059.藤

「レンっち、いらっしゃい!」

「お邪魔するよ、美咲。それに豊川家の人たちもお迎えありがとう」


 7月の末、全員の予定を合わせての旅行の日。レンたちは美咲の実家豊川家に着いた。

 本来はそのまま美咲たちと一緒に伊勢に向かう予定だったが、美咲がレンに用事があるからちょっと寄ってくれと言ってきたのだ。


 ちなみに蒼牙と黒縄の人数は合計で15人にもなった。戦力のほぼ半分である。

 玖条警備保障は今大きな案件を受けているわけではないので暇と言えば暇なのだろうが、思ったより大きい人数になったのは理由がある。

 それはエマやエアリスたちの参加だ。

 蒼牙と黒縄はレンの手足となるのが仕事だが、葵や水琴の護衛も仕事として与えている。

 そして護衛対象であるエマとエアリスが増えた。

 更に参加希望者が多かったというのもあるが、合計で20人を超える規模になってしまった。


 水無月家は2台の車、藤森家は1台に対して玖条家は2台とバイクという陣容になった。

 豊川家は1台プラスバイク2台で移動するらしい。

 6家で50人以上の移動だ。ただ前回の夏休みを考えれば警備の量はかなり減っている。

 特に藤森家と水無月家だ。

 やはり襲撃情報を握っていて、敢えて諏訪への旅行を中止せずに防衛を強化していたのだろう。

 通常の令嬢に付く護衛は普通はこのくらいだということだ。


「それで、用事って?」

「うん、ちょっとお祖母ちゃんがレンっちと話があるんだってぇ」

「美咲のお祖母ちゃん?」

「そうだよっ」


 美咲の祖母は美弥という名で、前回来た時は感謝の言葉と歓迎の挨拶を受けた程度でそれほど接点はない。どういう用件があるのかレンは想像もつかなかった。

 だが呼び出されれば話をするくらいは良いだろう。

 美咲は高校進学をレンの居る高校に行きたいと言っていたし、レンと番になると公言している。

 その辺りが関係しているのかもしれない。


「予定を変えさせちゃってごめんなさいね」

「いえ、多少でしたら問題ありませんよ。予定もある程度余裕を持っているみたいですし」


 美咲の母、瑠璃が屋敷内を案内してくれる。


(相変わらずでかい屋敷だなぁ。何百人でも住めるな)


 豊川家の敷地は豊川家本家だけでなく、分家や縁者、それに主要な使用人も住んでいるという。

 本邸だけでなく別邸や護衛や使用人の宿舎も敷地内にあるのだ。

 そして庭はどこかの公園かと思えるほどの広さで、しかも丁寧に整えられている。建てようと思えば巨大な城だって建てられるだろう。

 屋敷の奥に行くと意外とこじんまりとした私室に通される。……と、いっても10畳以上あるシンプルな和室で掛け軸や花が活けてあったりと簡素な部屋だ。


「悪いね、呼びつけて」


 美弥は祖母というには若々しく見える。それを言うなら母親の瑠璃もだ。瑠璃は20代、美弥は40代と言われてもおかしくない。

 実年齢は知らないが、美咲の一族は、というか魔力持ちは基本的に見た目は良いし老いも一般人より遅く見える。実際長生きする者も多い。

 妖魔や術士との戦闘で死ななければ、だが。


「いえ、それで僕に用があるとか」

「そうじゃ。じゃが用があるのは儂ではない。儂はただの案内人よ」

「あれ、そうなんですか?」


 豊川家の当主は美弥だ。それがただの案内人というのは不思議な感じがした。


「そこには儂か数人しか案内できんのでな。今回は儂が指名された。着いて来い。何、危ないことはなかろう」


 断言しないことに微妙に不安を感じるが美弥について屋敷を抜け、裏庭に向かう。

 敷地内に小山があり、森になっている。

 整備された小さな道が作られて居て、美弥について行くとお堂が見えた。


(こんなところがあったのか)


 お堂は神社か寺院と言われてもおかしくない造りだ。サイズはそれほど大きくないが、宮大工が造ったのだろう。年季の入っている建物で、両開きの扉の前に階段があり、階段の両脇には狐の石像が2つ建っている。

 小さな稲荷神社だろうか。


(って稲荷系は神社か寺院かわかりづらいんだよな)


 レンは稲荷というと神社だという意識が強かった。だが有名な豊川稲荷や最上稲荷などは実は寺院だと知って驚いたものだ。

 どうも神仏分離の際に稲荷は神社と寺院に分かれたらしい。

 神社は主に宇迦之御魂神うかのみたまのかみを祀り、寺院は吒枳尼天だきにてんを祀っているらしい。


「ここじゃ。ここから先は1人で入りなされ」

「わかりました」

「帰りは美咲を迎えに寄越す。それほど長い話にはならんじゃろうが、失礼のないようにの」


 そう言われて少しドキドキしながらレンは扉を引いた。

 中は板張りで、奥に大きな狐の石像がある。座っているタイプではなく、箱座りのように地面に寝そべって頭を上げて扉の方向を向いている。

 そしてその狐の石像には9本の尾があった。


 燭台があり、お堂の中は電気ではなく蝋燭で照らされている。

 そしてその大きな石像の前に1人の女性が座っている。和装で大きな座布団に座り、対面に座布団が用意されている。20代前後に見える美麗な女性だ。しかし髪は白い。白髪しらがというよりは艶があるが、銀髪というには白に近すぎる。髪だけ見れば色素欠乏症アルビノの女性と言われても信じてしまいそうだが、肌の色や瞳の色は普通だ。

 そしてその髪からはぴょこんと狐耳が生えていた。


「来たね。お初やね。そちらがレンか。座りぃ」

「失礼します」

「そんな堅苦しくせんでえぇよ」


 レンはお堂の扉を開けるまでその存在に気付かなかった。お堂自体に強固な結界が張ってあり、強力な〈隠蔽〉の機能が付与されていたのだ。

 そして中に居たのは美麗な女性であるが明らかに人間ではない。

 圧倒的な力を感じ、レンは緊張しながらゆっくりと指定された座布団に座った。


(大水鬼よりも高位の神霊。少なくともクローシュには匹敵するな。ソレ以上かも? 表面上の情報だけじゃわかんないな)


 表面的な魔力感知では表に出ている魔力程度しか感知できない。

 近づけばある程度相手の魔力量を感知できるが、それも目安でしかない。

 更に〈魔力隠蔽〉などの技術もあるので目で見える魔力量など単なる目安でしかない。

 そして目の前の女性からはそれでも膨大な魔力と聖気が感じられる。

 レンが会ったことのある中で最も脅威的な人物は鷺ノ宮信光だ。

 だがその信光ですら霞むほどの力を目の前の女性から感じる。抑えているはずの漏れている魔力と聖気だけでも純度が、洗練さのレベルが違うのがわかる。


「うちは藤や。気軽に藤と呼んでや」

「では藤様で」

「藤やって。堅苦しいのは嫌いなんや。うちもレンって呼ばせてもらうで」

「わかりま……わかった。藤。これでいい?」

「えぇよ。それにしてもあんた不思議なおのこやなぁ。その魂どうなってるん?」


 藤はレンをじろじろと好奇の目で視てくる。


「さぁ、自分の魂なんか見れないんで」


 昔のレンならともかく今のレンには魂魄魔法は使えない。レンは自分の魂がどうなっているのか知りたいと思ってはいるが、未だどうなっているかわかっていなかった。

 だが藤はそれがわかるようだ。


「いろんな神さんの加護もろとるのに、硬い殻に覆われて加護がちゃんと機能しとらん。勿体ないなぁ」

「え、そうなんですか?」

「そうやで」


 意外な指摘を受け、レンは驚いた。エイレンの加護は受けたし実感もある。だが他に加護を受けた記憶はなかった。


「自分では気付いとらんだけやな。その興味深い魂魄で、悪い神さん退治したから他の神さんからも評価されてるんやろ。ちょいイジってえぇ? 悪いことにはならんしいたないから」

「えぇっ? 大丈夫なんですか」

「だいじょぶだいじょぶ。うちを信じぃ」


 魂を弄るなど相当高度な術だ。更にそれをされるなんて恐ろしいことである。

 藤が悪意を持っていればレンの魂をぐちゃぐちゃにしてしまえる。


 明らかに藤は神霊だ。そして豊川家の当主を顎で使い、奥に隠れ住んでいる神霊。つまり藤は美弥や瑠璃、美咲の先祖である仙狐そのものだろう。

 それにこのお堂の中は藤の領域だ。レンは逆らおうと思っても手持ちの札ではかなり不利だ。〈箱庭〉の戦力を出せばなんとかなるだろうがこんなところで大決戦を起こすわけにも行かないし、藤からは悪意も敵意も感じない。

 レンは潜んでいるカルラとクローシュに出てこないように言い、藤の提案を飲むことにした。


「ちゃんとしつけられとるんやね。大丈夫や。悪いことはせんから、おとなしゅうしとってな」


 カルラとクローシュの存在にも気付いている。

 藤は立ち上がり、ゆっくりと歩き、レンの心臓の横、胸の中心あたりにゆっくりと人差し指を当てた。

 着物の裾から狐の尻尾が何本かちらりと見える。

 聖気の針がレンの体内に入ってくるのがわかった。だが脅威は感じない。

 藤の聖気がレンの心臓の近くまで届いた。

 一瞬で体内から魔力と神気が溢れ出す。それ以外にも様々な変化が感じられ、レンは驚いた。明らかに肉体的にも、魔力炉や魔力回路まで一気に強化されている。


「ちょっとだけ魂魄を覆っている硬い殻に干渉しただけや。他は何もイジっとらん。これで神さんたちの加護をちゃんと受け取れるで。ついでにうちの加護もやっておいたから、うまいこと使ったってな」

「あ、ありがとうございます」

「えぇって、えぇって。うちの可愛い美咲ちゃんの番なんやろ。それに長いこと生きてるけどレンみたいな存在に会うたんは初めてや。長生きはしてみるもんやね、世の中は不思議でいっぱいや。あ、ついでに写真撮ってえぇ?」

「え、えぇ。いいですけど」


 急な話題転換にびっくりしたが、写真くらいは良いだろう。

 意外なことに藤が袖から取り出したのは最新型のスマホだった。

 レンの写真を撮られるのかと思うとそうではなく、藤はレンに寄り添ってスマホを2人に向ける。さらに自然に宙空に光源を出し、パシャリとツーショットを撮った。


「えぇ写真や。美咲ちゃんに自慢したろ。仲良さそうやんなぁ」


 見せられた写真はたしかに仲良さそうに寄り添っている。肩も組まれたし藤は自撮りに慣れているのか表情もしっかり作っている。

 写真の中のレンは少し戸惑っている感じだ。実際戸惑っている。


「なんていうか、狐の神霊がスマホを使いこなしているのが意外すぎてびっくりです」

「そりゃ引きこもってても暇やしなぁ。面白そうなもんは全部手出してみるんや。私室にはテレビもゲーム機もあるし最新のタブレットもある。Wi-Fiも飛んでるんやで。流石にやめてくれって頼まれてSNSは手出してないけどなぁ」


 妙に近しい距離感と話し方。そして現代に順応しすぎている仙狐にレンは豊川家の守護神であるというイメージがガラガラと崩れた。


「それで、本題は何ですか?」

「ん? 直接会いたかっただけやで。美咲ちゃんが番に選んだおのこや。そら直接視てみたいやん。やけど前回はまだ美咲ちゃんが言うてるだけやったし、早い言われてなぁ。まだ仲ようしてくれてるみたいやし、せっかくやし会うてみたいなぁ思て美弥に言うたんや。美咲ちゃん可愛いやろ。ええやで。別に豊川の家に入らんでもえぇから娶ってやってや」

「え、でも婿入りさせたいって言ってるとか聞きましたよ」

「そんなんは豊川の有象無象が言うてるだけや。美咲ちゃんを外に出すなんてとんでもない言うてな。でも外に嫁いだ子なんてようけおるし、うちはそんな制限しとらん。好きな相手見つけたら離すなとは言うてるけどな」


(そういえば藤は命を助けた男に請われて嫁になったんだっけ)


「まぁ言うてもそうそう納得はせんやろけどな。美弥も別に反対はしとらんし瑠璃も同じや。子供の1人くらいは豊川に養子に欲しい言われるかもしれんけどイヤやったら無視してもえぇで。うちが文句なんて言わさんからな」


 藤は美咲の恋を全力で応援するタイプらしい。しかも藤は当主である美弥ですら頭の上がらない存在である。そしてその美弥も美咲の恋には応援する立場のようだ。


(あれ、これ外堀がっつり埋められてる?)


 豊川家内では色々な意見はあるが、守護神である藤と当主である美弥は美咲の恋を応援する方向性なのだ。

 それはつまりどんな反対意見があっても封殺されるということでもある。


 美咲がレンの高校に入学するかも知れない。それは実現しないとレンは思っていた。

 豊川家が美咲を外に出すとは思っていなかったのだ。

 そのくらい美咲は大事にされているのを知っている。

 しかし美咲が望み、藤と美弥が認める。そうであればレンに近づくための美咲のワガママはかなり通る可能性が高い。


(強くなれたのは嬉しいんだけど、どこの神様が加護くれたのか全然わからないな)


 レンは東京にある大きな神社や寺院はかなりの数参拝しているし、神奈川や山梨県に遠征して参ったりもしている。

 特に祈願などはせずにその土地や神社が祀っている神様や仏様に挨拶に行っている感じだ。


(加護か。女神アーミラの加護である神剣も使えたし、以前貰った加護も多分宿ったままなんだよな。そう考えると今の僕の状況は弱すぎる。魂の状態が影響しているのかな。早く魂魄魔法使えるようになりたいな)


 魔力や聖気が膨れ上がったレンだが、魂魄魔法は現在のレンでも魔力も制御能力も足らない。

 少なくとも魔力炉が5つくらいは同時稼働していないと難しいだろう。


(でも2つ目の魔力炉の励起くらいならすぐにできそうだなぁ)


 準備が間に合っていないのですぐとは言わないが、数年掛かると思っていた障害がいくつも一足飛びに解決されてしまった。

 レンは〈隠蔽〉の魔道具を取り出して身につけた。急に魔力も聖気も跳ね上がったのでだだ漏れなのだ。全然制御できていない。


(そういえば〈収納〉も〈箱庭〉も加護だしな。なんで思い至らなかったんだろう)


 元々〈収納〉も〈箱庭〉も加護で強化された空間魔法だ。

 単純な空間魔法では〈収納〉はともかく〈箱庭〉は作れない。

 空間属性の神のゴタゴタに巻き込まれた際に詫びのように与えられた力だ。

 もちろんありがたく便利に使っているが、アレが加護であることをレンは忘れていた

 〈完全記憶〉は記憶するだけであって、思い出そうとしなければ情報は引き出せない。

 頭の中に沢山のメモリがアーカイブされているようなイメージだ。アクセスしなければその情報には触れられない。


「なんか旅行に行く前から疲れたな」


 扉を開くと美咲がソワソワしながら待っていた。


「おかえり、レンっち。変なことされなかった?」

「大丈夫だよ。ちょっとお話しただけだから」


 美咲はレンと藤の会合を心配していたようだ。

 レンは美咲に連れられて森を抜け、みんなの元に帰った。

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