龍の襲来と〈蛇の目〉
096
「そろそろ美咲が引っ越してくるんだっけ」
「そうね、卒業式が終わったらすぐ引っ越しするらしいわよ」
「ほんとに来るんだもんなぁ。豊川家で揉めなかったのかな」
「絶対揉めたと思うわ」
水琴は豊川家ほどの大きな家の1人娘、しかも姫と呼ばれる存在が土地を出るということに揉めない訳がないと思っていた。
葵もちいさくこくりと頷いている。
今日の訓練はもう終わり、モフモフたちに囲まれてお茶やお茶菓子を摘んでいる。
いつもの光景で慣れてしまったが、小さな……と、言っても大型犬ほどの大きさの狼や獅子や虎の魔物の子供でも、本気を出して葵とタッグを組んでも勝てない強力な神霊の子たちだ。
レンが〈収納〉から今日水琴たちが狩った魔物の肉をポイと投げると嬉しそうに飛びついて食べている。
「でもそれだけ本気だってことでしょう。レンくん、ちゃんとお付き合いとかしないの」
「え~、う~ん。恋人になるってこと? どうもそういう感覚はあんまりないんだよなぁ」
レンが語るには、レンは前世では結構浮名を流して来たらしい。
明確な恋人は作らず、その時のインスピレーションで口説いて一夜を共にする。もしくは娼館などに通う。
ハンターという職業はあまり結婚率が高くないと言うか、ほとんど結婚するものは居ない。
死亡率が高いので、腕の立つハンターはモテるらしいのだが、結婚相手としてはランクが高くないとそういう対象に見られないのだと言う。
そしてレンはランクが高くなった頃には1つの場所には長居せず、街から街へ移動して様々な依頼を受け、且つあまり特定のパーティは組まずに臨時パーティやソロでの活動が多かったそうだ。
騎士や貴族、宮廷魔導士など立場が上がるとまた様相が変わってくる。縁談やら資産や立場を見て寄ってくる女性が増え、お付き合いという感じではなくなるのだと言う。
結婚も見合いや婚約という形から入ることが多く、日本の中高生のような甘酸っぱいお付き合い、という形式がどうも感覚的に合わないそうなのだ。
「っていうか初めて聞いたけれど、レンくんは結構経験豊富なのね」
「500年も生きていれば色々あるよ。正式な妻になった女性だけで何十人って居たし、子供も100人超えてたしなぁ。子孫に至ってはちょっと人数を把握してない。他国に行った者たちもいたしね」
規模の大きさにくらりとしてしまいそうになる。
退魔の家でも普通10人も囲っていれば多い方だ。獅子神家も別に一夫一妻は守っていない。父は母一筋だが、祖父は側妻に妾まで居る。
なので水琴にも兄弟は兄2人だけだが叔父や叔母、従兄弟は結構大量に居る。
だが500年生きたと言われるとスケールが違いすぎるし、種族の問題などもある。日本の、人間の尺度で考えても仕方がないのだ。
「レンくんの昔話はたまに聞くとスケール感の違いにちょっと現実味がないことが多いわね」
「わかります」
水琴より色々聞いているらしい葵も肯定した。
「別に昔の僕が普通だったわけではないからね。いろんな種族が居たし。長寿を誇る種族でも様々な形態があったし。竜人族なんかは一夫一妻だし、妖精族は100年くらいで婚姻関係を解消して、次の相手を探すか独り身に戻るか、なんて形態が多かったりするしね」
ファンタジー小説などでお馴染みのエルフに似た種族、森妖精族などは、相手を決めて一緒に住み、子を為し、子が独り立ちするくらいまでは一緒に家族を続け、そこで一区切りとして別れることが多いらしい。
もちろんそういう制度や生態というわけではないので、ずっと一緒に暮らし続けるカップルや、逆に即別れてしまうカップルもいるが、まず彼らには結婚という概念がないと言う。
気に入れば一緒に住み、気が合えば共に住んで子供を作る。恋人になるとか付き合うなんて言う概念もない。
長命種は子ができる確率も低いので数十年子ができないことなどざらだと言う。100年共に居て子ができなければ相性が悪かったのだと別れる者も居るという。
「なんというか、本当に文化が違うのね」
「世界が違うんだからね。大体結婚って制度だって貴族にはあるけれど村人や町人にはないんだよ。周囲に自分たちは一緒になるって宴会を開いて終わりだよ。結婚式もなかったし、婚姻届もない。日本は結構制度化されているけれど、地球だっていろんな国や民族、部族で形態が違うじゃない」
「そうね。この世界を見渡しただけでも違いが大きいものね」
「まぁそんなわけで、あんまりお付き合いって言う概念がわかりづらいんだよなぁ。たまに高校でも告白されるけど流石に困るし。美咲も付き合ってくださいじゃなくて「番になる!」って言ってきてるし、受け入れるとか断るとかじゃなくて美咲はもう番になることは決めてるって感じだよね」
(そういえばそうね。美咲ちゃんも葵ちゃんも、レンくんに恋人になろうとか付き合おうなんて申し込みはしてなかったわ)
ふと自分の勘違いに水琴は気がついた。
つい先日友人がずっと想っていた人と恋人になれたと言っていたので、つい感覚が引っ張られていたが、退魔の家の常識と現代日本の恋人や結婚の常識からして違う。
「でも受け入れる気はあるんでしょう?」
「どうかな。でもなんか地球の果てに逃げても追いかけてきそうな気がしない?」
「ふふふっ、神霊の血を引いた娘の恋とはそういうものですよ」
「それは恋なの?」
葵が笑いながら肯定し、つい突っ込んでしまう。
「本能的にこの人は自分の運命の相手だって気付くんです。今風に言えば恋じゃないですか? ただちょっと重いのは自覚してますよ? 本能なので逆らえませんし、逆らう気も起きませんが」
「あ、自覚してるんだ」
「普通の人たちとは違うことはわかっている、くらいですけどね。重いって言う表現は楓さんから教えて貰いました。どっちみち神霊の血を引いた退魔の家の娘ですよ。普通の子と一緒だと思う方がおかしいです」
葵も笑いながらしゃべっているが、絶対にレンと離れないという執念を感じる。
実際葵もレンがどこかに去ったら追いかけるだろう。
拠点を東京から移すことも考えているなんて話をレンがしていた時があったが、葵は当然のようについていくという態度であった。
水琴が来て葵が居ないことはほとんどない。
学校は親の方針で通っているようだが、即帰ってきてレンと共に行動しているようだ。
葵は常にレンの傍にいるイメージが強いし、実際ほとんどがそうだ。
「普通って何かしらね」
ぽつりと呟いた水琴の言葉には、レンも葵も何も答えなかった。
◇ ◇
「だいぶ落ち着いてきたな」
イスラム教を調べている文献の中で、山の老人、または山の長老と呼ばれる男のエピソードがなかなか面白かった。そして暗殺教団。
イスラム教とその歴史を調べるついでに出てきたエピソードだがレンはハサン・サッバーフはかなりお気に入りだった。過激な宗教観にはあまり共感しないが。
実際彼や暗殺教団は後年様々なフィクション小説に題材として使われたらしい。
故にレンはそれを模して、レンを、玖条家をちょろちょろと調べている者たちの組織に警告を与えた。玖条家を調べようとしている者たちの枕元に小さなナイフを夜中に忍び込んで突き立てて置いたのだ。ちなみに一部を除いてほとんどをカルラに頼んだ。相手の数が多すぎたのだ。
スナックを齧りながら報告書を読んでニヤリと笑う。
結果的に玖条家を調べる情報屋や他の退魔の家の諜報員は激減した。
レンはローダス大陸時代、様々な国の結界や術式を研究していた。
似ているものもあり、全く違う概念で作られている結界もあるが、基本理念は変わらない。
感知系、障壁のように物理的に遮断する物、魔法や魔術を防ぐ物。自動反撃などの術式が仕込んでいるものもある。
隠蔽術式が施されており、隠したい物を仕舞う蔵や倉庫、宝物庫などにはそれらが仕組まれている。
最近は科学技術を使った警報装置も併用しているという。
赤外線のセンサーや監視カメラ、重量センサーなど様々なセンサーが存在するが、それらに対応する方法はアーキル達蒼牙が詳しかった。
彼らは軍の横流し品など軍用の器材に詳しく、さらにどのような効果があるのか、どのように対処すれば良いのかなどを教えてくれた。
現物を幾種類も揃え、それに反応しないような対策術式や特殊なステルス素材も作り出した。
電子錠などのハッキングはレンはできないが、壁抜けくらいならできる。
個人で張る結界は即席だが家や敷地を覆うような大型の結界は大概が術具が使われている。
その結界の維持に数日から10日以内に魔力を籠める必要がある。
獅子神家などは本堂の御神体や重要な武具を仕舞う武器庫は毎日チェックして、きちんと魔力を注いで万全の状態にしているという。
レンはこの2年足らずの間にこの世界の、少なくとも日本で使われている結界の類を多く解析してきた。
神社、寺院、陰陽師など術式の違いはあれど基本構造は変わらない。傾向は似ているのだ。
神官も僧侶の術も魔力を使うことには変わらない。大概は術具を使って敷地や屋敷、宝物庫などは厳重に守られている……はずなのだが、レンの感覚から言うと日本の中小の退魔の家の結界は術式が粗く見える。警備が甘いと言っても良い。
レンの知識と役行者が譲ってくれた直筆の秘伝書などには結界の破り方や誤魔化して侵入する方法なども書かれていたし、三枝吾郎や楊李偉などの大陸の術や仙術に詳しい者たちは独自の結界破りや抜けの術を知っている。
それらを活用し、レンは基本的に張られている結界の弱点を把握し、穴をついて忍び込むことができるようになった。
藤森家の結界もレンが作り上げた帝城や自身の屋敷に張っていた結界に比べればザルのようなものだった。
だからこそ、藤森家に簡単に忍び込めたり、今回のように情報屋や玖条家のことを執拗に調べようとする退魔の家の当主に警告をすることができた。
ただ鷺ノ宮家や豊川家クラスになるとおそらく厳しいだろう。どこでも忍び込める凄腕の怪盗、というほどではない。
藤森家は楓の存在やいくつかの仕掛けを済ませられたから入り込めたのだ。
ダモクレスの剣と暗殺教団の伝説の模倣とどちらが良いか迷ったが、結局暗殺教団の手法を模倣することにした。
そちらは単純に気分だ。
ダモクレスの剣というのは王の頭の上に剣が吊り下がっており、栄華にある物にも常に危険があることを示すことを悟らせたという故事によるものだ。つまり天井からナイフを吊って起きた時に驚かせるということも考えた。
暗殺教団の逸話も多くある。そのうち今回参考にしたのは暗殺教団に幾度も狙われ、潰そうとしたサラディンが拠点を囲んだところで、毒付きのナイフが枕元にあったという逸話を再現してみた。
レンは探られるのも周囲をうろちょろされるのも嫌いだ。今までは羽虫の様に群がるそいつらを放置してきた。全員叩き潰すわけにはいかないからだ。
だから一部を捕らえ、警告をしてきたつもりなのだがあまり効果はなかった。
だが今回の警告はかなり効果があったようだ。
情報屋界隈では玖条家の情報を求める顧客は多くいると言う。
そう目立っている意識はないのだが、やはり注目を集めているらしい。
それは黒縄から報告が上がっていたが、レンからしてみれば迷惑な話だ。
隠すべき〈箱庭〉や〈収納〉があるし、序盤は使っていたが魔剣や異世界の素材や武具はできるだけ現代で手に入る日本製、または李偉たちが溜め込んでいた中国の術具や武具などを譲って貰い、レンが異世界から転生したという特殊な状況であることを示す証拠などを残さないように尽力している。
黒縄に調べさせたり、情報屋に玖条家のどのような情報が流布しているのかなども調査させたが、情報は錯綜しているし本当の事もあれば明らかに盛っていたり嘘であったりすることも多い。
ただ流石に間諜が常に周囲に纏わりついて居る状況は不快なので、今回の大規模な警告を行ったのだ。
暗殺教団とサラディンのエピソードを模してみたが、気付いた者はどの程度いるだろうか。
気付かなくても当主や首領の枕元に護衛や結界などを突破してナイフが刺さっていれば警戒心は跳ね上がるだろう。
ついでにヒントも残してきたので玖条家からの警告であることは歴然だ。
レンが隠密に優れていることはそれなりに流れている情報でもあるし、ガッツリと釘を刺しておけばしばらくは周囲が静かになる。
そうレンは目論んでいたし、実際効果が出ている。十分満足である。
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