116.武蔵坊弁慶
(圧倒的だな)
レンは空間を切り裂いた弁慶の大薙刀の一閃に退くことをぐっとこらえた。
レンの知るこちらの世界の神霊と呼ばれる格の物は、少し離れて静かに控えている大天狗の鬼一法眼、大水鬼やクローシュ、豊川の藤、鞍馬山大僧正坊、そして役行者くらいだ。
大水鬼やクローシュは戦ったのでその力を知っている。鞍馬山大僧正坊も弱ってはいたとは言え一撃を食らわした。
しかし実際に本気の彼らとレンは鉾を交えたとは言えない。
大水鬼は多くの術士たちが弱らせていたし、クローシュは元々召喚が不完全で、今現在のクローシュとは遥かにその力は違う。
鬼一法眼や藤、役行者などはその底すら見ることができない。
そして目の前にいる、レンが見たいと請うと共に現れた武蔵坊弁慶は明らかに格の高い神霊であることが現れただけでわかる。
僧服だが頭は白い頭巾で覆われている。しかしその下に2本の角が生えているのが頭巾の上から見える。
身長は2m近い。当時の平均身長はかなり低かったはずだから相当な巨漢だったのか……、それとも鬼神となって巨体となったかはわからないが、レンが「武蔵坊弁慶」と言われてイメージする武僧をそう外した物ではなかった。
そして存在するだけで感じられる圧倒的な武威。
術士も妖魔も神霊も、どれも得意不得意というものはある。
明らかに弁慶から感じられる武威は戦闘に極振りした鬼神そのものだった。
(このレベルはまだまだ僕1人では相手できないな)
様々な武具、霊薬、魔導具、精霊憑依などレンは見せていない手札をいくつも持っている。
カルラはともかくクローシュをこのレベルの分体で顕現させるのは初めてだ。
彼らの力を借りなければ目の前の鬼神と戦うなど今のレンでは一考にすら値しない。それほどの差があるのがその存在感だけでわかってしまう。
戦いたいという気持ちをぐっとレンは堪えた。
「流石は音に聞く武僧、武蔵坊弁慶だ。その武威だけで足が竦む思いだよ」
「かはっ、拙僧が居る限り義経様の身に傷1つ負わせぬ。戦いたいというのであればいつでも来るが良い」
そう言いながらも弁慶はカルラとクローシュの動きに警戒を緩めない。
弁慶もカルラとクローシュの力に警戒心を抱いているのだ。
「お手合わせ願いたいところだけれど、今の僕では仲間たちの力を借りないと手も足も出ないね。それに僕は戦いに来たのではないし、初代義経殿と共に戦い、平家を蹴散らし、今もなお源家を守っている弁慶殿のことは尊敬しているんだ。もちろん戦うとなれば身を守るために戦いを避けることは無理だろうけれど、そうならないことを願いたいね」
レンがそういうと弁慶はニヤリと笑って大薙刀を地面にドンと突いた。
荒ぶる覇気が収まり、話をする気になってくれたらしい。
「カカッ、面白いわっぱよ。2柱の蛇神を従え、仙道をも連れ従えている。そこなおなごたちはよくわからぬ存在だが、拙僧でさえ戦いになれば気を抜くことができぬじゃろう。この場で争えば拙僧を含めても五分あるかどうか。それで義経様よ、彼らとは争うのか」
「弁慶殿。抑えて頂きたい。それを話し合うために我らはココに来たのだ。鬼一法眼様が我らが見つけすらできなかった相手との会合を整えてくれたことは教えただろう」
義経が弁慶に苦言を呈するが弁慶はそれを笑い飛ばして鬼一法眼の方も向いた。だがこちらへの警戒はカケラも消えていない。
「ガハハっ、鬼一法眼様、久しいの。もっと顔を出してくれても良いのではないか。それに最近は戦いがなくて詰まらん」
「我にそれを言われてもな、前大きな戦いがあったのは200年ほど前だったか。だが弁慶殿が出ないということは平和ということだ。源家も本家は弁慶殿の働きで潰え、今も義経殿の血が紡がれているのはその平和でなりたっている。弁慶殿が出るほどのことなどない方が良いのだ」
弁慶は源平合戦で暴れ回った武僧だ。義経に仕え、その人生のほとんどは戦いに費やしたことだろう。それこそ死ぬまで戦い、死んだ後も大怨霊となって頼朝と北条家に祟ったのだ。その後は源家を、義経を守る立場になったようだが明らかに荒事の切り札といえるだろう。
〈蛇の目〉の神子が他の組織や家に狙われない訳がない。その時には確実に源家を守るために暴れ回ったはずだ。
実際カルラやクローシュ、紅麗などに対して挑発するように威圧を飛ばしてきている。
純粋に戦闘が好きなのだろう。
レンを見てニヤリと笑い、五分あるかどうかと言いながらもヤるなら早くヤろうと挑発の視線が飛んでくる。
(このまま手打ちできれば御の字なんだけどな。弁慶を見たいと言ったのは確かだけどこんなにすぐに出てくれるとは思ってなかった。嬉しいなぁ)
「待てっ。父上っ、我らは彼らに甚大な被害を受けたのですよ。凛音、お前のせいでどれだけの人間が死んだと思っている。それに坂東武者としてこのまま何もなく解散などあり得ぬっ」
「四郎様、それは申し訳ないとは思いますが神子であるわたくしたちは一生あの穴蔵に閉じ込められ、未来を視ることを強いられるのです。貴方様たちのように外の世界にも出られず、戦国の時代ならともかく今の平和な時代ですらそのような扱いを受け続けているのです。わたくしたちが外に出たいと思うことの何が悪いのでしょう」
四郎と呼ばれた青年が激昂し、凛音がはっきりと否定する。
源家は隠されているとは言え全く外に出られないわけではない。つい最近も龍との戦いに四郎の姿が見えた。
しかし神子たちは違う。幼い頃から修行を課され、血を紡ぐ為に結婚相手も選ぶことはできない。
そんな扱いが何百年と続いているのだ。
例えその身が狙われることがあろうとも、凛音は外に出ることを望み、それをレンに託し、レンはその手を取った。
ここで彼女たちを彼らに引き渡すという選択肢はない。
四郎が「坂東武者」と発言した瞬間緊張感が一瞬で高まる。彼らに取ってそれは誇りであり、存在意義そのものなのだ。
(やれやれ、やっぱりこうなるか)
義経は比較的温厚に話を聞いていたが他の4人はレンたちを見た瞬間から戦気が漏れていた。
源家の本部を襲い、多数の被害を出したレンたちを許す気など最初からなかったのだ。
レンはフルーレの柄に手を掛け、李偉たちも武器や符を手にしている。
──戦いが始まる。
◇ ◇
源次郎は一言も発さずに静かに父、義経と相手側の大将、レンとの会話を聞いていた。
襲撃が予知され、警戒レベルを高めていたところで先に手を出したのは陸奥家の警備隊だ。
引き入れたのは凛音であり、たった5人に蹂躙され、凛音たちを攫われたのも戦に敗れただけとも取れる。
(それにしてもあの少年は何者だ? アレほどの者ならどこからか情報が入って居てもおかしくないはずだが)
まだ年若い少年。
レンから感じられる霊力、神気は次郎どころかこの場にいるどの者よりも劣っている。しかし2柱の見たことのない蛇神を従え、弁慶の武威にも怯まない。
そんな存在が居れば確実に次郎たちの耳にも届いてくるはずだ。
更に伊達家が捜索しても見つからなかった大陸の術師たち。
次郎は中央寺院に籠もって居たために戦いそのものは見ることがなかったが多くの被害が出た上に、明らかにただの方士や道士ではない。
目の当たりにしたことで、仙道クラスであることがはっきりとわかる。
(まずいな)
義経が連れてきた4人は精鋭ではあるが、同じ人数で戦うには分が悪いと次郎は見た。実際本拠での戦いでは多くの死者が出ているのだ。
奥の手の弁慶も2柱の蛇神に抑えられてしまえば当主である義経の命すら危うい。
ちらりと連れてきた神子、鈴華に目線を送るが鈴華は首を横に振る。
鈴華は神子の中でも相手を視界の中に収めて予知を得る内向きの神子だ。
凛音のように広域の未来を視るタイプではない。
相手を視界に入れ、鈴華が何かしらの未来を視ることができればと義経は彼女をこの場に連れて来たのだ。
「待てっ。父上っ、我らは彼らに甚大な被害を受けたのですよ。凛音、お前のせいでどれだけの人間が死んだと思っている。それに坂東武者としてこのまま何もなく解散などあり得ぬっ」
四郎が吼える。
瞬間、空気がひりつき、お互いが戦闘態勢に入る。坂東武者の誇りを持ち出されては次郎含め源家の者は引き下がるわけにいかない。
次郎は鈴華を守るように位置を取り、刀の柄に手を置き、いつでも抜刀できるように前かがみになった。
「やるのね、なら私はアレとヤるわ」
後ろに控えていたチャイナドレスの美女から瘴気が吹き出し、神速で飛び出した。弁慶の大薙刀と青く光る剣が打ち合わされる。
ギィン、と青い光が瞬き、同時に義経にはいくつもの符呪が浴びせられた。
警戒していた義経も同様に符呪を使い、それらを撃ち落とす。
「先に頭を取ればこちらの勝ちだ」
いつの間にか凛音を守るように2柱の蛇神が移動している。
(主人を守らないのか?)
それを見た四郎はレンに一直線に向かい、長巻きを大上段から振るう。レンは白銀の美しい剣でそれを受け止めたが、3mほど後退させられた。
次郎も他人の心配をしている場合ではない。相手は凛音の護衛がいないのだ。
2人目の女が式神を飛ばしてくる。
鈴華を守りながら烏の式神を次郎は切り落とした。
(陰陽師か)
鈴華を守る次郎の相手は由美のようだった。
◇ ◇
「先に頭を取れば勝ちだ」
紅麗が一番槍で武蔵坊弁慶に向かい、吾郎は義経を抑えに向かった。
李偉は佐藤と伊勢と呼ばれた男たちを引き付けている。
カルラとクローシュは凛音の護衛に回した。四郎がレンに向かってその長巻きを振るう。その剣を受けてみたいと思ったのだ。
ただ勝つだけならカルラとクローシュ、それにハクたちを放てば良い。
だがその選択肢はない。せっかく魔力炉まで励起し、強化薬まで飲んでこの場にいるのだ。戦わなくては勿体ない。
「ぐう」
長巻きの一撃は重く、手が痺れ、後退させられてしまう。
「まだまだぁっ」
レンは竜鱗盾とフルーレで続けざまに放たれる剣戟をなんとか受けながらも口元が緩むのが抑えられなかった。
(挑戦者になる気分は久しぶりだ)
膂力もスピードも技量も、そして魔力も現在のレンでは四郎に到底敵わない。
更に四郎はレンよりも体が大きく、手も足も長い。更に使う得物が長巻きだ。
単純に間合いが違う。
それだけの相手と戦えることにレンは喜びを覚えていた。
そのために、バカだとわかっていてもカルラとクローシュを下げさせたのだ。
「くっ、硬ぇな。しかもその剣は厄介だ」
四郎の持つ長巻きの刃には氷塊がいくつもついていた。
フルーレと打ち合った部分だ。刃の意味をなくすだけでなく、剣の重心が狂えば剣筋も鈍る。
四郎は顔を顰めながら炎の付呪でそれらを落とした。
間合いが空いた瞬間に〈闇の茨〉を投げる。獅子神神社で使った時よりも遥かに魔力が込められたソレも、四郎は後退しつつ斬り払った。
「水神がいないのならばすぐ
四郎の影から両手に刀を持った夜叉が現れる。夜叉から剣呑な瘴気が溢れ出る。
「来い、源頼通」
流石に四郎と同時に夜叉の相手まではしていられない。
レンは頼通を呼び出し、即座に夜叉に向かわせ、氷の刃を四郎に解き放った。
幾度もお互いの剣閃がレンと四郎の間で交わされる。
刃が飛び、符が炎を放ちレンの腕を焼いたと同時に、フルーレから放たれた氷の槍が四郎の脇腹を貫く。
(まだだ、まだやれる)
形勢はレンの分が悪い。
夜叉は頼通が足止めしてくれているが、四郎は剣術だけでなく様々な術を放ってレンの命を狙ってくる。
レンがやられていないのは四郎が使う術が修験道の系統であるからだ。
多少の差異はあれどレンは修験道の奥義書を熟読し、その破り方を心得ている。
そして四郎はレンの使う魔法は初見で、対応に一瞬の隙ができる。
そのおかげで、ギリギリのラインであったがレンは四郎との戦いを続けられていた。
それと経験値の差もあるだろう。レンは様々な剣士の剣を知っている。四郎がどのような斬撃を放とうとしているか、〈龍眼〉も駆使しながら先読みし、致命的な一撃は確実に避けている。
逆にレンは初見殺しと呼ばれる技を混ぜ、四郎はなんとかそれを凌ぎながらもその度に間合いをあけ、連撃によってレンを封殺することができずにいる。レンと四郎の天秤はギリギリのところで釣り合っていた。
(あっちはすごいことになっているな)
由美と次郎、李偉と佐藤と伊勢、そしてレンと四郎は中央で行われている戦いの場からバラバラに離れていた。
理由は単純で、紅麗と弁慶の戦いが激しすぎるからだ。
1000年近く義経に仕えた守護鬼神の弁慶と、仙道で術の才気に溢れた吾郎が作り上げた最強の僵尸鬼である紅麗はその一撃の余波ですら凄まじい。
吾郎は紅麗の戦いを邪魔させないために中距離で義経を牽制している。義経は防御にまわっているが非常に堅固で吾郎の仙術をうまくいなしている。
由美は相手方の神子を狙うことで次郎を釘付けにしていた。
「あぶっ」
「目を離している隙があるのかっ、なぜ蛇神を使わねぇっ! 舐めてんのか」
長巻きが肩を掠める。少し間違えば首が落ちていた。
レンとしては舐めているつもりはない。四郎の実力は龍撃退戦で観察していたし、実際に剣戟を交わして見れば思っている以上に剣だけでなく術式に精通し、夜叉族を従えていたりと予想を上回る物だった。
人目がなく、どれだけ魔法を繰り出そうともこの場であったことは外に漏れることはない。
「そんなつもりはないさ。むしろ四郎殿の実力に慄くばかりだ。だが相手に取って不足はないどころか予想以上で嬉しいよ」
「お前、戦闘狂か」
「舐めているわけではない証拠を見せよう」
「くっ、霊力の高まりが半端じゃないな。それがお前の本気か」
「〈
「〈円花爆炎陣〉」
舐めてなどいない証拠にちまちまとした魔法ではなく、大技で返答することにした。
フルーレを地面に突き立て、レンが練っていた魔法が炸裂するとレンを中心に大小1000を超える氷の槍が地面からレンの前面に扇状に突き出し、四郎の防具と障壁を突破して肩や足を貫いた。
同時に四郎が放った炎術はレンの逃げ場がない範囲を燃やし、レンの体が炎に包まれる。レンは体が焼けるのを我慢しながら、霊力を高めて次の魔法の準備をしていた。
◇ ◇
「ちっ、俺が一番損じゃねぇか」
楊李偉は紅麗と吾郎が相手の大将首に向かってしまったので割を食っていると愚痴を吐く。
由美に神子を狙わせ、伊勢と佐藤と名乗る武士を相手にすることになってしまったからだ。
レンは考えがあるのかないのか蛇神たちを下がらせて四郎との戦いを初めてしまった。
紅麗やレンの戦いを邪魔させないためには李偉は2人を受け持たなければならなくなったのだ。
そして伊勢と佐藤の2人も簡単な相手ではなかった。
2人は連携も取れており、更に羅刹を召喚して李偉に迫る。
幸いなのが伊勢も佐藤も術士寄りではなく武人だったことだ。
剣と槍と体術。この分野で李偉の相手をするには練度か数が足らない。
術はそこそこの仙道止まりな李偉だが武仙として名を馳せた李偉だ。
方天画戟を巧みに使い、時に方術を混ぜ込み、伊勢と佐藤の両者を封じ込める。
レンからは戦いになった場合は余裕があれば殺すなと言われている。
源家や〈蛇の目〉との関係をコレ以上悪化させないための指示だ。
そして李偉にはまだ余裕があった。ならばその指示を完遂しなければならない。
(まったく、部下使いの荒い主だな)
そう思いながらも今回の戦いでレンたちが得るものはほとんどないことは説明されずとも李偉はわかっている。
しかし相手側は違う。
蛇神と李偉たちの戦力を見て争う無駄を悟ってくれれば良いがそうならないだろうとレンの言う通りになった。
紅麗は武蔵坊弁慶の存在を知って戦いたがり、そうなれば義経を吾郎が抑えることになった。
残りの布陣については決まって居なかったが現状の盤面はレンが予測したものとほぼ変わらない。
相手方も神子を連れて来たのは予想外ではあったが、問題はない。その場合は蛇神の1柱が動いただろう。
問題はレンが蛇神を使わずに格上の相手と一騎打ちしていることくらいだ。
まさか2柱とも神子の護衛に下がらせてしまうとは思わなかった。
どちらかは残すと思っていたのだ。
しかし戦いの趨勢は多少分が悪いもののレンはうまく四郎の攻撃を凌いでいる。
レンは李偉や吾郎が驚くほど相手の動きの先を読み、誘導することがうまい。多少の実力差などまるで何百年も戦いにあけくれた李偉のようにその洞察力と多彩な技でなんとかしてしまう。
「ぐぬっ、抜けぬ」
「くっ、大陸の仙道め。なぜあのような小僧に従う」
伊勢と佐藤は義経に加勢しようと焦っていた。そしてその焦りを利用して李偉は2人の足止めを行う。
羅刹の剣戟を弾き、方術で間合いを調整する。
(腕の1本や2本はいいか)
李偉がそう考え、強めの術を練り始め、レンの〈
「そこまでです。戦いをお止めくださいっ」
相手方の神子、鈴華が必死に声を上げた。
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