012
藤森楓は困っていた。
いや、確かに生贄にされるところを助けられたのは嬉しいし恩を感じている。
しかしここを出るには〈制約〉という特殊な術を受けるか記憶を弄られるかしないと行けないらしいのだ。
命には替えられないので術を受けるのは個人的には良いのだが、問題は楓の立場だ。
楓は藤森家の分家の娘だ。攫われても正直両親などならともかく本家はあまり気にしないだろう。だが帰ってきておかしな術が掛かっていたら必ず横槍を入れて解除しようとするのは目に見えている。
獅子神水琴という少女はすでに受け入れているようだ。水無月灯火はどうだろうか。神妙な表情をしている。
豊川美咲。疎い楓でも名くらいは知っている豊川の姫。この中ではおそらく彼女が一番ヤバイ。美咲に術を掛けるなど確実に豊川家は何かしらの対応を行うだろう。
彼女の命を助けたのは事実なので豊川家の反応がどうなるかは予想もできないが、大事になるのは目に見えている。
白宮葵。この子は正直よくわからない。あまり表情も動かないし喋らない。
そしてその子が突然爆弾発言を投下した。帰らずにここに残り、レンに侍るというのだ。
「え?」
レンもその返答は意外だったようで、驚いている。
そしてなぜか美咲だけは「そうきたか」と悔しそうな表情をしている。
「あの~」
「ん? 何? 藤森さん」
「術を掛けてでも解放してもらうのは嬉しいんだけど、あたしは分家の娘で立場が弱いの。多分うちの本家が確実にその術を解こうとすると思うんだよね。それであたしは本家がなにかしようとしても逆らえないのね。そうしたらココの存在や玖条くんの存在が公になっちゃう。藤森家だけじゃなくて、水無月家や豊川家でも同じことが起こると思うけど、いいの?」
「あ~うん。まぁそれは想定内っていうか大丈夫だよ。むしろ〈制約〉を解けるなら解き方を教えて欲しいところだね。解かれた時の腹案もきちんとあるから、そんなに心配しなくていいよ」
レンは自信満々に言い放った。それほど〈制約〉という術は強力なのだろうか。それはそれで不安になる。
〈契約〉や〈誓約〉、〈隷属〉や〈洗脳〉などソレ系の術はいくつもあるが大概は対処方法がある。基本的には掛けた術者より強力な解呪を使える術者を使うだけだ。
レンから感じられる霊力量ではそれほど強い術が使えるとは思えない。
神社などで使われる誓紙なども存在するが同様に抜け道はある。
より強い解呪能力者を使うか、神霊の力を借りて解呪するというのは定番だ。
美咲が楓の知っている豊川家なら後者を選ぶだろう。
「水無月も解呪は試すと思うわ」
「うちとこもやるだろうね」
灯火と美咲も同様の答えを返す。水琴と葵は黙ったままだ。
「まぁココや僕の顔を見られたのはまずいけど、このくらいならまだ大丈夫だよ。やりようは色々あるし」
レンはしれっとそう言う。どう見ても可愛らしい少年以上ではないのに、手札はまだまだあるそうだ。
玖条家というのは聞いたことがないが、もしかしたら有名な術士なのかもしれない。もしくはあの九条家との関連のある家なのかもしれない。
「とりあえず考えておいて。白宮さんみたいにここに残るってのは意外な返答だったけど、女の子の何人かくらいは暮らせる施設はあるし、先に外の状況を確認しておこうか。まずは逃げないと行けないんだけど、ココの入り口と出口ってそう遠くには作れないんだよね」
レンがそう言うと空中に映像が流れる。100インチくらいありそうな大きなテレビくらいのサイズの円形の映像が現れた。
そしてその外の映像を見て、レンを含め全員が絶句した。
◇ ◇ ◇
「うわぁ」
そうとしか声がでない。レンが儀式魔術の邪魔をして生贄の少女たちや奪われたであろう術具を奪った結果どうなったかと気になって外の様子を映してみたのだが、大変なことになっていた。
黒い蛇が暴れている。武装した部隊や黒ローブがあのあと儀式を続けて呼び出したのだろう。
黒い蛇は太さが3m以上あり、長さは最低でも30mはありそうだ。蛇系の魔物としても明らかに上位の脅威度のある強力な個体であることが映像を見るだけでわかる。
黒ローブたちがなにかを唱え、複雑な形をした黒い水晶らしきものが嵌った褐色の杖を使うと、黒い巨大な鎖が現れ、黒蛇を捕らえる。巨大な黒蛇に負けず絡みついた鎖の数は6本。なかなか強力そうだ。
黒蛇は嫌がるように暴れ、その余波だけで倉庫の地下はかなりダメージを受けている。
太い柱にヒビが入り、何本かはしっぽの先が当たっただけで壁が壊れている。
その間に黒蛇に〈隷属〉か〈契約〉でも行うつもりだったのだろう。別の術士がなにか唱えている。
しかし拘束術式の強度が足らなかったようで、ぶちんと1本の黒鎖が千切れたと思うと6本の鎖がどんどんと千切れ、黒蛇は自由になった。瞳は怒りに燃えている。体全体から瘴気が吹き上がった。
拘束によほど自信があったのか千切られた黒鎖の術士たちは呆然としていた。
武装部隊は鎖が千切れた時点で距離を空け、統制をとって後退している。判断が早いと思った。
自由を得た黒蛇はバクンと黒ローブの1人を一呑みにし、拘束しようとしていたことに怒っているのか黒鎖を使っていた術士たちを中心に攻撃をくわえている。
巨体が動き、黒ローブやその護衛たちはなすすべもなく黒蛇に蹴散らされ、あるいは呑み込まれる。
ついに地下が耐えられなくなったのか、天井が崩れ始める。
逃げ出すものも当然いるが映像では地上にあった倉庫の資材と天井や柱など何百tあるかわからない質量が落ちてくる様が映されており、黒蛇はそれらをかき分けるように地上に向かうのが見えた。
「あ~、解放するのはちょっとまってね。出口を外に設定しないと帰してあげることもできないし、多分今地上ではアレが暴れまわってると思うからしばらく待とう」
レンの提案に5人の少女たちもコクコクと頷く。埋もれてしまった地下に放り出されても困るだろうし、地上では黒蛇が大暴れしているのは明確だ。
様子を見て地上に出口ポイントを設置するしかない。
〈箱庭〉は基本的に入り口と同じ場所に出口ができる。だがいくつか出口ポイントを移動する方法はある。
一番簡単なのはレンが移動して入り口と出口を別の場所にすることだ。他にも一応ヒト種がゆっくり歩く程度の速度で出口ポイントを移動することができる。時速で3~4kmくらいだろうか。
2時間くらい待てば危険な地域を抜けて出口ポイントを作ることができる。
(レンよ)
(ん? どうした、カルラ)
(アレは我と近い存在よ。そして無理やり現界させられ、傷つけられて怒り狂っておる。お主助けてやってくれぬか)
(今の僕ではアレを止めるのは難しいなぁ)
(何、我も手助けしてやろう。なんとかならぬか)
(カルラの頼みなら考えてみるよ。ちょっと待ってね)
レンは第一目標の水琴の確保ができた時点で今回の件は終わりだと思っていた。ついでに4人の可愛らしい少女を救えたのだ。120点満点だ。
余計なリスクを負ってしまったことは敢えて考えないようにしている。
しかしカルラは何百年も連れ添った相棒だ。彼女の頼みを聞かないという選択肢はレンにはない。
少なくとも可能性を模索するくらいはする必要がある。
(フルーレも手伝ってくれるみたいだし、アレを使えばなんとかなるかな?)
脳内で今使える装備や魔法薬、術具などをリストアップしていってあの黒蛇をどうにかできるか何パターンもシミュレートする。
確実とは言えないしリスクも高いが、できそうな手を思いついてしまった。
そして思いついてしまったのならば、少なくともトライしてみる価値はあるだろう。
「えっと、状況が変わった。あの黒蛇をちょっとなんとかしてくるよ。ちなみにこれは相談じゃなくて決定事項だからね。うまく行かなくて僕が死んでも君たちは逃げられるようにしておいてあげるからとりあえずここで待ってて」
レンは少女たちを東屋に置いて拠点に戻る。少女たち、特に美咲と葵はかなり複雑な表情をしていたがレンは気付かなかった。
装備の大半は〈収納〉に入っているので拠点に戻る必要はないのだが、〈収納〉をわざわざ見せる必要はない。
(すまぬな)
(いいさ。いけそうだからやるんだ。ダメそうなら逃げるよ?)
(構わぬ)
用意したのは1本の霊薬と2本の魔法薬。霊薬は魔力回路の修復能力を格段に上げてくれる。水琴の治療にも使ったものだ。
魔法薬は水琴が生命力を魔力に変換し、無理に力をあげようとしていたのと原理は同じだ。
戦闘用魔法薬で時間制限はあれど、一時的に魔力を数十倍に跳ね上げてくれる。
ただそんな都合の良い薬があるわけもなく、どちらかというと劇薬に近い。
使用後はぶっ倒れるし魔力回路や魔力炉にダメージが入る。
もう1本は魔力回路を一時的に強化するものだ。単純にダメージを減らすための魔法薬である。
レンはその3本を躊躇わずに飲み、身体中に魔力が漲るのを感じた。
(戦闘用魔法薬を使うのなんて久しぶりだな)
昔は危機に陥った時やどうにかしなければまずい時などに稀に使っていた。
力の限界を極めてからは効果がほとんど出ないので長い間使った記憶がない。
今のレンにとっては強力なパワーアップアイテムだが過去のレンに取ってはあまり意味のないものになってしまっていた。また使う機会があるとは思っていなかったので在庫はなく、か弱い漣少年の体に転生してから念の為に作り直したものだ。こんなに早く必要になるとは全く思ってなかったが・・・・・・。
軽革鎧といつもの隠密装備をつける。そして精霊剣〈
単純な魔法金属を使った剣であれば問題はないが、上位の魔剣と呼ばれる物は使い手を選ぶ。自我というほどではないが、薄い意思があり、気に入らない者や弱い者に使われることをイヤがることなどよくある話だ。
フルーレは心優しい魔剣なので力の衰えたレンにも力を貸してくれるが、気位の高い魔剣や魔槍などは今のレンでは触れることもできない。
手甲と竜の鱗を削り出した小盾も装備し、いくつかの術具も即座に使えるように専用の〈収納〉に放り込んでいく。
戦闘用魔法薬でのドーピングとフルーレの助力。そしてカルラの力。これだけ揃えばおそらく完全な条件で顕現できていないあの黒蛇を倒すか無力化することはできるだろう。
見せたくはないがハクたちの助力を頼むという手もある。
「よしっ」
格上に挑むので気合を入れる。レンの最期は狂った邪竜の討伐だった。
魔境の奥地から突如現れ、周辺のいくつもの小国を滅ぼし、ローダス帝国の領土に近づいてきていた。
レンの妻や子供、子孫たち。宮廷魔導士や騎士、魔導部隊、高位のハンター、属国や敵対していた国や滅ぼされた国の種族の英雄たちも集まって狂った邪竜の討伐に向かったものだ。
レンはハクやライカやエン、そしてその眷属たち。それにカルラや他の獣魔たちも総動員して狂った邪竜に相対し、大きなダメージを与えたが邪竜が溜め込んだ強力なブレスを放つことを感知し、相打ち覚悟で邪竜に特攻した。
その時にはハクたちを除く従魔たちの多くは討ち取られるか、傷つき〈箱庭〉に逃し、回復させていた。当時一緒に居たのはカルラの分体だけだ。
ブレスは反らすことができたしレンの一撃は邪竜に致命の一撃を与えた……はずだ。
そこから先の記憶はない。
妻や子孫たち、従魔やその眷属たち、共に戦った者たちやレンの弟子として帝国に仕えていた者たち。妖精族や巨人族、獣人族の戦士たちもその戦いで多くの命が散った。
レンの一撃のあとどうなったかはわからないが、残った戦士たちがあの邪竜を討伐してくれたことをレンは確信している。
あの時に比べれば黒蛇を相手するなど何ということはない。
レンの実力も装備も仲間も劣っているが、不思議と負ける気はしなかった。
◇ ◇ ◇
「獅子神さん」
「え? 玖条くん?」
水琴は声を掛けられて振り向いたがレンの存在を感知することができなかった。
〈水晶眼〉を使ってもその姿を捉えることができない。気配もモヤのようにすら視えない。レンの霊力も感じられなかった。
しかし雰囲気から豊川美咲と白宮葵の2人はなんとなくレンの気配を感じ取れているように見えた。
「うん、獅子神さんに見つからないならとりあえずいいかな」
レンが仮面とフードを外すと急にレンの姿が現れる。同時に今までレンに感じていた力とは比べ物にならない力が溢れていることがわかる。
一体この数分に何が起きたのか。だがリスクもあるようでレンの表情は少し苦しそうだ。
腰に吊っている剣は真っ白な鞘と柄であまりに美しい。そして大蛇丸よりも明らかに格上の剣だ。
そしてレンの体には1mほどの水でできたような蛇が絡みついている。
(高位の神霊!?)
水蛇から感じられる力は妖魔ではなく神霊と呼べるほどの強い力だ。葵がキラキラとした目で水蛇を見つめている。
しかもレンが隠密装備の力を発揮していた時には水蛇の力すら感じ取ることができなかった。
もし今のレンが装備をつけた状態で獅子神神社を襲撃すれば水琴たちは為すすべもなく全滅するだろう。
(これが玖条くんの本気? 〈蛇の目〉が警戒の予言を出す訳だわ)
「もし僕が失敗して死んじゃったら黒い渦がすぐ近くにできるからそこから外に出て。武器もいくつか置いていくから使ってね。じゃぁちょっと行ってくるね」
そしてレンは棍や槍、杖や剣や銃などの武器をドサドサと積み上げていく。どこから出したのだろう。事態が急展開すぎて反応に困る。
そしてレンはちょっと散歩してくると言う風に黒い渦の中に姿を消した。
水琴も含め、残された5人の少女は声を発する暇もなかった。
「なんかさぁ、もうこれうちら見てることしかできなくない? あの黒蛇もレンっちについてた水蛇もうちらの手に負えるレベルじゃないよ。レンっちが行けるっていうなら信じて待とうよ」
美咲がそう言うと確かにと水琴も思う。武器も持っていない少女5人があの黒蛇とレンの戦いに介入しても意味はない。
「あれ、映像は見せてくれるのね。これは玖条くんじゃなくて水蛇の神霊の視点なのかしら?」
先程から外の様子を映していた映像はレンが瓦礫で埋もれた地下に現れたところを映している。
レンのフードが端に見えているので視点はおそらく水蛇の神霊なのだろう。
たまに水蛇がそっぽを向く。何をしているのかわからないが、見せたくないことでもしているのだろう。
結界を張り、瓦礫をどけ、何かしらしばらく作業をしていたと思うと水蛇が上を向き、強力なブレスが放たれる。
ブレスによって瓦礫も倉庫も一瞬で1mほどの穴が開き、物凄いスピードで地上に飛んでいるのがわかる。
そして地上では異変を察知して集まってきた者たちと黒蛇が争っている姿が映された。
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