111.鬼一法眼

 鬼一法眼はレンの警戒など気にせずに話を続ける。

 いつでも殺せるという余裕なのか、殺す気がないのかどうかすら判断できない。


「あの結界は役行者の術式に近かった。だからなんとか破れただけでもうやるつもりはないぞ。第一先に手を出してきたのはあちらの方だ。突入してみたら思っていたよりも大規模な拠点で〈蛇の目〉なんて組織なことも後で知ったくらいだ」

「理由など何でも構わぬ。壊れぬ物などないし、神子などというのは我には多少情を覚えて手助けしたに過ぎぬ。源家は今も存続しておるし、今は大陸の龍とも子孫が戦っている。それで十分よ。あの若者たちもなかなかやるものよ」


 鬼一法眼はレンが〈蛇の目〉を襲撃したのを咎めに来たわけではないらしい。

 神子や〈蛇の目〉の活動についてもあまり興味がなさそうだ。重要なのは義経の子孫が今の世にも連綿と、しかも源家の名の元に紡がれていることなのだろう。

 鬼一法眼のその瞳はレンを捕えつつも龍と術士たちの戦いをも見ている。

 源家の若者が龍に一撃を入れると嬉しそうに頷いている。


「ところで何をしに来たんだ?」

「何、龍見物と義経殿の子孫の戦いぶり、それと源家の本拠を襲った本人が居るのだ。面白いと思ってな。山を出たのは何百年ぶりであろうか」


(性格が読めないな)


 鬼一法眼は背の高い初老の男に見える。黒を基調とした服を纏っているがあまり見た目にはこだわらないのかかなり傷んでいるのがわかる。

 一目で修験者とわかる服装ではなく、着流しに近い。背には槍が、腰には刀が見えるが神霊はその身体その物が武器だ。見た目だけで判断してはいけない。

 でっぷりと太っていた鞍馬山大僧正坊とは違い、修行をサボったりなどしてはいなかったようで、鞍馬山に居た頃は中天狗だったと聞いたが明らかに大天狗と呼んで良い力が感じられる。

 更にそれを他の術士たちに、その圧倒的存在力を感じさせない隠形に、いつの間にかレンと鬼一法眼を囲う結界で隔離している。

 おかげで豪雨も暴風もないが、レンとしてはいつ死んでもおかしくないと思っていた。クローシュの分体はついているが本体ではない。

 心配するカルラには大丈夫だと返答し、ハクたちには即座に出られるよう待機させている。ついでに李偉や紅麗にも場合によっては救援を要請すると紙で連絡を残してある。

 どちらにしても戦闘にならないのが1番だ。杞憂であって欲しい。だが予断は許されない。


 鬼一法眼はパッと見の格で言えば鞍馬山大僧正坊よりも高く見える。流石に役行者ほどではないが、そんな大天狗が至近距離に居るのだ。背筋が常にピリついている。

 更に人と神霊では価値観や視点が違う。元人間ではあるのだろうが、少なくとも1000年以上前から存在する神霊だ。単純に人間としての価値観もかなり違うだろう。

 源頼通などと話をしているとわかるが、現代のように人権だの法律だの彼はカケラも重視しない。強き者と戦い、技を磨き、更に強者を求める。

 強さは自身と身内、弱者を守る為でも自分の満足の為である。

 少なくとも頼通とはそういうシンプルな考え方をする男だ。

 鬼一法眼の性格は未だ良くわかっていないが、油断せずに身構える。間違ってもこちらから攻撃を仕掛けるなんてことはできない。


「そう緊張するな、と言っても無理な話か。良い、せっかくの機会だ。話に付き合え」

「それほぼ強制だろう。いつの間にか結界に囲われているし」

「カカカッ、良いではないか。雨風がうるさくて堪らぬので張ったまでで他意はない。それにしても大陸の奴らは相変わらずよの」

「どういう意味だ?」


 レンはこの龍の襲撃が人為的な物なのかどうかすらわかっていない。だが鬼一法眼は何かを知っているようだ。

 麻耶は急にレンが消えたことに気付いたのか探しているみたいだが、すでに距離は離れている。

 鬼一法眼がこの結界に隠れてレンに近づき、その結界を広げたというのが正しいのだろう。


「大陸の道士や方士は手に負えぬ妖魔や面倒くさい物が出ると日ノ本の方向に追い出すのよ。昔からよくあった手法じゃが、1000年経っても変わらぬと見える。あの龍は使役されているのではなく、押し付けられたのよ」


(あの話は本当だったのか)


「それで急に日本に襲いかかってきたのか」

「四海竜王の眷属か何かであろう。蛟龍の亜種じゃな。現代の術士も頑張っておるが少し分は悪いかの。だが追い返すことは不可能ではないだろう。切り札でもない限り大半は死ぬだろうがな」


 レンの分析と鬼一法眼の分析はほぼ一致している。本気を出せば倒せるが、撤退させるのが吉だろうと言う判断だ。何せ被害が大きすぎる。

 四海竜王とは東西南北に居るとされる中国の龍王だ。

 いくつかの伝承にその名を見ることがあるが、あまり強く大暴れしたという描写よりも、なぜかやられ役として扱われているイメージが強い。

 文献によって名は違うがごうという姓は共通している。

 レンは西遊記や封神演義に見られる三面六臂の武神、哪吒なたに背骨を引き抜かれるなどのエピソードを思い出した。


 しかし実際にその眷属であるという、少し先で暴れている龍は通常の術士など近づきさえさせず、攻防共に非常に強い神霊だ。戦いを繰り広げられているのは高位の術士たちだけであり、それでも今も生きているかどうかわからない術士が幾人も海に落ちている。

 直接戦う力を持たない周囲を取り巻いている術士たちは結託して上陸させないように協力して巨大な結界を張っている。

 眷属だろうと言われた龍のブレスは邪魔されているが、その爪などから魔法を放っているし、落雷も操っている。尻尾が激しく動き、その余波だけでも周囲の術士たちを吹き飛ばしている。

 その上位者である四海竜王がどれほどの龍であるのか、レンは想像もつかない。


(あの邪竜に比べたら大したことはないが、比べるだけ無意味か)


 レンは過去竜や龍と幾度も戦ったこともある。古龍の友人と言える者も居た。

 その基準で見れば眼前で戦っている蛟龍は中位程度の龍と同等だと思える。魔物のランクで言えば7位階だろうか。

 小国などは軽く滅ぼすが、強力なハンターや魔導士などが居れば倒せない相手ではない。

 日本では数百年ぶりだと言われているが、ローダス大陸では数十年に1回はどこかしらで竜や龍の被害は起きていた。

 被害を受けた弱き者にとっては不幸であるが、名を挙げたい者や名誉や素材目当てに多くの強者が集まっていた。


「あんたら天狗は手助けはしないのか」

「現世のことは現世の者が対応すべきであろう。我の山にまで攻め込んできたら流石に相手するがな」


 鬼一法眼は静観を選ぶようだ。義経の子孫も戦っているらしいがそれを助ける気もないらしい。

 ただ鬼一法眼の言い方からして、どうにかなる相手だとは判断していることが伺える。


「それにしても珍しい眷属を連れておるな。魂もおかしなことになっておる。そして役行者様の加護を受けているとはな」

「覗くなっ」

「すまぬな。つい気になっての」


 レンは自身の奥底まで覗かれた気配に背筋が泡立った。

 魔眼ではないのか、〈龍眼〉は反応していない。

 だがレンは以前、仙狐である藤に似たようなことを言われている。その時は覗かれたという感覚はなかった。

 その時のレンと今のレンではかなり強さが変わっているので、鬼一法眼よりも藤が巧みだったのか、レンの感知精度が上がったからわかったのかは不明だ。どちらにせよ不快な感覚ではあるし、防ぐことはまだできない。

 上位の神霊というのはどういう原理かわからないが、魂魄を視る力を持っているらしい。


「ちょっと縁があってね。まさか会えるとは思ってなかったけどな」

「我とて会おうと思って会える方ではないぞ。鞍馬山大僧正殿との騒動は他の天狗たちの良い酒の肴になっておるぞ。我も久々に大笑いしたものよ」


 レンのことは天狗ネットワークですでに知られてしまっているらしい。

 更に〈蛇の目〉を襲ったことも神子を攫ったことも知られてしまっている。

 だが鬼一法眼はそれを咎めることもなく笑いながら話している。

 鬼一法眼の言葉振りからすると、彼は鞍馬山大僧正坊の弟子というわけではなく、鞍馬山で修行を積んでいた天狗だという印象が強い。


(本当に見物しに来ただけなのか?)


 海にもカルラから見学だけをしている神霊の気配がいくつもあると報告を受けている。

 手を出す気配はなく、カルラが龍の素材を回収しても静観しているらしい。

 他の神霊の気持ちはわからないが、今回の蛟龍襲来は彼らにとっては格好の娯楽なのだろう。

 レンも情報収集のついでにこちらの世界での龍というものの存在を見ておきたかったという好奇心を否定しきれない。

 いや、むしろ招集が掛からなくとも見物には赴いただろう。

 今も自身が戦うならば、と考えながら龍の戦いを脳内でシミュレーションしている。

 ふとレンは聞いてみたいことを思いついた。


「源家の守護鬼神とはあんたじゃないのか」

「ふむ、我はすでに義経殿の子孫を数代見届け、十分に満足した。アレほどの益荒男ますらおは同じ血を引いていてもそうそうはあらわれまい。我の張った結界が破られたので気になって何が起きたか調べさせはしたが、特に守護しようとする意思はないな。もう十分に面倒は見たし、今も彼らは自身たちの力で生きている。それで良いではないか。ふむ、守護鬼神と言えばアレであろう」

「もったいぶるな。何だ? アレって」

「武蔵坊弁慶よ。奴は義経殿の死に怒りを覚え、強力な怨霊となって源頼朝を含む多くの者を祟っていた。しかし義経殿の遺児を見せ、守れと諭すとその怨念を抑え、鬼神となった。源家に守護鬼神が今もいるのであれば弁慶殿であろうよ」


(なるほど。武蔵坊弁慶は天狗ではなく怨霊になったのか。と、言っても鬼神である前鬼が大天狗に名を連ねるように天狗の幅は広すぎるからな。鬼神なのか天狗なのかわかったものじゃないな。武蔵坊弁慶は破戒僧だったとも言うし)


 凛音から源義経の子孫たちの話を聞き、その師である鬼一法眼から義経が伴った武蔵坊弁慶の話を聞く。レンは少し不思議な気分になった。

 鎌倉幕府で神輿となった源家の覇権も3代で途絶えている。

 不思議な気分になりながらレンは義経とはどのような男であったのかと鬼一法眼に話を振ると鬼一法眼は楽しそうに語った。


「幼い頃より意思の強さと才を兼ね備えていた。兄が兵を挙げたと聞き自分も出ると言って聞かなかったな。良い弟子であったが飛び出して行きおった。後悔がなかったとは思わぬが潔い益荒男でな、怨霊にも鬼神にも天狗にも為らず、天へ帰ってしまった」


 鬼一法眼は義経幼少期のエピソードやこっそりと隠れ見ていた彼の戦の様子などをゆっくりと、思い起こすように語る。

 平家も決して弱い軍勢ではない。智将や猛将も居たが、天秤は源家に傾いた。いや、義経がほんの10年足らずで傾けた。

 その話の中で旭将軍と言われた木曽義仲と巴御前が怨霊となり、ある僧侶に封印されたという情報まで得た。

 子を産んだ後の静御前については鬼一法眼も良く知らないそうだ。興味がなかったのだろう。

 彼女もどこぞで怨霊などになっていたのかも知れない。


「よほど源義経を気に入っていたんだな」

「そうだな。我も不思議なほどかの男の人柄に惹かれてしまった。他にもそういう武将は多かったようではあるが、頼朝や北条家は義経殿の武功と人を惹き付ける魅力に危険を感じたのであろう。どの時代も同じよ。義経殿だけではあらぬ。新たな政権を打ち立てるほどの頭領が重臣を危険視して討つ。どこの国でも、どこの時代でもあることよ」

「確かにそうだな。古き中華でも日本の歴史でも、欧州の歴史でも見られることだ。強すぎる部下は君臨しようとする者に取っては邪魔なのだろう」

「ふっ、主は年若いのに老成しておるな」


 足利尊氏も弟の直義やこうの兄弟との争いがあったし、高祖と言われる劉邦も国士無双と評した韓信の評価を下げた。結果反乱に繋がり討たれた。

 様々な国の歴史を見渡せば、武功の高すぎる部下というのは危険視され、遠ざけられるか酷い時には暗殺されたりすることもある。

 歴史に名高い武将や智将も晩年は酷い扱いを受けることも少なくない。

 義経は反乱を起こす機会も武力も持っていたと思えるが、鬼一法眼は「そのようなことをする男ではない。そうではなくては我も目を掛けぬ」ときっぱりと言った。

 しかしそのせいでアレだけの活躍をしたのに不遇の最期を迎えてしまうのだから野心や欲深さがもう少しあれば、義経が天下を取る過去もあったのかもしれない。


「それで、僕はいつ解放されるんだ?」

「しばらく付き合え。どうせ今日明日決着の付く戦いではなかろう」

「お付きの天狗は居ないのか」

「それぞれ好きな場所で見物しておるわ。蛟龍が上陸せぬのも我らが睨みを利かせておるからよ」


 確かに龍の力ならば無理やり上陸することも不可能ではないだろう。だがその選択肢は選んでいない。

 レンの横にいる大天狗に限らず、様々な神霊が龍に圧を掛けているのだ。

 故に龍は海中にも逃げず、空中戦を繰り広げているのか、とレンは納得した。

 そしてなぜか鬼一法眼と一緒に龍退治見物は続くことになったのだ。



◇  ◇


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