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「おかえりなさい、レン様。ご無事で何よりです」
「龍見物に行ってきただけだよ。でもありがとう、葵」
レンは学校には体調不良だとして休みの連絡を入れていた。
麻耶も龍と術士の戦いの記録を取るのに忙しかったようだ。
残念ながら、なのか良いことなのか妖魔も術士の術も一部の術を除けばカメラなどには映らない。
そして一般人の野次馬たちに戦いを見られぬよう、術士たちは特殊な結界も張っていた。
報道関係者は政府から何かしらお達しがあるのだろう。少なくともヘリを飛ばしたり沿岸部から録画器材を持って居るような者は存在しないように見えた。
映像記録水晶のような魔道具はこちらの世界にはないのだろうか。それともレンが知らないだけだろうか。少なくともアーキルや李偉は知らないと言っていた。
映像記録水晶なら龍の姿も映せるのだ。レンは龍と術士たちとの戦いを映像記録水晶に保存していた。
「本当は葵たちにも龍、見せたかったんだけどちょっと危険が大きかったからね。実際余波だけでも凄かったよ」
「術士側は勝ったのですか?」
「痛み分け、ってとこじゃない? 追い返したけれど多くの死傷者を出した。封印も討滅もできていない。再襲撃にも備えなければならない。状況としてはそんな感じだね」
葵はレンが無事に帰ってきたことをただただ喜び、珍しく寄り添ってくる。
レンもそれを心地よいと思い、葵を促しソファに座る。
葵はレンの腕に自身の両腕を絡ませ、体重を掛けてくる。
「あ~っ。無事に帰ってきてたんだ。おかえりなさい、レン」
なぜかエアリスが逆側の腕に絡みついてくる。
レンは動けなくなってしまったが良いかと思考を放棄した。
周囲には当然黒縄の者たちなどがいる。目が合ったくノ一の1人が何も見ていませんとばかりに即座に目を逸した。
レンは鬼一法眼と言うどれだけ格の差があるのかわからない相手と共に居たので精神的に疲れている自分に今更気付いた。
葵やエアリスが居る玖条ビル。そこが帰ってくる場所であり、レンの緊張していた精神が癒やされているのを感じる。
(いつの間にか彼女たちが側に居ることも当たり前になってしまったな)
レンは今更ながらそんなことを思った。
◇ ◇
アーキルたち出撃した蒼牙たちには休暇をやり、その分残っていたメンバーたちのローテーションが変わるが、いつものことなので彼らは何も言わずに自分たちで勝手に警備の予定を組み換えている。
負傷者は出たが死者や欠損は出ていない。上々の出来ではないだろうか。
大きな貢献を玖条家がしたということは全くないが、きちんと要請に従って出撃した記録は残る。
「おかえりなさいませ、玖条様。ご活躍できましたか?」
「まさか、手も足も出なかったよ。あのレベルの相手にぶつけようとするには力不足なのでやめてくれと信光翁に伝えておいて欲しい」
「一応伝えはしますが、それを汲むかどうかはわかりませんよ」
黒鷺が声を掛けてくる。相変わらずシャープなスタイルで能面のように表情が動かない。
だが有能だ。少なくともレンの手札の中に日本の法律や退魔の家の事情に詳しく、様々な処理を行える部下は居ない。
文官向きの黒縄の者に教えるようお願いしているし、彼らも業務ができるようになってはいるが、黒鷺は独自の情報網を持っていてそれらを全て頭の中に叩き込んでいる。
彼が抜けてしまえば玖条家の業務はかなり滞ることになるだろう。
間諜であることがわかっていながら受け入れざるを得ない。獅子身中の虫そのものではあるが、助かっている部分が大きすぎて切り離せない。
難しい相手だ。
ただ鷺ノ宮家と対立しなければ良いつなぎ役としてこれからも働いてくれるだろう。
「何か報告が?」
「いえ、特にありません。報告書はいつも通り纏めてクラウドに入っております」
「わかった。ご苦労」
レンがそう言うと黒鷺は即座に踵を返して業務に戻った。
冷たい眼差しのクール系秘書とほんわかとしたおっとり系秘書を連れて去っていく。
「レンっち~、帰ったんだって? うちも見に行きたかったな~。絶対ダメって言われたけど」
「おかえりなさい、レンくん。美咲ちゃん、気持ちはわかるけれど、見学に行っただけの術士にも余波だけで負傷者が出たらしいわよ」
美咲と水琴がやってきて、抱きつかれているレンの姿をスルーして話を進めている。
美咲は「葵っち後で代わってね」などと言っているが。
「で、で、どうだった? 龍!」
美咲はずずいと身体を乗り出してレンに迫ってくる。水琴もそわそわと龍の話を聞きたそうにしている。
何百年振りかの龍が日本に現れたのだ。術士をやっていて気にならない者はいないだろう。
むしろ非術士である一般人こそ、龍が存在すると言われたら確実に野次馬として殺到するに違いない。
「凄かったよ。でかいし強いしタフだし、継戦能力にも優れている。風と雷、水を操って普通の術士じゃ余波だけで近づけていない感じだったね。いくつかの強力な術士集団がなんとか抑えていたけど結局追い返すので精一杯って感じだったね。でもすごく強い若者が光の剣で角を落としていたよ」
「「「おお~」」」
レンはレンが見た龍と術士たちの戦いをそのまま語った。龍の巨大さとその肉体を使った攻撃や魔法のレベルは非常に高く、また防御力も物理、魔法に関しても強かった。
鱗や棘が剥がれたり取れたりすることもあったが、ダメージとしては大して入っていないように思えた。
術士集団はどこの家だかはわからないとし、だが強力な術士を抱えたいくつもの集団が必死で龍の侵攻を抑えていたことを伝えた。
逆に鬼一法眼などの天狗関連に関しては話さない。
レンも隙を見て数撃入れて見たがほぼ意味をなさなかったことは伝えた。
蒼牙も何枚か鱗や棘を入手していたが、それは他の術士たちが幾度も攻撃を与え、脆くなった所に集中砲火をして奪った物で彼らだけの戦功ではない。
アーキルは無理をさせずに部隊の統率と安全を第一に考え、効率的に立ち回っていた。
新しく蒼牙の隊員になった者たちもしっかりとアーキルの指示に従っていたので実戦としては良い経験ができた。
(まぁ初日にわからされたからね)
蒼牙の新隊員たちは幾人かアーキルの下に、もしくは他の蒼牙のメンバーの下に就くことを良しとせずに、自分こそが隊長、もしくは副長にふさわしいと名乗り出る者たちがいた。
そういう連中に対して、蒼牙では大体真ん中らへんという実力のカースィムが1人1人きちんと格付けを行った。
簡単に言えば全員カースィムがタイマンでボコったのだ。
日本という安全な国でぬくぬくと、レンのようなひ弱そうな少年の下についているアーキルたちなど、年柄年中戦いの場に身を置いていた自分たちの敵ではない、と考える者が多かったのだ。
だが実戦は少なくとも彼らはレンに言われて常に訓練を続けているし、訓練法も一部変えさせている。そしてその成果は如実に現れている。
黒縄や斑目家などとも合同訓練を行っているし、蒼牙たちの実力は総じて確実に上がっているのだ。
蒼牙に入りたいと言い出したアーキルの友人はそんなことは言わずに普通に部隊に組み込まれたが、数人は不適正として国に送り返そうとしてレンに歯向かったので即座に捕え、悲惨な目に遭う事が決まった。残りもカースィムにわからされ、レンの実力の一端を垣間見たことで大人しくレンに従うことを決めた。
蒼牙自体の待遇はアーキルに言わせればかなり良いらしい。
少なくとも支払いをバックレたり必要な武器や装備をケチったりもしない。
大水鬼や今回の龍のように稀に大きな
むしろ使い潰そうと突撃して倒してこいなどと命令しないだけ十分マシだと言われてしまった。
とは言っても彼らの貸し出し料金でほとんど賄えてしまえているので、レンは特に持ち出しなどはない。
「龍かぁ。写真とかに写ればいいのにね~。くぅぅ、見たかった!」
「如月家とか絵師を連れてきていたよ。他にもそういう家はあっただろうし、豊川家ならそういう絵の複製を手に入れることは難しくないんじゃないかな」
(今度こっそりと見せてあげよう)
そう言いながらも美咲が悔しそうにしているのでレンは美咲に極秘で龍の姿を見せてあげることに決めた。
〈箱庭〉の中で彼女たちに見せるくらいは良いだろう。
話をしているうちに美咲は葵と場所を代わり、なぜかエアリスもどいて水琴が隣に座った。腕にひっつくことはないが、エアリスが水琴を手招いて「交代」と言ったのだ。
(こういうの両手に華って言うんだっけ?)
何百年生きていてもレンは女心を理解することは叶わなかった。
1度死んでもそれは変わらない。彼女たちが満足するまでぬいぐるみのように為るのがコツだ。大体それで今まで乗り切ってきた。
葵や美咲はストレートに愛情を表現してくるのでわかりやすいが、水琴は正直よくわからない。
レンは良い娘だと思っているし、惹かれてもいるが、お互いがそういうことを口に出すタイプではないので距離感が曖昧なのだ。
だが曖昧な距離感というのもレンは嫌いではない。
縁があれば水琴と結ばれる未来があるかもしれないし、例え思いあっていても結ばれないことなどもよくある話だ。
楓は藤森家での扱いがかなり繊細になってしまい、半ば放逐されたような扱いだ。
もちろん両親に見捨てられたというわけではなく、家族仲は良好らしい。藤森本家や分家の人間が楓に手を出そうとか何かしようとしなくなったというだけではあるが、楓のレンに対する距離感は明らかに近くなっている。
「その龍の角を折ったっていう剣士は凄いわね。見てみたかったわ」
水琴は青年が使った術に興味を覚えたようだ。
水琴も聖気を鍛え、魔力炉も更に2つほど稼働させ、獅子神神社の祭神である武御雷を降ろせるようになればおそらく似たようなことはできるようになるだろう。
だが大蛇丸ではあの出力には耐えきれない。剣の格が足らないのだ。
彼は鷺ノ宮家の持つ魔剣の中でも格の高い剣を使っていたはずだ。
実際それまで青年は別の槍や剣を使っていた。
後方で指揮を取っていた年配の信孝に似た男が、仕方がないと取り出した特製の剣だ。並の魔剣ではないだろう。霊剣ではなく神剣と呼ばれる類の物だと思われた。
「龍なんて相手せずに済むならそれが一番だけどね。今の僕や水琴、美咲たちじゃ鼻息1つで吹き飛ばされるよ」
「ふふふっ、そうね。急に強くなったりなんてことはないものね」
水琴はレンの言い方がおかしかったらしく、かなり長く笑っていた。
◇ ◇
「これは、鬼一法眼様。いかがなされましたか」
源義経は急に現れた大天狗、鬼一法眼に驚きながらも礼を取った。
臣下ではないが、初代義経の遺児を救い、この場を提供してくれ、結界まで張ってくれた大恩人である。源家は鬼一法眼が気まぐれに初代義経の遺児を助けてくれなければ存在すらしていなかった。
鬼一法眼の存在は義経以外に知られていないらしく、周囲は静かだ。どうやって入ってきたのかすらわからない。
また、そのような予知もなかった。
予知は大きな事件や被害、変化などが起こり得ることに発動することが多いので、〈蛇の目〉を鬼一法眼が訪問するという何百年振りで希少な事ではあるが予知の対象ではないのだ。
どちらかというと占術の分野である。
「先日ココを襲った者がいるだろう。結界を割り、女たちを拐かしたと聞いた」
「ご存知でしたか。不甲斐ない限りです。犯人すらわかっておりません」
「希望するならその者との会見の場を用意しよう」
「なんとっ」
伊達家や東北地方で有力な力を持つ寺院や神官たちが探しても見つからなかった襲撃者。
それを既に鬼一法眼は見つけたと言う。
義経は現在37代目であるが、鬼一法眼に会ったことがある代はほとんどない。
初代とその遺児、それから数代ほどは面倒を見て貰っていたが、それ以降は稀に様子を見に来たという記録が残るのみで、姿は見えども話すこともなかったと言う話まである。
そこで義経はふと思った。
「会見、ですか?」
「そうよ。向こうはもうお主らに興味はないようで、再度の襲撃はしないと言っている。あぁだが武蔵坊弁慶には興味を示していたな。くくっ、面白い奴であったぞ」
「ですが我らとてやられっぱなしでは済みませぬ」
「それはお互いにまず会い、話してから決めれば良い。だが義経よ、〈蛇の目〉としてではなく、源義経としてその者と会うのだ。他の家の者に話したり集めたりすること罷り為らず」
鬼一法眼は襲撃者のことを楽しそうに話す。義経はそれを少し不思議に思った。
襲撃者が予想しているような中国の術者ならばそんな態度にはならないだろうし、単純に見つけたのではなく知己になったように語る。
「わかりました。鬼一法眼様のお達しであればそう致しましょう」
「うむ。我は基本的には場を与えるだけでどちらにも手は貸さぬ。そう約したのでな」
(相手の術者の正体が割れるのは良いことだが、鬼一法眼様はこちらの味方ではないということか)
鬼一法眼は龍見物に行って襲撃者を見つけたらしい。為人を聞いてみたが「会って確かめてみよ」とはぐらかされてしまった。
先日は四郎が急に現れた龍の撃退に武功を挙げたと報告を受けている。
義経としては龍との戦いを経験してみたかったと思うが、源家当主としてそうも行かない。
源義経という名はそう軽い物ではないし、守護鬼神である武蔵坊弁慶を他家に見せるわけにも行かないのだ。
四郎は有力な次期義経候補ではあったが、今回の戦いで義経の兄弟のように義経の名を継がずに外に出られる立場に魅力を感じたようだ。
また、他の強力な術士たちの戦いを見てかなり刺激になった様子でもあった。
義経としては四郎は能力はともかく性格的には向いていないと思っていたので、本人が自覚してくれたのならばそれで良い。
次郎やまだ若いが将来性の高い六郎、どちらが継いでも先日の襲撃のようなことがなければ源家は安泰だろう。
傍流でも血が濃く、有能な若者もまだまだ多くいる。
「それは源家の勢力なら連れて行っても良い、と言う意味でしょうか」
「そうじゃな。だが共は5人までにと相手方から言われておる。また、今回の会談についてはその存在や内容を我が
鬼一法眼は義経に決断を迫る。が、その決断は既に決まっていた。
「望みます。相手が誰であるか、どのような目的であったのか。なぜ神子を攫ったのか。聞いてみたいことが多数ありますし、被害も多くでました。文句などどれだけ言っても言い足りません」
「うむ、それでは先方にもそう伝えておこう。日程や場所が決まればまた連絡を入れるとしよう。これを持て。また、連れて行く者にしか今回のことは言ってはならぬ。わかるな?」
「はい、かしこまりました」
ひし形の護符を渡される。鬼一法眼の神通力が込められており、小天狗が伝令役として来るようだ。
鬼一法眼は伝えたいことは伝えたとして、その気配がフッと消えた。
(全く持って気付かなかったな)
鬼一法眼が近づいてきたことも、帰る際もその気配すら感じられなかった。
更にこの本拠が襲われたことは鬼一法眼が張った大結界が破られたことで知っていたとしても、その襲撃者を特定し、コンタクトを取っているなどとは予想もしていなかった。
武蔵坊弁慶も鬼一法眼は敵として認識しない。
襲撃時は中央寺院を守るように命令していたので、その力は発揮されなかった。
だが源家として見れば被害は少なくなかった。
(……大陸の術士ではないのか)
今回の一連の騒動。〈蛇の目〉襲撃から日本海側の〈蛇の目〉関連の寺院や神社などで封印が解かれ、妖魔が暴れだす事件が連続した。
時に相手と遭遇することもあり、顔などは隠されていたが使われていた術具や術は方術や道術と呼ばれる大陸式の術式が確認されている。
遭遇すると即座に相手は逃げを打つので捕らえることなども敵わず、結局正体すらわかっていないまま、山形県沖に龍が襲来するという大きな事件が起きた。
結局追い返すことはできたらしいが、近縁の日本海沿岸部はかなりの被害を受けたと言うし、命を落とした術士も多い。そうでなくても術士として再起不能になってしまった者や部位を欠損してしまった者も多かったと聞く。
しかし鬼一法眼の話しぶりから大陸の術士ではない可能性が高くなった。
「さて、会談と言うが話し合いになるのか?」
義経は〈蛇の目〉以外の現代の術士がどのような者たちであるかほとんど知らない。
次代の義経として候補に上がっている次郎、四郎、六郎のうち2人と今代義経の座を争い、強力な術士となっている自身の兄弟たちに内密に声を掛けようと思った。
だが日取りも場所も決まっていない。
間違えてもこの話を広めてはならない。一度広まれば義経がどれほど言っても情報の秘匿はままならないだろう。
しばらくは連絡を待ち、当日に極秘に彼らを呼び出すことに決めた。
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