016.会談

「着いたわ。私の案内はここまでなの。あちらの女性についていってくれるかしら」


 灯火と1時間と少し当たり障りのない世間話をしながら高級車の柔らかい座席を楽しんでいると大きなホテルの前に車列は止まった。


「こんにちは。如月麻耶よ。と、言っても単なる案内人だけどね」


 タイトなスーツに装われた年上の女性。と、言ってもパッと見20代前半だろう。肩の上で切りそろえた美麗な秘書という感じの女性はシャープな印象をレンに与えた。

 麻耶に案内されるとホテルの従業員たちは当たり前のようにレンを通し、上階にまで案内してくれる。


(すごいな。このホテルかなりの数の結界が張られているし様々な対策がされてる。帝城とは行かないけれどこんな厳重なホテルがあるんだな)


 そしてレンは案内されたホテルが魔術的に様々な対策が張られていることに気付いていた。

 ホテル自体を覆う強固な結界。内部に配置された従業員を兼ねた魔力持ちたち。ホテル内ではそれほどの強度ではないが魔力の使用が乱され、魔法や魔術を常のように使うことは難しいだろう。

 その上案内されたフロアはより強固な防護が敷かれている。レンの感覚ではその上下階も含めて別の結界が張られていることを察知した。


(ここまで警備されてる相手ってどんな相手だ?)


 フロアの中に人気はないように見えるが〈感知〉で感じられるだけでもかなりの数の魔力持ちの存在を感じ取れる。

 〈隠蔽〉を掛けているようだがレンの感知能力は高いのだ。レン自身の魔力量が減ったことによって、逆に鋭敏になった。

 〈探知〉を掛けたくなったがレンは小さく首を振って自重する。


「ここよ」


 2人の黒服が立っている部屋の扉は麻耶とレンが着くと開かれ、中から初老の執事服を着た老人が現れた。


(強いな)


 レンを護送した者たち。ホテル内に潜んでいた魔力持ちたち。麻耶や目の前にいる黒服たちと比べても圧倒的な力量の差を目の前の初老の男から感じる。


「いらっしゃいませ、玖条漣様。こんな強引なお呼び立てをしてしまって申し訳ありません。しかし我らが主の都合でこのような形になってしまいました。中で主がお待ちしております。どうぞ中へ」


 レンは返事をせずに執事に促されるまま中に入ると広大な部屋がある。麻耶は部屋には入らないようだ。

 中には横長の10人は使えるだろう大きなダイニングテーブルだけが存在し、主であろう和装の老人が座っている。隣には老人に似た中年のスーツの男が座り、後ろには5人の護衛だろう男たちがピシッと立っている。執事は老人の斜め後ろに立っている。

 そしてテーブルの脇に1人、ライトグレーのスーツの毛色の違う中年の男が立ってレンを見つめている。

 他に部屋にいるのは1人の初老のウェイターと2人のウェイトレスだ。だがその3人も魔力持ちであることをレンは察していた。


「悪いね。急に呼び立ててしまって。儂の名は鷺ノ宮信光と言う。隣に座るのは息子の信孝だ。座ってくれたまえ」

「玖条漣です。では遠慮なく。どう呼べば?」

「うむ。そうだな。この場には信孝もおる。鷺ノ宮翁とでも呼んで貰おうか。そう呼ぶものが多いものでな。これから食事でも、と思うが先に別の用事を済ませてしまおう。藤森くん」

「はい」


 ライトグレーのスーツの男。40前後というところだろう。渋い顔立ちで顎回りにひげを生やしていて、髪は短く切りそろえられている。スーツの上からでも体が鍛えられていることがわかる。


 男は足元においていたアタッシェケースを手に持ち、レンの近くまで歩いてきた。そしてピシッと直立し、訓練されたような礼をする。


「私は藤森誠と言う。君に救われた藤森楓の父親だ。今回鷺ノ宮様が玖条くんに会うというので同席させて貰った。娘を助けてくれて感謝する。これは礼物だ。受け取って欲しい」


 誠の用件は端的でわかりやすかった。あまり楓に似ている部分がないなと思いながら彼女の父親であるならば娘の恩人であるレンに礼を言いたいというのはわかる。

 そしてそれはレンが楓たちを救ったことがすでにバレていることを示していた。


(まぁ灯火が迎えに着た時点でそうだろうと思ったけれど)


 ただ不明なのは〈制約〉が解かれた気配がないことだ。灯火、楓、美咲に掛けた〈制約〉は未だ有効で、解呪は試したのは知っているが未だ健在だ。

 どのようにレンを特定したのか、そこが気になる。


「礼を受けます。お嬢さんが無事で良かったです」


 渡されたケースはそこそこの重さだった。中身が何であるかはわからないが、誠は再度礼をすると信光に同席させて貰ったことに礼を言い、退室した。


「ぁっ」

「どうしたのかね」

「いえ、なんでもありません」


 アタッシェケースを床に置き、再度信光の対面に座る。


(楓の親って確か政府関連の人だって話だったよな。そして前捕まえた諜報部隊の上司の名前が確か藤森誠だった気がする)


 誠が政府関連の仕事をしていることは葵が教えてくれた。そしてあの時は気付かなかったが以前捕まえた公安の者たちが喋っていた上司の名が藤森誠だった。


(なんというか、世間は狭いっていうんだっけ。こっちでは)


 こんな偶然もあるんだなと思いながらも本題は目の前の信光との会談だ。

 レンは意識を切り替えて信光に集中した。




「少し早いが夕食の準備をさせている。どうだね。ここのシェフはどこの国の料理でもうまいが中華は好きかな」

「頂きます」


 レンがそう答えるとドアが開き、大きなワゴンが2つ入ってくる。

 食事をするのは信光と信孝、そしてレンの3人だけのようだ。

 ワゴンを持ってきた者たちは部屋を出て給仕たちが3つの大皿とスープ、そしてドリンクの準備をしてくれる。


「さて、察していると思うが私たちは水無月灯火嬢たちを救ったのが玖条くんであることを知っている。君が〈蛇の目〉から警戒される覚醒者であることも、如月家や多くの家が君を捕らえようとしていることもだ。だが、私たちは君を捕らえようとしているわけでもない。もちろん今回もこのまま無事に帰させて貰う。それは私の名に置いて保証しよう」

「ありがとうございます」

「礼を言うのはこちらの方だ。あの事件、我々は川崎事変と呼んでいるが川崎事変は大変な事態だった。誘拐された少女たちが無事だったことや事件の被害の規模が予想より桁が2つほど低くなったのも玖条くんのおかげだったのだ」


(うまいなぁ。料理人の腕もあるんだろうけれど、食材1つ1つのレベルが違う)


 レンは信光と話しながらも目の前の食事を楽しんでいた。

 出された烏龍茶もレンの知る烏龍茶とは思えないものであったし、スープや食事すべてのレベルが高い。

 信光は紹興酒をチビチビと飲みながら食事は控えめにしている。逆に信孝は食事をメインに楽しんでいるようだが会話には混ざってこない。


(それにしても後ろの執事とこの2人は別格だな。魔力だけじゃなく聖気も持っている。少なくとも今の僕はどうにもならないな)


 後ろの護衛たちですらレンは正面から戦えば勝てないだろう。もちろん魔剣や従魔たちの力を借りればその限りではないが、特に目の前の3人のレベルは文字どおり桁が違う。


(少なくとも向こうで宮廷魔導士や上位の騎士と言われても驚かないレベルだ)


 魔力の制御、量。そして聖気。聖気自体は持っている者はそう珍しくない。しかしその量はレンの知る中でも上位と言っていいレベルだ。残念ながら今のレンの感知能力では彼らの実力を測ることすら難しい。正直後ろに5人も護衛が必要なのか疑いたいくらいだ。


 会話は川崎事変の前、日本全国で起きた犯罪組織の多発襲撃事件や令嬢たちの誘拐、霊具や法具と呼ばれる術具の盗難から事件を起こした黒幕の組織にまで進んでいた。

 そんな情報をレンに与えて良いのかと疑問に思ってしまうが、レンが関わった事件がどれだけ大きな物で、そしてその目標をくじいたことでどれほど彼らが感謝しているかをレンに自覚させる狙いもあるのだろう。


「さて、もう少し話したいことがあるが隣室で話さないかね。ここは少し広すぎる」


 食事が終わった頃に信光は席を変えようと提案してきた。

 レンたちが居る部屋は40畳は超えるくらいの大きな部屋だ。

 本来はリビングとして使う部屋なのだろう。備え付けの家具以外はすべて排除され、大きなダイニングテーブルと3脚の椅子しか置かれていなかった。

 ダイニングテーブルを挟んでレンたちは3mほど離れている。食事が終わってしまえば確かに少し落ち着かない。


「わかりました」




 案内されながら隣室に入るとローテーブルにソファが2つある。

 5人の護衛は入らず、信光、信孝、執事とレン。そして給仕たちだけが部屋に入るようだ。

 部屋自体は20畳ほどあり十分広いが家具の撤去などは行われておらず応接室という雰囲気を持っている。


 レン用に用意されたであろうシングルソファに促されて座ると信光と信孝も3人がけだろうソファに対面に座る。

 初老の給仕がコーヒーか紅茶をどうかと言うのでコーヒーを頼む。

 出されたコーヒーは飲む前から香りが芳醇に広がり、レンは手を加えずに一口飲んでつい「うまっ」と声を上げてしまった。


「はははっ、ここのコーヒーも紅茶も厳選されたものだ。儂も気に入っておる」


 同様にコーヒーを口にした信光は笑った。


「さて、本題だ。礼を言いたいというのはもちろん本音ではあるが儂らにとってはこちらのが重要なことだ。君は何者だ?」

「何者、とは? 鷺ノ宮翁。僕のことなど調べ上げているのでは?」

「はははっ、そうだな。だが玖条くんは知らないかもしれないが君は異質すぎる。目覚めた異能はおそらくあの大きな水蛇の神霊関連なのだろうと思っているがその霊力の制御能力は霊力に目覚めたばかりの者では行うことは不可能に近い。君は儂らにとってイレギュラーの度合いが高すぎるのだ。だが、君と話していて、そして実際に君を見て儂は玖条くんが危険な存在ではないと感じている」


 実際信光のレンに対する雰囲気は良い。どこが琴線に触ったのかわからないが良い印象を与えたようだ。


「そうだな、君のことばかり儂らが知っているのは良くないな。玖条くんは宮家というのは知っているかな」

「天皇家の傍系で家を立てることを許された、あの宮家のことですか? 他には思い浮かびませんが」

「そうじゃ。そして鷺ノ宮家はそのうちの1つになる。と、言っても歴史書にもインターネットにもその名は残っておらぬ。今どきは調べようと思えば現在残っている宮家や当主の名すら調べることができるが鷺ノ宮家の名は出てこないであろう」


 信光はそこまで語るとレンをじっと見つめた。

 つまり鷺ノ宮家は他の宮家と違い、特殊な役目を与えられた家だと言うことなのだろう。


「今の鷺ノ宮家の当主は儂だ。信孝は儂の次男で今回連れてきたが次期当主候補の1人であるが定まった後継者というわけではない。そして儂らは今回の川崎事変に関して調べることにし、灯火嬢の協力を得て玖条くんの関与に気付いた」

「そう言われても僕は僕としか言いようがありません。ご存知だと思いますが3月の末に不思議な力に目覚め、獅子神家の娘さんと縁があり今回の事件に関わりました。元々は彼女を救おうとしただけで他の子たちを救おうと思っていたわけでも事件を解決しようとしたわけではないのです」

「ふむ、その言い分はわかる。どうやって水琴嬢のことを追えたのか、あの黒蛇をどのように封印したのかはわからぬが儂らの調査でもそのようにでている」


 信光はコーヒーの残りを飲みきり、素朴だが香り高いクッキーを手にした。

 レンも一息つこうとクッキーとチョコレートに手をだし、コーヒーを飲み切る。

 給仕がお替りは、と聞くのでお願いする。


「まぁ良い。すべてではないが知りたいことは知れた。逆に玖条くんから聞きたいことがあれば答えよう。すべてとは行かないがな」

「では僕の存在をどのように知ったのか教えて頂いても?」

「なるほど。救われた少女たちに特殊な術が掛かっているのはすぐ知れた。しかしそれらを解くことは叶わなかったようだ。そこで儂は水無月家に頼られ、ある術士を派遣した。相手の記憶を読むことができる術士じゃ。別の、解呪を専門とする術士を使い、灯火嬢には知らせずに記憶を読む術士に灯火嬢の記憶を読ませた。だが実際はほとんど視ることは叶わなかった。ただ玖条くんの顔立ちはわかった。後は救われた少女たちの周囲に似た者が居ないか確認し、水琴嬢の関連から玖条くんに辿り着いたのだ。故に君の力はあの水蛇の神霊を操るか召喚することだろうと言うことしかわかっていない」

「なるほど」


(記憶を読む術か。確かにそういう術はあるし今語った方法なら僕に辿り着くことはできる……と思う。本当かどうかまではわからないけれど筋は通っているな)


「信じてくれるかはわからぬが、誓って嘘は言っておらぬ。他になにかあるかな」

「そうですね、それでは先程飲んだコーヒーや烏龍茶を手に入れる方法を教えて貰えますか」


 レンの要求に対して信光は、いや、信孝も執事も給仕たちも意表を突かれたようだった。

 しかしレンは今回飲んだコーヒーや烏龍茶は通常の手段では手に入れづらいことを気付いていて、また飲みたいという欲求でついそう言ってしまったのだ。


「はははっ、気に入ったか。ここのホテルで使われている茶葉やコーヒー豆は専属で契約している農場から仕入れている物だ。儂から口利きして玖条くんが手に入れられるようにして置こう」

「ありがとうございます」


 レンは素直に礼を言いながら、信光たちの真意を探ろうとしていた。



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