112.撃退

 源四郎は眼前の龍の強さとタフさに辟易していた。

 幾度傷を与えたかはわからない。剥がれた鱗はそのままだが傷は即座にとは行かないが修復されていってしまう。知能も高いのか致命的な攻撃はきちんと避けてくる。その上防御も攻撃も非常に高い。

 流石に常に全開で戦える訳では無いので連れてきた郎党や他の修験者たちと後退しながら休憩を取る。


「あの男は凄いな」

「四郎様より少しお若いが、神気の量が尋常ではありませんな。どこぞの位の高い神社の者かと思いましたが神通力の扱い方が神官のソレとは違いますな。皇室の関係でしょうか」


 四郎は鷺ノ宮信興の名は知らなかったが、その戦いぶりを称賛した。

 そして側近の伊勢の男がそう分析する。

 他にも称賛に値するべき術士が龍との戦いに赴き、四郎の見知らぬ術が展開され、ド派手な戦いが繰り広げられている。


「土地神たちは圧は掛けてくれてはいるが手助けはしてくれないようだ」

「神霊とはそういった物でございます。彼らのことわりと我らの理は違うのです」

「父上が来られればな」

「義経様は御山を護ることこそが最も重要なことにございます。確かに義経様が守護鬼神様を連れられて来られれば優勢に戦えましょうが、それはご無理というもの」

「仕方あるまい。最近気付いたが義経の名とは重い物よ。兄者に任せた方が俺は良いように思えてきた。ロクに山からも出られぬ」

「鬼一法眼様より言いつけられたお言葉は破っては行けませぬ。それが〈誓い〉にて」


 代々源義経の名を継ぐ者はその〈誓い〉も同時に継ぐことになる。

 四郎は兄弟たちの中で次期義経の名を継ぐ者として多くの期待が寄せられているし、本人もその気になっていたが、最近自身の性格的には合わないのではないかと考えている。

 ただ兄の次郎の風下に立つというのも納得し辛いという微妙な気分もある。次郎はどう考えているのであろうか。次朗四郎六郎当たりが有望視されているが襲名は誰になるか不明瞭な点が多い。

 義経の名を継げばその守護鬼神である武蔵坊弁慶をも継ぐことになる。そして弁慶の力の一部を得て例え同等の力を持っていたとしても弁慶を宿したことで力の格が上がり、他の兄弟たちとは一線を画すほどの力を得る。

 例え四郎や他の兄弟たちが義経に不満があり、逆らおうとしたところで弁慶を擁する義経に勝つことはできない。


 〈蛇の目〉は多数の退魔の家が絡んだ組織ではあるが、彼らが源家から神子を奪おうとしないのは弁慶の存在が大きい。

 更に奥州各地に居る天狗たちの気も悪くするだろう。源家と天狗たちとの関係は深い。

 他家から見れば神子の存在は光り輝く宝石のように見えているであろうが、それは義経と弁慶という圧倒的な存在に護られているからだ。

 〈蛇の目〉では故に源家は神子たちの守護を担当し、外向きの仕事は他家に任せるという形態を取っている。

 これは〈蛇の目〉と名乗る前から幾度も暗闘や諍いの末に出した塩梅の良い距離感なのだ。


 四郎は源家が他家のように普通の退魔の家であればと思うことも多々ある。

 もちろん神子たちは尊い者たちであるし予知の能力ちからは希少な物だ。だが、源家をあの穴蔵に縛り付けている元凶でもあるし神子たちにも自由はない。

 ただそれは現代、近代だけを見て言っている四郎の狭窄した思考であり、古のご先祖様たちは鬼一法眼の元で手を取り合って必死で生きてきたに違いないことも四郎はわかっていた。


「鬼一法眼様にもお会いしてみたいな」


 源家やその分家では鬼一法眼が残した修験道の書が残っている。

 そしてほんの一部ではあるが源家の者が天狗と化し、御山を護る天狗になってくれたり他の山へ修行に出る者もいる。

 ただ天狗にどうやれば成れるのか、その法則性は発見されていない。

 元々修験道は天狗になる為の修行ではない。修行を通じて仏に近づく道なのだ。

 天狗になるというのは外法に近いが、その外法自体は少なくとも源家や繋がりのある家では発見されていないことになっている。

 繋がりがあっても他家である以上、秘匿された情報は必ずあるのでもしかしたら何かしらあるのかもしれないが、天狗を多く輩出する家などはないので四郎にはわからない。


「さて、休憩も取れたし腹も満たした。あのムカつく顔の龍をまたぶん殴ってやることにするか」

「お供致します」

「死ぬなよ。俺のわがままで出てきたのだ。それに初日に比べれば各地の強い術士が集まってきて楽になってきた。これほどの強者が世にはいるのだな。俺ももっと精進せねば。だがそれでも龍は倒せぬ。厳しいことよ」


 龍と争う術者たち。初日には地元の術者たちが大きな被害を出したが、次第に日本国中から多数の強者が派遣されている。

 四郎が認める信興ほどの強者はそれほど多くはないが、少なくとも休憩が取れるくらいには術者の数も質も増えている。

 どうせなら日本を守る土地神、神霊たちが加勢してくれれば良いのだが気配は感じても実際に助けてはくれていない。

 四郎は即座に武器を取り、飛翔靴を使って宙を駆け、龍との争いに身を投じた。




「しまっ」


 油断したつもりはなかった。だが龍の後方に強力な一撃が入り、龍が苦しげに暴れ、その長い髭がたまたま高速で四郎に迫ってくる。

 だがその髭は当たらなかった。

 なぜなら龍の髭はいずこからか現れた斬撃により、断ち切られていたからだ。慣性で四郎の近くを通ったが軌道が変わり、直撃する未来は避け得た。そして髭は重力に引かれ、海に落ちていった。


「助かった。しかし誰だ? くっ、わからぬ。礼も言えんではないか」


 四郎は目線を龍から外せないので斬撃の方向に手で軽く礼をし、更に戦いの渦中に飛び込んでいった。



 ◇ ◇



「……過保護ですね」

「言うな、咄嗟じゃ」


 髭を斬り落とした張本人、鬼一法眼にレンはつい突っ込んでしまった。

 源家の子孫だと言う男の危機に鬼一法眼は手を出さないと言っていたのに彼を救ったのだ。

 他の術士が死んでも瀕死の重傷を負いそうになってもピクリとも動かなかった大天狗が。


(いつ刀を抜いたのかもわからなかった。しかもあの髭を軽く断ち切るとか)


 四郎が危機に晒されたと思えばすでにその刀は鬼一法眼の鞘に納まっていた。

 抜刀し、斬撃で龍の髭を斬り落とし、納刀までの姿はレンの肉眼ではほとんど捉えることができなかった。

 一瞬鬼一法眼が動いたことしか認識できなかったのだ。

 それほど隔絶した差がレンと鬼一法眼にはあるという証左だ。

 それに龍の髭というのは見た感じかなり防御力が高い。牙や角ほどではないが、鱗や棘よりも髭は強度が高いのだ。

 しかしその髭をあっさりと鬼一法眼は斬り落とした。

 おかげで蛟龍は怒りと痛みで苦しげに悶え暴れ、複数の術者たちがこれは近づけぬと必死で退避して遠距離攻撃に切り替えている。


(戦いも6日目か、それに襲ってきた時期も悪かったな)


 6月というと日本は梅雨の時期だ。レンはスマホで各地の被害状況を纏めたページを見ていた。

 蛟龍が起こした大型の低気圧により梅雨前線は例年にない動きをし、東北は全体的に豪雨に晒され、特に日本海側は川の氾濫や山崩れなど多くの自然災害が起きてしまっている。

 沿岸部に住んでいる者たちは避難命令が出され、暴風で木や車が飛び、家や店舗などの建物に刺さっているところもあるし、ガラスが割れていたり屋根が飛んでいたりと見るも無惨な光景となってしまっている。

 沿岸部に係留されていた漁船などはほぼ全滅で、たまたま停まっていたタンカーも沈没し、重油を垂れ流している。

 蛟龍の存在は直接的な攻撃ではまだ一般人に及ぼしては居ないが、間接的には多くの死傷者、被害が生まれている。経済的な損失も考えれば役人も頭が痛いことだろう。


 術士たちも疲弊してきているし、龍は傷つきながらも体力はまだまだありそうだ。少なくとも封印できるほど弱らせられては居ないし踵を返してどこぞに逃げるという気配も見えない。

 レンは鬼一法眼が斬り落とした髭をカルラに言って回収した。

 アーキルたちも棘や鱗など傷ついた部分を狙って攻撃し、戦利品を得ている。

 彼らは李偉に借り受けた小さめの〈連包袋〉にそれらを仕舞っている。


「悪くはないが良くもない。膠着状態に入ってますね。初日よりは随分マシになりましたが」

「それが現代の術士たちの現実なのじゃろう」


 レンと鬼一法眼はなんだかんだで蛟龍と術士たちの戦い見物を共にしていた。

 と、言うよりもレンが目をつけられてたまに離れることもあるがほぼ同行されているに等しい。日を跨いでいるのにレンを見つけて勝手についてくるのだ。

 麻耶には別行動する旨を伝えてある。初日にかなり探されたらしいのだ。

 鬼一法眼の張った隠形の結界は麻耶では見つけることができず、レンも大天狗と共に居る所など見られたくなかったので事情も説明せずにしばらく独自の行動を取ると宣言して通信を切った。

 別に今回は麻耶の指揮下にあるわけでも何でもないので、麻耶は麻耶の仕事をやり遂げて欲しい。

 レンの監視という仕事もあるのだろうが、レンの知ったところではない。


 一応レンも試しにと思って、豊川家から得た十文字槍や小茜丸で斬撃を放ってみたが、鱗を少し傷つける程度でしかなかった。武具たちはもっともっと魔力を込められるが、今のレンでは霊剣たちの潜在能力に見合っていない。単純に魔力量も質も扱う技量も足りていないのだ。

 四郎や信興、日本を代表するような高名な術士たちはきちんとダメージを与えているのでまだまだだなとレンは自省する。

 焦る気持ちはあるが、焦ったところで急に強くなったり覚醒したりできるわけではない。

 かと言ってフルーレやシルヴァを持ち出したりはしたくないし、その能力を見せつける気もない。


「……大将が居ないのが致命的ですね」

「強力な統率者が居ないとどうしてもこうなってしまう。皇室や寺院から権力を剥ぎ取った結果がコレか」


 この数日でレンは山に籠もっていた鬼一法眼に日本のざっくりとした歴史の変遷を語っていた。

 術士界隈の話はそれほど詳しくはないが、それでも天皇家や武家が政権を握っていた時代に比べれば、今の時代は政権の権力が弱い。

 独裁は悪であるという世界的な風潮もあるのだろうが、それは権力を握った男がその力を悪用した時に民衆や周辺国に大きな被害がでるからだ。

 有能な独裁者が国を立て直したり新たな国を興すなどの歴史はほんの100年前には世界中で起きていたことだし、今も有能な支配者というのは国や企業などで采配を振るっている。

 だが日本の風土では権力の集中や働きに対する報酬の釣り合いが取れていないのでは? と、レンは疑問を持っている。


(民主主義、ね。悪いとは言わないけれど非常時にはやはり弱さが露呈するな)


 レンは日本に来てから民主主義の形態を色々調べたが、日本の政治形態は特に権力の集中が弱いと感じていた。

 せめてアメリカの大統領くらいの権力が首相になければ有事には対応できないだろうと。

 そして実際蛟龍の襲来という有事に対して術士を纏める大将が居ないことで、意識の統一や効率的な運用ができていない現実が目の前にある。


「幕府体制が良いと一概には言えませんし、今皇室に権力を戻すのは難しいのでしょう。おかげでこの様ですが」

「国家の大事に国家が大将すら決められぬとはな。だがまぁ古き時代にも好き勝手やる奴らは常に居た。天皇陛下の忠臣ばかりではない。それにしても酷いな。お、あの若者が何かやりそうだぞ」


 蛟龍も術士たちも焦れて来ている。

 そこで信興が少し距離を置き、何やら魔力と聖気を練っている。

 魔力と聖気を同時に使うのは非常に難易度が高い。だがまだ若く見えるその若者はそれを行おうとしているようだ。

 何人もの従者たちが信興を守り、また、術のサポートをしている。

 10分ほどで準備が整ったのか、信興は従者に渡された剣を手に蛟龍に向かう。

 レンが不思議に思うのは従者の表情が苦渋に満ちていたことだ。

 若者が使う術を見せたくなかったのか、その剣の存在を秘匿したかったのか。とにかく何かしら理由があるのだろう。

 その剣は光り輝き、巨大な20mほどの剣身を持つ光の剣となった。


 信興は先程までより数倍は力強く、速く動き、更に間合いの伸びた強力な斬撃が蛟龍に届く。

 蛟龍もまずいと思ったのかそれを避けるが避けきれずに1本の角と首筋付近の棘、鱗や肉などが飛散する。

 更に斬撃は続く。

 蛟龍は身体が大きい分的もでかい。避けようとする瞬間に他の術士から横槍が入り、信興の巨大な斬撃がその身を削っていく。


「ほぅ、やるな」

「流石ですね」

「お主はアレが誰だか知っておるのか?」

「誰かは知りませんがどの家の者かは知っています。あの若者の親族と会ったことがありますね。戦い方は初めてみましたが」

「ふむ、あの神気は皇室関連の家じゃろう。術式も似た物を見たことがある」


 流石1000年以上を生きる大天狗。術式を見ただけで、どこの系統か判断できてしまうらしい。

 信興とその側近たちが蛟龍の身を削っていく。他の術士たちも信興の本気の攻撃にサポートに徹することに決めたようだ。

 信興の攻撃が避けられないようにその巨体が逃げづらくさせるように動いている。


「入るかな」

「アレが決まれば封印くらいはできよう」


 10分ほど攻防が続き、信興が渾身の突きを蛟龍の喉元へ放とうとしている。

 他の術士たちのサポートとタイミング、全てが噛み合って当たると、レンも思った。

 しかしそれは叶わなかった。

 蛟龍の姿が急に消えたと思えば、古い様式の中華風の服を着た老人に蛟龍が変化したのだ。


(そういえば四海竜王は人の姿に成れると伝承にあったな)


 巨大な的はレンより少し大きい程度のサイズになり、信興の20mを超える巨大な剣の突きは空振りに終わる。

 更に周囲の術士たちも何が起きたのか一瞬わからずに動きが止まった。

 傷だらけの老人の姿に変化した蛟龍は直下に落ち、更に海面が渦を巻き、海水を含んだ竜巻となる。

 竜巻に飲まれた蛟龍は竜巻ごと上空の雷雲の中に入り込み、西の方向に逃げ出した。

 信興は追撃の斬撃を放ち、他にも幾人かの術士が追うように術を放ったり攻撃を仕掛けたが竜巻の防御力はかなり強く、ほとんどの術が弾かれ、竜巻を抜けた術も蛟龍に当たったかどうかすら不明なまま、包囲網も抜けられ逃げられてしまった。

 追い返すのが目的であれば成功だが、討伐や封印を目的としていたのであれば失敗だ。


「逃げましたね」

「分が悪いと思ったのであろう。あの様子では100年はどこかで力を溜めるために休眠するであろう。また襲ってくるかどうかはあの者次第だがな」

「良い戦いが見れましたし、貴方のような大天狗の解説付きで見学ができたので良かったですよ」

「待て待て、そうはいかんぞ。今代の義経がお主を探しておる。知ってしまったからには逃がすわけにもいかぬ」


 逃げ去る蛟龍を見て、レンが鬼一法眼と離れようとしたが、鬼一法眼はまだ用事があるようだ。しかもレンにとっては都合の悪い用事である。


「〈蛇の目〉とは争いたくないんですよ。せっかく身を隠していたのにまさか鬼一法眼殿に見つかるとは」

「〈蛇の目〉などどうでも良いわ。今代の義経との会見を我が場を整える。その場で話すことだ。それ以上は求めぬ」

「ですが義経殿が他の〈蛇の目〉に話せば玖条家は〈蛇の目〉の怨敵として狙われ、日ノ本に居られなくなります」

「ならば義経とその直系の血を引く者以外にはお主の正体などを話せぬよう我がしゅを掛けよう。〈蛇の目〉ではなく、今代義経個人との話をせよ。もしくは源家を相手として話すのだ」

「貴方ほどの神霊に逆らう力は僕にはありませんよ。無理やり引きずって義経殿の前に僕を連れて行くこともできるでしょう」

「ふっ、そうだな。だがそういう手は我はあまり好まぬ」

「わかりました。ただ数日はちょっと後始末があるので、後日で良いですか?」

「構わぬ。連絡役に小天狗を行かせる。これを持て」


 レンはひし形の護符のような物を渡された。どうやらマーカーのようなものらしい。

 おまけ、ではないがその護符には鬼一法眼が込めた聖気が入っていて、数回だが強い隠形の結界が張れると言う。

 役行者に頂いた秘伝書にないタイプの隠形結界だったので鬼一法眼独自に編み出した結界なのだろう。

 レンは鬼一法眼の使っている隠形結界をずっと解析をしていたし、この護符も解析を進める手助けになるだろう。ありがたく貰っておくことにする。


「では我は山に帰るとしよう。今代の義経にも話さねばならぬからな」


 そう言うと鬼一法眼は一瞬でどこかに消えてしまった。

 レンは蛟龍騒動でレンが〈蛇の目〉から神子を奪ったことが有耶無耶になり、大陸の術士たちが蠢動していたことになるだろうと願っていたが、鬼一法眼という大天狗のせいでそうも行かなくなってしまったようだ。


「さて、どうしたものかな」


 豪雨から強い雨程度に変わった雨粒の中でレンは小さく呟いた。

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