068.役行者
(うまい具合に強力な結界が張られているじゃないか)
レンは鞍馬山大僧正坊と吾郎たちが戦っている場を見てそうほくそえんだ。
なにせ人気のない山間部の上空で戦闘が行われている。
これなら多少他人には見せたくない術を使っても良いだろう。
「何をしているんですっ、加勢してくださいっ」
「黙れ。次は縊り殺すぞ」
「ひっ」
烏天狗に端的に脅すと、レンは戦闘をじっと観察する。
ヤバイと感じた女性、紅麗は鞍馬山大僧正坊と正面から殴り合っている。
大天狗と殴り合えるとは恐ろしい力だ。だがどうも力のコントロールに苦心しているようで、強大な力に振り回されている感がある。
鞍馬山大僧正坊は僧服を着た禿頭の老人のような姿だ。白い髭が長く伸びている。ただ巨体だ。身長は3mほどあるのではないのだろうか。更に結構太っている。
手には錫杖を持ち、紅麗の苛烈な攻撃に苦戦しているが、羽団扇で竜巻を出したり炎を吹いたりと距離を取ろうとしているのがわかる。
他にも多数の天狗の姿が見られる。人型、烏天狗、大きさも様々だ。
さっきレンと剣を打ち合わせていた男、李偉や一緒に逃げ出した男、吾郎は彼らの相手をしている。
吾郎は大規模な術を使って天狗たちを近寄らせず、李偉は逆に接近戦で何体か吹き飛ばしている。
それに僵尸鬼が2体居て彼らもなかなか善戦している。
数は天狗たちのが多いが、特に李偉と紅麗が強く、結果的に戦線は互角と言う感じでどちらが勝つかはわからない。
「何をしておる。早く加勢せんかっ。こいつらを叩きのめすのじゃっ」
その鞍馬山大僧正坊の一言でレンはどうするか決めた。
『アーキル、重蔵、葵、下がってて』
『レン様っ、無茶しちゃダメですよ』
『ちょっとあの阿呆をぶん殴ってくるだけだ』
レンはぐびりと霊薬と魔法薬を飲んだ。以前より地力が上がっているので急激に魔力が体内を荒れ狂う。
更にカルラに頼み、〈精霊憑依〉を行う。
〈精霊憑依〉は以前使った〈精霊融合〉とは違い、主体がレンの身体になる。
1年以上前のレンでは使えなかった術だ。単純に言えばレンの身体にカルラの力が流れ込み、強化する術だ。
一時的に爆発的な力を得たレンは〈飛行〉の魔法を唱え、鞍馬山大僧正坊と紅麗の戦っている戦場に特攻した。
鞍馬山大僧正坊は味方が来たと思っているだろうがそれは違う。
レンは紅麗の一撃を防いでいる鞍馬山大僧正坊の背中に飛び蹴りを放ち、吹き飛ばした。木々を何十本も薙ぎ倒しながら鞍馬山大僧正坊の身体は地面に大きな溝を作り出した。
それには紅麗も何が起きたかわからなかったようで、動きが止まっている。
〈箱庭〉から呼んだハク、ライカ、エンが現れ、紅麗陣営も天狗陣営も急に現れた神霊クラスの3体の威圧で争いが止まっている。
レンは即座に地面に埋もれる鞍馬山大僧正坊に追撃し、降下する勢いを利用して両足で腰に蹴りを放ち、更に地面に埋もれさせる。
そして無理やり仰向けにさせ、胸元を掴んで地上に放り投げ、飛び上がって鞍馬山大僧正坊の顔面の中心に思いっきり拳を放った。血が拳にこびりつく。返り血がレンにびしゃびしゃと掛かる。
「だ、大僧正坊さま~っ」
どこかの天狗が叫んでいる。
だがハクが睨みつけるとその天狗は動けなくなった。
「ぐえっ、なっ、なにをするっ」
連撃をなんとか避けるように鞍馬山大僧正坊は逃げ出し、レンに問いただす。
「なにをするじゃねぇ。勝手に上から命令しやがって。僕はお前の手下でもなんでもねぇぞ。このクソ天狗がっ」
「ぐあっ」
レンはカルラの力を借り、魔力を限界まで込めた渾身の一撃を鞍馬山大僧正坊の胸にぶち込んだ。その一撃には〈
鞍馬山大僧正坊はその一撃で死にはしなかったが、大ダメージを負い、意識を失った。
(ちっ、流石に頑丈だな。だが死なすのもまずいか。一応鞍馬寺で祀られている神様みたいなものだし、大天狗の1柱でもあるしな)
殺すのはまずいかもしれない、だが念の為腕の一本くらい貰っておこうとフルーレを取り出すと、そこに声が掛かった。
「待てっ、待つのじゃ。そこまでにして欲しい」
そこに現れたのは明らかに格の違う神霊だった。山伏姿の小柄な老人で、パッと見でも鞍馬山大僧正坊などよりも相当格上だ。
少なくとも強化したレンでも現状敵う相手ではない。戦うのならばハクやライカやエンだけでなくカルラやクローシュの力も借りなければならないだろう。総力戦である。
だがそういう雰囲気ではない。
「貴方は?」
「儂は役小角という。役行者や
「では役行者と呼ばせて貰います。それで、目的は仲裁ですか?」
レンは意識を失った鞍馬山大僧正坊の首筋にフルーレを当てながら役行者と話を続ける。
今のレンがフルーレに魔力を最大限まで込めれば鞍馬山大僧正坊の首すら落とすことができるだろう。ただしタイムリミットも近い。
「そうじゃ。争いはそこまでにして欲しい。儂も慌てて来たので詳しい話はわからぬが、とりあえず剣を収めてくれぬか」
「仕方ありませんね。戦っても敵いそうもありません。話を聞きましょう」
「これ、そこの天狗、状況を説明せい」
そうして役行者の仲裁により、事の発端やこの争いの理由などが語られた。
内容は酷いものだった。
三枝家が怨念を集めているのは京では有名な話だ。少なくとも天狗たちは気付いていた。だがそんなことを行う術者たちは歴史を振り返れば多数居た。だから気にもしていなかった。
そして三枝家が最近高杉弘大を使い始めた。
彼の魂蔵に怨念を詰め込み、それを更に移して怨念を集める効率をあげていたのだ。
その報告を聞いた鞍馬山大僧正坊の弟子の天狗は弘大の状態を確認させるように天狗たちに命じた。
魂蔵は怨念に染まっていて、いつ破裂するかわからないと言う。
もし魂蔵が怨念を抱えたまま破裂すれば、強力な怨霊となる可能性がある。
だが鞍馬山の僧は京都の複雑な事情により、動かせない。それに鞍馬寺と三枝家にはそれほど接点もなかった。
そしてそこにレンたちが現れた。鞍馬山を参ったのだ。
そこに豊川の姫が居ることを見た鞍馬山大僧正坊は豊川家に事を放り投げることにした。
以前藤の縁者を助けたことを思い出したのだ。
酷いのはそれを決めたのが酒の席だということだ。鞍馬山大僧正坊は弟子の天狗たちと宴会を開いており、そこで報告を聞き、思いつきで決めたのだ。
それが巡り巡ってレンに調査依頼ということで回ってきたらしい。
しかし調査の途中で紅麗が復活した。紅麗の復活は鞍馬山大僧正坊も予想外だったらしい。その強烈な波動は鞍馬山までも届き、更に紅麗は京都の山中を逃げ出している。
これはまずいと慌てて部下の天狗たちを連れて紅麗を倒しに出てきたらしい。
しかし思っていた以上に紅麗たちは手強く、豊川家縁のレンたちに加勢を命令したというのだ。
(天狗に会いたいとは思ってたけど、こういう形じゃないんだよなぁ)
レンは鞍馬山の伝説や役行者の伝説なども文献で呼んでいた。
鞍馬山大僧正坊は鞍馬寺でも祀られている大天狗だ。
かの源義経に剣術などを教えたなどという伝説もあり、日本八大天狗や48天狗にも名を連ねている。
だが元々は誰だったかとか、生前どんなことを行ったかなどの伝説はレンの読んだ文献には見られなかった。
役行者は「続日本紀」には記述が少しだけあるが、それは伊豆大島に流されたという下りくらいだ。しかも呪術師として高名で、嫉妬により時の天皇に告げ口をされ、追放されたというなんというか怨霊になってもおかしくない伝承だ。
『日本現報善悪霊異記』には役小角の伝承が多く記載されているが、7世紀に居たとされる役小角没後からかなり経って9世紀に作られた本であり、当時の伝承などを纏めた物で本当のことかどうかは判断できない。
だが役行者は強力な呪術師であり、仙人でもあり、鬼神を使役したなどという伝承や、流された伊豆大島から毎日海の上を歩き、富士山を登ったなどの伝説がある。
修験道の開祖であり、様々な道場を建立したり、役行者縁の寺院なども多く現存している。吉野の地だけでなく富士山にも役行者縁の寺院がある。
実際目の前に居る役行者は鞍馬山大僧正坊のような高圧的な態度はしていない。
レンに対しても紅麗たちに対しても、それなりに礼を持って対応している。
葵やアーキル、重蔵もついてきた。
「まずはそこのおなごじゃ。そなたは強力すぎる力を宿している。その力を持って暴れられては堪らぬ。どのような了見か聞きたい」
「彼女は日本語は理解しない。だが暴れさせる目的で彼女を復活させたのではない。僕はただ死んでしまった恋人にまた会いたかっただけだ」
紅麗の代わりに吾郎が答える。紅麗は剣を鞘に仕舞い、戦闘態勢も解いている。
「お主は仙人か。それで僵尸の術を使って蘇らせたのだな」
「二度と彼女を失いたくない。そう思ってできる限りの力を籠めた。迷惑だというならどこかに隠れ住んでも良いし大陸に渡っても良い。静かに生活するのが僕らの望みだ」
しかしその言葉に役行者は表情を顰めた。
「大陸に渡られるのはまずい。神霊には神霊の世界の縛りというのがある。仙人程度が渡るならともかく、そのおなごが日ノ本から中国に渡ると余計な問題が持ち上がるだろう」
「ならばどこかの山奥にでも僕らは移り住もう。そこで静かに暮らす。それでどうか」
「ふむ、検討に値する提案じゃ。それでは次じゃ」
役行者はレンを向く。
「そこな少年よ。お主は何を望む。鞍馬山大僧正坊の首か?」
「コイツがまるで僕を上位者のように顎で使おうとしたからムカついて殴っただけだ。しっかり躾けるために腕の一本も貰うつもりでいたが殺すつもりはない」
「ふむ、迷惑を掛けたようじゃな。儂から詫びを入れよう。何か望みはあるか」
レンは少し考えて答えた。
「役行者は修験道の開祖で様々な術を知っているのだろう。その術を記した書が欲しい」
「ふむ、秘伝書の類か。特にそのような物は持っておらぬが、新しく作って渡そう。それで良いか」
「あぁ、十分だ。ついでにそこの者たちを引き取ってもいい。彼らの望み通り静かな場所で暮らさせ、きちんと管理することを約束しよう」
レンはここぞとばかりに仙人たちを手に入れるように画策した。
彼らの使う術は日本式ではない。未知の術式が多い。それに紅麗の力は膨大だ。少なくとも鞍馬山大僧正坊と目覚めたばかりで殴り合えるほどの強力な人間だ。
彼らが人目を避け、静かに暮らしたいというならうってつけの場所がある。ついでに戦力として取り込めれば最高だ。
「ふむ、そう言っているがそちらはどうか」
「僕らが目立たず、静かに暮らせる場所を提供できるというのか」
「約束する。いくつか条件はあるけどな」
「少なくとも鞍馬山の天狗や役行者に目をつけられた状態で京都に居座るのもまずいし、三枝家にも迷惑が掛かる。紅麗を僵尸鬼化し、復活させるという目的は既に達成されている。条件というのは擦り合わせが必要だけれど、前向きに検討したいと思う」
「うむ、それではその方向性で話を進めて貰おう。この阿呆は儂がきちんと躾けて置くことにしよう。現世のことは現世の者にやらせるべきじゃが、そこのおなごの力が予想外だったことからも情状酌量の余地があるとしても、やり方が乱暴すぎる。話せば話し合いができる手合いではないか。まずは事情を聞くなど穏当なやり方はいくらでもあるじゃろうに」
役行者は鞍馬山大僧正坊にお仕置きをしてくれるらしい。
役行者はしっかりと仏道を学んだ僧と言う感じだが、鞍馬山大僧正坊は破戒僧というイメージが強い。
大天狗であるから相当な力量ではあるのは間違いないが、行動が臨機応変と言うよりは行き当たりばったりであるし、レンに対しての態度も悪かった。
少なくとも崇めようとも尊敬しようとも思えない。
よく鞍馬寺の僧たちはこんな天狗を崇めているものだと思ってしまうほどだ。
役行者は白い縄のようなものを操り、鞍馬山大僧正坊を縛り上げた。そして彼の部下である天狗たちにも山に帰るように命じる。
そして宙に浮き、強力な力を籠め、術を放つ。
役行者の神通力が鞍馬山大僧正坊たちと紅麗たちが戦いの際に傷ついた山林や変わった地形が自然な形に戻っていく。ついでにレンが作った大穴も元の形かはわからないが塞がれた。
「これで良いじゃろう。儂の部下を1人残しておく。どうなったか顛末はこやつに伝えてくれれば良い。そこな少年、迷惑を掛けたな。迷惑料の代わりに儂の加護をやろう」
そう言って鞍馬山の烏天狗とは服装や顔立ちの違う烏天狗が1体現れた。
レンのついでに葵、アーキル、重蔵にも加護を貰うことができた。
思いもよらぬ報酬だ。
それらが終わると役行者は天狗たちを引き連れてどこかに飛んでいった。
「じゃぁえぇっと、名前も知らないんだけれど、条件を詰めようか。ただココは目立つから少し離れよう」
「わかった。三枝吾郎だ。吾郎と呼んでくれ」
「
「由美です」
「多香子です」
「玖条漣だ。いきなり攻撃されたから反撃したけれど、別に君たちに恨みがあるわけじゃない。良い場所があるから条件を飲んでくれるなら紹介する。その前に移動しよう」
「あぁ、わかった」
レンたちは役行者が置いていった監視役の烏天狗と共に移動し、〈制約〉を受けること、本拠は東京であること。緊急時には力を貸して欲しいことなどを伝えた。
「それで紅麗と静かな場所に暮らせるならそれでいい」
「俺もいいぜ。レン。あの大天狗をぶちのめしたところなんか最高だったぜ? やるなぁ。俺との戦いの時にあんな力を使われてたらヤバかったな」
由美と多香子は従者らしく吾郎の決定に反対はないらしい。
紅麗も吾郎が説明していたが、頷いていた。
レンはさっそく〈制約〉の術を掛ける。
紅麗たちは力が強すぎて本人が受け入れる気がなければ〈制約〉を無理に掛けることはできなかっただろう。
内容もレンの力の秘密について縛るだけでそれほど厳しいわけじゃない。
そうしてレンは2人の仙人と3人の僵尸鬼を手に入れたのだった。
短い時間だったが、濃い夜はそうして終わった。
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