036
「レン様っ、また無理をしましたねっ。もうっ、もうっ!」
レンは治療室の寝台に寝ていた。
アーキルを主に使っている〈箱庭〉に連れてくる気はなかったので、アーキルたちが使っている〈箱庭〉に移動した後、なんとかレンはいつもの〈箱庭〉に移動し、そこで気を失ったのだ。
「ごめんて。でもああしないと大水鬼は倒せないと思ったから」
霊水を葵に飲ませて貰いながらレンは謝る。前回ほどではないが身体中が痛いし動きも鈍い。2、3日は寝たきりだ。
どうやらレンは気を失ってからもう半日ほど眠っていたらしい。
「大水鬼は倒せたのかな」
「倒せたと思いますよ。多分。最後身体が崩れて行ってましたから」
「そう、核を撃ち抜いたから倒せてなくても残った人員でなんとかなったと思ったけど倒せて居たなら良かった。あ、次はこの魔法薬を飲ませて」
「はいっ」
葵に世話をして貰いながらレンはあの戦いを思い出した。
大水鬼は強敵だった。魔力量はクローシュなどに劣るが、防御力と再生能力が非常に高い。魔法耐性も高かった。更に瘴気を常に纏っていて近づけない。
獅子神家は討伐に呼ばれなかったと言うがそれも理由だろう。
僧侶や神官たちの術が見れたのも良かった。三叉鉾だけでなくその後もう少し小さい三鈷杵や独鈷杵などを撃ち込んで居たが、仏の使う武器を一時的に召喚するような攻撃なのだろう。
そのうち仏教の神剣や神槍なども見られるだろうか。もしくは仏を降臨させる術などもありそうな気がした。
大水鬼は耐性が高いのか陰陽術には相性が悪いように感じた。近づいて攻撃する系の式神は使えず、式神が使う術も瘴気に阻まれていた。土行の攻撃が多かったが、もっと浄化系の攻撃を使った方が良いのではないかとレンは思う。
実際霊水の攻撃はかなり効果があったし、神官の浄化攻撃も効果があったように見えた。神剣は頭に刺さったが、どうも頭は急所ではなかったようだ。
大水鬼は核が瘴気の塊のように見えた。大水鬼はどちらかというと呪いの塊に近い存在だ。魔法で言うなら聖魔法などが効果的なのではと思った。
アーキルの〈赫雷〉も強力な魔法ではあるが、どうも相性があまり良くなかったようだ。ただ霊水に瘴気を祓われ、核を露出させる効果があった。
アレがあったからレンのアーミラの攻撃が核に確実に届いたのだ。
そういえばレンは倒れてしまったのであの後結果も見届けず〈箱庭〉に籠もってしまった。
レンは一瞬だけ〈箱庭〉を開き、スマホを外に出した。
見ると着信やメッセージがかなり来ている。着信は信光からも1回あったようだ。
メッセージは麻耶からが多い。着信も幾度か来ていた。
それによると大水鬼は討伐できたこと。斑目家が連絡を欲しがっていること。また、信光が会いたがっているからいつが良いか教えて欲しいと書いてある。
レンは討伐が成功してよかったこと。無理をしたのでしばらく寝ていたこと。連絡は数日待って欲しい事をメッセージに書いて再度外にスマホを出して連絡した。
「動いちゃダメですからねっ」
「葵も休んで。顔色が悪いよ」
自分のことは放って置いてレンに癒やしの術を掛けてくれていたらしい葵に叱られ、レンは起き上がれるまでゆっくりと休むことにした。
当然、葵も休ませた。
◇ ◇
3日後、レンはようやく動けるようになり、復帰した。
前回寝込んだ時よりは症状はマシだったが、葵は今回も過保護でレンにトイレ以外は何もさせなかった。
それに夜も添い寝を要求してきて、レンが寝ている間も幾度か癒やしを掛けてくれたのを知っている。
献身的に介護してくれていたので、意識の薄い時に唇に軽い感触があったことは許してあげようと思った。
「すいません、麻耶さん。ちょっと無理をして寝込んでまして」
「いいわ、メッセージは貰ってたし」
レンは麻耶と自宅で会っていた。回復したと連絡したら突撃してきたのだ。
大水鬼は討伐できたが後始末が大変らしい。大水鬼が2日間で動いた場所は瘴気で爛れていて、その作業にレンが使った霊水の浄化作業をお願いしたいと斑目家が言っていたと教えてくれた。
「それで、鷺ノ宮様がお会いしたいと言ってたわよ。いつ頃なら行けるかしら」
「前みたいに放課後で良いならいいですよ。今日はまだちょっとだるいので明日以降で」
「それにしても大活躍だったわね。姿が見えないからアレはどこの家の者だってかなり話題になってたわよ」
「そんなつもりはなかったし、正直あまり目立ちたくないのですが」
レンのその言葉を聞いて麻耶は苦笑した。
「あの大量の浄化水と光る槍。それに赤い雷。アレで目立ちたくないって言うのは無理がないかしら」
「僕1人ではなかったので」
「あら、そうなの。詳しく聞きたいけど教えてはくれなそうね」
「えぇ、秘密です」
麻耶はなんとなくレンの性格を把握してきているようで、そこから掘り下げることはない。レンもアーキルと葵の存在を今すぐ明かす気はない。
麻耶が帰った後で信光に連絡を入れると2日後の放課後に迎えを寄越すと言われた。
またあのホテルを使うのだろう。
その後水琴が見舞いに来たりして、葵と一緒にゆっくりとお茶をしたりして今回の大水鬼討伐の話をしたりした。
レンとしてはアーキルの〈赫雷〉や霊水程度は見せても良いと思っていたが神剣アーミラまで使う気はなかった。
討伐に貢献する気はあったが、止めを自分で刺すつもりはなかった。
だが大水鬼の危険度は高い。
山中であった為に被害は少なかったが、大水鬼が山梨や東京の人口が多い地に現れれば被害は数万でも済まなかったかも知れない。
だがコレで鷺ノ宮信光に要求できる項目は多くなるだろう。
レンとしては見せてしまったものは仕方がない。ならばそれをどう有効利用するか。それをじっくりと考えていた。
◇ ◇
「どう見た」
信光は大水鬼の討伐を監視させていた術士の報告書を見ながら信孝に問いかけた。
監視させていた術士は千里とは言わないが、特殊な眼を持っている。遠見の術などよりもはっきりと現場を確認していたし、レンたちの姿もはっきりとではないが確認している。
どうやら報告書にはレンは3人で上空を動き、大水鬼に攻撃を掛け、大量の浄化水を操り、赤い雷の術を使い、強い神気を使った槍のような術で止めを刺したらしい。
「怪しすぎですね。2人の従者もどこの誰かもわからない。第一高度な隠密装備など所持していることが怪しすぎる。最後の神気の一撃の威力も強力だったようです。どこでそんな術式や術具を得たのか」
「それはそうじゃの。だが秘密主義なのはどこの家も同じことよ。我ら鷺ノ宮家にも秘密はいくつもある。儂らでさえ他家に自家の秘伝をすべて公開しろとは言えん」
レンの怪しいところは、そういう家系に生まれたわけでもないのに目覚めてから半年程度でそれだけの術や術具を操っていることだ。
レンの両親や祖父、祖母などは確実に霊力などや術士の世界とは無縁であったことが確認されている。
血筋を辿れば術士の家系に辿り着いたが、それは数百年前に分かれた家ですでに没落している。
術士として覚醒するのはわからなくはないが、成長速度が説明できないし教える者もいないのに強力な術を扱っている。
更に今回は水妖ではない力を見せ、討伐に大きく貢献した。
「じゃが結果を出した。しかも大妖と言える妖魔の討伐じゃ。2日では十分な討伐部隊は集められなかったが、それでも高名な術士は幾人も混ざっていた。彼らが成し得なかったことを成したのだ。それは評価せねばなるまい」
「……」
信孝はレンに猜疑心が強いようだ。確かに怪しいところはある。だが信光としては国の為になるのなら良い働きをしてくれる術士であるならば問題ないと考えている。力を悪事に利用しているという様子もない。
実際川崎事変に今回の大水鬼事件。両方で活躍をしている。
レンがどのような働きをするのか、それを知りたくて討伐隊に参加させたが信光が予想した以上の活躍をした。
それで十分だろう。
信光は討伐隊が失敗した際には鷺ノ宮家からも人を出し、より強力な討伐隊を組まなければならないと準備をしていたが、良い意味で無駄になった。
レンは大きな功を上げたが討伐隊に参加した者たちのメンツも立っている。さらに斑目家などは被害は大きかったようだが長年の懸念が片付き、ホッとしているところだろう。
「問題はそれよりも外国の犯罪者がこの日本で暗躍していることよ。大水鬼を復活させたのも確証はないがおそらく川崎事変の関係者であろう。公安や警察などにはもっと働けと言っておけ」
大水鬼を復活させたらしい術士たちは大水鬼を御せず、黒い染みとなって見つかったと報告が上がっている。
おそらく高濃度のブレスでも浴びたのだろう。身元の判別もできないが、まだ隠れ潜んでいるかもしれない。
大きな事件は未然に防げているが、それでも外国人犯罪者の犯罪は後も絶たない。だがそれは外国人に限らない。片平家のように術士の家系が犯罪に手を染めることも多いし、術士の家系を出奔した者が犯罪組織で頭角を現すこともある。
霊力を操れるというのは、一般の警察ではなかなか逮捕するのが難しい。
単純に10倍の人数で掛かっても素手でも打ち倒されてしまうだろうし、隠密技能や結界術などは犯罪に利用すればかなり有用なのだ。更に精神を蝕むような術や他人を操る術もある。そして術士でもないものはそれに逆らうことすらできない。
だからこそ術士の家系はしっかり見張らなければならないし、もっと統制を取りたいと言う思いはあるが歴史的経緯から日本での術士や寺院、神社などは独立性が高い。
「あの少年は良いのですか」
「構わぬ。とりあえず玖条家を建てさせる」
「それはっ」
「そうしたほうが良いじゃろう。麻耶くんからも彼がどこかの家に従属するとは考えられないと言っていたし、そのようなことをすれば豊川家も口を出してくるじゃろう。ならば権利を認め、その代わりに枷を嵌める。さて、金銭以外にも欲しい物があると言っていた。どんな要求をしてくるか楽しみじゃの」
「父上っ。父上が楽しそうなのは良いですが、肩入れしすぎでは」
「気に入った者に肩入れすることの何が悪い。カカッ、今度の会合には何人か連れて行こうかの。あと信興を監視させておけ。間違っても彼の情報など与えるなよ」
「わかりました」
鷺ノ宮家の問題児、鷺ノ宮信興。実力は高いが勝手な行動が多く、信光の言う事もあまり聞かぬ男だ。
レンの存在を知れば興味を覚え、襲撃にでも行きかねない。
ただ有用な戦力でもある。もし今回の大水鬼討伐が失敗すれば信興を戦場に出すつもりで居た。信孝を指揮として、信興と数人の戦力を出す。他に準備していた戦力と合わせれば討伐は成っただろう。
自衛隊の攻撃はあまり効果がなかったらしいが、実戦に自衛隊の装備を試せる機会もそうない。それにそちらの開発は彼らの管轄だ。防衛省が考えることだろう。
「ふむ、楽しみじゃの。とりあえず褒美をいくつか用意しておくか」
信光はタタタタッと小さな足音が聞こえ、表情を綻ばせた。
◇ ◇
「手伝ってくれると言うのか。頭が上がらないな」
右腕に大きな傷を負った斑目久道は自室でそう呟いた。
レンと連絡が取れ、浄化作業の手伝いもしてくれると言う。今は近隣の神官や僧侶などがやってくれているが、大水鬼の置き土産は凶悪で、特に封印の周囲と決戦の場となった戦場が酷い。
それでも倒せたという事実は大きい。
久道の叔父や従兄弟、分家の者など何人か失ってしまったことは悲しいことだが、むしろその程度の被害で済んでいることが奇跡だ。
久道が期待した方向ではなかったが、レンは久道の期待以上の戦果を示してくれた。
ようやく斑目家は700年近く続いた役目から解放され、久道の子等にその役目を引き継がせることもしなくて済んだ。
大水鬼が復活し、逃していた妻や子等も帰ってきた。
未だ負った傷は痛むが、また妻や子と会い、生きて生活を続けることができる。
斑目家次期当主としては考えることややるべきことが山程積んであるが、今だけはこの幸せに浸っても良いだろうと久道は思っていた。
「これを?」
「えぇ、傷口に掛けてお飲みください」
レンから連絡があり、その後レンが斑目家を訪ねてきた。
そして贈り物だと言って大きな樽に入った水を持ってきた。
あの戦いで使った効果の浄化能力の高い水だと言う。
実際コップに入った水から強力な霊力を感じることができる。
だが霊気ではなく、何か違う感じもある。ただ久道の知識と感知能力では、浄化能力の高い水であるだろうことはわかるがこの水がどのような水か、どこから得た物なのかは想像もつかなかった。
「玖条殿の言うことならば信じよう。ありがたく。ぐぅっ」
飲むと身体の内側が焼けるような感覚があり、あまりの苦しさに苦鳴が漏れる。しかしそれは瘴気を吸って傷んだ内臓などが浄化される際の痛みだ。
更に桶に汲んだ水を患部に掛けると痛みは酷いが瘴気で爛れた部位が少しずつだがよくなっていくのがわかる。
「とりあえず3樽ほど持ってきました。瘴気にやられた人員が多いと聞いたので、もし足らなければ言ってください。また用意しますので」
「討伐にも手を貸してもらい、更にこれほどのことをしてもらえるとはな。感謝しかない」
「まずは身体を治してください。話は今後でもできます」
「そうだな。ぐっ、お前たち。他の重症者にもこの水を。効果は俺が保証する」
「では僕は失礼しますね。またご連絡ください」
「あぁ、悪かったね。また今度」
「えぇ」
久道はレンを見送ることもできなかったが、レンの贈った霊水で重症者たちはかなりの回復が進んだ。完治するにはまだ時間が掛かるだろうが重篤な後遺症を覚悟していた者も時間を掛ければ完治できる道が見えた。
「本当に感謝しかないな。しっかりと礼をせねば」
久道はあどけない少年としか見えないレンに心の中で本気で感謝の意を再度唱え、きちんと礼をすることを心に決めた。
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