011

『気にせんで良いぞ。十分に役割は果たしてくれておる』

「くぅん」「ぎゃぅ」「ぶにゅ」


 ハク、ライカ、エンがしょんぼりとその大きな身体を縮こまらせている。表情も悲しそうだ。

 しかし彼らはレンの指示通り結界を破るまでレンを守り、水琴たちを助けるまで時間を稼いでくれた。大暴れして地下倉庫を崩すようなこともなかった。

 与えられた仕事をきちんとこなしたのだ。


 問題は相手が使った香辛料爆弾だ。これらの対処はレンはハクたちに以前伝授してあった。別にそう珍しい攻撃ではない。鼻や目に頼る魔物に対して有効な手段の1つだ。刺激物や毒物を投げるなど常套手段の1つだ。

 しかしレンたちの知る刺激物や毒草の粉は通常微量でも魔力を含んでいる。

 ここは地球。レンたちにとっては異世界だ。どこにでも売っている香辛料に魔力が含まれていないことに気付いていたのに、それが問題になるとはレンも考えていなかった。


 おかげでハクたちは魔力の込もっていない小さな袋を攻撃だと認識せずに無視してしまったのだ。おかげで鼻や目、耳に刺激物が入り込み、ダメージは受けなくとも驚いて悲鳴をあげ、動きが止まってしまった。

 即座に〈箱庭〉に戻し、湖で洗い流し、治癒能力も高いのでもう何の問題もないが彼らはしょげてしまっている。


「ああいう攻撃もあるんだってことを認識していれば大丈夫だよ。今後は気をつけようね。十分助かったよ」


 知っていれば〈障壁〉でも〈結界〉でも軽い風でも起こせば良いだけだ。対処は難しくない。どんな攻撃でも初見が一番恐ろしいものだ。大きな怪我もなく目的を達し、学習したのであればそれでいい。

 レンが労うと3体の従魔たちはようやく元気になったのか、頭をあげた。


 ◇  ◇  ◇


「ここは一体どこかしら?」


 水無月灯火みなづきあかりは目を覚ますと見知らぬ景色に疑問を抱いた。

 少し小高い丘があり、その上には日本建築や灯火の知る海外の建築様式とも微妙に違うタイプの大型のログハウスがある。コの字型で10LDKくらいはありそうなサイズだ。

 敷地も広く、大きな屋敷以外にもいくつもの建物が建っている。

 庭も広く、木々や花々が整えられているのがわかる。そしてその一角に灯火は横たわっていたらしい。

 振り向くと丘の下にはかなり巨大な湖がある。湖から2mはあろうかという角の生えた見知らぬ魚がライズした。妖魔の一種だろうか。

 全く持って今自分がどこにいるのか、どんな状況にあるのか理解できない。


 湖の向こうには草原が広がっており、森もある。その更に向こう、何百km先にあるかわからないが、明らかに富士山よりも高い山々が連なっている。

 そしてその山脈の上空に明らかに数十mはありそうな巨大なナニカが飛んでいる。

 灯火の知識に照らし合わせればそれは竜に似ているように思える。流石に遠すぎて影しか見えないが、ココが尋常でない場所であることは理解できる。


 よく見ると植生が見たことのない花や草も多い。庭に生えている木や草、近い方の森を見ても明らかに日本の樹木とは違う。そして森の中からは尋常ではない気配が多数感じられる。つい武器を探して手を動かすが灯火の術具もスマホも財布も何もかも失われていた。幸い服は脱がされていなかったが武器の類は1つもない。

 柵に囲われた敷地の外部分には人型のゴーレムのようなものが果樹園や畑で働いている。

 丘の下にも畑や樹木があり、それらも見たことがないものだ。

 人が造ったと思われる建築物がなければ、そして直前の記憶は襲撃され、攫われたことを考えれば誰かに助けて貰ったことだけはなんとなく想像できる。


「う~ん、なに?」


 声が聞こえたことによって灯火だけではなく、近くに4人の少女が倒れていることに気付いた。むしろ今まで気付かなかったことがひどい話だ。よほど動転していたのだろう。

 あまりに周辺の景色が異常過ぎて脳みそがフリーズしていたようだ。

 4人の少女のうち3人は知らないが1人は見知った娘だ。確か豊川の秘蔵っ子。数年前パーティで見たことがあるだけで交流はないが、面影は覚えている。灯火だけでなく豊川の姫までいるとなると異常がすぎる。

 自身の記憶を思い出しても学校の帰りに武装集団に襲われ、攫われたところまでだ。何人か顔見知りの護衛が死んでしまったのを覚えている。

 しかし今周囲に灯火を襲った武装集団どころか何もいない。見知らぬ少女が3人と知っている少女が1人。拘束もされずに意識を失っているだけだ。


「こんにちは。私は水無月灯火といいます。事情はわかるかしら」

「え、あ、うん。全くわかんないね。知らんやつらに襲われたと思って起きたらこんな変なところで目覚めてびっくりしている真っ最中。あたしは藤森楓ふじもりかえでよ。よろしくね。そしてその様子だと事情はそっちもわかってなさそうね」

「えぇ、残念ながら」


 楓と名乗った少女は灯火と同じくらいの年齢だろうか。亜麻色の髪の毛をふわふわのパーマを掛けていて服装もガーリーだ。

 藤森家の名は知っている。確か鎌倉かその周辺にある陰陽師系の家だったはずだ。

 他にもポニーテールの少女が1人、小さいがどこぞの姫と呼ばれてもおかしくない黒髪の可愛らしい若い娘。そしてツインテールの豊川の姫。

 最近はなにかと騒がしいので狙われて攫われたのはわかるが、そこからの経過がわからない。

 少なくとも灯火と豊川の姫は武器がなくとも戦える。目の前の楓は先程の灯火のように武器を探している。慌てた様子とつい先程の自分を思い出してくすりと笑ってしまった。


「あ、起きたんだ。おはよう」


 そこで新しい声が掛かった。少し高いが少年の声のように思え、振り向くと年若い可愛らしい少年がいた。

 手には大きな盆を持っていて飲み物とサンドイッチが乗せられている。


(気配が感じられなかった?)


 足音も、霊力も、声を掛けられるまで少年の存在に灯火は気付けなかった。楓も驚いている。だが敵対するような剣呑な雰囲気ではない。むしろ優しげに灯火たちを見ている。


「事情を説明するのは残り3人が起きてからでいいかな。とりあえず危害を加える気はないから戦闘態勢を解いて欲しいな」


 パッと見普通の少年に見える。武の気配も霊力もほとんど感じられない。

 だからこそ、警戒が解けない。こんな場所にいる少年が普通であるはずではないのだ。

 だがこの少年を打ち倒してもどこに行けば良いと言うのか。灯火はゆっくりと自然と取っていた戦闘態勢をゆっくりと解いた。


「あら、玖条くん、おはよう。そっか、また助けられちゃったのね」

「たまたまだよ。獅子神さんが予定の時間に来ないなんてありえないことは短い付き合いでもわかってるからね」


 ポニーテールの娘が目を覚まし、少年に話し掛ける。獅子神と呼ばれた少女は少年に全く警戒をしていない。知り合いのようだ。それを知って灯火は無意識に警戒レベルを少し低くした。

 話し声が聞こえたのか残り2人の少女も目を覚ます。そして少年と灯火たち3人、周囲の景色を見て絶句している。

 気持ちはわかる。

 2人の少女も警戒はしているようだが、少年が飲み物と食べ物の盆を持っていることと、霊力がほとんど感じられないこと、そして周囲の異常な景色に戸惑っている。相手が武器を持っていないことでどうするべきか迷っているようだ。


「とりあえず事情を話すからあっちの東屋で食べながら話そうよ。獅子神さんのついでだけど一応僕は君たちを助けたんだから、そんな警戒しないでほしいな」

「助けた?」


 日本人形のような可愛らしい娘が小さく疑問形で尋ねる。


「そうだよ。川崎の倉庫でおかしな集団に生贄として捕まってたんだ。知り合いの獅子神さんも捕まってて一緒にいたからついついでに助けちゃったんだよね。あのままだと変な儀式の生贄に使われるのが目に見えてたからね。見逃したほうが良かった?」

「いえ、それなら感謝をするべきね。みんな落ち着いて。とりあえず話を聞きましょう、ね?」


 灯火が音頭を取ると獅子神の娘が玖条と呼ばれた少年の後をついていき、灯火たち4人もそれについていった。


 ◇  ◇  ◇


「うちは攫われたことまでは覚えてるけど、そんなことになってたんだ。えっと、レンっちだっけ。ありがとうね」


 豊川美咲は素直に礼を少年に返す。東屋に移動し、5人の少女と玖条漣はお互いの自己紹介をした。

 獅子神水琴の友人であり、彼女が攫われたことで追っていたら美咲たち5人の少女が怪しげな祭壇で生贄にされているとしか思えない儀式に使われていたので、水琴を救うついでに美咲たち4人を助けてくれたそうだ。


(水無月って聞いたことがあるな〜。どっかであったっけ? 藤森と獅子神、白宮はよくわかんないや。あれ、白宮ってなんか微妙になんか記憶にあるような……?)


 水無月灯火は17歳の高校2年生。おっとりした雰囲気の女性だ。少し汚れてしまっているが白のワンピースに淡い水色のカーディガン。背中まで伸ばした黒髪はきれいに手入れがされていて、大和撫子というイメージがすぐに浮かんだ。

 水無月家という名前は聞いたことがあるが、あまり詳しくは知らない。向こうは美咲のことを名前と顔くらいは知っている雰囲気だ。


 藤森楓は16歳の高校2年生。灯火が純粋お嬢様風であるといえば楓は髪も染めているし露出も多い。ギャル、とまではいかないが話し方からも明るい雰囲気でレンに助けられたことを素直に感謝している。


 獅子神水琴は15歳の高校1年生。武器は持っていないが凛とした武の気配が強い女性剣士という美人だ。立ち姿や歩き方だけで武術のレベルが高いのがわかる。キリッとしていて、黒髪をポニーテールにまとめている。道着など着せて刀をもたせたらきっと似合うだろう。レンの友人らしく、彼女が一緒に攫われたおかげで美咲たちも助かったといえる。


 最後に白宮葵。美咲と同じ中学2年生だが誕生日の関係でまだ13歳らしい。背が小さく、日本人形のような雰囲気がある。ストレートの髪は背中の半ばまで伸ばされていて、和装を着させればとても似合いそうだ。


(この子、絶対同族だ。私と同じじゃないだろうけど絶対なにかのあやかし混じりの気配がする)


 この中で最も警戒をするとしたらこの子だ。次に灯火だろうか。この2人は術具や武器がなくともおそらく戦える。次に水琴だ。水琴は素手でも厄介な気配がある。楓はよくわからない。霊力持ちであることはわかるが、警戒心も薄く飲み物も食べ物もまっさきに手を出して周囲の少女たちに話しかけている。


 逆に目の前の少年、美咲含む5人を救い出したという少年は怪しすぎる。

 15歳で高校1年生。玖条漣。男性にしては背が小さく華奢だ。美咲とそう変わらない背でこの中では最も小さい葵の次に小さい。顔立ちは中性的に整っていて女装をすれば可愛らしい美少女でも通るだろう。

 感じられる霊力はこの中で一番か弱く、武器も装備していない。

 しかしこの場所は明らかに異常だ。そして美咲含め護衛に守られていたはずの少女たちを攫った組織に殴り込みを行い、5人を救っている。

 当然ながら手の内は明かしてもらえてないのでどうやったのかはわからないが、おまけと言えど捕まったところを助けて貰ったことには間違いがない。恩人だ。


 そしてレンに対して美咲は別の思いを抱いていた。


(この人は私のつがいだ)


 仙狐の血の混じった豊川家に生まれ、先祖返りとばかりに仙狐の力を強く引いた美咲はレンを見た瞬間そう直感した。

 豊川家では番を見つけたら必ず捕まえろと言われている。

 玖条家など聞いたこともないし、見た目も頼りないが、美咲の直感はレンこそが自身の番になる相手だと本能的にわかった。


(葵っちもそっち系だよね。仲良くシェアできればいいんだけど……)


 妖魔や神霊の血を引く者たちは命を救われればその相手の妻になるのは定番だ。

 実際はお仕掛け女房に近い寓話が多いが、本能で相手に惚れるのだ。

 葵もおそらくなにかの神霊の血を引いている。無口にモグモグとサンドイッチを食しとオレンジジュースを飲んでいるがレンをじっと見つめている目は明らかにターゲットとしてロックオンしていることがわかる。


(あと豊川家うちはな~、ちょっと特殊だからな~。婿に来てくれると一番いいんだけど……)


 豊川家は中部地方で大きな力を持つ家だ。その直系で、仙狐の血を色濃く引いた美咲は蝶よ花よと大事にされている。

 今は祖母が当主をしているが、豊川の次期当主は美咲だと目されているのだ。

 レンがどのような立場かわからないが、玖条家の嫡男などであった場合は少し面倒なことになる可能性がある。

 美咲は周囲を観察しながら、レンのことをじっと見つめていた。


 ◇  ◇  ◇


(これは絶好の好機チャンス!)


 白宮葵はレンに命を救われたという話を聞いた時からレンをじっと見つめていた。

 葵は白宮家に生まれたが分家の娘であり、父親は現当主に頭が上がらない。

 5月の中旬に白宮家はなぞの勢力に襲撃され、当主、そして勝手に葵の婚約者とされていた嫡男が亡くなった。そして多くの霊具が盗まれた。

 伯父に当たる男が当主になったが、現当主は男子の後継者がいるにも関わらず、息子の婚約者とせずに葵を自身の妾として寄越せと父親に迫った。


 白宮家は奈良県にある小さな家だ。強い勢力を持つ寺院や神社が多い奈良県は特殊な地域で、白宮家もある寺院の勢力下にある。

 そして男尊女卑が酷く、先祖である白蛇の神霊の力を継いだ男子は分家の生まれでも本家に養子となって次期当主として扱われるが、女子がその力を継ぐと本家の男子の婚約者や側室、妾などにされる。

 葵の白宮家での立場は非常に低いのだ。


 しかし今の葵の状況は違う。犯罪組織に襲われ、白宮家は戦力を削られ、当主交代によってかなり荒れている。その状態で葵が攫われた。

 このまま行方不明という扱いになれば父親より年上で、さらにガマガエルのような醜悪な伯父の妾にならなくて済むのだ。

 更に目の前の助けてくれた少年、玖条漣の側に侍られれば最高だ。


 元々葵の先祖であった白蛇の神霊は黒蛇に襲われている時に命を助けられ、その男に嫁いで白宮家の基礎を築いた。

 時代もあったので妻が夫に尽くすのは当たり前であったのは仕方ないと思うが、現代にまでそんな価値観を押し付けられるのは業腹だ。

 葵は幼い頃にそう思い、密かに武術を磨き、最悪本家の者たちを全員殺してでも逃げるつもりであった。

 父親はともかく母親と弟には申し訳ないが、ガマガエルの妾など冗談ではない。元々婚約者とされていた本家の嫡男も気に食わない男だったのだ。


 だが犯罪組織に誘われ、行方不明になったままであればすべての問題は解決する。

 葵は白宮家に戻らずとも葵が反発して逃げ出すよりも母親や弟が冷遇されることはないだろう。


(豊川さんだっけ。絶対あの子も狙ってるよね)


 この場にいる5人のうち豊川美咲と名乗った同じ年のツインテールの可愛らしい少女も明らかにレンに思いを寄せている。

 白宮家と違って豊川家は有名だ。美咲の名も聞いたことがある。実際高い霊力とポテンシャルを感じることができる。

 今戦えば負けることはないと思うが、勝てるとも限らない。できれば争い合うようなことは避けたい。


 そう思っていると美咲もちらりと葵を見た。

 気付かれている。ならば似たような思考をしていることだろう。


「あ~、それでね。ここの説明はできないんだけど、君たちを帰すには1つ条件がある。記憶を消すか〈制約〉という術を受けてもらうことだ。ここは僕の秘伝のようなもんでね、事情が事情だったから連れてきてしまったけれど、ここを見られた君たちを何もなしに帰すわけには行かないんだよね。あ、獅子神さんはすでに〈制約〉を受けているからいいんだけどね」


(優しい人)


 これほど広大な日本にはありえない場所。おそらく異空間系の能力だろう。

 森や湖には強力な気配が感じられるし、遠目に見える山脈の上には竜らしきモノも飛んでいる。

 葵たちを助けずに犯罪組織に始末させるか、縛りを掛けてこの場から出さずに飼い殺しにする手もあるというのに、葵含む4人の少女を条件付きとは言え帰すことを前提として話をしてくれている。

 秘伝など見られただけで殺しに来たり抗争になることが多い世界だ。見せる時は殺す時。もしくは敵わずに殺されるか奪われる。そういうモノだ。

 〈制約〉という術はよくわからないが、そんなあやふやなものを受けるだけで少女たちを家に帰してくれるという。

 本質が優しい少年なのだろう。葵はそこにも好感を持った。非情にならざるを得ない時は葵がサポートすればよいのだ。


「私は帰りません。できましたら玖条様のお側に居たいと思います」


 3人の少女たちが迷う中、葵がそう宣言すると5人は驚いたような表情をして葵を見た。



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