061.霊格

「熊野も良かったけど吉野もいいね。こういう自然豊かなのは好きだよ。東京は人が多すぎ」

「それは私もそう思います」

「都心部は特にそうよね」


 レンが吉野の景色を堪能していると葵が同意し、水琴も同じく答える。

 灯火はその都心部に住んでいて、楓は横浜の高級住宅街に住んでいる。

 人の多さには慣れているだろう。

 だがレンの住む街はそれほど人口密度は高くない。

 田舎というほどではないが、東京都でもあまり栄えていない場所だ。

 少し電車や車で足を伸ばせば大きな街もあるが、レンは落ち着いた雰囲気の街や自然豊かな場所のが好きだった。

 ついでに夏の暑さもアスファルトや住宅やビルの排熱、通っている車の排ガスなどが少ないので緩和されている。

 レンは日本の夏の暑さが苦手なのでやっぱり涼しい所が良いなと思った。


 大峯山龍泉寺や金峰山の金峯山寺などを参り、役行者縁の地などを巡る。

 洞窟探索をしたり、湧き水などを飲んだり、滝を観光する。

 修験道体験などもあったが、見た感じ観光客向けだったので、より多くの場所を巡ることにした。


「なんかこう、仏像の形も独特だよね」

「権現と呼ばれていて、仏の仮の姿ですからね。時代や彫った彫刻士に寄って色々ですが権現系はちょっと独特な見た目が多いです」

「蔵王権現とかどっちかというと仏っていうよりは鬼に見えるもんなぁ」

「ふふっ、それは流石に不敬ですよ」


 奈良県は葵の故郷だ。実家があるのは吉野ではないらしいが流石に詳しい。

 吉野は流石に修験者の聖地だけあって修験者が多い。

 その中には魔力を持った者も多いが、どんな術を使うのだろうか。

 神通力を使うのか、それとも仏教系の術なのか。

 修験道は仏教系ではあるが、仏に祈るのではなく修行して悟りを開くことを目的とした独特な形態だ。

 当然祈りもするだろうが、自然豊かな山の道場などで心身を鍛え、仏に近づくこと考えられている。

 仏を力のある神霊とすれば、自らが神霊になるのが目的とも言える。


 実際修験道の開祖とも言える役行者は数ある名の残る天狗の中でも別格に扱われている。前鬼後鬼など鬼神を使役したなど、多くの逸話がある。

 しかし修行をした結果天狗になるというのは不思議な話だ。仏に近づくと天狗になるのだろうか。

 天狗は大火事などを起こし、悪さをする存在として描かれることも多い。

 また、人の姿ではなく烏天狗など異形の姿でも描かれる。

 前鬼は後に大天狗となり、八大天狗の1柱として大峰山前鬼坊になったと言われている。

 前鬼と後鬼は夫婦神であり、その子孫が五鬼の名を関した家柄で、今も残っているという。


「春の桜は凄いですよ」


 吉野山は桜の名所としても有名で、かの豊臣秀吉も花見を楽しんだという。

 春にこっそりと来て熊野古道散策もしつつスカイボードで夜桜でも楽しみに来たいなと思った。



 ◇ ◇



「葵、準備はいい?」

「もちろんです」


 レンはその日の夜、葵と2人で宿を抜け出していた。

 逢引とかそういうのではない。葵が行きたいところがあるとこっそり言ってきたのだ。

 そこは明神池という場所だった。

 池神社という神社がある場所であり、今回の観光スケジュールにはない。

 夜の明神池は明かりも少なく、月光に照らされる明神池は神秘的な雰囲気を醸し出している。


「なんでココに来たかったの。それに来たいならリクエストすれば来れたと思うのに」


 観光スケジュールに組み込むのも無理な距離ではない。

 灯火に言えばみんなで来れただろう。


「ちょっとみんなの前ではできないことがあったので」


 そう言うと葵は明神池の中心部に降り立った。

 池の水の上に普通に立っている。〈浮遊〉ではなく、レンも知らない方法だ。白蛇の血の為す術だろうか。

 葵が何か呟くと聖気が葵に集まってくるのがわかる。

 悪い物ではない。

 元々吉野の山々は地脈の力が強く、魔力や聖気が強い土地だ。


 渦巻くように聖気が葵の周囲を回転し、それらが葵に吸い込まれていく。

 葵は疲れ果てたようでレンが手を貸してスカイボードの上に引き上げた。


「何をしたの。一気に葵の魔力と聖気が上がったけど」

「なんていうんでしょう。ここ明神池は私の祖先である白蛇が住んでいたと言われているんです。それに様々な水神を巡って私の力も上がりました。今ならできると思ったのでやってみたかったんです。成功するかはわかりませんでしたが、成功して良かったです」


 葵曰く、今までは人間8割白蛇の力が2割程度の割合だったという。

 だが今回の儀式で白蛇の力が大きく増大した。

 それはつまり葵の存在はより白蛇に近くなったと言える。


「レン様はそのうち寿命を伸ばすか老化を止めるかなどして〈箱庭〉に隠れ住むつもりなんでしょう。だったらそれにお付き合いしたいなと思ってまして」


 葵は存在がより妖魔や神霊に近くなった。それはつまり人間のくびきを外すことに近い。葵が言うには今の状態で多分数百年くらいは生きられるように成ったと言った。


「バレてたのか。いや、僕も成功するかどうかはわからないけどね。80年程度じゃ僕のやりたいところまでは届かないと思うから、そのうち身を隠すか姿と名前を変えて他国で活動しようと思ってたんだけど」

「バレバレです。異世界で500年生きた大魔導士が、地球で100年程度の寿命でそのまま死ぬとは思ってません」


 レンは葵の見識に驚いた。そしてそのレンに付き合うために人間を辞めてまで付き添うというのだ。葵の覚悟のほどが伺える。

 添い遂げるという言葉があるが、100年程度ではレンの探究心は満たされないのは目に見えていると葵は見抜いていた。

 確かに100年では全ての魔力炉の励起もできるかどうか怪しい年月だ。

 実際前世では多くの妻が居たが、レンの寿命に付き合える長命種や高位の術士でない妻を何人も看取ったものだ。


「僕は前もこちらでいう人間だったし、人間辞めるつもりまではないけどね」

「神霊は寿命が長いか、ないんですよ。レン様は昔も人間の皮を被った神霊とか精霊に近い存在になってたんじゃないですか?」

「うっ、その可能性は否定できない」


 なにせレンの長寿は精霊から与えられた霊珠が原因だ。身体は若返り、老いが遅くなり、寿命が大幅に伸びた。他にも加護やら何やら色々と魂に混ざっている。魔物のようにおかしな再生能力があったりはしないが、膨大な魔力で覆われたレンの肉体は敢えて〈強化〉せずとも通常の剣では斬り裂けないほどの硬度も持っていた。

 ある一定の範囲を超えた強者は、世間からは化け物や人外などと呼ばれることも多いし、様々な手法で寿命の軛から外れる手段も揃っていた。

 そしてレンは寿命を伸ばしたり若返ったりする当てがあり、いつかは自身に使うつもり満々だった。


「レン様も向こうで死んだけれど、いつまで自分の寿命があったのかわからなかったって教えてくれたじゃないですか。だったら絶対こっちでも何かしらの手段で寿命を伸ばすと踏んだんです」


 藤などはいつから生きていたのかすらわからない。伝承と現実はわからないが、豊川家は鎌倉時代以前から存在している。

 少なくとも1000年以上前の話だ。しかもその時点で藤は仙狐だった。

 仙狐とは長く生き、仙術を会得した狐の神霊だ。

 仙術も気になっているレンとしては、いつか仙術も学んでみたいと思っている。


(そういえば明神池には白龍の伝説があったな)


 龍と蛇は混同されることが多い。神格が水神の神は蛇神、または龍神とされる。

 葵の先祖であり白宮家の始祖である白蛇は思ったよりも強い神霊だったのかも知れない。

 そんな白蛇が死に瀕し、助けた男も只者の訳がない。おそらく相当高位の術士だったのだろう。

 葵の祖先である白蛇は藤のように白宮家の守護神として今もいたりはしないそうだが、現代でもどこかに生きて潜んでいる可能性すらある。


「狙った通り霊格が上がりました。これでもっとレン様のお役に立てますね。レン様はすぐ強くなっちゃいますから追いつくのが大変です」


 〈隠蔽〉の魔道具で上がった魔力などを隠していたのだけれど、豊川家でレンの格が上昇したことは葵にはバレていたらしい。


「お手上げだよ。それに葵が強くなったことは純粋に嬉しいよ。ただその魔力の上がり方は尋常じゃないから、前上げた腕輪に〈隠蔽〉の機能をつけてあげる。隠さないと目立ちすぎるよ」

「レン様も急激に強くなったけど、隠しきれてませんよ。多分灯火さんと水琴さん、美咲ちゃんにはバレてます」

「えぇっ!?」


 それに楓やエマ、エアリスも気付いているかどうかわからないだけで確信はないと言う。


「ちゃんと隠してるつもりなんだけどなぁ」

「漏れ出す霊力の密度が変わった気がするんですよね。それに直接触れれば流石にわかります」


 水琴は〈水晶眼〉があるし、灯火もなにかしらの能力を隠し持っているのは知っている。美咲は藤の血を引いているのでどんな力を隠しているのかはわからない。

 水琴と葵、エマとエアリスは訓練を一緒にしたりしているが灯火、楓、美咲の3人はどの程度戦えるのかも知らない。

 戦った姿を見たこともないのだ。

 漠然と、どの程度魔力があり、制御能力がどのくらいかわかっている程度だ。


 生贄に選ばれるだけあって全員ポテンシャルは非常に高い。

 それに攫われた経験から5人とも以前とは比べ物にならないほど自身を鍛えている。

 命の危機を感じたことで自身の身を護るためには、修行を重ねるしかないと気付いたのだろう。

 いつも一緒に稽古している水琴と葵は別にしても、会う度に強くなっているのがわかる。


「とりあえず帰ろうか。抜け出したのもバレてるかもしれないけどね」

「夜のデートというには色気がありませんが、ココは来てみたかったので満足です。儀式も成功しましたし。ですがせっかくですのでちょっとデートっぽいこともしましょう」


 葵は嬉しそうにレンの腕に飛びついた。



 ◇ ◇



『ボス、夜中に抜け出したでしょう。せめて一言いってください』

『え、なんでわかったの』


 翌朝、アーキルに苦言を呈された。


『単純に赤外線で見張ってるんです。ボスだから良いかと思ってましたし追う手段がなかったので諦めましたが、一応オレらは護衛でもあるんで、一言言って欲しいです』

『あ~、そんな手が』


 サーモグラフィでおかしな動きがないか警備の者たちは周囲をチェックしていたらしい。レンの隠密装備は温度も隠すが、逆にレンの温度がなくなれば抜け出したことはバレてしまうだろう。

 レンは魔術の探知などは誤魔化すのは得意だが、そういう科学技術にはまだ疎い。

 次からは抜け出す時には自身の温度も遮断し、偽の温源をふとんに突っ込んで抜け出さなければと思った。



 ◇ ◇



「三重県、和歌山県、奈良県も良いとこだったな。海が近いのもいいね」

「引越し候補は海の近くの自然豊かなところですか?」


 レンと葵が会話しながら移動している。灯火はローテーションで変わるレンと一緒の車で移動する順番が回って来ていて、今はこの2人と同じ車に乗っていた。

 吉野から京都に向かう途中にもいくつか神社や寺院などにも寄り、昼食を取った後だ。

 観光化されている京都の神社や寺院は公開時間が短い。

 今日は京都の商店街などを周り、明日以降京都観光は本格化する。


(明らかに葵ちゃん、強くなってる。何があったの?)


 豊川家で1人で豊川家当主に呼ばれ、帰ってきたレンは魂魄の質が変わったのが灯火にはわかった。同様に近づかなければわからないが微量に纏っている霊力の質も変わったように思える。だがそれは豊川家がレンに何かしたと考えるのが普通だ。

 数時間で急に強くなる、そんなことはありえないとは言えないがそうそうあることではない。

 実際会っていない間にレンは急激に強くなった。実際に戦ったわけではないので、武術や彼の言う魔法の実力は知らない。

 灯火の知るレンの力は〈箱庭〉の中から見た黒蛇と戦う姿が最初で最後だ。

 だが当時と比べてレンの霊力の量や質は明らかに変わった。神気も増大している。修行の成果と言えばそうなのだろうが、それにしても成長速度が異常だ。

 そして更に豊川家で何かしらが起き、強力になったことがわかる。


 それは今日の葵にも言える。昨日の葵と明らかに違う。

 偽装しているようだが灯火は感じ取れる。どう違うかと言うと言葉では説明できない。

 別人……ではないのだが、昨日の葵と今日の葵では別人のように違うだろう。悪い意味ではなさそうなので気がついても灯火は口をつぐむ。

 一体昨日の夜に何があったのか。灯火は聞きたいが聞けないという葛藤に悩まされながら、レンに振られた話題に「ごめんなさい、ちょっと考え事してたの」と聞いていなかったことを謝った。




「あれ、灯火さんじゃないか」

「あら、高杉さん。お久しぶりです。なぜ京都に?」

「そちらこそ。弘大こうたって呼んでくださいよ」

「私は友人たちと夏休みを利用して観光旅行です。偶然ですね」


 京都で使う宿に着き、荷物を置いて京都のお土産屋などを周り、八坂神社をみんなで参拝して夕涼みしていた所に声が掛けられた。

 灯火にとってはあまり会いたい相手ではない。


(それに……何があったの?)


 高杉弘大。レンのようにその身に異能を覚醒させ、兵庫にある退魔の家に引き取られた。確かかなり特殊な異能を発現したという話だ

 そしてその家は水無月家と懇意になりたかったのか、灯火との婚約を打診してきた。

 婚約自体は断ったが、2度ほど食事をしたことがある。その程度の知り合いだ。

 しかし弘大も悪い意味で変わっていた。

 爽やかな見た目は変わっていない。服装も普通だ。表向きの態度もおかしいところはない。

 だが弘大の魂は穢れていた。それはもう妖魔にでも変じてしまったのかと思えるほどだ。

 漏れ出る霊力もおかしな質になっている。

 実際レンたちや護衛たちも気付き、警戒感を強めているが、弘大は普通に灯火に話しかけているだけで、敵意が感じられることはない。


「灯火、知り合い?」

「えぇ、家の関係で何度か一緒に食事をしたことがあるわ」


 レンが知らないふりをして隣に立つ。弘大の怪しい霊力を感じ取って混ざって来てくれたのだろう。

 水無月家の護衛たちも灯火を守るように配置についている。


「知り合いに声を掛けただけでそんなに警戒しなくても。何もしやしませんよ。俺は今京都のある家に使われているんです。だから観光ではなく、今はココが地元ですね。良ければご案内しましょうか?」

「大丈夫よ、ちゃんとスケジュールは立てているから、ご遠慮するわ」

「つれないなぁ。じゃぁ俺は退散します。どうも歓迎されていないようですからね」


 弘大はそう言い、普通に背を向けて人混みの中に紛れていく。

 敵意も悪意もない。本当に灯火を見掛けたので話しかけただけ、という感じだ。


「何かしらアレ。レンくんわかる?」

「良くない物をその身に宿しているのはわかるけど、ソレ以上はわからないなぁ。水琴のがそういうのは詳しいんじゃない?」

「えぇ、なんというか妖気を宿していたように視えたわ。何かしらの術具で偽装していたけど、妖魔が人間の姿を模しているって言われても信じるわ」


 特殊な眼を持っている水琴はレンや灯火とは違い、直接弘大を視たようだ。

 実際灯火やレンが感じたことをより詳しく視れるのが水琴の眼だ。


「会ったのが偶然か、何か狙いがあったのかはわからないけれど、警戒を強めましょう」

「そうだね。京都は魔力持ちが多すぎる。僕の部下たちにも警戒するように言っておくよ」


 レンは護衛頭に「お前ら慰安旅行は終わりだ。ちゃんと仕事しろ」と端的に伝えた。

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