010.倉庫の戦い

「闇撫」


 闇撫はレンの従魔の1体だ。本体は地中深くで隠れているスライムのような粘体で、細い触手を地上に伸ばし、寝ている魔物や人をそっと撫でる。

 そして反応がないと判断するとゆっくり周囲を警戒しながら地中から這い出し、獲物をガブリと捕食するのだ。

 稀に村の子供や老人が姿を消す時は闇撫の仕業ではないかと言われるが、基本的には人里には出てこないし生息数も少ない。地中を魚が泳ぐような速度で移動し、隠密能力も索敵能力も高く、燃費も良いのか月に1匹でもネズミやうさぎを捕食すれば生きていける。

 人を食べるのはたまたまだ。基本的に魔物の領域でひっそりと生きており存在自体確認されることすら少ない。街に来ることはなく、魔境近くの開拓村などでたまに被害がある程度だ。

 故にマイナーで且つあまり危険視されていない魔物だった。

 そんなものよりも小鬼の方が危険度はよほど高い。


 レンが彼を捕まえたのも偶然だ。辺境の農村に必要な素材を取りに行き、1つしかない宿の隣の部屋で小さくなにかが動いた気配がして、確認したらちょうど闇撫が隣の部屋の少女を捕食しようとするところだったのだ。

 しかし闇撫は直ちにレンに従属した。格の差を瞬時に理解して従属した魔物はそこそこいる。そして闇撫にはレンも驚いたことにそれを行えるだけの知性があったのだ。

 ハクたちほど明確な自我があるわけではないので名は与えていないが、闇撫はレンの指示を確実に実行する。


「水琴を追えるか?」


 黒い粘体の触手が頷くように動く。即座に追えと指示をだし、レンは攫われたであろう水琴をどう追おうか微妙に迷った。


 ◇  ◇  ◇


「電車ってめっちゃ混むんだなぁ」


 レンの意思がでてきてから実際に電車に乗った経験はない。流石に密偵が多くいるこの街で朝っぱらからスカイボードを使って飛び立つのはリスクが大きすぎる。

 水琴のように魔眼を持っていたり高位の感知能力を持っている者がいる可能性がある。

 未だレンの家の周囲には密偵などが多い。そして密偵などはそういう能力を持った者が選抜されることが多い。前回捕らえた公安の部隊も1人は探知系の能力に特化した人間だった。

 そういう理由で、仕方なくとりあえず電車という選択を取った。

 闇撫はすでに水琴を捕捉しているし、意識を失わされて拘束された状態で車で移動していることはわかっている。すくなくともただちに命を奪われるということはなさそうだ。


(でも絶対まともな目的じゃないよなぁ)


 闇撫とのパスを通じてレンは水琴の周囲にいる者も視覚に捕らえている。

 運転手と助手席の男は通常の服を着ているが、スモークが貼られたバンの後部にはどこかの軍が使うような特殊繊維の防具にベスト、ナイフに銃と小銃を持っている男たちがいる。

 頭にはヘルメットを被っていて、何かしらの通信装置を兼ねたバイザーでやりとりをしている。

 そして水琴を拉致できるということは相手も魔力持ちであり、術士であるということだ。

 実際に何かしらの術に使うような通常とは違う装備も散見される。


(褐色肌と使っている言語は……シリア系か?)


 しかも海外の組織である。明らかにまともな目的ではない。レンの記憶ではシリア圏はかなり紛争や戦争が起きている地域だ。距離もかなり離れている。

 そんな組織が日本で魔力持ちの少女を誘拐する。レンはどういう状況でそうなったのか全く理解ができなかった。ただ想像はできる。


(生贄、かな。自国や周辺国家で行ったらまずい事態になるような儀式でも行うなら日本はいい目の付け所かもしれない)


 ヨーロッパやアメリカではアラブ系の人間への警戒は高いだろう。

 近い中央アジアやロシアを避ければもうインドや中国に辿り着いてしまう。大国と揉めるのは本意ではないはずだ。

 日本は紛争も起きていないし民間人も警察や自衛隊も即座に銃を撃ってきたりはしない。問題を起こしてもミサイルや爆撃機を派遣したりもしない。そして人口はそこそこ多く、術士や術具の数も多い。

 術士たちも政府の管轄ではあるのだろうが纏まっていない。

 まだ世界情勢にはそれほど詳しくはないが狙われる理由は想像はできた。


「さて、新宿までついたけど、目的地は川崎か横浜らへん、かな?」


 水琴を攫った男たちは新宿から見れば南の方角に向かっているように見える。スマホで地図を見ながら大体の目的地を推察する。


「乗り換え・・・・・・、どれだ?」


 新宿駅は広く、レンは一瞬にして迷った。幸い速歩きで歩いていたサラリーマンを捕まえて聞くと素直に教えてくれたので言われたホームに向かう。

 水琴の位置情報が向かっている先が大体わかったので川崎駅で降り、アミューズメント施設のトイレで隠密装備に着替え、人目を避けてスカイボードで目的地に向かう。

 東京湾沿いの倉庫街。その倉庫に水琴を攫ったバンは向かっているようだ。そしてその倉庫街の中でも妙に防備が高い倉庫があった。あからさまに怪しい。


(すでに張ってる術士たちがいるな。ただ警戒しているだけで突入するような素振りはないな。防備も高そうだ)


 目的地の倉庫の周囲にはレンのように何かしらの情報を掴んで倉庫に辿り着いた者たちがいるらしい。ただ小集団がいくつかという感じで連携している風ではない。

 適当に目的を吐かせても良いがまた政府系の組織だと面倒なので放っておくことにした。

 少なくとも外国の犯罪組織と連携しているなら距離を取りながら倉庫を見張るなどしないだろう。


 そして倉庫の周囲には結界が張られて居て、警備会社を装っている外国人が警備を行っている。

 倉庫の中にはきちんとした装備をした術士がしっかりと警戒しているのだろう。


(しかし倉庫って言うけど思ってたよりでかいな~)


 レンの通う学校の体育館よりもよほど大きい。そんなのがいくつも並んでいる。

 港になっていてコンテナ船が着き、クレーンでコンテナを吊っているのが遠目に見える。


(便利だなぁ。あれ全部魔力使ってないんでしょ。でも発電か~。石炭はあっちにもあったけど石油とかあったかなぁ。あっても精製して電力を作って変電所とか使ってあちこちに電線を使って配電するんだよね。うん、無理)


 車はゴーレム車という車輪をゴーレムにして馬や魔物が引かない自動車に似た物があるが、道路の整備が悪い上に魔力が必要なので貴族や豪商などでしか使うことはできない。

 鉄道は原理的にできるであろうが、街中で使うならともかく街と街をつなぐように鉄道を敷けば必ず線路が盗まれるか魔物に壊されるか魔物との戦いの余波で壊れるだろう。鉄道獣車自体はすでに帝都などの大都市内では導入されていた。

 実際街道は比較的安全だというだけで、戦闘の跡を整備するのは貴族の仕事で大体が奴隷の仕事だ。鉄道が実現すれば物流はかなり進歩するだろうが夢のまた夢だ。


 結局電車も電気を主軸にしている現代科学を元の世界に普及するのは難しそうだとレンは分析していた。

 ただ船は別だ。スクリューを使った船の原理はゴーレム車と同じで再現できそうであるし、蒸気船が現れる前の高速帆船などの設計はレンの知る船よりもかなり進んでいる。

 魔導船はあるが結局魔力持ちが必要であるので、普通の人間でも操れる帆船が発達すれば物流はかなり良くなるはずだ。

 しかし海も沿岸ならともかく遠海になると巨大な海の魔物が出るので安全な航路の開拓からしなければならない。

 更に結局護衛の術士を乗せねばならねばならないのだから魔導船の改良や多少の効率化が関の山だろうか。


 ついそんなことを考えていると水琴を連れたバンが倉庫の中に入っていく。やはり目的地はあそこだったらしい。

 闇撫も幸いなことに結界に引っかからずに侵入できたようだ。

 中にはやはり重武装した犯罪組織と黒いローブを着た者たちが数十人もいる。

 倉庫の中は偽装かどうかわからないがかなりの物資が詰められていて、本当の目的地は隠された入り口から入れる地下らしい。


(かなり前から計画されてる感じだなぁ。統率も取れているし厄介そうだ)


 バンが入っていっても周囲にいる術士たちは動かない。彼らは当てにならないと思って動いたほうが良いだろう。

 レンは彼らの目的を確かめたいのでもくじきたいのでもなく、水琴の身柄を確保できれば良いのだ。


(あのタイプの結界ならなんとかなるかな)


 結界破りではなく、素通りするための術具がある。結界を解析した感じそれほど複雑な術式ではない。物理や魔力的に壁を張るのではなく、侵入者を感知する系の結界だからできることだ。

 レンは巡回している警備の隙をついて、倉庫の天井をするりと透過して中に入り込んだ。




(うわ、最悪だ)


 地下は巨大な空間になっていた。そしてそこには武装集団と黒ローブが集まっていて、中央には見ただけで凶悪な力を秘めている祭壇と祭壇を中心とした巨大な魔術陣が描かれている。

 レンの知らない言語なので内容までは読み取れないが、祭壇の上には水琴も含め、5人の少女が並んで眠らされていて、祭壇の周囲にはおそらく奪ってきたのであろう様々な術具が大量に積まれている。

 ついでにナニカに使ったのだろう術士だか一般人だかわからないヒトだったモノも一角に無造作に積まれ、山になっていた。


 魔術陣の外側では黒ローブがねじくれた杖を掲げながら何かしら呪文を唱えている。

 陣や祭壇に術具や生贄の少女たちから魔力が流れ込んでいるのがわかる。

 そして厄介なことに陣の外側には強力な結界が張られていて、武装した集団ががっちりと守っている。

 水琴を救い出すには武装集団を蹴散らし、結界を壊し、回収しなければならない。


(うん、無理)


 レンは独力でこの事態を突破することを諦めた。

 ハク、ライカ、エン、カルラなどの戦力は存在していることすら誰にも見せるつもりはなかったが今は緊急事態だ。仕方がない。

 闇撫はすでに回収してご褒美を楽しんでいるところだ。彼はしっかりと仕事をしてくれたのですでに〈箱庭〉で好みの魔物肉を与えている。


 レンは〈収納〉から麻痺や睡眠の魔法毒を混ぜてある煙玉を空中からばらまいた。

 同時に〈闇の茨〉も混ぜ、武装している集団を無力化していく。

 レンの隠密装備は効果が出ているようで未だ地下の警備たちには見つかってはいない。


『なんだ! 襲撃か? ゴホッ、ゴホッ、上の連中はどうした』

『気をつけろ、クソッ、なんだこの煙は。ぐはっ』

『黒い茨に気をつけろ。魔力が散らされるぞっ』


 しかし相手もさるもので未だ弱体化したままの〈闇の茨〉や煙玉では混乱は齎せても獅子神神社のように一網打尽とは言えない。毒や麻痺で弱って居ても一定の実力を持った者たちはそれに耐え、〈闇の茨〉も持っている武具で弾いていく。

 結界の中の黒ローブたちは外の状態に警戒しながらも儀式の進行を優先している。


(ハク、ライカ、エン。ちょっと周囲を蹴散らしておいてよ。でも魔法は使っちゃだめだよ。建物が崩れて水琴や僕が生き埋めになっちゃう)


 〈箱庭〉から彼らに頼むと嬉しそうに3体の魔物が出てくる。彼らは1体でも現れたら街や国が滅びるレベルの災害級の魔物だ。

 その爪は魔法金属の防御すら貫き、生半可な武器や魔法ではその毛皮に1筋の傷すら負わせられない。

 体高3mを超える巨大な魔物が3体。真っ白な狼、黒と赤の虎、炎に包まれたような赤と橙の獅子が現れて武装組織を蹴散らしていく。


 その間にレンは結界破りの術具を取り出し、魔術陣や祭壇を守っている結界に魔力を込めていく。

 残念ながらレンの魔力は未だ量も質も足らないので術具の性能が高くとも結界を破るのに時間が掛かる。

 ただこの地下倉庫では災害が3体、まるで暴風のように暴れている。

 小銃や何かしら術を使って応戦しているし、なんとか士気も保っているようだが彼らにはそよ風のようなものだ。

 普段から自然に張っている魔力防御だけで小銃は弾かれ、術はかき消されている。


(3分くらいかな。中の術士たちの相手もしなきゃいけないけどこの感じだと間に合う……と、いいな)


 儀式の状況を見ても3分で終わるような物には見えない。水琴や他の生贄の子の魔力が吸いつくされる前になんとかなるだろう。

 そう思っていた。


『何が起きているっ!』


 地上を守っていた部隊だろう。敵に増援が現れる。煙玉の効果はすでに切れてしまったし、〈闇の茨〉は現状使えない。

 部隊長らしき褐色肌の男は一目見ただけで強いことがわかる。通常の軍用装備とは別に魔剣らしきものを吊っている。他にも幾人か術士が混ざっているし、部隊全体が魔力持ちだ。


 小銃や小型のグレネードランチャーらしきものがハクたちに効果がないことを確認すると、弾幕を張りながら風術や氷術がハクたちを襲う。

 中々の練度と威力だ。少なくとも今のレンではあのレベルの術は様々な準備をしないと使えない。

 だがその程度では災害と呼ばれる魔物には効果がない。

 カルラはレンのローブの中でレンの護衛をしてくれているが、ハクたちも結界を破ろうとしているレンを狙う術を優先して潰してくれている。


「ギャン」


 彼らなら大丈夫だろうと安心していると3つの悲鳴が聞こえる。同時に魔術陣を囲っていた結界が破れる。

 結界の強度に自信があったのか中にいた術士たちに驚きの表情が見える。


『ハク、ライカ、エン、戻れ』


 振り向くと彼らは苦しそうに目や鼻を押さえている。


(しまったな、注意をしておけばよかった)


 相手の部隊は半壊している。結界も破れた。レンも生贄の少女たちも無事だ。ならば彼らの役目ももう終わった。

 即座に3体を〈箱庭〉に戻し、驚いている術士たちを2人ほど蹴り飛ばして祭壇に向かう。

 儀式を行っていた者たちは魔力や魔術の練度は高そうだが老人が多く、近接戦闘の訓練はあまり行っていないようだ。


 祭壇ごと〈収納〉に吸い込もうと思ったが祭壇は残念ながら特異な術で固定されているのか奪えない。

 祭壇の周囲に並んでいる術具を〈収納〉に奪い、5人の少女を〈闇の茨〉を使って拘束し、即座に〈箱庭〉の中に逃げ込んだ。


 ◇  ◇  ◇


 地下に降りてきた部隊の長、アーキルは惨状を見ながら生き残っていた術士に怒鳴った。

『おい、一体何が起きた。警備は万全だと言っていただろう。儀式はもう成るところだと聞いていたぞ』

『わからぬ。急に気配のないナニカが襲ってきてあの凶悪な神霊が現れたのだ』

『アレを従えられれば……』


 と術士たちが応えた。答えた1人はこの場の責任者であり、召喚術師としても高度な実力を持っている。

 儀式魔術に集中していたとは言え、地下はアーキルたちとは別の部隊ではあるが精鋭が揃っていた。

 半数ほどに人数が減っており、残りも致命傷か重傷を負って動けない状況にある。

 だが見ただけで神霊とわかる存在を相手にしたのならばむべなるかなだ。

 術も銃も効かず、腕の一振りで人間など一瞬で吹き飛ばされてしまう。

 魔法などは使わなかったが、障壁や魔力鎧を纏っていた。こちらの攻撃は効かず、敵の攻撃は一撃必殺な上に速度も反応できるレベルではなかった。

 ほんの1分ほどの戦いで貴重な部隊の人員が幾人も失われた。

 幸いなことに様々な香辛料を混ぜた香辛料爆弾は効果があったので撃退できたがそれだけだ。


(受肉した神霊が3体だと! そんな情報は聞いてなかったぞ)


『それで、儀式はどうなった。このままだとどうなる』


 アーキルは切り替え、敵がどうやったのか生贄の少女たちと共に消えたので本来の目的である召喚術について問う。


『儀式は9割ほど終わっておる。だが術具や生贄を奪われた。このままだと祭壇に注入した力が暴走して怒れる神霊が復活し、このあたり一帯が吹き飛ぶだろう』


 その答えはアーキルの想定していた最悪の結末だった。

 目的は果たせず、数年掛けた作戦は失敗し、ここにいる全員の命が消え去るのだ。


『あの、私たちが生贄の代わりになりませんか?』


 地上に居た信者たち。そのうちの何人かが術士に問う。アーキルの部隊のような傭兵ではない。アーキルに言わせれば目の前の術士も、声を上げた少女も狂信者の類だ。


『ふむ、10人ほど居れば代わりになるかもしれぬ。我らの持つ術具も捧げよう。このまま座して作戦の失敗を嘆くわけにはいかない』


 そう術士が答えると即座に10人を超える少女たちが立候補する。

 集めた生贄たちには劣るが、鍛えればそれなりに貴重な戦力になるだろう。

 そして儀式に志願するということは彼女たちの命は失われるのだ。それをわかっていてなお、志願する気持ちはアーキルには全く理解できなかった。

 だがそのおかげで、横槍が入ったとは言え儀式は完遂できそうな光明が見えた。

 アーキルは部下たちの傷を癒やしながらその様を冷ややかな目で見つめていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る