015
結局水琴たちの解放はその日が変わる少し前くらいの時間になった。
理由は単純でレンが起きている時しか〈箱庭〉の出口を移動できないからだ。
地下から地上に出口の移動はできたが川崎の倉庫周辺は封鎖されており、警察や政府機関、周囲の寺院や神社などの関係者たちが事件の後始末や検証などをしていた為にそんなところに誘拐されていた4人の少女が現れれば大変な騒ぎになってしまう。
ちなみに葵は頑として外にはでずにレンの世話をすると主張したのでレンは諦めて受け入れた。
嫁入りを、ではない。一時的に〈箱庭〉で葵を保護することをだ。実際葵の癒やしの術を受ければレンの療養期間も短くなることは確実だ。実利もあるのだ。
少し目を覚まし、水や軽い食事をして出口の移動を行ってまた寝る。それを幾度か繰り返してようやく静かな場所に彼女たちを解放することができるようになった。
レンと水琴の待ち合わせは朝10時の予定だった。それから昼過ぎに水琴たちを救出し、黒蛇と戦い、非常に濃い1日だった。
「ありがとうね、レンくん」
「すっごい感謝してる。今度美味しいご飯奢るね!」
「また助けられちゃって申し訳ないわ。私もお礼を考えておくわね」
「レンっち、離れたくないけど多分うちが大変なことになってるから一度帰るね。またね~」
灯火がぺこりと頭を下げてから黒渦の外に出る。楓と水琴、美咲も同様に礼を言って黒渦から外に出ていった。
幾度かレンが目を覚ました時に彼女たちとは話をし、お互いに名前で呼び合うようになった。年上の灯火と楓にはさんをつけようとしたが呼び捨てで良いと言われ、水琴と年下組も呼び捨てにすることになった。年下組はちゃん付けしようとしたが拒否られた。
ちなみに葵の旦那様呼びは勘弁して欲しいと言うと「あなた」と呼ばれ、それも止めるように言うと「レン様」になった。これ以上の譲歩はできないらしい。
〈制約〉については全員が許容した。〈箱庭〉にしばらく居着く予定の葵も例外ではない。
〈制約〉の術はちょっと特殊な術だ。レンの世界でも〈契約〉や〈誓約〉などと言った術や〈隷属〉や〈洗脳〉などの術もある。
しかしそれらの術は大概対策があるものだ。掛けられないような防御術式や耐性、解呪するための術や魔術具。コンピューターウィルスとセキュリティソフトのようにいたちごっこが続いていた歴史をレンは知っている。だが〈制約〉にはレンの知る限りそれらは存在しない。
〈制約〉は元々そういう術を作ろうと思って作ったわけではない。魂魄魔法という特殊な魔法を研究していた時に副産物としてできた術であり、レンも自身が掛けた相手の〈制約〉は解除することができるが、他人が掛けた物を解除する方法は知らない。
と、言うか〈制約〉の術はレンは公にしていなかったし誰にも教えないまま死んだ。故にレンと同じ手順か違う方法で辿り着いた者が居るかもしれないが、少なくともレンの知る限り使い手は居ない。
灯火、美咲は解呪を試すだろうと言っていたし、楓は特に心配していたが、レンはもし解呪されるならされたで良いと思っている。
そうなればレンは漣少年の家族との思い出の品などを持って出奔する気まんまんだからだ。
レンの力が知れ渡ったとしても日本から出てどこかの無人島にでも潜伏するか、海外で名と姿を変えて活動するのも良いだろう。
葵はその場合連れて行くことになる可能性が高いが、正直葵に関してはレンは少々諦め気味であった。
葵と似たような目でレンを見ていた者と同様の目でレンを見ているからだ。畏敬、恋情、奉仕。それらがないまぜになってレンに尽くす気まんまんだ。
そして残念なことに、と言って良いのかどうかはわからないが、葵は漣少年と融合してしまったレンにとって好みの美少女だった。口数も少なく、端的に話すが彼女との会話自体は面白いと感じている。
今すぐどうこうする気はないが少なくとも見た目の好みであればかなりありだ。
「はい、レン様。あ~んですよ」
「うぅ、あ~ん」
そしてレンはその葵に世話をされている。
多少マシになったとは言え傷は深く、自力で起き上がることも歩くこともできない。
トイレの世話だけは断固として拒否し、激痛を我慢しながらカルラに運んで貰ってなんとかしているが食事や飲み物、体を拭いて貰ったりと世話になりっぱなしだ。
心配だからと寝台で添い寝しようとするのは困ったものだがレンも数時間起きては寝ての繰り返しだし、まだほとんど自力で動けない上に魔力も使えないので実際助かってはいる。
そして起きている間は様々なことを葵と話しているので距離も近くなった。
レンは水琴と同様に葵にも前世のことを話し、日本や他の国の宗教や術について詳しくないことを教えた。
白宮の家は仏教系で法術や仏教のことについても教えてくれたり、奈良県の情勢なども教えて貰えてありがたい。
ただ法術については葵もあまり詳しくなく、まだ幼いこともあって現場に出ることもほとんどなかったようだ。
そしてそんな生活は5日ほど続いた。
◇ ◇ ◇
「ふぅ、ようやく動けるようになった」
「むぅ、残念です」
レンが寝台から起き上がると葵は幸せな生活が終わってしまうことに不満を漏らす。
しかし実際に残念に思っているのは事実だが、レンが回復したことは嬉しいと思っていた。
この5日間葵はレンの世話ができた。3日目から少しずつ体の動かせる範囲が広がっていき、昨日は起き上がって歩こうとして膝の力が抜けて転んでいた。
しかし今日はそんなこともなくしっかりと自分の足で立ち、部屋の中を歩いている。多少ふらついてはいるが転ぶようなことはなさそうだ。
5日間葵はレンの世話だけをしていたわけではない。レンはほとんど寝ていたし起きればカルラの分体が呼んでくれるようになった。
なだらかな丘になっているレンの館の下にある湖の傍に行ったりハク、ライカ、エンなどのレンを慕っている従魔たちにも挨拶をして仲良くなった。
実は彼らは眷属を多数持っていて実際は3体どころか数百体いることを知った時はあまりの衝撃に倒れそうになった。
黒蛇はカルラからなにか与えられていたがそれだけでずっと丘の下の湖の傍でとぐろを巻いている。
たまに頭をもたげたり目を開けたりしているが、その程度だ。
体の傷は完璧に治ったようだ。戦闘後は幾箇所も鱗が剥がれ、肉がえぐれ、大きな傷もあったがすでにどこに傷があったのかわからないくらいに完全に見える。
ただなぜか体を纏う瘴気が消え、つやつやとした黒光りした美しい鱗が見え、邪悪な神霊ではなく神聖な神霊のようになっている。
「ハク、ライカ、エン。僕は病み上がりなんだから飛び込んできちゃだめだよ。でも心配掛けたね。この通り大丈夫だから」
レンは葵と共に館の外に出て3体の神霊とコミュニケーションを取っている。
少し遠くにある森の入り口には彼らと同じ種族だろう者たちがそわそわと待っているが館の丘の近くには畑や果樹園があるのであれだけの量の神霊が集まるわけにはいかないのだろう。
「葵、この子はハク。こっちはライカ。そしてエンだ」
5日間の中でレンから聞いてはいたし実際は葵は彼らとも何度も会っているのだが改めて紹介してくれる。
ゆっくりと丘を降りながらまずは黒蛇の元に行くようだ。
(やっぱり大きい)
黒蛇の神霊はレンたちが近づくと目を開け、頭をあげた。しかしその瞳に敵意は見えない。
フシュルルルと舌が口から出ているがその巨体に合わせてその音も大きい。
「やぁ、どうするか決まったかい?」
レンにはカルラの分体がついている。1mほどの長さの水でできたような蛇だ。カルラについては名と特殊な従魔であることしか教えて貰っていない。しかし葵はカルラとも5日の間に、意識を伝え合うことはまだできないが仲良くなった。
彼女の本体が目の前の巨大な湖に宿る精霊のようなものであり、いくつもの分体に分かれることができることも知っている。
黒蛇は言葉では返答をしないがレンとの会話が成立しているようでレンはいくつか黒蛇の神霊と会話を進め、最後に名を与えることになったようだ。どうも彼はこの世界に居着く気のようだ。
「じゃぁ君の名はクローシュだ。どうだい?」
気に入ったとばかりに頭を少し下げ、舌を小さくだしたクローシュは少し可愛らしく見えた。
その後は大変だった。なにせレンを心配していた巨大な神霊たち、ハクやライカ、エンの眷属たちと会合したのだから。
少し広い広場のような場所に行き、箱座りになったハクに背を預けて休んでいるレンに数体ずつ挨拶としに来ているような状況で眷属たちはレンに軽く頬ずりしたり舌でぺろりと舐めたりしている。
しかしその舌はレンの顔よりも大きい。1舐めでレンの上半身全体が舐めれてしまうようなレベルだ。
「すごい戦力」
「別に彼らを戦力として使うつもりはないよ。もちろん必要があれば手伝って貰うことはあるとは思うけど基本的には外に見せる気すらないんだ。それに僕自体はすっごく弱いしね」
葵はレンの横にくっつくように座ってレンと話している。
ハクは葵がもたれ掛かっても何も言わずに体を貸してくれている。
「それでも知っただけで警戒したり奪おうとしてくる勢力は絶対出てくると思う」
「それは僕もそう思うな。ただでやられる気はないし、戦う気はあまりないけどね。どちらかと言うと僕の力を狙う奴らが増えたら日本から逃げるっていう可能性のが高いかな。まさか2月も経たずにこんな状況になるとは思っていなかったけどね」
レンは苦笑しながらそう言う。レンの計画では半年から1年ほどは誰にもバレないように潜伏しつつ自身の実力をあげる訓練を行う予定だったそうだ。
しかし好奇心に負けて獅子神家の騒動に首をつっこみ、そこで知己となった水琴を救うために川崎での騒動に巻き込まれ、灯火たち少女たちを助け、多くの勢力にカルラの存在が知れ渡ってしまった。
レンの存在がどれだけバレているかは不明だが、この調子ではレンはこれからも何かしらの騒動に首を突っ込むであろうことは葵でも想像できる。
(レン様は絶対トラブル体質。絶対これからも大人しくしてないで巻き込まれると思う)
葵はそう心の中で思っていたが口には出さなかった。
◇ ◇ ◇
「おかえりなさい、レンくん。もう大丈夫なの?」
「うん、なんとかね。ありがとう、水琴」
教室に入るとレンは水琴に声を掛けられる。水琴が「レンくん」呼びしたこととレンが水琴を呼び捨てにしたことでまたざわめくがそれは予想されていたことだ。2人は意図的に無視した。
「おい、レン。病院に担ぎ込まれたんだって? 大丈夫だったのか?」
友人の久我が声を掛けてくる。他にも何人かの友人がレンに心配の声を上げてくれた。
レンのこの数日の休みは高熱が出て病院に担ぎ込まれたということになっている。その工作をしてくれたのは水琴だ。
実際獅子神家の関係者の医者と口裏も合わせている。
「それで、なんで獅子神さんと名前で呼び合うことになったんだ?」
「彼女お見舞いに来てくれたんだよ。その時になんとなくそうなった」
「つまりカレカノになったってことか?」
「カレカノ? あぁ、恋人のことか。違うよ。そういうんじゃない」
「チッ、つまんねぇ。お前ら2人のことは学校中で注目されてるからなんか進んだら教えろよ」
「冗談じゃない」
クラスの中でも名前順でたまたま前後になった久我と香田。その2人のグループにレンは自然と組み込まれている。
2人はサッカー部とテニス部のホープでクラス内の発言力も高い。
レンが水琴と接近したと言う噂が駆け巡った時に水琴ファンからの嫌がらせなどがなかったのは彼らの影響も多少はあったのかも知れない。
バカ話をしながら、レンは学校に通うことが日常になっていることを感じていた。
「こんにちは、レンくん。申し訳ないけれど一緒にこの車に乗ってある人に会って貰えないかしら」
レンが復帰して1週間ほどした学校からの帰りの時だ。
大きな白の高級車が路肩に止まり、窓が開き聞き覚えのある声が聞こえてくる。灯火だ。
(ふぅ、平和な日常はもしかしてもう終わりなのかな?)
レンは〈制約〉を掛けた灯火の接近にも気付いていたし、灯火だけでなく灯火の車に乗っている者、周囲の車やバイクに乗っているのが魔力持ちであることに気付いていた。
20人以上の魔力持ちの集団がレンを連れ去ろうとしているのだ。
「いいよ。灯火。わかった」
「信じてもらえるかどうかはわからないけれど危害を加える気はないのよ。ありがとう」
ドアが開き、後部座席の灯火の横に座る。
運転手は黒スーツの中年の男だ。
車が走り出すと周囲の車も一斉に走り出し、レンたちが乗っている車を護衛しているのか逃さないように囲んでいるのかわからないような状態で隊列を組み、東京の中心部方面へ向かっていった。
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