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「そこまでです。戦いをお止めくださいっ」
鈴香の声が神域に響く。その言葉が聞こえた瞬間、源家側が退いた。
最も激しい戦いを繰り広げていた紅麗と弁慶も剣を打ち合った後に間合いを取る。
急所だけは外した四郎も悔しそうな表情で氷の槍を長巻きで砕いて距離を取った。
レンも結界を張り、焼死体になるのを免れている。と、言っても幾箇所も重度の火傷を負っているが。溜めていた魔力を抑える。戦いはここで終了らしい。
「どういうことかな」
戦いは佳境に入っていた。あと5分も戦いが続けば趨勢は傾き、どちらかに大きな被害が出ていた可能性が高い。
「何が視えた。鈴華」
義経が鈴華と呼ばれた神子に問う。
「そちらの玖条漣様が大魔と戦う姿が視えました。それにご当主様たちも今後大きな戦いに立つことになります。この場で争っている場合ではありません」
「そうか、ならばやむなし……だな」
義経が刀を納め、他の者たちも不満を示しつつも武器を納める。
それを見てレンも右手を上げ、李偉たちを引き上げさせる。
『ちぇっ、楽しかったのに』
「ガハハッ、拙僧もこれほどの戦いになるとは思わなんだ。決着をつけられぬことは残念ではあるが義経様の決定には逆らえん」
紅麗は不満そうにしているが弁慶は愉快そうに笑う。
紅麗のチャイナドレスも弁慶の僧服もボロボロになっている。2人の戦っていた場所にはいくつもクレーターができていた。
紅麗の肌を見せたくないのか吾郎が紅麗にローブを着せている。
弁慶も吾郎が本気で義経を倒そうとしていなかったので純粋に紅麗との力比べを楽しんでいたのだろう。
李偉も吾郎も由美もそれぞれレンの指示通り相手の戦力を抑えてくれていた。
今回は殺し合いではない。無駄に双方犠牲を出すこともないだろうと指示していたがちゃんと聞いてくれていたようだ。
どちらの陣営も当然無傷ではなく、特にレンと四郎は重傷を負っていたがこのくらいならばよくあることだ。
「そちらの神子は僕らを見定めるために連れて来られたのですね」
「そうよ、と言っても念の為と言ったところであったがな。まさか弁慶殿と張り合える剛の者が居るとは思わなかったし、蛇神を2柱も従えているのも予想外だったがな。レン殿、我らは退くことにしよう。お互いにこの日ノ本を守る未来があるようだ。凛音、お前ならわかっていただろう。なぜ言わぬ」
「裏切り者のわたくしの言葉など誰が信じましょう。鈴華を連れてきてくれて助かりました。レン様に万が一があればとハラハラしておりましたのよ」
「そうは言うがお主の目はレン殿を信じ切っておったではないか。この場での戦いも争いではあっても殺し合いではなかった。まさか我らが手加減をされるとはな」
義経は凛音から目を離し、レンを改めて見つめる。それはレンの器を測るようであった。
「そんなつもりはありませんよ」
レンはその目をしっかりと見返して言った。
「鬼一法眼様、我らは争うことを止め、山に帰ろうと思います。此度の会合は益のあるものでした。ありがとうございます。また、この場であったことは他言致しませぬ」
「うむ、良い余興であった。源家の者たちもしっかりと鍛えているようだ。これからも源家は続くであろう。確かに弁慶の言う通りたまには顔を出すのも良いかもしれん」
「いつでもお待ちしております」
「してレンよ、此度のこと、他言せぬよう術を掛けることもできるがどうするか」
鬼一法眼がレンに向かって問いかける。
「源家の方が鬼一法眼殿に誓ったのであればそれは破られないでしょう。こちらも此度のこと、他言は致しませぬしよほどのことがなければ源家と敵対しないことも約束致しましょう」
レンたちに取って今回の争いを他言する理由はない。むしろ〈蛇の目〉に漏れれば多数の東北の退魔の家と敵対することになる。
源家と秘密裏に手打ちとできるのならばそれで十分だ。
「いや、念の為呪は掛けておいてもらおう。まかり間違って口を滑らせてしまっては事が大きくなる」
「そうか、ならば掛けることとしよう。くくくっ、これほどの戦いは役行者様などにも見て頂きたかったほどだ。我らのみで楽しむのは惜しいものよ」
そう鬼一法眼が言うと周囲を囲んでいた天狗たちの気配が消える。
鬼一法眼が手を振ると源家の面々に白い霧のようなものが体を包む。それが呪なのだろう。玖条家が〈蛇の目〉を襲った事実が漏れることはこれでなくなったと思って間違いはない。
「カッカッカ、玖条漣よ、また会おうではないか」
鬼一法眼の笑い声が神域に響き、同時に鬼一法眼の姿もどこにも見えなくなった。
「玖条殿、今回の一連の戦、我らの負けとしておこう。だが次は負けぬ。〈蛇の目〉などとつるまずとも源家の武威を次こそ見せようぞ」
「こちらとしては次がないことを願いますね。それに十分武威は見せて頂きました。僕など危なく首が落ちるところでしたよ」
義経は背中を見せ、堂々と源家の郎党を連れて神域から出ていった。
レンたちもそれから数分待って神域から出る。
神域から出ると案内に来ていた小天狗がスッと現れ、木々に命じて帰り道を開けてくれる。
5分も歩かぬうちにレンたちが移動に使った車列が見える。
「もう帰ってきたのですか。お早いですね。の割には酷い怪我ですが」
そう問われ時計を確認すると10分も経っていない。
神域では1時間以上は経ったと思っていたのに現実と神域では時間の流れが違ったようだ。
レンは自身に癒やしを掛けたが傷ついた防具や衣服はそのままであるし四郎と自身の血に塗れている。
〈洗浄〉の魔法で身を清めたがまだ戦いの熱は胸の内で残っている。
(源四郎か、強かったな。あっちも切り札を残していたみたいだし、義経殿や次郎なんかとも剣を交えて見たかったな。つい熱くなっちゃうのは僕の悪い癖だけど、やっぱりコレも治らないな)
車に乗り込み、レンはほんのちょっとだけ反省した。カルラとクローシュ、両方を見せるのではなく、片方を隠しておいて手札として隠して置く方が安全度は高かった。
源家の戦士たちは総じてレベルが高かった。四郎でなくとも誰が相手でもレンは苦戦し、単騎で勝つことは難しかっただろう。
ただ最近レンは思っていたのだ。
安全に確実に、とばかりしていたので自身の勝負勘が鈍っていると。
同格か格上以上の相手とひりつく勝負をすることは100回の模擬戦よりも価値がある。
故にレンは敢えてカルラとクローシュを凛音の護衛に回し、源家の郎党の誰かとの1対1になるように画策したのだ。
そして四郎の実力はレンの希望通り高いものだった。レンの魔法を長巻きで斬り裂き、剣術でも上を行っていた。修験道の術式も高位のものを連発していた。未知の術式なら対応しきれなかっただろう。
(義経殿はやっぱり格が1つも2つも上だったな。弁慶を従えているからか聖気の桁が違った。手の内も半分も晒していないだろう)
レンと四郎、それに吾郎と義経などは聖気を使った術を今回の戦いで見せなかった。
四郎もあれだけ聖気を持っているのだ。魔力だけでなく聖気を使った術、日本では神通力などと呼ばれる力を使えないということはないだろう。
あの戦いは激闘ではあったが、まだお互いに底を見せた死闘とまでは行っていなかった。
もう少し追い詰めれば四郎の神通力なども見られたかもしれないが、その前に待ったが掛かってしまった。あちらも神子を連れてきていたのはレンたちを見極めるためというのもあったのだろう。
鈴華と呼ばれた神子が何を視たのかは気になるが、こちらの世界で玖条漣として目覚めてからたったの数年ですでにクローシュ、大水鬼、鞍馬山大僧正坊などと鉾を交えているし先日は龍が襲来するという事件もあった。
他の地域でも通常現れないような大妖や神霊の事件が増えていると報告もある。
日本の退魔の家として玖条家が組み込まれてしまっている以上、今後も何かしらの事件には巻き込まれることだろうし、それらしきことは凛音からも警告を受けている。
「すまないな、李偉。今回は抑えに回ってもらってしまった」
「構わないさ。うちのお姫様が満足できるだけ暴れられたんだ。まだまだ気功の使い方は粗いが実戦で試せたというのは大きい。本気でぶつかれる相手を探すのも大変だからな。吾郎は不満だろうが紅麗は戦士なんだということを本人も吾郎もしっかりと自覚しただろうし良かったと思うぜ」
紅麗はまだまだ自身の新しい力を使いこなせていないが、それでも制御力もあがり、発剄の精度も上がっていると聞いていた。
ただレンと同じで実戦の機会がなかった。今回の武蔵坊弁慶という相手はうってつけだったのだ。
なにせ紅麗が全力でぶつかっても壊れない相手は希少であるし、その姿を他家に見られるのはレンの本意ではない。
四郎が向かってきたのもあるが、レンがカルラやクローシュと共に弁慶や義経と鉾を交えたかったのをおさえ、紅麗と吾郎に任せたのは彼女に実戦を積ませたかったからだ。
鬼一法眼の神域でのことならば、他家に見られるようなことはない。
李偉は本人の希望で表に出ているが、吾郎と紅麗の力はまだ外に知らしめるつもりはないし、本人たちも外に出るのを急ぐつもりはなさそうだ。
『武蔵坊弁慶、だったかしら。強かったわ。そして鞍馬山の天狗と戦った時よりも遥かに力がこの身体に馴染んだのも確かめられたし、私は満足よ。ごめんなさいね、一番良いところをもらってしまって』
『構わないさ。紅麗には普段窮屈な思いをさせてしまっているからね』
『あら、〈箱庭〉での修行の生活も私は気に入っているわよ』
『それは良かった。今後また力を借りることもあるだろうからしっかりと修行を積んでくれ』
『任せてっ』
紅麗は明るく、そしてはっきりとそう答えた。
◇ ◇
「おかえりなさいませ、レン様」
「レンっち、また危ないことしてきたんでしょ。だめだよ、レンっちが死んだら泣く子がいっぱいいるんだからね?」
美咲は帰ってきたレンたちを玖条ビルで迎えて苦言を呈した。
しかし表情は無事に帰ってきたレンたちを見て綻んでしまっているのが自身でもわかる。
隣の葵もホッとしているようだ。
レンは計略でなんとかする手段を持っていたり自身を守る神霊を従えている癖にそれらに頼ろうとせずに常に自身を高めることを絶やさない。
しかしそれはレンの身に何があるかわからないということだ。
美咲も葵もこの世界に居れば十分な資産や頼りになる部下たちがいるのだから安全な場所でぬくぬくとしていれば良いなどという安易な考えは持っていない。
しかしレンはスリルを楽しむと言うか、ギリギリのところを攻めたがるということが最近わかってきた。
番になる相手に先立たれてしまっては美咲も堪らない。
そして何より、美咲は自分の潜在能力に対してまだまだそのレンの隣に立てる実力を持っていないことに危機感を抱いていた。
「美咲まで待っていたのか。ごめんね、心配させて。でもこの通り無事に帰ってきたよ。ただいま」
「もうっ」
そう言われてしまうと惚れた弱みで許してしまいそうになる。
後ろでは瑠華と瑠奈がニヤついているのがわかる。
(葵は1段上の段階に登っているみたいだし、うちも早く力をつけないと)
同じ神霊の血を引くものだからこそわかる。葵は何かしらの儀式か神霊に認められ、霊格が去年の夏休みから上がっている。
美咲も、楓も水琴も葵の力が急激に増加したことには気づいていて焦っている。
彼女たちだけでなく、エマやエアリスもレンの指導を受けて強くなっている。
しかしそれだけでは足りないのだ。
レンが見据えている先は彼女たちがもともと見ていた場所より遥かに高い。
レンについていく為には美咲は1段も2段もレベルをあげなければ行けないと思っていった。
「レン様、霊力が乱れています。今日はゆっくりとお休みください」
「わかったよ、葵。確かに疲れた。残念ながら今夜の話は君たちには話せないけど、得るものはあったよ」
そう言ってレンは浴室で汗を流してくると行ってしまった。
レンを送迎した黒縄の男に目をやると何も知らないと首を振られてしまった。
「美咲様、レン様のご無事も確認できたことですし一旦お暇致しましょう」
「仕方ないわね。今日は帰るわ。葵、またね」
「また」
葵はそっけなく美咲に答えるがそれはいつものことだ。
美咲は瑠華たちに連れられて自身たちの家に帰るのだった。
◇ ◇
「凛音、世話を掛けたな」
「いえ、そんな。次郎兄様と四郎兄様、そして義経伯父様との別れも済ませることができました。わたくしは源家では大罪人ではありますが情がないわけではないのですよ。友人も居ましたしね。ただ旦那様との縁をわたくしの意思で選んだのです」
「その旦那様という呼ばれ方は未だ慣れないな」
「うふふっ、かわいい人。でも今回のように危険なことは控えてほしゅうございます」
「そう言うな。僕はまだ弱い。あれだけの強者と戦える機会などそうそうないんだ。その機会を逃すことなどできないよ」
「まぁっ、殿方は心配する女性たちの心ももう少し慮るべきですわ。四郎兄様との戦いはハラハラとしながら見ていたのですよ」
レンは身なりを整えると凛音の元に訪ねてくれていた。
それだけでも胸の奥が温かくなる。
凛音は今回のことで源家とは縁が切れた。父や兄、姉や妹や弟たち、仲の良かった神子や神子候補たちとももう会うことができない。
それでもレンの元に来たかったのだ。そしてその決断は正しかったと今も思っている。
「そう言われないでくれ。戦国の世ではないんだ。あれほどの武者と戦える機会などそうそう起こり得ない。更に他家からの諜報も神域であれば入らない。自身が今どれほど戦えるのか、足らないものはなにか、今後のためにもあの戦いは必要だったんだ。あちらの神子も大魔と戦う未来が視えたと言っていただろう」
「大魔。わたくしには未だどれほどの脅威と旦那様が相対するのかは視えていません。しかし旦那様はこれからも大きな戦いに巻き込まれるでしょう」
「困ったことだ。僕だけではなく周囲の者たちも犠牲になるかもしれない。それでもワクワクしている自分がいる。こればかりは治らないな」
「ふふふっ、旦那様はそのような星の元に生まれたのでしょう。仕方ありませんわ。わたくしはわたくしのできる限り旦那様を支えることを誓いましょう」
「そこまで深く考えることはないよ。まずは解放された自由を満喫するといい。そのうち外の世界もいつでもとは言わないが連れて行ってあげるから」
レンは優しくそう言ってくれるが〈千里眼〉でレンの行いを視ていた凛音はレンがどれほど危険な場に幾度も飛び込み、そして生還してきたのを知っている。
神霊と呼ばれ、崇め奉られる存在を使役し、交流も深めている。
今回も鬼一法眼に明らかに目をつけられ、気に入られただろうことは間違いがない。
「ふぅ、殿方というのは仕方がないものですね」
源家の者たちも血の気が多い者が多かった。
大妖が現れたと聞けば外に出て力を振るいたがる者は多かったものだ。
レンは隠れていれば良かったのに獅子神神社のいざこざに介入し、川崎では5人の女人を救いながらも黒蛇の神霊を従えてしまった。
その後もどんどんと力をつけながら厄介事に首を突っ込んでは生還している。
これが凛音が惚れた、玖条漣という男なのだ。
それならば凛音は自身の得ている力のすべてを使って支えることしかできない。
他のレンと結ばれる者であろう女性たちはレンの隣に立って戦うことも叶うだろうが、凛音はそうはいかない。
(〈箱庭〉では予知が効かないのが困ったことですわね)
凛音は細かい説明はわからなかったが匿われている〈箱庭〉では自身の最も有力な能力である予知ができないことには少しだけ不満に思っている。
「惚れた弱みですわ。ぜひともわたくしに、わたくしたちにも旦那様の手伝いをさせてくださいませ」
「こんな僕でいいのかい。危険に飛び込み、謀略を巡らせ、必要とあらば自分の命すら賭けにする。こればかりは譲れないよ」
「そんなことはとっくにわかっておりますわ。旦那様は旦那様の思う通りに動いてくださいませ」
「僕の悪いところを掣肘しようとする者は多いけれど凛音は違うんだな。まぁ治す気ももうあまりないんだけれどね」
レンはそう言ってふっと横を向いた。
その凛々しさに凛音はほうと息が漏れてしまう。
戦っていなくても、レンは戦士の顔をしていた。そしてその根底は凛音や他の者たちがいくら言ったところで変わらないだろう。
ならば凛音はレンの持つ危険な部分も包み込もうと考えた。
つい身体が勝手に動き、レンを抱きしめてしまう。
レンはそれを拒まず、腰に手をやってくれた。レンは身体は小さいが鍛えていて身体は強い。
箱入り娘として男性との接触は禁忌とされてきた神子としてははしたないという気持ちと自身が認めたレンと触れ合っているという幸せに酔いそうになる。
今はそれだけでも十分だ。
凛音はレンにしなだれかかりながらも、予言の神子として、そして一人のレンに恋慕する女子としてレンを支えることを心に決めたのだった。
◇ ◇
これでこの章は終わりです。源義経、武蔵坊弁慶。憧れますね。格好良く書けたでしょうか? 楽しんで頂ければ嬉しいです。感想、レビュー、☆評価お待ちしております。よろしくお願いします((。・ω・)。_ _))ペコリ
次回は人物紹介と閑話を投稿します。そして次の章に移ります。
そろそろなろう版に追いつきそうになってきました。一日二話更新でも良かったかな?と思っていますがもう今さらなので三話更新を続けます。
次も強敵がレンに立ちふさがります。そしてあのヒロインとの距離が縮まる機会が? これからも楽しみにしていてください。
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