018
「さて、どう思った。信孝、鷺内」
「私は危険だと思いました。なぜあの場で拘束してしまわなかったのですか。それにもっと踏み込んで色々と情報を開示させるべきでしょう」
「かの少年の力量や思惑はわかりませぬが、それほど悪いことにはならないと思いました。しかし霊力の制御のレベルが目覚めたばかりだとは思えないほど整っていました。前情報と会ってみた印象がかなり違うように感じました。今は危険度は低いでしょうが今後についてはわかりません」
「確かに様々な部署や省庁からはかの少年について情報を搾り取れと言ってきたがそんなことはどうでも良い。情報が欲しければ自分たちで得れば良いのだ。当然、相応の対価を提示してな」
信光はレンとの会合の後、自室に息子の信孝と腹心であり執事長をしている鷺内にレンの印象を問うた。
そして信孝と鷺内の返答はかなり違った。
信孝は危険だと考え、更にあまり踏み込んだ会談にせずに穏当に済ませたことに不満があるようだ。
鷺内はそれほど危険性を感じなかったようだが未来についてはわからないと注意を促している。
「ふふふっ、アレの目は他人に従うことを良しとしない者の目よ。戦えば勝てる勝てないとかそういう話ではない。力づくや権力で従わせようとすれば必ず抗うじゃろう。そういう覚悟を感じた。そしてそういう者は相手にするのは非常に厄介じゃ。水妖の式神も気になるが他にも隠し玉があるように感じた。争う理由もない。監視に留め、手は出さぬようにせよ」
「しかしっ」
信孝は不満がありそうだが信光は視線だけで一蹴する。
(アレはなんじゃ?)
信光の考えは違っていた。
信光は必要があればあの場に居た戦力を使ってレンを捕らえることも考えていたし、無理やり灯火などに掛けられている術を解かせることも考えていた。
だがレンを視た瞬間、その考えは吹き飛んだ。
感じられる霊力は弱い。神気もうっすらと感じたがその程度ならいくらでもいる。武術の気配も多少の心得はありそうであったが、立ち姿や歩き方からそれほどではないと判断していた。しかし霊力や神気の制御能力は尋常ではなかった。且つ信光の〈眼〉で視えたレンの魂魄は非常に硬い殻のようなものに覆われているように視えた。その内側に何が隠されているかは信光でもわからない。
レンを視た瞬間、「この少年と敵対するべきではない」と本能が訴えた。
直感と言っても良い。そして信光の人生の中でも今回の警鐘の強さは類を見ないほどであった。
恐怖、いや、畏怖したのだ。目の前のか弱い少年に見え、実際に感知した力もほとんど感じられないほどの少年に。
信光は今まで多数の強者に会ったことがある。実際彼らは信光にとっても脅威を覚えるほどの実力者であったが「戦ってはいけない」と思うほどではなかった。
相手の実力を測り、どうすれば勝てるか思考を巡らせることはあっても畏怖することなどはなかった。
「あの場で拘束しようとしてあのホテルに水妖が現れてみよ。どれほどの被害がでるか。バカなことを言うな」
実際その危険性もあった。だからレンを拘束するとしても実力行使ではなく、そのように促すという手段を検討していただけで、無理に押さえつけるつもりはなかった。
あの会談の場には十分な戦力を準備をしていた。もし水妖を使おうとしても川崎のようなことにはならないであろう。
召喚を妨害し、即座に隠していた戦力で押さえつける。きっとそうなった、なるはずの戦力を準備していた。しかしそれは不可能だとレンを視て思ったのだ。
「それは当然高位の水妖を操る力を持つからです。あの少年からはさほどの霊力も感じられませんでした。とてもあのレベルの水妖を御せるとは思えません。暴走する可能性も高いと思いますし、あの水妖が暴れればどれほどの被害がでるかわからないではありませんか。それにあれほどの水妖を扱えるのであれば、押さえつけるか取り込むのが通常でしょう。封印するという手もある」
しかし信孝が感じたレンに対する危険性の認知は信光の物とは違ったようだ。
いや、確かに道理で考えればその通りだ。だが、強力な神霊を持つというだけで罰することも捕らえることもできない。
それで言うのならば式神を操る陰陽師や銃や刀などよりも危険な術を操る術士すべてが危険だと言うことになる。
実際に式神が暴走し、被害を出した例はいくらでもある。あるからこそ信孝はレンに同様の危険性を感じているのだろうが、レンが行ったのは犯罪組織の目的をくじき、誘拐された少女を救い、そして制御できなくなった黒蛇の神霊を治めたのだ。討滅したと考えられているが調伏して隠しているかもしれないと信光は睨んでいた。
レンの力を見た少女たちの術を掛ける理由もわかる。〈契約〉や〈誓約〉もしくは誓紙などを使って秘密を守る。そんなことはいつの時代でも行われている。現代でもだ。おそらく少女たちはあの水妖以外のレンの力の秘密を見たのだろう。
藤森家や水無月家が解けなかったと言うことと、その後水無月家はこの術の解除は危険を伴うと少女たちの実家に警告を発したのは少し驚きだったが、最低限のレンの正体を知ることもできたし、接することで人柄を知ることができた。畏怖は感じたが少なくとも悪性の性根ではないと信光は今日の会談で感じたのだ。
豊川家に関しては情報がないので不明だ。獅子神家はおそらく水琴に術が掛かっていることに気付いていない。少なくとも解呪しようと誰かしらの術士を呼んだ形跡はなく、そのような術士も獅子神家には存在しないことは調査が及んでいる。
「鷺内はどうだ。なぜそう判断した」
「単純にかの少年の印象は善性にあると思いました。力に振り回されている気配もありません。むしろ獅子神家に介入する事件さえ起きなければ今でも潜伏していたのだろうと判断しました。今後はそうもいかなくなるでしょうが慎重な性格と善性を鑑みれば注視すべきだとは思いますが手を出す必要性を感じません。むしろおかしな輩に絡まれないように鷺ノ宮家で庇護を与えるのも良いかと愚考します」
「ふむ、儂もどちらかというと鷺内の意見に近しいの。だからこそあの場では何もせずに帰した」
信光はレンに感じた畏怖を隠しながら鷺内の意見に賛同した。信孝は納得が行かないようだが、少なくともこの日本に霊力を、式神を持つだけで規制するような法も力も存在しない。
悪事を働いたり、力を悪用する気配があるのならばともかく、そういうわけでもない。
「どちらにせよ玖条少年に関しては監視はするが手は出さぬ。どうせ勝手に手をだす阿呆どもが居るだろう。そいつらに対する対応を見てからで良かろう。これは決定事項だ」
「……わかりました、父上」
「はっ」
信光は彼らを下がらせると少し思考に没頭した。
信光が感じた畏怖を2人は感じていなかった。2人の意見はどちらもその性格を表しているだけで道理に合わないわけでもなく、比較的常識的な判断だ。
信孝はレンを危険だが現状では大したことはないと侮り、早めに芽を潰してしまうか取り込んでしまうことを主張した。
鷺内はレンの性格を分析し、危険性は低いと判断した。
どちらにせよもし信孝の意見の通り暴走が起きたとしてもその管轄は鷺ノ宮家ではない。
政府機関やあの近辺の家や神社、寺院などが対処すべき案件だ。
(如月家などは手を出しそうじゃがの)
如月家は鷺ノ宮家が使っている情報源の1つだ。それほど深い付き合いではないが東京西部、甲信辺りの情報を一手にまとめている。
そしてその如月家の上層部は、自家の縄張りにいる異分子について何もしないということはないだろう。
「ふふっ、楽しみじゃの」
畏怖しつつもひ弱に感じた少年。玖条漣。今後彼を中心にいくつもの事件が起きるだろう。それに彼がどのように対処するのか、何が起きるのか。信光はニヤリと笑いながらグラスを傾けた。
◇ ◇ ◇
「ハッ」
カッカッカッと木刀の打ち合わせられる音がする。
〈箱庭〉の中で水琴とレンが木刀で稽古をしているのだ。
それはレンが頼んだことだった。剣術を教えて欲しいと水琴に頼んだのだ。
2ヶ月ほどレンは肉体の強化に努めてきた。レンの知る武術の型や剣術、槍術なども修練してきた。
ようやく実際の剣や槍を振ることもできるようになったところだ。
そして水琴はレンの少ない知り合いの中で実戦の剣術を知っている。
日本の剣術なので片刃曲剣、つまり刀術なのだが水琴の使う刀術を覚えればその対策方法もわかってくるし、レンは片刃曲剣の扱いはあまり習熟していなかったのでちょうど良いと思ったのだ。
(にしても水琴、強いな)
レンが幾度打ち込んでも当たる気がしない。当然のように手心を加えられ、幾度も首筋や心臓に寸止めをされてしまう。
水琴の術から刀術を盗み、日本で主流だろう刀使いの対策を練る為にはある程度レンの練度を上げなければならないようだ。
もちろん水琴は獅子神流剣術の基礎の型も教えてくれているのでそれらもレンの普段の稽古に取り入れている。
「ふぅ、今日はこんなところかしら」
「ありがとう。し……水琴」
「まだ慣れないの?」
「なかなか、ね。なんでだろう。あとクラス内で囃し立てられるのはちょっと面倒くさいね」
「アレばかりは仕方ないわよ。でもまだマシな方だと思うわよ?」
水琴がよくわからないことを言ってきたので理由を詳しく聞いてみた。
どうもレンは様々な物に守られているらしい。
まずその1つがレンのクラスメイトで友人である久我と香田だ。この2人はクラスの中心人物であり、且つ運動部でも一目置かれている新人だという。
レンに何かすると運動部系を敵に回す可能性があるので、おかしないじめは起きていないのだろうと水琴は語った。
そしてもう1つ。獅子神流だ。
どういう意味かよくわからなかったのだが、獅子神流剣術は戦後から道場を開いている。そして近隣の悪さをするいわゆる不良であるとか半端者は大概が獅子神流の門下生に叩きのめされた経験がある。
もちろん多少の悪さでそんなことはしないが度を越せば獅子神流が現れる。そういう風に言われているらしい。
実際レンの住む街の治安はとても良い。暴力団も若者が作るようなギャング、暴走族なども獅子神流がある為に権勢を誇れず、大体が他の街へ逃げていく。
そして多少でもその界隈に明るい者なら、先輩たちから獅子神流には関わってはいけないと忠告されているはずだと言う。
その獅子神家の直系である水琴と親しいというのは、レンに対して何かしらいじめや暴力的なことを起こそうという者にとってかなりのプレッシャーになるのだと言うのだ。
なにせレンは見た目だけならひ弱で可愛らしい少年でしかない。
風評被害で水琴は美少年趣味であると最近噂されているというのを水琴は最後に苦笑しながら教えてくれた。
「ところでレンくんは剣術だけじゃなくて槍術も習いたいのよね。体術はいいの?」
「ん? 体術も教えてくれるの」
「獅子神流は剣術を謳っているけれど刀だけじゃなくて様々な武器と柔術、当身なんかも使うわよ。今は敢えて刀だけでやっているけどね」
「そうなんだ。じゃぁせっかくだし教えて貰おうかな」
木刀を置いて葵が用意してくれた水を飲み、レンと水琴は無手で向かい合う。
(柔術ってどんなんだっけ。投げが主体? とりあえず打ち込んでみようか)
レンが踏み込み右拳で打ち込むと外側に避けた水琴の左裏拳がレンのみぞおちを叩き、右腕を右手で掴まれ、同時に上側から足を掛けられて仰向けに投げられる。
後頭部を打ち付ける前に水琴が止めてくれたから良いがあっという間の出来事だった。
そしてみぞおちへの一撃は非常に痛い。
「げほっ。うん、水琴が無手でも強いのがよくわかった。これからは体術も教えてよ」
「えぇ、歓迎するわ。ようこそ獅子神流へ」
水琴に腕を掴まれて起き上がるとレンは冗談で拝師の礼を取ると水琴も笑いながらレンの手の上に自らの手を乗せた。
「レン様。合気柔術に興味はありませんか?」
「え?」
続きをしようと思っていたレンと水琴は横から掛けられた声に驚いた。声を掛けたのは当然葵だ。
〈箱庭〉のレンの館の庭で訓練をしているのだが、今はカルラとライカが見学をしているだけで、人は当然葵しかいない。
「葵も武術ができるの?」
「短剣術と合気柔術を学んでいます。短槍も扱います。レン様が望むならお見せいたしますよ。せっかくだから水琴さん、お相手して貰っても?」
「え、えぇ。いいわよ」
別に敵対的な雰囲気が出ているわけではないが、葵が水琴と相対する。
さっきはレンが水琴に打ち込んだが今度は水琴から動いた。
そして決着は一瞬だった。するりと水琴の打撃を避けた葵は水琴の懐に入り込み、それほど力を入れていたように見えないのに水琴の体はうつ伏せに落ちるように倒れた。
「くっ」
なんとか片手をついて体を翻そうとする前に葵の手刀が水琴の首後部に突きつけられる。
「参ったわ。というか、正直何をされたかわからなかったんだけど……」
「何百回も投げられればきっとわかるようになりますよ」
「それじゃぁもう1回」
「えぇ、どうぞ」
それから10回以上水琴は投げられ、時には当身で倒れた。
1回目は水琴も葵の実力を確かめようと軽い気持ちだったのだろう。だが途中から魔力を体に満たし、〈水晶眼〉まで使っていた。
それでも水琴の攻撃は一撃も葵に当たらず、水琴はボロボロにされ土に塗れた。
「本当に参ったわ。最近強くなって浮かれていた私がバカみたいに思えるくらいに。ありがとう、今度色々教えてくれる?」
「わかりました」
「あ~、水琴。葵がやっているのは魔力操作を相当極めないとできないから普通に修練しても身につかないよ。対処も難しいと思う」
「え?」
脇で見ていたレンにはわかる。葵がやっていたのはレンが使う魔力を使う体術に近い魔闘術と似た技法を使っている。
葵は自身の魔力を水琴の魔力に混ぜ合わせ、水琴の動きを微細に狂わせているのだ。そしてそれに合わせて水琴を崩し、投げる。
そして体術自体の練度も非常に高い。最初のうちは使っていなかったが水琴が本気になったあたりであからさまに葵もその技法を使うようになった。
水琴の〈水晶眼〉でも見破れないほど細やかな魔力操作。そして相手の魔力に感知されずに干渉するのは非常に難易度が高いのだ。
水琴の魔力操作では抗うのは無理だろう。
「まさか見破られるとは思わなかった」
「そんなことをされてたのね」
「最初の方は使ってなかった。単純な体術で投げてた」
レンの説明を聞くと水琴は驚き、葵は見破られたことに驚いていた。
「ごめん、秘伝かなんかだった?」
「ううん。我流。元々合気柔術は幼い頃から習っていて、そのうちコレができるようになった。だから名前も付けてない。見破られたのも初めて。と、言ってもほとんど人前で使ったことはないけど」
我流でその域まで達したのかとレンは感心したが、レンの使う独自の武術もいくつかの流派を学んだ末に自身で編み出したことを思い出した。
しかし葵は13歳だ。その才には驚くばかりである。
「とりあえず2人とも、今後とも色々教えてくれると助かるよ」
「えぇ、わかったわ」
「レン様の頼みならいつでも聞く」
そうしてレンは2人の師をこの世界でも得たのだった。
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