075

「え、本家から呼び出し?」

「あぁ、理由は特に聞いてない」


 楓は父親である藤森誠から夕食の後にそう伝えられた。

 藤森本家と分家である楓の家はあまりちかしくない。

 藤森本家は退魔の家として鎌倉周辺を拠点に、妖魔や怨霊の対処を行っている。

 それに比べて楓の父や伯父などの分家は政府に仕える者が多い家柄だ。

 分家の中でも少し特殊な立ち位置となり、本拠も横浜に置いている。

 小学生の頃までは楓も本家にたまに遊びに行き、本家や分家の近い年の親戚と遊んだり道場で稽古をしたりとしていたが、最近は足が遠のいている。


 誠たち分家の一部が政府に出仕しているのは、陰陽寮の解体があったからだと聞いている。

 陰陽寮は解体され、朝廷や政府直轄の陰陽師の家は表向きいなくなった。

 しかし実際は違う。

 それで政府から距離を取った陰陽師の家もあれば、朝廷に仕えることを選んだ家、政府高官や機関と距離が近く、そのまま政府に雇われた家など様々だ。

 陰陽寮解体も政府が満場一致で行った政策ではない。一部の反対議員は居たが、結局押し切られたと言う。


 そして退魔の家という制度ができるまで、国に仕えて来た陰陽師の家は宙ぶらりんとなった。

 だが妖魔や怨霊の脅威は絶えないし、地元を守ってきた矜持というものもある。

 神社や寺院も神仏分離令などで混乱が起こった。


 その目的は政府が一括で術士を管理したいという思惑があったと言う。

 多くの家が秘伝とされている術や訓練法を公開させ、政府が管理する。

 そうすることにより術の研鑽が行われ、術士の全体の底上げになり、且つ独立色の強い術士を監視できる。

 しかしそれは叶わなかった。

 神社も寺院も、そして陰陽師なども政府に管理されるのも自家の秘伝や訓練法を公開するのも拒否したのだ。


 元々そういう政府の思惑は明治政府ができてからも、できる前の江戸時代や室町時代などにも似たような統制を取ろうとしていた歴史があった。

 だが全て失敗した。

 現代は退魔の家と呼ばれる寺院や神社、陰陽師、更には西洋やアジアの術式を取り入れて独自の術を作り上げた家などは、明治政府のその方針に反発した。


 反発したから神仏分離や陰陽寮解体があったのか、その2つがあったから反発が強くなったのかその辺りの関係性まではわからない。

 政府内でも、各家々で考え方の違いも方針もあり、取った道も別れていったからだ。

 そして藤森家は元々陰陽寮に所属する陰陽師の家の1つだった。


 そこで藤森家は1つの方策を取った。

 分家の一部を切り離し、その分家たちを取りまとめて政府に出仕させる。誠のように警察組織に居るものも居れば自衛隊や海上保安庁などに勤めているものも居る。兄も政府機関に勤めている。

 そして本家は政府と距離を取り、政府が折れ、退魔の家の制度ができてからは独立した退魔の家として勢力を広げている。


 そういう事情があり、楓の家と本家は同じ藤森の名を冠する家ではあるが、役割が分けられていて、情報の共有もあまりなされない。

 本家の当主など楓は顔しか見たことがない。話したことすらないのだ。


 そしてその本家の当主が楓を呼んでいるという。

 その当主が問題だ。

 問題というか、つい先月の9月に前当主が隠居を宣言し、息子に跡を継がせることを決めた。

 院政というわけではないが、前当主は息子であり現当主の後ろ盾となった。同時に前当主を支えた重鎮たちも一部はその席を後進に譲って隠居したという。


 そして10月の末になり、その新当主から楓がわざわざ指名で呼び出されている。

 楓としては呼び出される理由など覚えがない。元々本家と距離を置いている分家の娘など本家が気にするものではないのだ。


 だが当主が変わったということは、本家の方針や考え方が新当主の意向を反映したものになるということだ。

 今まで楓のことなど気にかけず、レンの〈制約〉については興味を覚えたのか解呪を幾度か試されていたがそれも断念され、それ以来本家からのアクションはない。


「一体何の用かしら」

「さぁ、わからんな。だが新当主様となった和樹かずき様かそれに近しい者の意向であることは間違いないだろう。前当主、俊樹としき様の隠居により、上層部も多くが隠居し、入れ替わった。本家の方針がこれからどうなるのかは俺もわからん。それにそれが楓とどう絡んでいるかは予想もつかないな」

「そうよね。行ってみなければわからないわよね。行きたくはないけれど、そういうわけにも行かないんでしょう?」

「格別の理由がなければダメだろう。一応本家だしな。俺すら本家の呼び出しには逆らえん。それに前当主の俊樹様の名で呼び出されている。流石に無体を働かれることはないと思うが、無視もできん」

「仕方ないわ」


 誠は自身は悪くないのに申し訳無さそうに楓に言った。



 ◇ ◇



 藤森慶樹けいじゅは父親である藤森和樹の部屋で話していた。

 主な内容は楓のことについてだ。

 楓は去年の6月に起きた川崎事変に巻き込まれ、誘拐された。

 そして玖条漣と言う少年に救い出され、無事に帰ってきたが玖条漣について喋ることができないという呪いを掛けられた。

 後に調べさせた所、大水鬼討伐の功を得て玖条家という新しい退魔の家を興し、新興でそれほど人数は居ないが戦力を整えているらしい。

 レンについての情報は驚くほど集まらなかった。

 なにせ異能に覚醒した少年であり、且つその異能がどんな物かもわかっていない。

 藤森家は川崎事変では人を出したが、大水鬼討伐には関わっていない。

 レンの活躍についても、赤い雷と浄化の力の強い水を操り、核を強烈な力で撃ち抜いたとしか伝わっていない。

 更に3人で討伐に参加しており、レンがどの攻撃を行ったかなどは謎なのだ。


 祖父であり前当主であった俊樹は解呪を試したそうだが、うまく行かなかったらしい。また、水無月家からも無理な解呪は心身に危険を伴うと言われたり、藤森家と縁の深く、高度な解呪が使える僧侶が解呪はできないこと。無理にやらない方が良いと言ったことで俊樹は解呪を諦めた。

 元々分家の未熟な若い娘である。妙な術が掛けられていたとしても藤森家の秘伝を知っているわけでも何でもない。ならば放置していても良いだろうと祖父は判じたのだ。


 当主の判断である。孫であっても慶樹の意見が通ることはない。

 だが9月になり、父親の和樹が新当主になった。


(あの女は俺が狙ってたんだ。俺の物にならないのなら多少おかしくなったってかまわねぇ)


 慶樹は幼い頃に楓の姿を見て可愛らしい子だと思っていた。しかしそれ以来あまり姿を見ることがなくなった。そしてふと楓のことを思い出し、彼女が高校生になった時に、手下を使って楓の写真を手に入れていた。

 楓は慶樹好みの女に成長していた。


 いつ祖父が隠居するかわからないが、慶樹は藤森本家の直系だ。そして後継者はよほどの事がなければ長男であり父親の和樹になるだろうと目されていた。

 ならばいずれ分家の娘である楓を慶樹の妾にでも、と狙っていたのだ。


 しかしレンが楓に〈制約〉を掛けた。そしてその〈制約〉は解けていない。

 おかしな術が掛けられた女を本家直系の男子の傍に侍らせる訳にはいかない。

 慶樹の拙い計画はレンに寄って破壊されたのだ。

 だが祖父が隠居を発表し、和樹が新当主となった。

 慶樹は藤森家に他家の人間におかしな術を掛けられた子女が居るのは良くない、解呪を再度試すか追い出すべきだと主張した。


 だが楓の居る分家は他の分家とは性格が違う。それに1度前当主である俊樹は楓を追い出せなどとは言わず、父親である誠にきちんと管理するようにと言いつけただけで、事実上放任した事実がある。

 今更和樹が追い出せと言えば、本家と分家の関係性が険悪になる。

 娘1人の為にそんなリスクは負えないし、慶樹にそんな権限はない。


「俺は当主の仕事で今忙しい。もしやりたいというならお前に任せる。しかし無理はするな。誠は俺も知っているが実直な男だ。それに娘との仲も良好だと聞いている。無茶をして壊してしまっては分家との仲も悪くなる。それほどの価値はあの娘にはないだろう」


 慶樹の本心を知らない和樹はそう答えた。

 慶樹に取っては楓の扱いを任されたという許可が得られただけで十分だ。


(よしっ、まずは楓を本家に呼び出させることにしよう。祖父に頼むか。俺の命令じゃ少し弱いしな)


 和樹の許可は出た。だが慶樹は誠とそう面識もないし、立場としては現当主の次男というだけだ。

 次期当主として指名されてもいないし優秀な兄も居る。実力はそう変わらないが、格段の差や理由がなければ慶樹が当主を継ぐ可能性はそう高くない。

 それに当主が変わるのは慶樹が父親の年齢になったくらいの時期だろう。

 その時にはまた気に入る女が分家にいるかも知れないが、楓が若く美しいのは今からだ。

 だがまずレンに掛けられた術を解かなければ話は始まらない。


「お祖父様、お願いがあるのですが」

「なんじゃ、隠居したばかりのじじいに」


 祖父は離れでゆったりと茶を飲んでいたが、孫には厳しくも話は聞いてくれる男だ。

 慶樹は楓に掛けられた術は藤森家に取って危険であり、メンツに関わること。和樹の了解は取ったこと。しかし楓を慶樹の名で召喚するには弱いので、祖父に頼みに来たとそのまま伝えた。


「アレはうちではできんと結論が出たし、そこまでこだわることでもなかろう。じゃが和樹が認めたなら呼び出すくらいなら協力しよう」


 当主が変わり、藤森家は今少し不安定な状況にある。だからこそ俊樹は新当主の和樹の許可があると聞いて腰を上げてくれた。


(よしっ、祖父のような伝手はないが俺の友人たちにも解呪を得意とする奴らがいる。とりあえず呼び出してそいつらにやらせよう)


 慶樹は離れを出るとにやりと笑った。



 ◇ ◇



「楓がドタキャン? 珍しいね」

「えぇ、でも本人から連絡が来たの。家の関係らしいから、特に問題に巻き込まれたわけじゃないと思うんだけど」


 玖条ビルに来ていた灯火がそう言いながらも心配そうな表情をする。

 今日は灯火と楓が日程を合わせてレンの元を訪ねてくる予定だったのだ。

 楓は比較的親からは自由を許されているらしく、受験生なのに遊びに行っていると聞いている。

 しかしそれは余裕の表れでもある。楓の志望校の学科と楓の模試の結果などを見て、それほど根を詰めて勉強に励まなくても余裕だと楓自身が言っていた。

 実際高校2年生から受けている全国模試などでずっとA判定を取っているというのだ。

 ちなみに灯火は推薦を取っているのでより余裕だ。


 2人は大学進学を決めている。一昔前はそうでもなかったらしいが、最近の術士の家系の子女は大学に進学することも多いらしい。

 灯火の姉も大学を出ているし、楓の兄も卒業している。


(大学かぁ。そういえば進路指導調査を出せとか言われてたな)


 レンは大学に通ってまで学びたいことは特になかった。専門書は手に入るし論文も公開されたものはネットで読める。必要なら取り寄せることもできる。

 受けたい教授の授業があるのなら入学しなくても聴講生などという制度もある。


 興味があるとすれば金属工学などだが、理系の大学は忙しいらしいし、わざわざ大学に入らなくても金さえ詰めば大学や企業が使っているような研究機材なども手に入れることができる。

 如月家に頼めば先端素材や珍しい合金なども手に入れてくれる。

 酸やアルカリなど危険な薬物なども資格を持った人間を揃えているらしく、頼めば代理で購入してくれるのだ。


「心配しても家のことには介入できないしなぁ。連絡は取れてるんでしょ? とりあえず様子を見るしかないんじゃないかな」

「そうね。連絡が取れなくなったわけでもなんでもないものね」


 珍しいが優先度の高い用事ができて遊びに来れない。それだけだ。

 その時はみんなそう思っていた。

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