109.鷺ノ宮家、源家
「くそっ、龍だとっ」
伊達康次郎は叫んだ。伊達家が本拠とする宮城県と山形県では担当は違うが、山形が抜かれれば宮城県に被害が及ぶ可能性は十分にある。
龍などそうそう現れるレベルの妖魔ではない。中国がいくら日本よりも妖魔の被害が大きい国だからと言っても、そうそう海を超えて飛んで来るとは思えない。
大陸の術士がこちらに追い出したか、それとも使役して日本侵略の尖兵なのか、たまたま現れて日本に向かっているのかそれは誰もわからない。
日本の凶悪な妖魔や神霊は大半は封印しているか倒してしまっている。
しかし他の国も同じことをしているわけではない。
日本海を挟む中国には多くの妖魔や神霊が今も多く残っているという。
その妖魔たちが海を超えて侵略することは稀にだがあることだ。
「諜報部隊は一旦引き上げさせろ。こちらの方が緊急だ。伊達家も出るぞ。出羽の僧や秋田、青森、岩手からも人手が集めろ。だがそれでも倒せるかどうかなんとも言えん。……もしや今回の龍も〈蛇の目〉に対する襲撃の1手なのか?」
康次郎は疑心暗鬼になっていた。
なにせほとんどの者が知らないはずの〈蛇の目〉本拠がピンポイントに襲撃され、大結界が割られ源家の多くの術士の命が失われた。
相手は5人程度の少数であったにも関わらずだ。
背格好はわかっても隠蔽の技能が高く、顔は確認できなかったが使っていた武術も術式も明らかに大陸式だったと報告にあった。
康次郎はその場には居なかったが、そうそう居るレベルではない強力な集団だったようで、どのようにやったのか玄室の聖域を壊さずに東の宮から神子たちを奪い、即座に撤退したと言う。
撤退の際にも神子の姿は誰も見ておらず、どうやって17名もの人間を隠したのか誰もわかっていない。
希少な術具には多くの物を収納できる袋なども存在する。しかしそれには生きた人間は入らない。
17人の神子、神子見習い、侍女を殺し死体をそれらに仕舞い奪ったとしても、玄室の聖域周辺には争った形跡も血の跡すらなかった。
そんなわけのわからない事件だが〈蛇の目〉にとっては大事件だ。
伊達家は円海に頼まれて人を様々な場に散らして、金も使って情報を集めたが1つもそのようなことができそうな術者は引っ掛からなかった。
大陸から方士か道士が潜入し、どこからか〈蛇の目〉の本拠を特定し、神子たちを攫い、更に追い打ちとして〈蛇の目〉関連の退魔の家の封印を解くなどの被害を出し、最後に龍で日本を襲わせる。一連の事件が繋がっているとすればそう捕らえることができる。
康次郎は〈蛇の目〉襲撃から始まるこの流れを一連の中国のどこかの組織が企んだ大掛かりな侵略だと感じた。
「円海僧正に連絡を取れ」
(陸奥家と源家には俺から直接連絡を取ろう)
円海僧正が住職を務める善麟寺は青森県、岩手県、宮城県近隣で大きな力を持つ寺院だ。だから康次郎が円海に連絡を取ることは〈蛇の目〉関係なくおかしくはない。
康次郎が連絡を取らなくともおそらく山形近辺を守る術士たちから救援要請が入っているだろう。
要請は伊達家にもすでに来ている。
だが陸奥家は独立した特殊な修験道寺院として表向きには認識されているし、源家においては秘匿されていて外では源の名すら名乗っていない。
東北だけで龍の襲来という数百年に1度あるかないかの大事件に対処したいが、中央はおそらく勝手に増援を寄越してくるだろう。
大したことのない相手なら要らないと突っぱねることもできるが、龍の襲来自体はおそらくすでに北海道から沖縄まで知られている。
少なくとも距離の近い関東から集められた精鋭がすぐに送られてくる。
自分たちでなんとかする、そう言いたいができるかどうかもわからない。
なにせ龍などとは現在生きている術士は誰も戦った経験がないからだ。
ただどの時代の文献でも、中国に残っている文献でも大きな被害を出して追い払ったり封印する程度で、倒した記録はほとんどない。
「ぐぬっ、仕方ないか」
そう考えているうちにも様々な情報が集められている。
円海は東北の寺院から多くの僧を集めているし、神官も秋田県にある仙泉神社の宮司が神官を多く集めている。
仙泉神社の宮司も〈蛇の目〉の一翼を担っている大きな神社だ。
彼らも康次郎と同じように〈蛇の目〉襲撃からの一連の事件の総決算がこの龍襲撃だと思っているのかも知れない。
これを陽動に術士が蠢動するかも知れないので全ての戦力は動かせないが、伊達家はできる限りの精鋭を出し、龍を、更にその裏にいるであろう大陸の術者を必ず見つけ出してやると康次郎は心に決めた。
◇ ◇
「仕方あるまい。信興を出すか。出さなくとも勝手に飛び出すであろう」
「そうでしょうな」
鷺内は執務室で悩み、答えを出した鷺ノ宮信光の決定に淡々と答えた。
信光は龍が日本海から襲撃してきたと聞いて流石に驚いた。
日本にも古来から龍は居る。
最も有名なのはやはり八岐大蛇であろう。だがそれ以外にも多くの龍は存在し、ある者は神霊として祀られているし、逆に邪悪だと断じられた龍は当時の陰陽師や僧などが総力を決して退治、または封印などを行ったと歴史書に残っている。
海の向こうから来た龍を追い返した逸話もある。
だがその被害は大きく、海の向こうに撤退させたとされていてもそれはただ龍の気分が変わって自身の縄張りに戻っていっただけかも知れないというかなりアバウトな話だ。
妖魔レベルならともかく、神霊レベルの龍を倒せた例など数例しか残っていない。
「まさか儂の代でそんなことが起きるとはのぅ」
鷺ノ宮家は特殊な役目を持つ宮家である為に今回兵を出す必要性はない。
だが残念なことに、というか面倒なことに龍が現れたと聞いたら喜んで飛び出して行こうとするであろう問題児が鷺ノ宮家には居た。
その名を鷺ノ宮信興と言う。23歳でその力を奮うのが好きな戦闘狂だ。
しかし力は強く、その力を磨く努力も怠らない。
信光の命令も聞かずに勝手に強力な妖魔が現れたと言えば飛んで行ってしまう問題児だが、こういう場面には役に立つ。
どの道信興には鷺ノ宮家を継ぐ資格を与えられていない。
死んでしまっても良い、とまでは行かないが、こういう時に役に立たなければ今まで勝手を許していた意味がない。
「問題は玖条様と信興様が出会ってしまうことでしょうね」
「そうじゃの。そこも心配じゃ」
玖条家当主として認めたレンを招集しない理由にはならない。
大水鬼討伐でも大きな功を上げたのだ。
名の知れている術士ならともかく、単に古く大きな家に生まれただけの術士よりも、自身の力のみでわずか1年も経たずに家を興したレンの方が当然評価は高い。
だがレンは実績がまだ足らない。一部の耳の良い者たちならともかく、玖条漣の名はまだ知れ渡っていなかった。
信光としては後ろ盾となっている以上、玖条家に実績を積ませる必要がある。
これまで信光は信興の耳にレンの情報が入らないように徹底していた。
聞いた途端に面白そうだと勝負を申し込みに行きかねないからだ。
レンと信興では地の力が違いすぎる。そして性格的にもおそらく合わないだろう。
2人を会わせても良い結果が見える可能性はないと信光は見ていた。
鷺ノ宮家との関係にヒビが入るのは困るのだ。
「仕方あるまい。レン殿が出なくても良いからと言って玖条家にも出陣要請を出せ。部下の派遣だけでも良かろう」
「本人が来そうな気しかしませんが」
「それもそうじゃが、行くなとも言えん」
信光はレンの性格から本気で戦うかどうかはともかく龍見物には来そうな気がしていた。
信光も鷺内もレンは好奇心が強く、また若い為に家を守るなどということを考えずに前線に身を晒すだろうと思っている。
実際藤森家の決闘では自身も出るから藤森家当主も出ろなどと言っている。
通常決闘で当主同士が出るということはない。
ただ玖条の名を冠する者がレンしかいないのでレンが出ないというのは難しい状況でもあった。
「いつの間にかおかしな配下も増やしていましたしね。どこで得たのでしょう」
「アレは驚いたの」
楊李偉の存在は黒鷺すら掴んで居なかった。だが傭兵ではなく、間違いなくレンに臣従を誓った玖条家の兵だと言っているし、〈真偽眼〉での判定でも嘘はなかった。
故に李偉の出場は認められたのだ。
しかしその後李偉がどこで何をしているのか、玖条家本拠玖条ビルに定期的に通っている黒鷺すらほとんど知らない謎の男だ。
東北で大陸の術士が暗躍しているという情報は掴んでいたが、流石に玖条家の術士が何の因縁や益もなく東北全体を敵に回すような事を行っているとは信光も思っていなかった。
「信興単独で出す訳にも行くまい。部隊をつけよ。さらに見張りもな」
「かしこまりました」
信光は信興が暴走するよりかは鷺ノ宮家として龍討伐、または封印や撃退の為に術士を出すことを決定した。
◇ ◇
「ふむ、龍か。見てみたかったな」
三十七代目源義経は本院で情報だけは聞いていた。
源家の役目はこの本院を守ること、義経の血筋を繋ぐこと、そして神子たちの保護だ。
今回の龍騒動もあの時の襲撃者たちが絡んでいるかも知れないが、本院に攻めて来なかったので義経は暴れまわる襲撃者を遠目で見ることしかしていなかった。
もちろん指示は出していたが、まさか大結界を破られ、神子が神隠しのように消えるなどとは全く予想もついていなかった。
多くの精鋭が亡くなるか術士として再起不能の怪我を負い、源家の戦力は一時的に減じている。
どんなに龍退治に興味があっても義経が出るわけにも行かない。
さらさらと毛筆で写経をしながら心を落ち着けている義経の元にドタドタと大きな足音が聞こえる。
「どうした四郎」
「父上っ、龍が現れたと言う。明らかに大陸の術士たちの一連の騒動と絡んでのことだろう。俺も出たい」
「源家はこの本院を守るのが役目よ。気持ちはわからないでもないが収めよ。襲撃者と龍との関わりも不明だ」
四郎は義経の4番目の男子だ。源家では産まれた順に太郎、次郎、三郎などと名をつけるのが決まりになっている。
そして6人いる男子の中では次郎と共に次代義経の可能性が高いのが四郎だ。
(もう少し落ち着いてくれれば良いのだがな)
単純な術士の素養というだけなら次郎よりも四郎のがあるかもしれない。
2人は母親が違うということもあってあまり仲も良くない。
だが決して兄弟間で争うことなかれと言う初代からの訓示があり、義経の名を誰が継ぐかという争いはあっても実際に術や剣などを使って争うことは源家では禁忌だ。
四郎は義経の名を継ぐのは自分であると思っているし、その癖穴蔵に籠もって本院と神子たちを守るという源家の本来の役目よりも外の世界に興味が強い。
義経から見たら年齢が上な分落ち着いている次郎の方が良いのではないかと思っている。実際今までならそれで良かっただろう。
これまでは本拠が襲撃されるなどということはなく、歴代義経は力を持ちながらも奮う機会はそうそうなく、大人しくこの地に籠もり、役目を果たしてきた。
まだ若い四郎が逸るのも気持ちはわからなくはない。
(前回の襲撃者と今回の龍の術者が繋がっているならば雪辱の機会という捉え方もできなくはない)
義経は自分の代で襲撃を受け、神子を奪われたか殺されたかしたことに非常に憤っていた。
半分は守りきれなかった自身への怒りでもあったが、若い者たちは余計その気持ちは大きいであろう。
(これは抑えられんな。円海お坊にでも預けるか)
四郎以外にも幾人か気勢の強い者たちがいる。
源の姓は名乗って居ないが源家の分家の者たちだ。
伊勢、亀井、片岡、駿河、佐藤、鎌田、常陸などと姓は変わっているが義経の名を継げなかった分家の者で、十分な実力は有しているし家族や友人を失った者も多い。
実際義経も弟が1人と叔父が1人亡くなっていたし、他にも数人大怪我をして腕などを欠損した者もいる。
「仕方あるまい。円海お坊に相談してみよう。源家も損害を受けた。他に出たい者も居ることだろう。だが勝手に出ることは決して許さぬ。わかったな、四郎」
「はっ、わかりました。父上」
四郎は膝を付きながら、ニヤリと笑っているのが父親である義経にはわかった。
(若いな。だが俺があの年齢の時に自身を抑えきれたかどうかはわからん)
義経は四郎を追い返すと写経を続け、それが一段落付くと本院の本尊の前で彼らの奮戦を祈った。
◇ ◇
「山形県沖での大嵐は依然止むことはありません。気象学者の方々もこの季節になぜあんな大嵐が起きたのか全く不明だと言われています。沿岸部は危険な為、立ち入りを禁止すると政府は決定し、避難命令も出ております」
(大嵐か、確かに実際起きているらしいけど)
レンはTVで報道されている気象情報を見ながらやはり鷺ノ宮家から来た龍退治の要請に頭を巡らせていた。
龍と一口に言っても様々らしい。
翼がある者。蛇のように足すらない者。蛟龍や蛇龍なども呼ばれ、その種類や強さは見た目だけでは測れないと言う。
今は山形県沖で上陸を防ぐように東北の術士たちが結集し、報道も規制が敷かれている。
近隣の住民は避難命令が出され、海から離れさせられている。
すでに幾つかの港や沿岸部は壊滅的な被害を受けているらしい。
実際に気象学者では解明できない大嵐が起きていて、海は大時化で雨も風も大型台風のようだという。
しかもそれが移動せずに留まっていて止む気配もない。
異常気象にもほどがあるが、それが龍のせいだとは報道もできない。
(それにしてもあの龍はどこから出てきたんだ?)
アーキルから中国で神霊が暴れたと聞いているが龍ではなかったはずだ。
レンが東北地方で争乱を起こしたから中国の術士が好機と見て攻め込んできたのだろうか?
李偉は表に出す訳には行かないので今は中国に送り出して調べてくるように頼んでいる。
彼は中国の道士、方士の世界では名の知れた仙人なので適任だ。
『アーキル、準備は?』
『問題ないぜ、ボス』
「重蔵、留守を任せる」
「かしこまりました」
レンは蒼牙を連れて龍見物と洒落込もうと思っていた。と、言っても彼らだけではなく他の家からも大軍と言って良い戦力が投入される。
今のレンでは龍にはかなり無理をしてもどうにかできるかどうかもわからない。そしてそんな無理をした本気のレンを他の術士の前で晒す気はない。
それなりに頑張りました、という体で龍と他の術士たちの戦いを見るのが目的だ。
聞いた話では中国の術士たちが厄介になった神霊を海の向こうに追い出すのは昔からあるやり口だという。
(どっちにしても龍は見てみたいしうちの〈蛇の目〉襲撃が有耶無耶になるから助かるな)
伊達家も他の家もこの状況では捜索どころではないだろう。
凛音はおそらくこのことまで予定に組み入れてあの時レンの気を引いたのだ。
なかなかの策士振りにレンは「やるなぁ」と心の中で彼女を褒め称えた。
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