほとんどの箇所に触れられなければならない。だから布面積の小さな水着なのだ。
本来は裸で受ける物だし、レン本人は特にやりたいわけではないと言っていた。
実際この霊脈調整はイザベラがレンに頼んで受けさせて貰っている。
1度目でその効果は実感しているが、定期的に受けることでよりその効果は良くなるらしい。事実、体感で感じられるほどに調整を受ける度にエマの魔力の扱い易さが上がっているので文句も言いづらい。
ただエマも年頃の女の子なのだ。同年代の男子に身体のあちこちを触られるということに忌避感がある。エアリスなどは喜々として受けているようだがそれは結果に対してではなくレンへの感情の違いだろう。
「さ、やるよ。さっさと済ませた方がエマもいいでしょ」
「わかったわよ」
言われた通り治療台に寝転がるとレンの指が首筋から肩、背中へとゆっくりと動いていく。
「んっ。あっ」
体の中にレンの魔力が入ってくるのを感じる。それと同時に様々な場所をまさぐられる。おかしな声がつい出てしまい、顔が、耳が赤くなっているのがわかる。こればかりは何度やられても慣れない。
頭から指先、おしりやふともも、当然のように胸も触られる。特に胸は心臓が近いこともあって念入りに触られるのだ。
「終わったよ。魔女の魔力回路は特殊で難しいね。エアリスもそうだけど独特な形をしてる。水琴が2人は魔力の色が違うって言ってたけどどこでその違いが出ているのかな。研究したいけどサンプルが少なすぎるしなぁ」
「他の魔女なんて紹介しないわよ」
「されても困るよ。この施術はこっちも集中力がいるし何より時間が掛かる。それでいて味方でもない相手を強化する? ありえないね」
「そうよね、レンはそういう人だものね」
レンはこの調整は仲良くしている少女たちと配下の一部にしか行っていないと言っていた。
エマとエアリス、そしてイザベラは護衛依頼の依頼主であるので必要に駆られてやっただけで、契約が切れた時点で続きをやる気はなかったようなのだ。
それをイザベラが追加料金を払うからエマとエアリスだけには続けてくれと頭を下げた。故にエマは2、3ヶ月に1度、この調整を受けさせて貰っている。
「シャワー浴びてくるわ。ありがとう」
「うん、ごゆっくり」
体が火照っている。汗もかいている。鏡を見ると妙に色っぽい表情の自身の顔が写っている。
「あいつ、何なのよ」
エマは自身の見目が整っていることを自覚していた。しかしレンは全くといってエマに惹かれる様子がない。いや、惹かれられても困るのだ。そういうつもりはない。ないが、全く興味なさそうにされるのもイラついてしまう。
エマの体に触れる時も最初から全く遠慮のない物だった。それでいて本人は全く嬉しそうにしていない。エマの体を見ても照れすらしない。
そこがエマのプライドを傷つけていた。
パキパキと指先から水晶に似た結晶を出す。初回ほど劇的ではないが確かに毎回施術を受ける前と後では体内魔力の流れ易さが変わっている。
指先から出した水晶は球形から円錐状になり、剣ほどの長さになるとブワッと全体に棘が生えた。
それを消すと自身の体を覆うように結晶を作り出す。まるで鎧のように。
これは本物の鎧を参考にして作り出している。そうでないと関節部などが可動せずに動けなくなってしまうからだ。
エマは結果に満足するとシャワールームに入って汗を流した。
自分たちが狙われた時はイザベラだけでなく、レンたちに対しても足手まといだった。今ならばどうだろう。自身に降りかかる火の粉くらいは払えるだろうか。
ただ慢心は禁物だ。レンはよくわからないが彼の配下たちにすらエマは勝てない。敵が玖条家という小さな勢力を使っただけでエマたちはなす術もなく捕まってしまうだろう。
他の少女たちの言では玖条家は特殊なのでアレを基準にしてはいけないと言われている。だが同等、もしくはそれ以上の戦力を持つ集団はいくらでもいるとも教えて貰っている。
エマに、いや、せめてアレクソヴァー家には楯突いてはいけない。そう周囲に思わせるだけの武威が要る。そのためにはイヤな施術も受けなくてはならない。きつい訓練も同様だ。
まだ若い、子供だからと許される世界にいるわけではないのだから。
◇ ◇
「もう、一体何なのよ」
如月麻耶は憤っていた。理由は単純だ。如月家の占術師が脅威となる妖魔が現れると占いの結果が出たのに玖条家に声を掛けるのを渋ったのだ。〈蛇の目〉からの警告も来ていた。それだけでいつも通りの布陣で臨んではいけないのは明白だ。
如月家の上層部の一部は未だ玖条家を認めていない。そしてその声は決して小さくない。
しかし如月家だけでは対処し得ないかも知れない妖魔が現れるという現実があるのに、近隣では戦闘力という点においておそらく上から数えた方が早いであろう玖条家に声を掛けない理由がない。
少なくとも麻耶はそう考えていた。
なにせ鷺ノ宮家が認めた家なのだ。
認めない者たちは歴史がないだの覚醒してまだ3年も経っていないだの本人の戦闘力に疑問があるだの色々と言っているが、逆に言えば覚醒してすぐに如月家の捜索を躱し、2ヶ月で5人の少女の命を救いながら川崎事変を解決した。
夏には水無月家、如月家、藤森家の計略をぶち壊し、大水鬼討伐では勲一等と言えるだけの戦果を上げ、鷺ノ宮家を後ろ盾に玖条家を立ち上げた。
最近では藤森家との争いになり、藤森家に手酷い被害を与えたらしい。
そんなことを一体誰ができるだろう。
レンには何かしらの秘密がある。それは確実だ。
しかしその秘密に迫れた者は居ない。如月家は元より、他の情報屋や玖条家を気にしていた者たち誰もがその秘密を知り得ていないのだ。
そしてそのほとんどが既に玖条家に手を出すことをやめている。
「水琴ちゃんの強くなりかたも異常だわ」
玖条家に出入りしている女性たち、その中でも付き合いの長い水琴はレンと知り合ってから急激に伸びたと言う。それはもう異常と言えるほどに。
それは如月家の諜報部隊が獅子神家の妖魔退治をこっそりと偵察しに行った時の報告書にあった。
他にも同時に救われた4人やエマやエアリスと言ったレンに関わった少女たちの実力も異常に伸びているという。
(まぁいいわ。ようやく玖条家に共闘の提案ができるところまで持って行けたのだし)
呼んでみて玖条家の戦力を見せて貰えば良いじゃないか。目の当たりにしたほうが変に諜報部を失わさせるよりよほど益が高いと麻耶の説得に上層部たちも反論できなかったからだ。
更に実際に見られるならその方が良いと同意してくれた者たちもいる。
しかしそれを決めるだけのために3日も要するとは思ってもみなかった。
即決しない上層部たちへの怒りがまたこみ上げてきそうになった。
暑い日差しの中、麻耶はバイクで玖条ビルに乗り付けた。
すでに電話での連絡は済ませているが、今回はきちんと顔を合わせてお願いするべきだと思ったのだ。
玖条ビルの中に入ると入口にはすでに迎えが来ていた。物々しい気配を漂わせたアラブ系の男たちだ。
「如月麻耶、か?」
「えぇ、そうよ」
「1人か?」
「見ての通りよ」
麻耶は今日はTシャツに長ズボンという普通の格好だ。武器を持っていないという証に両手を上げ、くるりと回った。
「うちのボスはそこまであんたを警戒しちゃいない。どっちみち術士にとって武器は肉体そのものだからな」
「一応ね、礼儀のようなものよ」
褐色肌の男に案内され、応接室に通されるとレンと白宮葵、そして何人かのくノ一であろう女性たちが居た。
「久しぶりです。麻耶さん。あれ、そうでもないのかな。とりあえず龍退治ぶりですね」
「そうね、レンくん。時間を作って貰ってごめんなさい」
「いえいえ、気にしないでください」
どうぞと手で促された席に座ると即座に氷の入った麦茶が用意された。
ココで麻耶を毒殺することは流石にないと麻耶はこれまでのレンとの付き合いでわかっている。
ぐびりと飲むと冷たい麦茶が喉元を通り、体が水分を欲していたことに気付いた。
「それで、今回はお願いがあるとか」
「えぇ、そうよ。噂は聞いているかも知れないけれど近いうちに強力な妖魔が如月家の縄張り内に現れるとの占いが出たの。予兆もあるわ。如月家だけで対処しても良いけれど今回はちょっと規模が大きそうでね、近隣の退魔の家にも応援を要請しているの。玖条家も参加してくれないかしら?」
「いいですよ」
レンはさらっと答えた。
麻耶はあやうく「えっ?」と声を出してしまいそうなくらい即答だった。
「妖魔退治は退魔の家の稼業のようなものでしょう。うちは新興なので縄張りも持っていませんしあまり妖魔との戦闘経験はありません。それで良ければお手伝い致しましょう」
「……レンくんも来るのかしら?」
「それがお望みなのではないですか?」
見破られている。冷房の効いた部屋なのに冷や汗がでそうになる。
「構いませんよ、麻耶さんが気にすることではないでしょう」
「そうね、そうかもしれないわ」
「ですが僕が戦う姿を見られるかどうかは保証しませんよ。部下たちでなんとかなるようなら部下たちに始末を任せます。一応玖条家当主であり、玖条家と言っても僕1人しかいませんからね、僕が前に出ると嫌がる部下がいるんですよ」
「それはそうよね。今回だって如月家当主が出張ったりはしないわ」
「それが普通でしょう。まぁ僕は玖条家を大きくしようとか他家と争いたいとかはあまり考えてないんですよね。周囲の人々にはそう思って貰えないようで困ってしまいます」
「あはは、そうね。それは伝わっていないでしょうね」
レンの言葉は本音だと思った。
しかしアラブ系傭兵を増員し、忍者の部隊を持ち、近隣の退魔の家にその戦力を貸し出している。
レンがいくら野心がないと言おうと周りからはそう見られないだろう。
片平家の例もある。藤森家の例もある。最近で言えば玖条家を探っていた家や組織に強烈な警告を与えている。如月家には来なかったが情報を集めていれば簡単に何が起きたのか麻耶の耳にも入ってきた。
争うと決めたらレンは徹底的にやるだろう。レンは今麻耶の前で朗らかに笑っているが冷酷な面も持っていることをこれまでの行動で示している。
麻耶は如月家の上層部が暴走し、玖条家に敵対しないことを祈った。
◇ ◇
ここからが新章になります。章の大見出しを付けてみました。わかりやすくなりましたでしょうか?
これからもどんどんレンは活躍します。ご期待ください。そしてこの章では伝説のあの人がry
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