080.宣戦布告

 藤森和樹はつい2月と少し前に藤森家当主として任命された。

 と、言っても次期当主として指名はされており、家の仕事を若い頃からだんだんと任されて居て、当主交代の準備はしっかりとできていた。

 父であり、前当主である俊樹ともその話は昔からしていたし、弟2人とも仲が悪くない。

 特に上の弟は武人肌であり、当主などという仕事をやるよりも術士の部隊を率いて戦いたがるタイプだ。

 下の弟は頭はキレるが統率力が弱い。


 藤森家は別に長子相続が絶対的というわけではない。もし和樹より弟たちの方が明らかに秀でていれば彼らにも当主になる権利も可能性もあった。

 だが単純に術士としての強さも、家を纏め上げる力も、和樹はしっかりと父や祖父の背中を見て学び、当主になることを目指して努力してきた。

 実際に当主としての学びは厳しい物であり、当主という役目はそう楽な物ではないという現実も見てきたが、和樹の意思は変わらなかったし、弟たちや従兄弟たちでこの男が当主になった方が藤森家は確実によくなるだろうと思える人材も居ない。

 それは俊樹も同じ意見であり、円満に当主の交代がなされた。


 数人の重鎮が俊樹と共に引退を表明し、後進に席を譲った。

 幾人かはまだ後進が育っていなかったり、道場での指導を続けたいなどの本人の希望があったりで残っているが、基本的に和樹が当主になることは規定路線であり、強烈な反対意見などはなかった。


 そして当主を継ぎ、忙しい頃に次男の慶樹が意見を言ってきた。

 と、言っても家の方針に対してどうということではない。

 以前攫われた分家の娘、藤森楓に掛かっている謎の術の解呪を試したいというのだ。

 和樹は当時もその案件に絡んでいたが、それほど大事だとは思っていないし、現在もあまり重視していなかった。


 分家とは言え役割を分けた分家であり、且つその分家の一子女である。

 藤森家に伝わる秘伝や秘術はその分家には伝えられないことになっているし、当主のみに伝えられる口伝なども当然彼らは知らない。

 しかも高校生の女子だ。調べて見たが術の腕前もそれなりで、格別に優れているということもない。

 失っても特段惜しいほどではない、という評価だ。

 故に、慶樹が試したいと言った時にはあまり気にせずに許可を出した。

 和樹は忙しい時期であったし、試すくらいなら良いだろうと思ったのだ。

 まさか慶樹が俊樹を引っ張り出し、本家に楓を召喚し、離れを使って数ヶ月に渡って解呪を試すとは思ってもいなかった。

 1、2度試してみたい程度のことだと思っていたのだ。

 楓の父親の藤森誠からはクレームが来ていたが、1度許可を出したことであるし、今年中に何かしら結果が出せないのであれば楓を誠の元に返すように言うつもりでいた。


「はじめまして。玖条家当主、玖条漣と言います」

「お初にお目に掛かる。藤森家当主、藤森和樹だ」


 しかし和樹の予定は大幅に狂った。

 まず玖条家から正式に楓について話をしたいと連絡があったのだ。

 玖条家について、和樹はあまり知らなかった。

 調べてみると新興の家であり、退魔の家として認められたのは今年に入ってのことだ。

 大水鬼討伐で功を上げ、鷺ノ宮家の推薦を受けて新しい退魔の家を興したという。


 問題はそこだ。鷺ノ宮家である。

 まさか鷺ノ宮家が絡んで居るとは思ってもいなかった。

 楓を救い、術を掛けて解放したという少年の存在は知っていたが、その少年が鷺ノ宮家を後援として退魔の家の当主として今和樹の目の前にいる。


 慶樹などは鷺ノ宮家など知らないだろう。実際和樹も数年前に俊樹にそういう家があると聞いただけで、会ったことはない。

 宮家の1つで、あまり表に出ることはないが、藤森家などとは格が1つどころか幾つも違う家である。


 挨拶に続いて軽く雑談をする。楓の救出の礼を言い、まだ若いのに大水鬼討伐で功を上げたことを和樹は称えた。

 レンは屋敷の風様や庭の素晴らしさを語り、本題に入る。


「それで、ご用件があるとか」

「えぇ、藤森家の分家の出である藤森楓さんについてです」


(やはりその件か)


「私は藤森楓さんを救った際に、ある特殊な術を使いました。他人に吹聴されては困るので、そうされないように楓さんに術を掛けて帰しました。しかし藤森家はその術を解こうとされていますね」

「あぁ、藤森の名を冠する子女が他家のおかしな術を掛けられているのは良くないという意見があったのだ」


(本当に若いな。しかし話し方はしっかりしている)


 レンはパッと見可愛らしい若い男子という見た目だ。街を歩いていれば中学生と見間違ってもおかしくはない。

 だが眼光は鋭く、話し方もしっかりしている。若くとも、小さくとも、功を上げて鷺ノ宮家に認められ、退魔の家を興した祖なのだ。


「その行為は玖条家への攻撃行為と同様です。それは認識されていますか」

「攻撃行為とは大げさな。それは言い過ぎだろう」

「いいえ、大げさでも何でもありません。もし藤森家に侵入者があり、貴重な術具や奥義を書いた書などを盗もうとする輩が居たらどうですか。楓さんを救ったのは偶然でしかありませんが、救わずにあの場に放置することも帰さないこともできました。しかし異国の犯罪組織に攫われ、怪しげな儀式に使われようとしている楓さんを親元に帰してあげたいと思いました。故に、私は私に関しての情報が漏れないように術を掛けることを条件に楓さんを解放しました。術を解除するということは私の秘術を暴くことと同然です。当然ながら私の術を解除すれば、藤森家は玖条家の秘密について聞き出そうとするでしょう。少なくとも私はそう確信しています。それが攻撃行為でないとどうして言えましょうか」


(くっ、痛い所をついてくる)


 和樹は玖条家についても、楓についてもあまり良く考えずに慶樹に許可を出した。

 だがその後玖条家から連絡があり、急いで情報を集めた所かなり危険な案件であることに気付いた。

 父、俊樹が楓に掛けられた術を解除しようとした時とは事情が違う。

 当時レンはまだ異能に覚醒した単なる1人の術士であり、退魔の家の当主などという立場はなかったのだ。

 しかも慶樹は知らないが鷺ノ宮家が絡んでいる。

 これを俊樹に報告した際、俊樹は頭を抱えていた。俊樹も玖条家について詳しく調べたり情報を持っていたりはしなかったらしい。


「ですが当家も、そう簡単にでは止めましょうと言う事はできません。藤森家縁の子女を救助してくれたのには感謝していますが、どんな術かもわからない術が掛かったままというのは藤森家としても看過しえない、そういう意見があるのです」


 だがレンの立場が変わったからと言って、鷺ノ宮家が絡んでいるからと言って、和樹がレンに頭を垂れ、言うことを即座に聞くことはできない。

 そんなことをすればまだ統制の取り切れていない藤森家内で、和樹に対しての不信が高まるだろう。

 藤森家中でも鷺ノ宮家の存在すら知らない者がほとんどなのだ。

 更にレンがつい2年前には異能にすら覚醒していなかった少年であることも知らないだろう。


(まだ年若い少年とは思えないな。明らかに異常だ)


 レンと相対し、和樹はそう印象を受けた。見た目は幼い少年で、眼光が鋭いわけでもない。迫力が特段あるとか、感じられる呪力が非常に高いとか言うこともない。

 同席している藤森家の重鎮たちも、この少年に関してはおそらく同様の印象を受けているだろう。


 だが目の前の少年は、退魔の家に生まれたわけではなく、普通に目立たない中学生として生活していた。両親を失ったのは不幸だと言えるが、そんな話は良く聞く話だ。

 ほんの2年も経たない前に異能に覚醒し、情報や捜索に名のある如月家の捜索を躱し、川崎事変では突入して楓を含め豊川家の姫なども救ったという。

 流石に現れた神霊を大水妖を操って倒したと言う話は誇張しすぎだと思い信じていないが、大水鬼討伐で功があったのは確かだと思っている。

 その功を持って鷺ノ宮家がレンを認め、退魔の家を興すことを認めたからだ。

 大水鬼の封印を管理していた斑目家から諜報部隊の一部を譲り受け、謎の外国人傭兵も雇い、戦力も人数も少ないが確保していると聞く。

 川崎事変で救ったことから、水無月家や豊川家との親交もある。

 ほんの17歳になったばかりの少年が、そんなことができるだろうか。


 少なくとも和樹が17歳の頃にはそんなことは確実にできなかった。当時は術を磨くことや、漠然と藤森家を継ぐためにはどのようなことを学べば良いのか考えて居た頃だろう。

 藤森家内だけでなく、近隣の退魔の家で優秀とされる同年代の少年少女たちや、その後和樹が知る天才と称された別家の少年でも同じことはできない。和樹はそう思っている。


 これらの情報はまだほとんど共有していない。一部の、鷺ノ宮家のことを知っている重鎮と前当主である俊樹だけだ。

 故にレンを見る目は侮っている視線が多い。


「少なくとも当家、玖条家はそれを許容できません。藤森家として公式に術の解除を試みることを止めなければ、当家は藤森家は玖条家に敵対したとして行動させて頂きます」

「なんだとっ、黙って聞いていればこのガキがっ」

「黙っておれ、慶樹。今は当主同士の話し合いだ。静かに聞いていろと言っていただろう」


 慶樹が激昂し、レンに対し汚い言葉を吐くがそれを即座に止める。

 これはやや珍しい形態ではあるが、藤森家と玖条家の当主同士の会談なのだ。

 藤森家内で行われることから武器は預けさせ、従者も2人しか連れてきていない。

 レンの隣に座る年若い少女も、目つきの鋭いおそらく玖条家子飼いの戦力の頭だと思われる男も静かに2人の話を見守っていた。

 同席を許した者たちにも、基本的に発言は認めないと言い含めておいたのだが、慶樹は我慢がならなかったようだ。


「では玖条家は藤森家に敵対すると?」

「逆ですよ。藤森家が玖条家に喧嘩を売っているのです。私はその喧嘩を買おうと宣言しに来たのです」


 レンはにこりと笑い、堂々とそう言い放った。手を出したのはそちらが先だ。これ以上続けるのならば受けて立つ。

 そこで初めて和樹は違和感の正体に思い至った。

 レンは藤森家に要請をしに来たのでも何でもない。取引を持ちかけて来たわけでもない。堂々と宣戦布告をしに来たのだと。


「ならば受けて立ちましょう。後悔されぬことだ」

「こちらのセリフです。必ず後悔させてあげましょう。では失礼します」


 レンは席を立ち、広間から出ていく。

 預けていた術具などを使用人から受け取り、堂々と門を出ていった。




「親父っ、なんであんなガキに言いたい放題させて置くんだ」

「黙れ慶樹。結果論とは言えお前の行動が玖条家との抗争の引き金になったのだ。その責任はお前如きが取れるものではないし、許可をだした俺にある。俺はお前には意見を聞いていない。黙って座っていろ」


 和樹は同席していた俊樹や重鎮たちに意見を求めた。

 意見は様々だが、大まかに言えば新興の家の要求など聞くことはない。戦闘となるのであれば玖条家を潰してやろう。そういう意見が大勢を占める。


「儂は引退した身故、あまり言いたくはないが、分家の子女程度であれば放って置けば良いではないか。敢えて他家との諍いを起こすほどではない。だがもう遅いだろう。かの少年はすでにやる気に満ちていた。何をしてくるのかまではわからぬが、まずは警戒を強めるべきだろう」


 俊樹の意見に眉をひそめるものたちが多い。

 だがついこの間まで当主であり、俊樹は信頼された当主として長年君臨してきた。大きな判断ミスもなく、藤森家をよりもり立ててきた男なのだ。

 心の内では反対意見があっても、俊樹に強く出られる者は居ない。


「俺も同意見だが同様だ。すでに賽は投げられた。玖条漣はそう宣言したのだ。俺とて頭を垂れ、要求を飲む訳にも行かぬ。まずは諜報部隊を送り、玖条家を調べ上げる。各々、油断せずに命令を待て」


 重鎮たちにそれぞれに指示を出し、俊樹に声を掛け、話がしたいと頼む。

 正式な当主になったのであるから和樹が差配すべきだし俊樹に頼るのは和樹としても避けたいところだ。

 だが和樹の知らぬことも俊樹ならより詳しい情報を持っているだろう。

 鷺ノ宮家についても、関東近縁で手を出しては行けない、関わっては行けない退魔の家の話の際に軽く名が出ただけで、詳しく聞いているわけではないのだ。




 だがその日の夜、異常は起こった。

 結界が破れたのだ。

 しかも只の結界ではない。防備を固める為に新しく敷地や屋敷に張った結界でもない。

 厳重に守られ、先祖代々から伝わる藤森家の宝物庫の結界だ。

 その報告を受けた和樹と俊樹は急行した。

 宝物庫自体藤森家内でも近づくことすら許している者は少ない。

 その結界を抜け、中に入れる者は当主含め数人だけだ。


「一体何が」

「まずは中を確認せねばならぬ。応援を呼べ」


 ピーピーと敷地内で笛の音がなる。緊急事態が起きたことを示す合図だ。

 屋敷から、離れから多くの者が武装して飛び出してくる。

 だが屋敷を守る結界も、敷地を覆う結界も破られてはいない。

 近くにいた者に確かめさせたが、楓を軟禁している離れも異常はなく、楓が攫われているということもない。


(狙いは楓ではないのか)


 和樹はレンの狙いは楓の身柄だと思っていた。故に楓周辺の警護を強め、更に屋敷や敷地の結界も見直した。

 もとより歴代の術士たちが頑丈に作り上げ、厳重に守られている宝物庫が狙われるなど想像の埒外であったのだ。


「なんだとっ」


 先に入った俊樹が叫ぶ。すぐに突入した和樹は宝物庫の中を見て悲鳴をあげそうになった。

 なぜなら宝物庫に厳重に仕舞われていた藤森家の宝剣や術具、時の権力者に下賜された壺まで全てその姿を消していたのだ。


「一体どうやったというのだ。くそっ、明らかに玖条家の攻撃だ。まさかこんな早く来るとは。更に宝物庫の結界を破るなどっ」


 得体の知れない相手だとは思っていたが、それどころではない。

 敷地を守っている結界にも引っかからず、警戒態勢を敷いていた誰にも気づかれずに藤森家に忍び込み、和樹や俊樹ですら解くには相当の期間掛かるであろう厳重な結界を解いて相当量の宝物をまるで霞のように消したのだ。


 だが玖条家の攻撃はこれは始まりでしかなかった。

 和樹がそれに気付くことはなく、頭の中は真っ白になっていた。

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