076
(楓に掛けた〈制約〉に干渉されてる? それに楓の方角が違うな。これは本家の方向かな)
レンはふと楓に掛けた〈制約〉への干渉を感じた。
〈制約〉は解除されればレンに伝わるし、干渉してもレンはわかる。
灯火や楓の家が解除を試そうとしていたことも知っていた。しかし解除されることはなかった。
豊川家は試さなかったようだ。理由はよくわからない。
獅子神家はどうだろうか。試された形跡はないが、〈制約〉が水琴に掛かっていることを気付いているかも怪しいところだ。
〈制約〉は隠密性も高い術だ。
神社であるが術士よりも武術を中心に妖魔や怨霊を狩っている獅子神家が気付かないことはありえないとは言えない。その辺は敢えて水琴に確認もしていない。
レンとしては解除を試すくらいは特に気にすることではないからだ。
だが実際に解除されれば別だ。〈箱庭〉はカルラやハクたちなどのレンの力がバレてしまう。
もし解除されれば即座にレンは藤森家を襲撃し、楓を攫いに行くつもりだ。
そして楓には悪いが、〈箱庭〉に閉じ込めさせて貰う。
去年表に出せなかった葵のように〈箱庭〉で過ごして貰うのだ。
高校の卒業や大学への進学はできなくなるだろうが、レンとしてはそこを譲る気はない。
ただ楓とは親しいので、生活に不満を覚えさせる気はない。
レンの本拠としている家に楓の部屋を与え、欲しいと言われたものは大概与えるつもりでいる。
(とりあえず様子見かな。ここからスカイボードを飛ばせば1時間も掛からない。〈制約〉が解けて1時間以内に楓の記憶が抜けたりするのかな。もしそうなら藤森家を滅ぼそう)
〈制約〉はレンの秘密を漏らさないようにするために掛けた術だ。
それを解き、レンの秘密を暴くということはレンに喧嘩を売っているのと同然だ。
レンとしては許す気はない。
レンの秘密を知った者全てを〈箱庭〉に放り込み、記憶を消すか、実際に命の灯を消すかは決めてはいないが、三枝家に行ったような強硬な襲撃を行うつもりでいる。
レンは藤森本家に行ったことはないが、藤森本家を偵察に行ったことはある。
と、言うか藤森本家だけでなく、近隣の退魔の家はこっそりと偵察に行っている。
主に外からどのような結界を張っているか、警備の状況はどうなのかなどを直に確認しに行ったのだ。
藤森本家は結界は張られていたが特段特殊な結界でも、破れない結界でもなかった。
数々の神の加護を得、2つ目の魔力炉を稼働させたことでレンの魔力量も上がっている。
結界を壊すだけなら様々な手があるし、カルラやクローシュに手伝って貰う手もある。
襲撃が問題にはなるだろうが、とりあえずレンの仕業だとバレないように行うつもりではいる。
どういう結末を迎えるかはやってみないとわからないが、方針としてはそんな感じだ。
「どうしました、レン様」
「あぁ、葵。どうも藤森家が楓の〈制約〉を解こうとしているみたいなんだ。掛けてすぐの時も何度か試してたみたいなんだけど、かなり時間が経って今更また試すってのはなんでだろうかなぁとか、もし解除されたらどうするか、なんて考えていたんだよ」
葵はレンの家で夕食を作ってくれていた。
レンの食事は、胃袋はすでに葵に握られてしまっている。
葵の母親の方針らしく、水琴に手解きを受け、更に研鑽を怠らない葵の料理は近隣の美味しいと評判の料理屋で出てくる料理と遜色ないかそれを凌駕する。
「あら、それは心配ですね。楓さんは分家の娘と聞いていましたから、本家から命令があったんでしょうか」
「あ~、まさに今本家にいるみたいだな」
「そういうのもわかるんですね」
「いや、さすがにGPSみたいに詳しい場所はわからないよ。大体の距離と方角がわかるだけだよ。ただ楓の家は横浜で本家は鎌倉にあるって聞いてたし、楓の反応が鎌倉方面にあるから本家にいるんだろうなってだけ」
「それで、〈制約〉は解けそうなんですか?」
「いや、どうだろう。試してるってだけだね。っていうか僕も解き方知らないんだけどね」
「えっ!? そうなんですか」
レンの発言に葵が驚いて手が止まる。
「正確に言うと自分が掛けた〈制約〉は僕は解除できるよ? でも他に〈制約〉の術者を知らないし、他人が掛けた〈制約〉を解けるかどうかはちょっとわからないんだよね」
〈制約〉は魂魄魔法や魔術を研究していた際に偶然できた発見を元に作った術だ。レン以外に使い手もしらないし、通常の〈契約〉系の術式とは全く系統が違う。
魂魄魔法や魔術に精通している術士なら解けるかもしれないが、実際解かれたことはなかった。
防ぎ方は研究して編み出したが、解き方は研究が終わる前にレンは死んでしまい、こちらに来た。
今のレンでは魂魄魔法のような高度な術は扱えない。
せめて魔力炉が最低5つは稼働していないと無理である。
当然解除方法の研究もできない。知識からこうすればできるかもしれないという仮説はいくつか立てられるが、実際に試すことはできない。
そういうわけでレンも〈制約〉の解除の仕方は知らないのだ。
「そうなんですね。私はあまり術に詳しくなくてどちらかというと独学なので知りませんでした。でも水無月家などが諦めたことを、藤森家ができるんでしょうか?」
「どうだろう。水無月家の方が力は強そうだし解呪士なんかへの顔も広そうなイメージがあるけど、水無月家のことは実はあんまり情報がないんだよなぁ」
「私もそんなイメージですけど詳しくはないですよ。東京の退魔の家の情報なんてレン様以下の知識しかありません」
レンは黒縄を使って関東近隣、または甲信越あたりの退魔の家や大きな家、有名な家などの情報は集めている。
更に悪事に手を染めている家や敵対しそうな家もチェックしている。
退魔の家についての知識は葵はレン以上に持っていることはないだろう。
だがそれは葵の役目ではない。
葵は最低限自力で自分を守り、且つせっかく命を救ったのであるから幸せであって欲しいと願うくらいだ。
葵の幸せがレンと添い遂げることだということはとりあえず置いておく。
「とりあえず様子見だね。ついでに藤森家について調べるように言っておくよ。今すぐどうこうするつもりはないかな」
「何もないと良いですね。早く楓さんとまたお会いしたいです」
「そうだね。頂きます。いつもありがとうね」
レンはそう答えて葵が並べてくれる料理に手を付けた。
(さて、どうなるのかな)
ココは地球というレンにとっては異世界だ。レンの知る術式に似ている術式もあれば、全く知らない系統の術式もある。
レンとしては探究心が尽きないが、それは〈制約〉を解除する方法に辿りつけうる術者が日本にもいる可能性もあるということだ。世界に幅を広げたら余計に可能性は広がる。
だが藤森家が可能かどうかというのは一度目の挑戦で少なくとも当時の藤森家では無理だった。新しい解呪士の伝手でもできたのだろうか。
ただ元々レンはもしあの時点で〈制約〉が解かれたら日本から脱出する気で居た。
日本より戸籍などの管理が緩い国や紛争地帯など治安は悪いだろうが流石に姿も名も変えて潜めば日本の術士たちもレンを手配はしても追っては来ないだろうという目算があった。
太平洋や大西洋、もしくは北極海や南極方面に逃げて〈箱庭〉に籠もって数年間、修行に研究に励むという手もある。
当時のレンと今のレンでは立場も取りうる選択肢も違うのだ。
今のレンだって全てを捨てて逃げ出すという選択肢もあるが、解除されれば藤森家を襲撃し、カルラなどの力を借りれば皆殺しにすることも不可能ではないだろう。
もちろん、藤森家にレンの知らない紅麗のような強力な個体や人物が存在しなければ、であるが。
選択肢が多いというのと、楓の実家ということもあって、あまりことを大きくしたいとは思わない。
〈制約〉の解除に失敗して何事もなく楓が元の生活に戻れる。それが最善だ。
(なんで今更なのかな)
レンは楓と何度も旅行に出かけているし、普通に遊んだりもしている。
楓の実家、藤森分家は玖条家と直接交流はないが、レンと楓が友人でいることはわかっているはずだ。
だが本家はより関係が薄い。というよりもほぼ接点がない。
レンの秘密を探りたいのだろうか。
葵が家に……と、言っても同じマンションの同じフロアの家に帰ってからレンに訪ねる者が現れた。
なんと小烏天狗である。しかも見覚えのある烏天狗だ。
鞍馬山大僧正坊の伝令を伝えに来た烏天狗だ。
レンはあの時怒っていたので烏天狗の首を締めてしまったが、別に烏天狗に怒りがあったわけではない。
主である鞍馬山大僧正坊の身勝手さに怒ったのだ。
「どうしたんだい」
「えぇ、アレから色々ありまして、鞍馬山大僧正坊様から石鎚山法起坊大天狗様に仕えることになったんです。それで約束の物を届けてくれとお使いを頼まれまして」
「それはもしかして術の書!」
「そうですそうです」
「そっか。とりあえず入って。絶対目立つから」
レンの家を監視している密偵は減ったがまだ存在する。
結界を張って遮音や隠蔽を掛けているが、外から飛んできた烏天狗がレンの家を訪ねたことなどバレバレだろう。
それは仕方がないし、役行者本人に現れられても困ってしまう。
神格が相当高い神霊であることは見ただけでわかるほどであったのだ。
レンは現状では争う気も起きないレベル差がある。
そしてそんな存在が来る……というよりは降臨すると言う表現が正しそうな役行者が現れれば、近隣の退魔の家が無駄に騒がしくなるのは目に見えている。
小烏天狗くらいのお使いが来るくらいの方がよほど穏当だ。
「お邪魔します」
意外に丁寧に入ってくる烏天狗を招き入れ、どこに案内して良いか困ったのでとりあえずソファを勧めた。
「お茶でも飲む。あの後どうなったかの話なんかも聞きたいんだ」
「えぇ、なんでもお答えしますよ。知っていることなら、ですけどね。とりあえずこれがお約束の書らしいです。どうぞお納めください」
「ありがとう」
なんと書は全12巻の本になっており、しかも結構分厚い。
古い紙ではなくちゃんとした現代の紙を皮の表紙を付けて紐で止めてある。
中を見ると手書きであり、図解などもされている。
現代語ではなく古語ではあるがレンは古語も勉強しているし、達筆で逆に読みづらいが読めないというほどではない。
役行者直筆の術を記された秘伝書である。且つ本人がそのような術書を残していないと言っていたので、日本に1つしかない希少本だ。
大事に読ませてもらおうと思った。
「それと、こちらも主人からの贈り物らしいです」
小さな袋から烏天狗が様々な術具を出す。それは修験道を修行するための術具であり、秘伝書に書かれている術に必要な術具だという。
1品1品が相当高位の術具であることがわかる。棍や錫杖、札や孔雀王の仏像、経典なども混じっている。
これらは新品ではなく古く使い込まれたものも多い。もしかして役行者が使っていたものかもしれない。
そして小袋はアイテムボックスのような機能があるようだ。
あっという間にレンの家のリビングのテーブルには大量の術具に埋もれた。
「ありがたくいただきます。感謝しています、と伝えてくれるかな」
「わかりました」
◇ ◇
「ねぇ、もう無駄だと思わない?」
「うるさいっ。黙っていろ」
慶樹が声を荒げる。慶樹が用意した術士たちが〈制約〉の解除を試み、失敗したのはもう4度目のことだ。
楓は藤森家本家に軟禁されていた。外出が許されないわけではない。高校には通っているが、自由に遊びに行くことは許されていない。
送迎の車が出され、学校が終わると本家の離れの1つに閉じ込められる。
そして藤森慶樹が呼んだ術士などが楓の〈制約〉を解除しようと数日に1回苦心し、失敗してうなだれて帰っていく。
慶樹は現当主和樹の次男だ。楓よりは少し年上で今は一流大学に通っている大学生である。
本家内の評価は高いらしく、術士としても優秀だとされ、取り巻きなどもいるようだ。ただ次期当主候補としては兄の方が当然確率は高い。だとしても20年は先の事だろう。藤森家は最近当主が変わったばかりなのだ。
何人か女中に手を出していると女中の噂話から知った。
だがそれはよくあることだ。
本家の女中は大体があまり術士の才に恵まれなかった分家の子女だ。
本家筋の慶樹に迫られれば断れるものではない。
だが楓は最初に慶樹に「触れたら首を斬るから」と脅した。
慶樹の目に邪な気配を感じたからだ。明らかに楓を女として見ている。
だがレンの〈制約〉に掛かっている楓を本家筋の者が囲うのはよくないだろう。そのくらいは楓にもわかる。
だが慶樹は少し考えが足らないのか、イヤらしい目で楓を見ている。
非常に不快だった。
首を斬るのは慶樹の首ではなく自分の首である。手刀であっても術士の楓に取って自分の首を落とすことなど難しいことではない。
自身の防御力を落として手刀に霊力を込め、首を斬る。それだけだ。
少なくとも目の前の男に犯されるくらいなら首を斬る。そのくらいの覚悟でキッと見つめると慶樹も本気だと悟ったのか諦めた。
(レンくん)
そして思い起こされるのはレンのことだった。
楓はレンへの恩は感じていたが、恋心はなかった。いや、自覚していなかっただけだろうか。
どのみち救われた当時は助かったということと、レンの〈箱庭〉やクローシュとの戦いが凄すぎて実感がなかった。
家に帰って初めて助かったんだと実感したくらいだ。
レンとは一緒にいて楽しいし、これからも仲良くしたいと思う。だが結婚したいとか恋人になりたいとか積極的にアピールするつもりはなかった。
美咲や葵という強烈に積極的な娘たちがいることも影響したかもしれない。
だが自身の貞操の危機を感じた時、思い浮かんだのはレンの顔だった。
(慶樹さんは私が目的なのかしら?)
最初はレンの秘密を暴きたいからだと思っていた。
だが慶樹の視線などから少なくとも目的はそれだけではなく、楓の身体にあるとわかった。
(いつまでココに居なければ行けないのかしら)
一応本家の敷地内を歩くことくらいは許可されている。
懐かしい顔にも会えたし、藤森本家にある道場で彼らの修行の様子も見ることができる。
今の楓と比べれば強力な術者が揃っているが、楓の知るレンに敵うとは思えない。
レンは多くの強力な部下を揃え、更に神霊まで従えているのだ。
カルラが出ただけで藤森家は総出で相手をしなければならないだろう。
(レンくんを怒らせたら藤森家が滅んでもおかしくないのに、そんなこと思ってもいないんだろうな)
知らないというのは幸せなことでもあるが、龍の尾を踏み抜こうとしていることに慶樹は気付いていない。
〈制約〉が解除されるということは、強力な術を使って楓から楓の知るレンの力を暴こうとするだろう。
それをレンが許すとは思えない。
〈箱庭〉と〈箱庭〉の戦力。アレだけでも異常も異常だ。もし情報が漏れ、知れ渡れば日本全国の、しかも大家と呼ばれるようなところに危険視されるか狙われるか、それとも利用されようとするだろう。
(絶対許さないよね)
そんなことになればレンは必ず藤森家に報復を行うだろう。
いや、藤森家がレンの秘密を握っただけで報復が行われても全くおかしくない。
他家の秘伝を盗んで戦争になった、なんて話は昔話ではなく、近代現代でもある話なのだ。
(あぁ、レンくんに会いたいなぁ)
レンへの恋心を自覚した楓は、そう思いながらきれいに整えられた庭を歩いていた。
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