077.烏天狗
「鞍馬山大僧正坊様は石鎚山法起坊大天狗様にかなりきつめにお叱りを受け、修行のやり直しだとしごかれていますよ。もちろん我々もです」
「そうなんだ。いい気味だ」
「前の主人なんでそう言われると困ってしまいますが、まぁ何百年も修行を怠って酒盛りばかりしてましたからっスからね……」
烏天狗はなかなか話せるヤツだ。なんというか話しやすいのだ。
茶ではなく酒があれば嬉しいと言われたので、アーキルや黒縄たちが買っていてレンの家に置いてある酒を出したら嬉しそうに飲んでいる。
アーキルや重蔵はたまにレンの家に訪れ、勝手にボトルを置いていっているのだ。
レンの家の台所の収納の一角はなぜか酒瓶がぎっしり詰まっている。日本酒は重蔵でウィスキーやラムがアーキルだ。ワインセラーを置いて欲しいと言われたが却下した。
ちなみに玖条ビルには結構大きなワインセラーがあって、蒼牙たちが好き勝手にワインを買って仕舞われている。
他にもウォッカやジン、カルヴァドスやグラッパやマール、アラックという酒や焼酎まで様々な酒が玖条ビルの一角にわざわざ専用倉庫と専用冷蔵庫まで準備されている。
イスラム教は酒に厳しかった気がするのだが蒼牙たちは気にせず飲みまくっている。それでいいのかと言いたくなるが、レンは見てみぬ振りをしている。
ちなみに楊李偉や三枝吾郎にも白酒、紹興酒や日本酒、ワインなどの希望も受け、銘柄まで指定されて供給した。
レンの配下たちは一部下戸や好まないものもいるが多くが酒好きなのだ。
「そういえば天狗のことについても聞いてみたいことがあったんだ。もちろん話せないことは話さなくて良いけど聞いて良いかい?」
「いいッスぜ。むしろ秘伝なんかはその秘伝書に書かれているでしょうし、なんでしょう。あ、このウィスキーっつぅ酒もうまいッスね」
「まず1つ目は源義経に武芸を教えたって伝説かな。鬼一法眼だとか鞍馬山大僧正坊だとか言われているけどどうなのかな」
「それは鬼一法眼様っすね。当時鞍馬山大僧正坊様の弟子をしていて、義経殿をかわいがっていましたのを覚えていますッス。義経殿も可愛らしい少年でした。義経殿が鞍馬山を出て行って、活躍を聞く度に喜んでいましたが、落ち延びてしばらくして鞍馬山を離れてしまったッス。当時は中天狗でしたが今は大天狗になってるんじゃないでしょうかね。連絡取ってるわけじゃないんでわかりませんが」
酒が進むにつれてなんとなく話し方が下っ端っぽくなっていく。そして強いはずのウィスキーをカパカパと空けていく。
「へぇ、鬼一法眼か、会ってみたいなぁ」
「どこの山にいるか知らないんでそっちはわかんないッス」
「そりゃ残念」
「でもご立派な方でしたよ。ストイックな武人って感じッス」
「ほほぅ」
歴史の裏側を当時を知っている烏天狗の言葉なのだ。信憑性は高い。
「それと、なんというか天狗って言っても種類がたくさんいるじゃない。鞍馬山大僧正坊はなんというか破戒僧っぽかったし、役行者は神霊と言って崇められるのがよくわかる高貴さを備えていた。大天狗の1柱に数えられる崇徳上皇も鳶の天狗になったって言うし、どういうことなんだろ」
「あ~、それはなんつぅか、天狗の定義が広すぎるんっスよ。雑に纏められて全部天狗って呼ばれてるだけっス」
烏天狗が語るには天狗というのは妖魔や神霊の一種であり、成り方は様々だという。
眼の前の小烏天狗は元は武士で、仏道にもハマっていた。戦乱で死に、気付いたら天狗になっていた。
僧でも修験者でもなかったのだ。
修験者出身の天狗も居れば僧であった者も居る。破戒僧や徳の高い僧がなることもある。
そして分類すれば様々な違いがあるが、当時の人々はそれらをひっくるめて天狗と呼んだ。
崇徳上皇は怨霊でもあり天狗でもある。役行者殿は神でもあり仙人でもあり天狗でもある。それは人々がそう呼んでいるだけで、実際に天狗という種族は元々天竺から来たのが由来だという。
他にも中国から渡ってきた天狗も居る。
鼻が高かったりするのは天竺出身の天狗のイメージが誇張化されたのだろうと烏天狗は語っていた。
顔が赤いのもそういう種類の天狗が居て、実際は顔が赤くない天狗の方が多い。
だが人々の、当時の術士の間ではそういう伝承が流布して定着してしまった。
烏天狗などと纏められているが、烏だけでなく鳶や鷹の天狗も居るという。
「なんつぅか、本当に雑なんだね」
「そうッス。なんというかいろんな国の犬や狼を集めて全部纏めて犬って呼んでるようなもんッス」
「あぁそれわかりやすいな」
「しかも
飯綱はたしかイタチのことだ。外国の犬種や狼、イタチに狐に狸などを混ぜて纏めて犬と呼ぶのは流石に無理があるだろう。
そのくらいアバウトな分類だということだ。古い時代は飼い犬も居ただろうが野犬も多い。天狗も悪さをしたという伝承も多い。害獣をまとめて天狗と呼ぶ、ついでに役行者や鬼一法眼などまともな修験者から天狗になった物も混在してしまう。他にも徳の高い僧が成ったり武芸者が成ったりと様々だと言う。仏道に熱心だが僧ではなかった農民がなった例もあると語った。
どうも天狗伝承は調べれば調べるほどごちゃごちゃしていてわかりづらかったのだが、それは雑な分類のせいだとわかってレンはちょっとだけスッキリした。
役行者やまともな修験者や武芸者、徳の高い僧がなった天狗は良い神霊で、悪さをして実際にその地に被害を齎す妖魔などは悪い天狗。
天狗と一括りにせずにそう分けて考えればそれなりにしっくりくる。
だが八大天狗も48天狗も個々の伝承は様々であるし、出自がどこの誰であるかよくわかってないものも多い。
例えば京都に大火事を起こしたと言う愛宕山太郎坊などは悪い天狗の典型なのだろうが、じゃぁ元々はどこの誰が天狗になったのか、と言われるとレンの調べた文献には載っていなかった。
「石鎚山法起坊大天狗様は厳しい方っすけど、しっかり修行を見てくれるんで、あっしも大天狗とは言わずとも中天狗くらいには昇格できそうっス。
鞍馬山はこう、言っちゃ悪いッスけどかなり爛れてたんで、今はみんなしごき倒されてぐったりしてますね」
「いや、まぁ真面目に修行してくれないと、崇めてる鞍馬寺の僧侶たちも浮かばれないだろ」
「たまに住職なんかの前に顔出す時はシャキッとするんスよ。あとは比較的真面目な天狗を使者に立てたりしてたッス」
「あははははっ」
鞍馬天狗の裏話を聞いてレンは笑ってしまった。
ぜひとも信仰にふさわしいちゃんとした天狗になって欲しいものだと思う。
ついでにレンには2度と関わらないで欲しい。
あのムカつく顔を見たらまた殴りたくなってしまいそうだ。
実力で言うとまだまだ敵わないので実現させるのは難しいが。
あの時は奇襲だったのと十分に準備を整えてた上に、短時間のみの一点突破だったので殴り倒せただけだ。
実はあの状態はあと5分も持たなかった。
しかも鞍馬山大僧正坊は修行を怠っていた上に紅麗と戦って疲弊していた。
殴るには大チャンスであったが、思いっきり殴り倒したので恨まれているだろう。
更にもし役行者や紅麗が敵に回っていたらレンはカルラやクローシュだけでなくハクたちまで戦闘に投入せざるを得なかった。現状使える術具や魔剣など全て投入して全面戦争に入っていた可能性が高い。
役行者がまともな神の一柱で良かったとレンは本気で思う。
役行者が仲裁者として現れたからこそ、丸く収まったのだ。
(しばらく京都には近寄らないでおこう)
レンは鞍馬寺の雰囲気は好きだったし、京都や奈良にも他に行ってみたい寺や神社など多くあったが、とりあえず役行者にしっかり躾けて貰うことを期待して、時間を置くことにした。
ただあの性根が叩き直されるかどうかはわからないし、天狗の時間感覚はレンの時間感覚よりも長いだろう。
どれだけ恨みを募らせるか想像することもできない。
彼らの時間感覚は長命種であるエルフや竜人や、もしくは神の感覚に近そうだ。
エルフの友人に「じゃぁ近いうちに」と言われ、50年ほど後に訪ねてきて「久しぶり」ではなく「約束したから早めに来たぜ」と返されるようなものだ。
ヒト種の感覚だったレンはくらりと来たものだ。
エルフジョークではなく、実際にレンが体験した実話である。
逆に長命種が「急げ」や「すぐ動け」と言う場合はかなりの緊急事態である。
ただコレは彼らに比べれば寿命の短いヒト種や獣人種などの感覚に慣れていない長命種の話であって、普通に街で暮らし、ヒト種たちとの交流を深めている長命種はヒト種の感覚に合わせてくれることも多い。
全てが全て、そうではないということだ。
「結構マジで殴ったから恨まれてたりするかな」
「う~ん、結構忘れっぽい性格してるッスし、今はそれどころじゃないから大丈夫じゃないッスか? それにもしレン殿に手を出したら石鎚山法起坊大天狗様が黙っていないはずっス」
「それは安心して良い……のかな?」
「少なくとも百年程度は鞍馬山や他の山で見張られながら修行三昧だと思うッス。あ、これうまいっスね」
グビリと焼酎を飲みながら烏天狗はそう語る。
なら安心かも知れない。
鞍馬山大僧正坊にはもう会いたくないが、役行者にはまた会ってみたいと思う。秘伝書を読んで理解できないことがあれば鞍馬山を訪ねればもしかしたら会えるかも知れない。
「あ、あとコレ渡して置くッス。鳴らしてくれればすぐとは言わず来ますんで」
どうも烏天狗は伝令役として任命されていたらしい。渡された鈴を鳴らせば文字通り飛んで来るらしい。
「用事がなくとも美味しいお酒のお誘いも大歓迎っスよ。宴会の頻度が激下がりっスから」
「なくなったわけじゃないんだ」
「石鎚山法起坊大天狗様も酒は好きっスからね。たまに酒の泉を作って振る舞ってくれるッス。あ、そういえば樽で貰ってたんで1樽お譲りしますッス。秘蔵の酒なんで大事に飲んでくださいね」
そう言って結構でかい酒樽を床の上に出された。
仙人とも言われる役行者が作った酒の泉の酒だ。貴重な物だろう。
烏天狗にとっても大事なストックのはずだ。
「ありがとう。すぐには飲まないけど飲酒可能年齢になったら楽しませてもらうよ」
「法律ってやつですか? んなの気にせず飲んじまえばいいんですよ。昔は12,13の子供でも飲んでたッスよ。めっちゃうまいっス。現世の酒もうまいっスけどね」
「まぁ一応あと数年だし、急がなくてもいいかなって。罰則があるわけじゃないけどね」
レンはまだ子供舌で酒に舌が慣れていない。良い酒ならいろんな酒で舌を慣らしてから飲みたい。法律の飲酒可能年齢を遵守するというよりは、色々試した結果、もう少し後にしてもいいかなと思った次第である。
今は甘味の方がレンは好みだ。酒よりもジュースや炭酸飲料を好む。様々なお茶やコーヒーにもハマっている。
20歳に成れば舌が大人になるとは言わないが、今よりはマシだろう。そこで色々飲んで味覚を慣らせば良いだけだ。
毒は勝手に自浄してしまうので、酒を飲む時は敢えて解毒の能力を落とさないと魔力持ちは酔えない。
酔っても解毒を掛ければすぐにシラフになれる。
「ありがたく頂いて置くよ。ちゃんと酒蔵で保管するから」
「あいっス。他に聞きたいことはないっスか? あとお替りがあると嬉しいッス」
烏天狗はすでに3本空けている。4本目には重蔵が隠していた焼酎の一升瓶を開けて、これが最後だぞと言いながら注いでやる。
彼らの私物なので後で同じ銘柄を買いに行かせなければとレンは思った。
レンはアーキルや重蔵に黙って烏天狗に酒を振る舞っているのだ。
そうして烏天狗との友誼を深めつつレンは知りたいことを色々と聞き出していった。
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