044

『なんでっ、こんなっ』

『遅いっ、ちゃんと周囲の状況と警護部隊の配置を確認して。指示は声だけじゃなくて手での指示もあるから覚えてね。常にリーダーの指示を意識しながら周囲の動きも把握するんだ。大事なのは陣形と地形を把握しながら最速で目標地点に移動することだ』


 転校して数日経ち、土曜日になった時、ちゃんとした訓練をしようとエマたちは連れ出された。

 そして今エマは山林を走り回っていた。

 5人の警護が付いており、共に行動している。

 そして10人の襲撃者に襲われている、という想定で動いている。

 というか実際に襲われている。


 模擬弾だが銃弾や手加減されたとは言え魔術が飛んでくるし、足元の状況も悪いので走るだけでも大変だ。

 それに加えて襲撃者の攻撃を避け、防ぎ、場合に寄っては反撃しなければならない。

 地図を先に渡され、AポイントからBポイントまで襲撃を防ぎながら移動しきるというのがミッションだ。すでにエマは何度も死亡判定を受けている。


 整地されているわけでもない山林を走り回るだけでも大変なのに、魔力の込もった銃弾や込もっていない銃弾まで混ぜて飛んでくる上に、突然木の上から剣を持った襲撃者が迫ってくる。更にトラップなども仕掛けられている。

 指摘されたのに反応が遅れ、トラップに引っかかって爆弾で先程は吹き飛ばされた。

 護衛たちもそれらの攻撃を防いでくれているし、反撃もしているがそれを抜けてくる攻撃を防ぐのは自分なのだ。


『ハァッ、ハァッ、こんなきついなんて聞いてない』

『むしろこれは序盤だよ。いろんな想定で何度もやるからね。とりあえずエマとエアリスは体力が足らないね。走れなくなったら守る方も大変だ。馬車に籠って護衛される貴族じゃないんだ。君たちも術士だろう。10kmくらいは戦いながら走れるくらいの体力をつけよう。次はエマとエアリスを同時に守る想定にしようか。イザベラは襲う側もやってみるかい?』

『あぁ、わかったよ。それにしてもこんなに本格的とは思わなかったよ』

『契約期間中は僕らの指示をこなす。そういう約束だよね』

『もちろんさ。むしろ娘たちを鍛えてくれてちょうど良いと思っているくらいさね』


 母であるイザベラはこの訓練の有用さにむしろ喜んでいるようだった。ちなみにエアリスはさっき別の訓練を受けぶったおれている。きれいな金髪が乱れているし肌や顔に土がついているがそれさえも気にできないほど疲れている。

 葵が抱き起こして水を飲ませてくれていた。


『エアリスは無理じゃない? 動けそうにないわよ』

『動けなくなったら攫われて何されるかわからないんだろう。流石に海外まで攫われて逃げられたら追うのは無理だ。限界まで動いて限界を更に伸ばして安全を高めて行くしかないんだよ。死にたくないんだろ』

『ぐっ、それはもちろんそうよ』

『じゃぁ10分休憩して次だ。重蔵、アーキル、打ち合わせをしよう。あぁ、イザベラも一緒にね。エマとエアリスには後で説明する。水分取って休んでていいよ』


 レンは護衛にも襲撃者側にも加わらないがしっかりと彼らを統率している。

 葵は警備会社の社員ではないらしいがレンについてきて一緒に訓練を受けているが同様に走り回っていたのに疲れた様子も見せない。

 汗は掻いているし汚れてはいるが、エアリスを気遣う余裕まである。


(それにあの子、すっごい強いのよね)


 葵と手合わせをしたが体術でも武器を使った稽古でもエマは葵に1度も勝てなかった。特に体術では何をされたかわからないまま地面に打ち倒された。制限はされているが術での勝負でも氷を使った檻に閉じ込められた。

 ただアーキル曰く、葵は年齢も見た目も関係なく異常に強いから気にすることはないと笑っていたが。


『イザベラは戦闘経験があるんだね。体力もあるし戦闘力も高いして適応も早い。一緒の時に襲って来られれば十分戦力として数えられそうで良かったよ』

『依頼は娘たちの警護だよ。アタシは警護対象じゃない。ただもちろん母親としてアタシも娘たちを守るさ』

『一応クライアントであるイザベラも守るつもりではいるよ。優先順位は2人だけどね。市街地で襲われた時の訓練が難しいのがなぁ。そっちのが可能性はありそうだから困ったことだね。うちのビルかココみたいな場所で襲われたいね。1番イヤなのは学校の授業中に狙われることだよ。学校に通わないと言う選択肢はなかったの?』

『そうだね、でも本当に追ってくるのかもまだわからないのにずっと閉じ込めて置くわけにもいかないだろう。一般人を巻き込むのはアタシらも本意じゃないよ』


 学校に通うという話を聞いた時はそんなことをしていて良いのかとエマは思っていたがそれがイザベラの方針だ。レンも苦言を呈していたが依頼者の方針は尊重している。

 そうこうしているうちにエマとエアリスを同時に守るという訓練が開始される。

 この訓練は土日と平日の放課後も定期的に行われるらしい。

 警護されるというイメージと実際の訓練の厳しさに、エマは天を仰ぎたくなった。



 ◇ ◇



「とりあえずコレとコレは非常時以外禁止にしようか。基本で使うのは5つに絞ろう。そして指示に従って使うんだ。もちろん危ない時は自分の判断で使って良いけど、基本的には言われた番号を即座に使えることを目標に練習しよう」

「えぇ、わかったわ。レン。貴方なんでそんなに詳しいの?」

「ん? それは秘密だよ。でも解毒剤のない毒を使うとか危なすぎだよ。せめて自分の使う毒の解毒剤くらい持ち歩くべきだ。そうじゃないと味方や一般人を巻き込んだ時どうするつもりだったんだ」

「それは……、わかったわよ。ちゃんと言う事聞くから」


 エアリスはレンに魔法の指導を受けていた。

 レンはエマと同じ年だと言う。それなのにエアリスの使う魔草や魔花の特性を聞いただけでどんな風に使うか的確に指摘し、更にエアリスが思いつかなかったような利用法まで提案してくる。


「これはこういう使い方も覚えた方がいい」

「その使い方じゃダメだ。味方も巻き込む」

「状況も見て使いこなせ。今はソレじゃない」


 何度もダメ出しされるが、指示を聞き修正すれば確かに立ち回りが良くなるのだ。

 何よりおかしいと思うのが毒に対する知見だ。


(エルドアの解毒剤なんて聞いたことないわよ)


 エアリスは魔力を含んだ植物を操る。そしてその植物には花粉や蔓、棘などに毒を含んでいるものも多い。エアリスは植物使いであり、毒使いでもある。

 毒の種類も多岐に渡り、麻痺毒や神経毒、魔力を侵す毒や死毒など様々だ。

 危険度の高い毒は実際に使ったことはないが、エアリスは自分の特性が植物魔法だと知ってからはそれ関係に関してはかなり研鑽を重ね、勉強も研究もやってきた。


 もちろん生きてきた時間が短い上に特殊な魔法なので師と呼べる者も居ない。魔法の使い方は自分で考え、訓練するしかない。だが魔草や魔樹、魔花などの研究者は居る。

 また、特性状範囲を固定して扱うのは難易度が高い。

 彼らから教わり、それなりに扱えると思っていたエアリスはレンに山程叱られた。

 自分の魔法や使っている毒に対する危険性の認知が甘いと。

 そして指摘されるだけでなく、理由や対処法まで説明されてはぐぅの音もでない。


 そして1番おかしいのがエルドアと呼ばれる植物毒に対する解毒剤をレンが数日で用意してきたことだ。

 エアリスの師とも言える研究者からエルドアの解毒剤は現在存在しないと言われていた。

 解毒系の魔法や魔法薬で対処できない毒……のはずだったのだ。

 麻痺系の毒で死に至ることはないが、魔法使いや魔術士にも効果が高く、エアリスの使える毒の中でもかなり有用な物の1つだ。


 レンはまるで他に植物操作を行う術士を知っているようにエアリスに魔法の指導を行い、毒の使い方や解毒剤、魔法薬の利用方法など的確に教えてくれる。

 それはイザベラや師である研究者でもできなかったことだ。


(魔女の希少魔法は情報も少ないはずなのに、どういうことなの。いや、すっごく助かってはいるんだけど! 訓練はちょっと厳しすぎると思うけどっ!)


 それでも姉や自分の命が掛かっている。母も巻き込まれている。だからこそ詰め込みが必要なのだと言われると厳しい理由も理解できるし、頑張らない理由はない。

 憧れの日本に来られて、且つ忍者にも会えた。

 重蔵たちが忍者だと知ってエアリスは目をキラキラと輝かせたものだ。

 日本の学校もそれなりに楽しく、上級生の葵も良くしてくれている。

 しかし実際の日本の生活は甘くなかった。

 状況が状況だから仕方ないのだが、休みは週に1日だけで基本的に訓練漬けだ。


(ただ自分がどんどん強くなっているのを実感できているのも確かなのよね)


 ヘレナの紹介してくれた謎の少年、レン。最初はなんで同年代の少年が? と疑問に思った。しかしその目は確かだった。

 追っ手の姿はまだ見えないが情報収集や警戒網も敷いていると聞くし、エアリスだけでなくエマもどんどんと強くなっていっている。


(さすがにきつすぎるけれど、日本をゆっくり楽しめる日が来てほしいわ)


 襲撃者に狙われているというのは精神的にもきついが、レンたちに護られているという実感で安心できている現状もある。

 エアリスはレンに指摘された魔法を即座に的に当てる訓練をしようと訓練所に向かった。



 ◇ ◇



「イザベラは思ったより戦闘力も高いし、いいな。エマやエアリスはまだまだだけど、そこそこ動けるようになってきた。魔女の魔法は興味深いね。なんとか魔術で再現できないかな」


 レンはエマたちの今日の訓練が終わって3人の総評をしていた。

 すでに彼女たちの訓練を初めて2週間が経っている。

 筋トレやランニング、体術や魔法の訓練。そして土日と平日に何回か山林での実戦訓練を行っている。

 山林を走り回るって実際に護衛サイド、襲撃サイドに分かれて実戦訓練を行うのは足元の整地されていない場所を走る能力、視界の悪い場所で戦う能力、襲われた際の瞬間的な判断力など様々な能力を一気に鍛えることができる。

 先日は夜間での訓練も行った。

 何気に蒼牙や黒縄の演習にもなっていて一石二鳥だ。


「まぁあの程度の訓練だったら甘い方ですよ」

「そうかな?」

「私や水琴さんがもっと強くなりたいって言った時は魔物の巣に放り込まれましたからね」

「強くなるなら実戦が1番だよ。ちゃんと安全は確保してあるし、安全に実戦が積めるなんてそうないよ?」

「そうですけどね、大きな蟲の大群は勘弁してほしいです。ワームに食われた私の気持ちがわかりますか?」

「僕もかなり昔だけど経験済みだよ? 竜に片足を食われた話はしたっけ?」

「そうでしたね。レン様はそういう人でした」


 葵と軽口を叩きながらデータをパソコンに入力する。

 イザベラは武器の扱いも魔法の練度も高い。体力もある。特殊な魔法は使えないが知識や対処方も熟知していて隙も少ない良い魔法士だ。

 現在では最も完成されているが、その分伸びしろは少ない。


 エマは戦闘経験と体力が足らないが、必死で頑張っている。何より希少魔法の結晶魔法は戦闘にも有用だ。攻撃にも防御にも使え、汎用性が高い上にレアなので敵も対処方法を熟知してはいないだろう。

 実際蒼牙や黒縄なども初見では対処に苦戦する場面があった。

 ハマればかなり強力な魔法士であるし、育てば万能型の魔法士に成れるだろう。


 エアリスは1番ポテンシャルが高い。希少な植物操作に毒も扱える。ただ身体が小さいし体力もない。体術なども未熟だ。

 それに自身の魔法への危険性の認識が甘すぎる。本人は特性で毒に対する耐性が高いのも影響しているのだろう。

 毒使いとして解毒薬にも精通すべきだとはレンの持論だ。

 暗殺や戦争で使うなら必要ない技能かもしれないが、そうでないなら自身が使う毒の対処方法くらいは熟知すべきだと思っている。

 解毒方法を知らない毒がいくつもあると聞いて頭を抱えたものだ。

 とりあえずいくつかの危険な毒の使用は禁止し、有用な麻痺毒に関しては解析して解毒剤を作った。

 ただ解毒剤の原料が〈箱庭〉で栽培している薬草や毒草なので作り方は教えられない。むしろ地球の素材でどう作れと言われるとレンも困ってしまう。


「エアリスは良い意味でも悪い意味でも1番危ないね。あの子が成長したら恐ろしい毒術士になるよ」

「それをせっせと育ててるのはレン様じゃないですか」

「仕事だしね。敵じゃないならいいさ。それに使う毒がわかっていれば僕は対処できる」


 エマもエアリスも鍛えれば鍛えるだけ伸びて行くのでちょっと楽しくなっているのは事実だ。

 モチベーションというか、現在進行系で襲撃される危険に晒されているので3人とも本気で訓練に取り組んでいる。


「ただ襲撃者の情報が少ないのがなぁ」

「悪魔崇拝系のカルト集団でしたっけ」

「らしいけど、イザベラたちも詳しくは知らないんだよね。当然日本で調べてもそうそう情報はない。一応如月家にも聞いたけど流石にそんな情報なはいってさ。ただヨーロッパだけでなくアメリカや南米でも魔女が襲われたらしいよ。日本まで追って来るかまではわからないけど。生贄にするなら必要数が集まったらやめるかもしれないしね」

「物騒な話ですね」

「葵たちも似たような理由で攫われたし、救えなかった子も居るじゃない」


 レンは灯火たち5人は救えたが、すでに生贄として消費されてしまった少年少女は居た。

 10人ほどの犠牲者が出たらしいし、ソレ以外にも彼らが暴れたことによって出た被害者は1000人に近い。

 川崎事変と言われているが、全国的な退魔の家への襲撃事件、生贄の誘拐事件、クローシュの召喚は全て繋がっているのだ。そして残党であるアーキルたちはレンを襲撃し、別の残党は大水鬼を復活させた。

 迷惑極まりない話だ。

 レンが個人で得たものも多いが間違いなく大事件だ。


「西欧の悪魔崇拝者かぁ。悪魔って何なんだろうね」

「鬼とか妖魔とは違うんでしょうか」

「堕天とか言うし神の使いの類だよね。天狗とかに近いのかな」


 天狗は様々な者が変化する妖魔だが、主には修験道を極めるとなれると言われている。もしくは堕落した僧侶などの例もある。

 仏教系の妖魔なのだ。


「いや、天狗よりかは荒ぶる神とか悪神に近いのかな。でも悪魔は堕落した天使じゃなくて異教の崇拝されていた神を悪魔に落としたなんて話もあるしなぁ。どっち系だろ」

「定義がアバウトすぎて特定も難しいですね。ソロモン72柱とかは私も聞いたことがありますけど、名の知られてない悪魔なんてのもたくさんいそうです」

「吸血鬼とかも本当に居るって聞いたし、西欧もいつか行ってみたいね」

「それ絶対トラブルに巻き込まれるフラグですよね?」

「いやいや、そんなことないって。遺跡や城跡を観光しながら向こうの術士に穏便に接触して、ついでに吸血鬼なんかと仲良くなりたいなって」

「吸血鬼って仲良くなれるんですか?」


 レンは少し上を向いて考えて答える。


「理性がない化け物じゃないらしいしなれるんじゃない? 実際イザベラは吸血鬼の知り合いも居るって言ってたし。血も吸われただけで吸血鬼に変化するわけじゃなくて儀式をして吸血鬼を増やすって聞いたから大丈夫だよ」

「レン様絶対「血をあげるから仲良くしよう」なんて言っちゃダメですよ」


 レンはギクリとした。


「なんでわかるの。良い手だと思うんだけど」

「レン様の血はなんか特殊っぽくてすごく気に入られそうなので、逆に駄目です」

「そういう意味なら白蛇の血を引いている葵の血もレアなんじゃない?」

「あるかもしれませんね。気をつけましょう」


 なんだか話がそれたが2ヶ月、いや、せめて1月は襲撃がないと良いなと思った。それだけあれば最低限の警護側の訓練を叩き込める。

 警護というのは警護される側の実力や協力も大事なのだ。

 だからこそレンは契約に訓練を受けることを含めた。


(もちろんとりあえずの契約期間、3ヶ月何もないのが1番なんだけどね)


 ただ契約は1月毎に更新だが3ヶ月で終わるとは決めていない。それに襲撃はある。なんとなくレンはそう感じていた。

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