055
あれから念の為に警戒は続けていたが襲撃は起こらず、無事に7月の期末試験も終わった。
相変わらずクラスは夏休みに向けてにぎやかだ。
今年は葵も一緒に遊びに出られるので祭りや海にも連れて行ってあげようと思う。
夜の人の少ない時間帯に隠密装備を付けて連れて行ったりはしてあげていたが、やはり表立って一緒に出歩けるのは葵も嬉しいようだ。
夏休みにはまた灯火たちと旅行に行く予定が立っている。
今回は7月の末から長期の旅行に行く予定だ。
水琴は神社の祭りなどもあるが、親に許可を取って参加できることになった。
今回の目的地は教えられている。
まず三重県に向かい、途中で美咲たちと合流して伊勢神宮を参る。それから南下して熊野周辺を回り、紀伊半島をぐるっと回って奈良県、京都府の観光だと言う。
葵は住むのにはおすすめしないと言っていたが、観光するには良い場所だろう。
夏休みの京都は観光客も多いと言うのがちょっと不安だ。
人混みが苦手なレンに取っては試練だが、みんなとまた旅行できるのは楽しそうだ。
麻耶が参加するという話もなく、レンたちは国際免許を取得したアーキルたちや普通に免許を持っている黒縄隊員の車で移動の予定だ。
『オレは絶対行くぞ』
『隊長、オレも行きたいです』
蒼牙では誰が旅行についていくのかなぜだか揉めている。
名目はレンたちの護衛なのだが、慰安旅行のようなものだ。当然何かトラブルがあれば働いて貰うが、何もなければ単なる観光旅行である。
それは黒縄たちも同様らしい。誰が参加するのか、ついていくのかで部隊内で壮絶な争いが有ったと言う。
蒼牙や黒縄たちは斑目家と合同訓練をしたり、獅子神家に戦力として貸し出される予定もある。怨霊が強くなる季節でもあるし、玖条ビルの警護もある。
全員で行くというわけにも行かないのだ。
「伊勢、熊野から京都ですか。良いですね。ですがあの地は特殊な地です。おかしな抗争に巻き込まれないようにしてくださいね」
黒鷺は玖条警備保障(KSC)のアドバイザー的な地位に居て未だ居座っている。
最初の忙しい実務が済んだら返すつもりだったが、案外彼は役に立つのだ。近隣の他家との折衝もうまいし、仕事を取ってくるのもうまい。
スパイとして鷺ノ宮家に情報は流れているだろうが、本当に見せたくないところはきちんと隠しているし、本人と連れてきた秘書たちは会社の経営などにも有用だ。依頼料などの交渉にも熟知し、そういう実務に弱い蒼牙や黒縄でできない業務を率先して埋めてくれている。
蒼牙は実働部隊として経営を覚える気はなさそうだが、黒縄の素養のあるものにも会社経営のノウハウを教えてくれているし、経理や総務のような実務も行い、且つ育ててくれてもいるのだ。
蒼牙は2人、黒縄は3人人員が増えた。と、言っても新たに雇ったのではなく、彼らの家族で成人──この場合は16歳──になった新人たちが新たに加わったのだ。
近隣の学校にも子供たちは通わせているが、しばらくは日本語の習得に非常に苦労していた。最近は拙いながらも日本語も扱い、蒼牙の軍事訓練は幼い頃から受けていたらしいので戦力として数えられている。
黒縄も同様で、とりあえず見習いとして作戦時には参加するらしい。
彼らも夏休みなので旅行と聞いて参加したいと主張している。
(思ったより大人数での参加になりそうだな)
部下たちの休暇は結構自由にさせているし、勝手に旅行なども行っているが伊勢、熊野、奈良、京都は行ったことがないものが特に蒼牙には多く、参加したい人数が多い。
黒縄も参加希望者が思っていたより多く、精々車2台程度の予定だったが参加者はもっと増えそうな未来が見えた。
(まぁいいか)
宿泊所の手配などは灯火の水無月家や豊川家が全面的に協力してくれるらしいので多少の融通は利くらしい。
元々大人数になるし、訪問予定の神社や寺院などに先に通達しておくなどの配慮もしてくれるので水無月家と豊川家の協力はありがたい。
特に豊川家は近畿地方にも顔が利くらしいので頼もしい限りだ。
(家もめっちゃでかかったし、愛知県近隣の神社や寺院の態度も凄かったしな)
豊川家に遊びに春に行ったが、敷地は大きな公園と言って良いほど広く、使用人の数も思っていた以上に多かった。
帝国貴族と言われてもおかしくない規模で、近隣の神社や寺院は豊川家が通達したことで下にも置かない態度でレンたちを歓待してくれた。
本来一般公開はしていない本尊や宝物殿、術具なども当たり前のように見せてくれた。
豊川家の権勢がよくわかる旅行で、トラブルなどもなくかなり快適な旅行になった。
葵が勝手に名付けた管狐、クーとキーは美咲が飼っている管狐や同族たちと再会できて嬉しそうだったし、豊川家では当主や美咲の家族、使用人に至るまで美咲の救出者として物凄い歓待具合だった。
あまりの歓待具合にちょっと気疲れしてしまったほどだ。
(伊勢や熊野は行ってみたかったし楽しみだな)
伊勢神宮や熊野大社、そして付近の修験場など興味は尽きない。
行動予定は灯火が主に立ててくれているらしいが、なぜか予定表にアドベンチャーワールドが入っている。
コレは灯火が行きたかったらしく、相談もなく予定に組み込まれていた。
(どうせなら熊野古道を徒歩で散策してみたかったんだけど)
熊野から山中を突っ切る形で奈良県や和歌山県まで続いている熊野古道、大峰奥駈道を踏破してみたかったが、アドベンチャーワールドの予定が組み込まれているので今回はできなさそうだ。
ただ奈良県ならスカイボードで行ってもそれほどの距離ではないので、そのうち葵でも連れてこっそり熊野古道散策はそのうち行こうとレンは切り替えた。
「レン、今年も海に行こうぜ。今度は電車で行ってナンパしようぜ」
「あ~、8月前半は予定が入ってるから難しいぞ。お盆を過ぎるとクラゲも出るんだろう?」
「湘南のクラゲはそれほど危険もないし気にしなくていいさ。あと花火や祭りも行こうぜ」
「祭りはいいけど花火は人が多いからイヤだな」
去年も東京湾の花火を海上を空を飛んでこっそりと観覧した。だが海岸周辺は物凄い人混みであの中に混ざる気はレンはなかった。
「なんだよ、チェッ」
「人の少ないもっと地方の花火ならいいよ。埼玉や群馬とか栃木の花火大会は人も少ないみたいだよ? 規模は隅田川や東京湾より小さいかもしれないけど近くでゆっくりと見れるらしいよ。知り合いに車出して貰ってもいいし」
「お、いいなそれ」
「ま、予定が合えばだけどね」
「お前部活もないのに案外夏休みも忙しそうにしてるよな」
久我にまた夏休みの遊びに誘われる。久我はサッカー部で1年生からレギュラーを獲得し、今はエースだ。クラスが別れた香田もテニス部では団体戦、個人戦でも活躍しているらしい。
だがレンたちの学校は強豪と言うほどではない。県大会でそこそこ良いところまでは行くが全国大会に駒を進めるほどではないのだ。
久我や香田は中学時代から有名な選手だったらしいが、プロを目指したりするほどではないという。部活として、スポーツとして楽しむスタイルだ。
環境や意識が違えばプロも目指せる素養はあると思うのだが、本人たちはそれで良いと思っているらしいので口は出さない。
それに都内ではそこそこ有名な選手らしく、学校内だけでなく学校外にもファンが居るらしい。
香田は彼女一筋で有名らしいが、久我は気が多く、気がついたら連れている女性が違ったりする。ただ刺されるような事件には発展しないように気をつけているらしいので立ち回りもうまいのだろう。
昔のレンならともかく現状では久我のがよほど経験豊富である。
女性関係の悲痛な事件が起きないことを祈るばかりだ。どの神や仏に祈れば良いのかはレンはよくわかっていないが。
(この世界の一般人女性との付き合い方とかよくわからないんだよなぁ)
レンは周囲には水琴と付き合っていると思われているが、たまに告白のようなことも受ける。
最近はエマと一緒に居ることも多い。それにエアリスや葵を連れて街を歩いている姿も目撃され、実は気が多く、多くの女性を侍らせているのでは、と噂になっているらしい。
否定もできないし説明もする気もないので適当に誤魔化しているが、今度5人の同年代の女性たちと長期旅行に行くなど言えば更にその噂は加速するだろう。
(SNSとか有ってこの世界情報の広がりが思ってたより広範囲だし早いんだよなぁ。良いんだか悪いんだか)
通信環境の整備に感動していたレンだが、若者はSNSなどで様々な情報を集めたり広めたりする。レンに関しての情報もレンが認識しているよりも広く、早く広まるのだ。
SNSをほとんどやらないレンにはよくわからない世界だし、水琴も葵も詳しくはない。
エマは利用しているらしいが本国や欧州の友人を中心に連絡を取っているらしく、日本ではあまりやっていない。
だが美しい欧州人であるエマやエアリスは珍しい上に注目されているらしく、彼女たちの写真がネットには出回っているという。
実はレンの写真も学校内女子を中心に出回っているが、レンはその事実には気付いていなかった。
◇ ◇
『ねぇ、今度の旅行うちの娘たちも連れて行ってあげてくれないかしら』
イザベラから相談されたのは夏休みに入る直前だった。
どうやらエアリスが参加したいと主張したらしく、イザベラに相談したらしい。
『まぁ構いませんが』
どうせ参加者が思ったよりも大所帯になりそうだし、2人増えるくらいは構わない。
『そう言って貰えると嬉しいわ』
『娘たちってエアリスだけでなくエマもですか?』
『えぇ、せっかくだし知見を広げて欲しいの。それに水琴や葵も行くんでしょう』
エマは水琴や葵とも仲が良い。
『ならイザベラさんも来ますか?』
『いいのかい? アタシもついていって』
『構いませんよ、2人も3人も一緒です』
それに娘2人のお目付け役としての役目も期待できる。
『それならお世話になろうかね。そう2人にも言って置くよ』
『えぇ、でもトラブルを起こさないように言っておいてくださいね』
『アタシも行くんだからしっかり監督するさ。特にエアリスは燥ぎそうだからね』
『目に見えるようです』
エアリスを連れて東京観光に連れて行った時にエアリスはかなり燥いだ。他にも聖地巡礼だとかよくわからないことを言いながら色々なところに連れ回された。
伊勢や熊野でも変わらないだろう。イザベラが見て居てくれるなら安心だ。
そうしてイザベラ母娘たちも旅行に組み込まれることになった。
(人数が増えること、灯火と美咲に連絡しておかないとな)
豊川の権力と財力で宿泊所は旅館やホテルを貸し切るらしいので人数は多少増減しても構わないと言われているが、一応連絡はしておいた方がいいだろう。
レンは蒼牙と黒縄に人数を制限し、早く参加者を決めろと命令を出すことを決めた。
◇ ◇
「旅行、楽しみですね、レン様」
「テスト結果はどうだったの? 葵」
「そこそこです。あんまり学校の勉強に意味を見い出せませんし、学歴に興味はないですから」
葵はレンと同様にあまり勉強を頑張る方ではない。ただ学習意欲がないのではなく、レンと共に術や武術などの研鑽には余念がない。
料理やコーヒーや紅茶の腕も着々と上がっている。
学校の勉強もレンを見習って1年分の教科書をすでに読み込んでほとんど理解したらしい。だが成績で目立つつもりはないのでそこそこに抑えているそうだ。
葵はレンの通っている高校に進学する予定らしい。
本人は進学しなくても良いと思っているらしいが、母親から「高校くらいは行きなさい」と言われてしまったらしいし、1年間だけとは言えレンと同じ高校ならと前向きに考えている。
「葵はココに行きたいとかないの?」
灯火は全体的な企画をしてくれているが、希望は聞いてくれている。だが葵は特に希望を言っていなかった。水琴も同様だが。
「レン様と旅行できるならどこでもいいです」
「なるほど?」
「実家も豊川家が黙らせてくれたので安心ですし」
白宮本家は葵の存在や母親と父親が離婚し、東京に引っ越したことを不愉快に思っていたらしいが、豊川家が一言言った瞬間、口に出すことすら無くなったと言う。
豊川家の権勢が窺えるエピソードだ。
豊川家は古くから豊川稲荷と懇意にし(豊川稲荷を管理しているわけではない)、中部地方で長らく君臨してきた家だ。
それは近畿地方にも及び、発言力は非常に高い。そして全国にある稲荷神社への発言力も高いと言う。
理由は2つある。1つが豊川家は他家が救援要請を出せばかなりの確率で応えてくれるということだ。
豊川家に恩のある退魔の家や神社や寺院は非常に多いのである。且つ本拠のある豊川市を中心に積極的に妖魔や怨霊を狩っているので豊川家のおかげで中部地方はかなり平穏が保たれているらしい。
そしてもう1つが敵に回った時の怖さだ。豊川家を敵に回すとかなり苛烈な報復があると言う。それは距離の遠い奥州や九州などでも関わらず、豊川家と敵対して没落したり族滅にあった退魔の家も多いそうだ。
歴史の長い家なので豊川家を敵に回すバカは定期的に湧いてくるらしく、それを叩き潰して他の家も威圧する。そういう方針を取っていると聞いた。
レンも片平家に対してはかなり苛烈な対応をして、周囲が大人しくなったので、今後も豊川家を参考に変に手を出してくる家には畏怖を振りまくようにしようとレンは思ったものだ。
「ただ京都奈良は特殊な地方だって聞くから、変なことに巻き込まれないか、それだけが不安だけどね」
「レン様、それはフラグっていうんですよ」
葵はレンがお茶菓子をつまみながら言った言葉に対し、笑いながらそう返した。
(東京観光も春休みの名古屋、豊川観光も何もなかったし、大丈夫だと思うんだけどな)
レンはそう思いながら「きっと大丈夫だよ」と葵に返したが、葵はくすくすと笑うだけだった。
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