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「ねぇ、こんなことしてていいの? 最近忙しそうにしていたじゃない」
レンは灯火と共にドイツから来たバレエ団のバレエ観劇に来ていた。
ちなみに隣には葵が居るし、水琴やエマも興味があるというのでボックス席を取ってみんなで見ている。
「いいんだよ」
レンは簡潔に答えて観劇に集中する。演目は椿姫だ。
数人の護衛は連れてきているし、レンは定期的にバレエに限らずオーケストラやピアノやバイオリンなどのコンサート、歌手のライブ、ボクシングや空手、柔道などの大会など様々なところに顔を出していた。
そして興味とタイミングの合った少女たちにも誘いをだし、一緒に観ていた。
ちなみにチケットは如月家に頼むと割高だが融通してもらえる。そういうコネがあるのだそうで、プラチナチケットでも公演ギリギリでも手に入るのでレンは幾度か如月家の世話になっていた。
灯火はバレエを続けているバレエダンサーで、家の事情でバレエ団には所属していないが勧誘が来るほどの腕前だ。実際ジュニアの頃はいくつものコンクールで優勝した実績があるらしい。
本人はプロになるつもりはないと公言しているが、稀に国内のバレエ団に客演として呼ばれることもあるのだという。
「いやぁ、素晴らしかったね。そういえば出演者に日本から留学した知り合いがいるんだろう? せっかくだから挨拶してきたら?」
「そうするわ」
灯火は劇団関係者に顔も広い。国際コンクールなどで優秀な成績を上げてスカラシップや入学許可を取り、同年代の上位層はほぼほぼ海外のバレエ団の学校に留学している。
その辺のパスは水無月家で独自に取っていたらしい。
レンも誘われたが邪魔しては悪いと思い断って灯火を行かせる。
(東北はかなり混乱しているけど、〈蛇の目〉本部はどっしりと構えているなぁ。ううん、難しい)
観劇自体は素晴らしかったので高揚していたが、それとは別にレンは頭を悩ませていた。
何しろ伊達家の諜報部隊は全国に展開し、更にレンの知らぬ所でも〈蛇の目〉襲撃者を探していたからだ。
〈蛇の目〉の恩恵に預かっている退魔の家は多い。
万が一玖条家が〈蛇の目〉と抗争に入ったとなると、それら退魔の家が潜在的な敵になってしまうことも考えられる。
流石にレンはそんなことはご遠慮したかった。
かと言って伊達家に攻撃を加えるのも難しい。警備は万全であるし、宗家は東京にあるが実働部隊は仙台だ。
宗家と分家の奥州伊達家はそれほど仲が良くないらしいし、宇和島伊達家と奥州伊達家の本家は更に仲が悪い。
だが共通の敵としてレンを、玖条家を認識したらどうか。
元有力華族である伊達氏の影響力がどの程度かレンは想像もつかない。
離間策も考えてみたが、伊達家同士を争わせるのは簡単でも収拾がつかなくなる。
藤森家と争っただけで鷺ノ宮家が出てきたのだ。
それに玖条家が関わっていると鷺ノ宮家にバレれば、かなり心象が悪くなるだろう、というか、必ずお叱りを受ける。
鷺ノ宮信光は多少の清濁は併せ持つ人物ではあると思っているが、日本全体の戦力が落ちることを憂慮する者でもあるからだ。
実際に大きな家同士の騒乱を企めば本気で嘴を突っ込んできかねない。
(このままバレずにやり過ごせればいいんだけど、そんなことにはならないって凛音にも言われたしなぁ。それに凛音が言ってたあの件、気になるなぁ)
レンが考えなければ行けないことは多数ある。その1つに凛音が〈蛇の目〉から脱出する前に東北地方に大きな災いが起きるという予知があったという話だ。
それは凛音が視ただけでなく、多くの神子や神子見習いも同じ様に視ている。
それだけ可能性の高い未来なのだ。むしろ確実と言っても良い。
しかしその災いの元はよくわかっていない。何が起こるかまでは視えていないのだ。
凛音が言うにはおそらく大陸から海を超えて凶悪な神霊が上陸するのではないかと言っていた。
神子たちは日本近縁の予知はできるが、大陸などで何が起きるかまでは予知ができない。
更に予知の精度はより遠い未来になればなるほど落ちていく。
別の神子が全く違う予知をしたりなど、予知能力者の扱いは非常に難しいのだ。
そして吾郎も似たようなことを言っていた。占術と予知。種類は違うが同じ結果が出ている。ならばほぼほぼ確定した未来だと思って良いだろう。
(予知も占術も参考にはなっても使いようが難しいんだよね。でもうまく使えば有用だから権力者は手放せない。〈予見眼〉ならともかく予知能力者にはなりたくないな)
〈予見眼〉とは視界の数秒先が視えるようになる魔眼の1つだ。残念ながらレンと〈予見眼〉の適正は低い。
〈予見眼〉は一見武術や術の対戦で有利なように見えるが、高名な術士や武術家は〈予見眼〉に対しての対策もできる。
同格か格下、後は〈予見眼〉対策ができていない相手にしか効果は薄い。
悪くはないがすごくもない。そんな評価だ。
ただそれは高位の術者になったから言える言葉で、市井のハンターや若手の騎士などが持っていたらそれはもう物凄い威力を発揮する。
特に魔物退治には有用だからだ。
高位の、更に対人では効果が薄いと言うだけでレンの評価は低いが世間では評価の高い魔眼の1つだった。
それなりに持ち主が居たというのも大きいだろう。有名な魔眼の1つだったのだ。
そして〈予見眼〉とは違い予知能力は権力者や宗教に必ず狙われる。
実際〈蛇の目〉もその前身となった〈月読〉も囲われている。
その力を得てしまったために、農村の貧困な女の子が能力を得て贅沢な暮らしができて喜ぶ例もあれば、自身の未来をねじまげられる例もある。
予知能力は血筋で得られる場合もあれば突如覚醒することもあるので、それを得て幸せになれるかどうかは本当に個人個人で変わってくる。
実際に凛音はこんな能力など要らず、普通の女の子として産まれたかったと供述していたし、一緒にレンに攫われて来た他の神子見習いで21歳の女性は、16歳年上の好みでない男性との婚約が少し前から決まっていて、婚姻寸前だったと言う。
神子見習いは22歳までに神子になれなかった場合、源家やその分家筋の者と強制的に結婚させられ、神子見習い側には相手を選ぶことなどできないのだ。
場合によっては正妻ではなく、側室か妾扱いだ。16上と言うと正妻扱いはされないだろう。
予知能力は別に女性限定の能力ではないが、なぜか女性に発現することが多い。また、女性の方が能力が強いことが多い。
このメカニズムはこちらの世界でも解明されておらず、レンの知るローダス大陸でも同様だった。
それ故高位の予知能力者は大事にはされるが自由はない。
凛音や他の神子見習いたちもあの大空洞から産まれてから1度も外に出たことがないのだ。太陽も月も見たことがないと言う。
おかしな術や呪印などが施されていないのはそれが予知に影響する可能性があるからだろう。
彼女たちは基本的な魔力制御や操作の修行などはさせられていたが、攻撃系の術などはまったく教えられていないし、適度な運動しかしておらず武術も使えない。
反乱されては溜まらないからだ。
大事には育てられるが、自由はない。まさに籠の鳥だ。
そんな予知能力者である凛音たちは現状レンにとっては完全にお荷物だ。
〈箱庭〉から出さねば予知能力は使えないし、外に出せば発見されるリスクを負う。
それに玖条家周辺だけなら吾郎の占術などで十分将来の危機を見つけられる。
神子と呼ばれるほどの広範囲で遠い未来を見通せる予知能力者など完全に持て余してしまうのだ。
しかしレンは一カケラも後悔していなかった。
なぜなら凛音は頭を下げ、自ら聖域に近い結界から足を踏み出し、助けを懇願したからだ。そんな女性の誠意を無碍にすることはない。
それにレンも凛音を助けるのが正解だと直感した。
助けると決めた以上、彼女たちの面倒を見るのも後始末をするのもレンの責任だ。すでに凛音の手を取った瞬間にその覚悟は終えている。
「ただいま、ごめんね。ちょっと話が盛り上がっちゃって」
「いいよ、気にしないで」
そうこう考えているうちに灯火が帰ってきた。エマは灯火についていき、水琴や葵は残っていて2人後ろで喋っていた。
レンが考え込んでいたので気を使ってくれていたのだろう。
レンたちが最近ピリピリしているのはみんな気付いているが、聞いても答えないことなどわかりきっている。
聞いて答えることであればレンは既に彼女たちに先に警告をするタイプだからだ。
「じゃぁ帰ろうか。気をつけてね、灯火」
「ありがとう、レンくん」
その一言だけで、灯火の顔に小さく緊張が走った。
気をつけるべきことが起きるかも知れない。それに気付いたのだ。
ただ本当に灯火にまで何か起きるかどうかなどレンにもわかりはしない。
伊達家がどのような家か調べられても、当主や上層部の性格や戦略、また伊達家に指令を出している〈蛇の目〉の幹部の誰かがどう指示しているかもわからないからだ。
伊達家はレンたちの住む街にもやってきた。
理由は単純で、如月家に大陸系の強力な術士の情報はないかと聞いたのだ。
そんなことをすれば伊達家が何かしらトラブルに巻き込まれていることを喧伝するようなものだ。
だが伊達家自体は調べればすぐにわかることだが、戦力を落としていない。
如月家含め、伊達家からコンタクトを受けた退魔の家は何があったのか、何かあるのではと東北地方に注視していた。
◇ ◇
「少し暑くなってきたね。ジメジメして梅雨はあんまり好きじゃないな」
「そうね。でも私にとってはそれだけじゃないわ。2年前、為す術なく攫われてしまったもの。今の私ならなんとか対応できるかしら?」
「どうかな。相手の数と練度、状況によって色々と変わる。相手が水琴のことをしっかりと調べて対策していたら厳しいだろうし、単純に数と弾幕に晒されたらやっぱりきついね」
水琴はレンと一緒に玖条ビルに向かっていた。
今日は〈箱庭〉での訓練を予定している。1度家に帰るより一緒に帰ったほうが早いし、周囲の噂も気にするだけ無駄だと悟ってしまった。
季節は梅雨も終わりかけ、周囲の受験組がピリピリとしている。
水琴の友人にも推薦組、スポーツ推薦組、受験組、専門学校組、家業を継ぐなどで就職するものから普通に就職を目指す者まで様々居て2年生までとは教室の空気が違う。
「そうね、私もまだまだよね。市街地で刀なんて抜けないもの」
「抜かないと死ぬけどね。今の水琴なら数人くらいすぐに斬り伏せられるんじゃないかな。ただ警察とかへの対応が大変そうだ」
「そうね。周囲が血塗れになるし、一般人にも見られてしまうわ。コレの存在もバレるし、即座にレンくんのところか実家に逃げるのが正解ね」
(あの時はそれすらできなかった)
コレとはレンから貰った腕輪だ。なんと〈収納〉機能付きの逸品である。獅子神家の宝物庫にもそんな術具は存在しない。
そしてその中には非常時への対応として水琴は常に武器や防具、レンから貰った魔法薬、着替えやタオル、非常食や飲料水などを常に入れていた。
水琴に取って6月とは忌まわしき過去だ。
大蛇丸は普段外に持ち歩けない。小刀程度は護身用に持っていたがあっという間に眠らされ、攫われてしまった。
それから2年。レンに鍛えられ個人としては相当強くなったはずだ。
だが市街地で同じように狙われて撃退できるとまでは言い切れない。
少なくとも今の蒼牙や黒縄を相手にそれは不可能だろう。2、3人は斬れても捕まるはずだ。
捕獲用の網や強力粘着弾などを使われれば逃げ切れる可能性も低い。実際その有効性はその身で味わった。
小銃で強力粘着弾を一斉掃射されれば避けきるのは難しい。
そして簡単に斬れない特殊繊維でできた網を被せられれば、水琴には何もできない。
今や獅子神家ではほぼ無敵となった水琴ではあるが、世の中上には上がいるし、様々な戦い方がある。
レンはそれを想定して水琴たちに様々なタイプの敵や現代兵器、術式などへの対処を教えてくれている。ただ良いことでもあるが実戦の機会はない。
「玖条様っ」
「どうした、重蔵。珍しいな」
玖条ビルに入るとレンの部下の望月重蔵が走ってくる。何か焦っているようだ。
(コレは、今日の訓練はなしかしら)
美咲と葵は先に着いていると連絡が来ている。灯火と楓は来る予定がない。エマとエアリスは玖条ビルに住んでいるので、常にではないがよく一緒に訓練を行っている。
今日もそのパターンかと水琴は仕方ないなと諦めた。
レンは玖条家当主であり、弱小である獅子神家当主の孫娘などという立場にある水琴などとは責任も仕事量も違うのだ。
「東北に、邪霊が現れたそうです」
「はっ?」
レンが首を傾げて聞き返す。それでなぜそんなに重蔵が慌てているのか水琴にもわからなかった。
「東北のことなど東北の奴らにやらせればいいだろう。僕たちには関係ないことだ」
確かにそうだ。特に東北地方は結束が強く、さらに寺院や神社が多い。陰陽大家もあり、戦力は十分だろう。
関東や北海道などの術士への援軍要請などはしないはずだ。
玖条家も獅子神家も関係のない話……と、水琴は思った。
「それはそうなのですが、どうも初戦で多くの術士が殺され、被害が大きいようなのです。一応お耳に入れておこうかと」
「他に情報は?」
「どうも龍の類だと聞いています。大陸から日本海を抜けて山形県近海に接近し、その地方を統括している寺院が周囲の家も集めて上陸前に祓おうとしたところ、甚大な被害が出たとか」
「龍か、見たことないな」
(私もないわね。というか、龍なんてそうそう現れる物ではないと思うけど)
水琴は未だ見たことのない龍を思い浮かべた。
退魔士の界隈では龍と言えば東洋龍で、竜と言えば西洋竜を現すように使い分けている。
大陸から来たのであれば蛟や蛇龍、もしくは本当に龍かもしれない。
どちらにせよ妖魔の格としてはどれも高い。ほぼほぼ神霊だろう。
しかも迎撃に出た部隊が蹴散らされたとあればよほどの相手だろう。
日本に来たのが偶然なのか、それとも大陸の術者たちの仕業なのか。どの程度の被害が出ているのか、これからどれだけ被害が増えるのか。全て未明のままだ。
「コレか」
レンは何か気がついたことがあるようで、何か得心の行ったような表情をして呟いた。
「だがうちには関係ないだろう」
「そうは行きません。おそらく玖条様にも招集が掛かるでしょう」
そこにダークグレイのスーツを来た黒鷺という男が現れる。
あまり水琴とは面識がないが、玖条家の補佐をする為に鷺ノ宮家から派遣されてきた男で、美麗な秘書を2人連れている。
「なんでだ?」
「玖条様が退魔の家の当主だからです。おそらく大水鬼の時よりも大きな戦いになります。そして鷺ノ宮家から玖条様にお声が掛かるでしょう。今回は特に日本の妖魔ではなく、大陸から海を渡って来ています。そういう場合は一丸となって外敵を討ち払う。それが退魔の家の務めです」
「断る権利は?」
「非常時や大きな問題を抱えて居ない限りありません。それは鷺ノ宮様からの命令だからとかではありません。どの退魔の家も同様なのです」
レンは退魔の家という制度で家を興したが初代当主であり、まだ家を興してから2年も経っていない。
獅子神家も要請があれば水琴が出るかどうかはともかく確実に戦力は出さなければならないだろう。それは如月家だろうが、水無月家だろうがどこも同じだ。
「そういえばそんな条項あったな。そんなヤバイのか」
「受肉した龍など討伐記録が数百年単位でありませんよ。今生きている者で戦った事があるものなどいないのです。どの程度の危険度かさえ測りきれておりません」
「天狗や仙狐など、日本にも神霊がいるだろう。彼らは手助けしてくれないのか?」
「場合によってはしてくれますが、まずは今を生きる我らが立ち向かう方が先です」
「はぁ、仕方ないか。要請があったら教えてくれ。なければ近隣の家で戦力が減った所に黒縄たちを安く貸し出そう。他の妖魔が現れる時を斟酌してくれるとは限らないからな」
レンは黒鷺の主張に諦めたように息を吐いた。
「ところで、先程何か知っていそうな素振りをしていましたね。小さな情報でも構いません。教えてください」
「占術士が大きな戦いが北であると言っていたのを思い出しただけだ。時期も相手も特定されていなかったが、きっとコレのことだろうと思ったんだよ」
レンはまるで答えを用意していたようにスラッと答えた。
(何か隠している感じがするわ)
水琴はレンの答えにそう感じた。
そして同様に黒鷺の目がギラリと細くなったが、レンはそれ以上何も答えなかった。
◇ ◇
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