009

「宗教が難しい? それを私に言われても……私も子供の頃から教えられているけれど、やっぱり難しいと思うわよ? メジャーどころはともかくマイナーな海外の宗教や古代宗教なんてもうわけがわからないわ。うちは神道だから仏教とかは主要なところはともかく宗派とかはあまり詳しくないし術も基本的にどこも秘匿するものだし」

「そうだよねぇ」


 水琴に相談してみてもやっぱり同様の返答が返って来てしまった。

 水琴は神社にいるが神道だけでも覚えることは山程あるらしい。古事記や日本書紀に名のある神でも記述がほとんどなく、何をやったのかわからない神など山程いるのだ。


 神道の神は存在する。そう水琴は言い切った。秘伝でありそう見られるものではないが神降ろしや神懸りという術が存在し、信仰する神と交信できる能力のあるものも希少ではあるがいるという。

 ただ神道はまだ良い。問題は仏教だ。この2つは仏教が発祥したインドから中国に広まり、そこから日本に伝わった。

 故に様々な神が同一視されていたり、伝わっている伝説にも差異があるのだ。


 有名なところで閻魔大王である。地獄の王であり死者の生前の罪を裁く神の1柱だが、もとはインドのヤマが仏教に取り込まれて閻魔天となり、中国の泰山地獄の王、泰山府君と共に地獄の王とされたり同一視されるか、泰山府君は閻魔天の部下である泰山王であるとされる。このあたりは宗派や時代、解釈によって違うようだ。

 そして陰陽道では泰山府君は主祭神でもある。当然中国の道教でも重要な位置づけの神として信仰されている。


 日本に置ける3大勢力を理解しようとして勉強を始めたが、本場のインド仏教、チベット仏教、中国仏教、そして日本仏教などに差異がある上に宗派がいくつもわかれている。

 学べば学ぶほど少なくともレンは仏門に入りたいとは全く思わないほど複雑だ。

 しかも僧侶がどんな術を使うのかは不明なのだ。これは陰陽道も同じで、神道は水琴が多少は教えてくれるが、獅子神神社はどちらかというと現在は武家に近いので情報量も少ない。陰陽術も法術も多少は見たことがあるらしいが、原理などはわからないと言う。

 獅子神家の幹部格であればいろいろと知っているのであろうが、水琴はまだ若く、実働部隊として動いているに過ぎないのでこればかりは仕方がない。


「どっかで大きな抗争とか起きないかなぁ。実際見てみないとわかんないや」

「物騒なこと言わないでよ。あぁでもうちへの襲撃は、うちを狙ったというよりは同時多発的な襲撃の1つだったらしいわよ」

「どういうこと?」


 聞いてみるとここ1月で陰陽師の家や寺院、神社問わず犯罪組織から襲撃を受けた箇所は30を超えるらしい。規模も北海道から九州まで全国規模だ。

 獅子神神社のように撃退したり、逆に大きな被害を出して霊具や呪具、法具などを奪われたところなど様々なようで、その上どこの組織がトップにたってどんな目的で行っているかは不明だという。

 興味深い話だがもう少し自身の力をつけてからでないとそんな大規模な案件に首を突っ込むのは危なすぎる。

 そしてどこの組織も警戒を高めているであろうし、政府系の組織も調査に乗り出しているだろう。


「気にはなるけどおとなしく勉強してるよ」

「そうね。学校の勉強はいいの?」

「進学も就職も多分しないからね。この前獅子神神社を襲った組織の本拠を襲ったんだけど結構お金も手に入ったしいいかなって」

「え、なにそれ聞いてないんだけど」


 そういえば言ってなかったな、と思い、レンは水琴に捕まえた犯罪組織の人員を拷問してアジトを吐かせ、襲撃して様々な術具や現金、宝石、武器などを奪ったことを教えた。

 ついでに彼らも雇われであり、黒幕の正体が判明しなかったことも教える。


「うちで捕まえた奴らは呪印で死んだか何も知らなかったのに……」


 水琴が呆れた声でレンの報告を聞いている。〈箱庭〉にある施設〈白牢〉は呪印などの発動も無効化する。魔力も吸い出し、呪毒や魔法毒も無効化するので自殺することは難しい。魔力持ちは通常の植物毒などは効かないので持ち歩かない。拘束もしているので武器や素手で自殺もできない。

 あとは解呪してしまえば良いだけだ。〈白牢〉で弱体化した呪印などちょっと術式を崩してやれば簡単に消滅する。



 諜報部隊や強襲部隊などに呪印や即死毒などの情報漏洩対策は当たり前だった。

 自前の諜報組織や帝国の諜報組織を知っているレンは過去対策をした〈白牢〉を作り上げたのだ。

 今のレンでは作ることなど到底できないが、過去のレンが本気を出して作った〈白牢〉の有用性は非常に高い。

 おかげで当座の金銭に困ることはなくなったし、いざという時のための逃走資金にもなった。


 どちらにせよ玖条漣は両親が死んだときの遺産や事故保険金があるので実は結構なお金持ちである。後見人が財産を管理しているがマンションの一室も持ち家でローンも終わっているし、生活費の入っている口座も持っている。

 ただ表立って大きな金額は使えないので現金や宝石など現物があるのに越したことはない。


「テストか。70~80点くらいに調整すればいいかな。宗教もそうだけど言語も習得しないとなぁ」


 水琴と別れたあとでこれからの予定を考える。肉体と魔力の強化は当然として、こちらの世界の主要言語は習得しなければならない。そうでないと洋書や古文書を読み解くこともできないし、魔術士たちは魔術言語という特殊な言語を使っていたり有名なところではルーン文字などもある。

 暗号は当然で、自身だけがわかるように言語を作り出す猛者もいる。

 宗教と魔法や魔術は密接に混じり合っているので言語習得は必須だ。

 とりあえず話者の多い英語、スペイン語、ヒンディ語、アラビア語、中国語あたりは押さえておく必要があるだろう。ラテン語や古代語も覚える必要がある。


 幸いレンは言語習得は得意だ。元々ローダス大陸で主要言語だった5つの言語はローカルな方言まで使えるようになっていたし、精霊語や妖精語、獣人語なども使えていた。当然魔術関連の言語にも精通していた。

 〈完全記憶〉と速読で国語辞典、英和辞典、英英辞典はすでに頭の中に入っているので英語に関してはグラマーはともかく単語や例文はすぐに引き出すことができる。

 同様に文字数が少ないヨーロッパ系の辞書はすべて頭に入れている。


「表音文字はいいけど表意文字がなぁ」


 それに比べると日本語や中国語のほうが難しい。語数が多すぎるし、1つの発音でもいくつもの漢字や意味がある。

 英語やスペイン語などヨーロッパ圏の表音文字はそれほど難しくない。それに比べると中国語や日本語は難しく、アラビア語などは語圏が広いせいで地域などによってかなり発音や意味に差があり、習得に時間が掛かりそうだ。


「10言語で半年ってとこかなぁ」


 その代わりに辞書や翻訳アプリやサイトなどこちらには充実している。レンはアナログなので自力習得する気満々だが、それらを利用すれば習得スピードは遥かに早い。

 現地語を話せる者がいなくても学べるのだ。海外ニュースなどもインターネットなどで見ることができる。

 どこの国のアナウンサーもスタンダードな言葉を扱うプロなので学ぶにはうってつけだ。ただそれだけだとアナウンサーのようなきれいな言葉しか覚えられないので敢えて映画やドラマなどでスラングや崩れた発音も学ぶ。

 流石に現地のスラムに行くわけにも行かないが、家の中で学べるだけでも十分便利だ。方言や訛りは流石に厳しいがまずはコミュニケーションが最低限取れる程度には覚えておく気まんまんだった。



 ◇  ◇  ◇ 


(……しまった)


 レンは〈箱庭〉の中で頭を抱えていた。獅子神家の周囲を探っている者たちが居たので試しに捕らえてみたのだ。

 しかしその相手は予想外の相手だった。


 〈洗脳〉の魔法を掛け、5人の男たちの話を聞いていくうちに頭痛がしてくる。

 レンが彼らを捕らえたのは、獅子神家を探っているのは獅子神家襲撃事件において介入したレンを探っている相手だと思ったからだ。

 実際間違っていない。彼らの目的は〈蛇の目〉が警戒対象として指定し、未だ見つかっていないアンノウンの異能者、レンの手掛かりを求めて獅子神家を張って居たらしい。介入者と異能者を結びつけて考えていたのだ。

 そして行方不明になり、帰ってきた水琴にも目をつけていたらしい。


 問題はその所属だ。

 国家公安警察特務部隊。レンは公安警察というのはよく知らないが、政府機関に属することはわかる。しかも彼らは全員が魔力持ちで隠密系の術も使っていた。

 おそらく獅子神家は見張られていたことも気付いていないはずだ。


(国の機関と関わる気も対立するつもりもないんだよなぁ)


 その上彼らは様々な電子機器を体内に埋め込んでいて、定期連絡ではなく、埋め込まれたチップのGPS反応がなくなれば即座に異常があったことが上役に伝わる仕組みになっているのだという。そして埋め込まれている場所は本人たちすら知らないのだ。


(軍や国で使われている電子機器とか知らないよ)


 スマホやパソコンですらできることが多すぎて使いこなせていないのだ。

 軍や政府機関で使われているような機器は専用の機密装備だろう。

 実際レコーダーやピンホールカメラ等様々な場所に装備されているらしく、真っ暗闇の中で尋問をした上に仮面やローブなども使っているのでレンの姿は撮られていないだろうが、少女の声に扮したレンの尋問の様子はすでに録音されていると見て間違いがない。

 そしてそれらのデータは彼ら自身では消去する方法すらないのだ。

 店売りのボイスレコーダーなどとはレベルが違う。

 しかし彼らを処分してしまえば警戒を呼び、更なる部隊が近辺に配置されるだけだ。


「う~ん、わかった。私はね、君たちに敵対するつもりもないんだけど、探られたり捕まったりするつもりもないんだよね。だから今回は見逃してあげる。どうせ上司の人が後で聞くんでしょ? でも次はないよ。私はたまたまあの時戦いに介入しただけで獅子神家とは縁もないしね」


 仕方ないとため息をつきたくなる。獅子神家を張っている勢力はいくつかあった。そのうちの1つを試しに捕らえてみただけなのだ。

 うまくいけば彼らの使う術式や術具などを奪うこともできるし、情報も抜ける。

 しかしそれが政府機関の手先であれば別だ。まさかそんなハズレを一発で引くとは思っても見なかった。現状のレンでは見逃す以外の選択肢はない。

「少なくとも今は」敵対するつもりは全くないのだ。


 ◇  ◇  ◇


「くそっ、舐めてるのか」


 藤森誠は部下たちの報告を聞いてつい叫んでしまった。


「申し訳ありません。何が起きたのか私たちも記憶が全くなく」

「いい、お前らでダメなら他の部隊でも、俺が出張っても同じ結果になったはずだ。問題はこの相手が手に負えない相手だということだ。一体どうやったというのだ」


 ガツンと机を拳で叩く。

 目の前で膝を突き、頭を垂れている部隊は誠が使っている部隊の1つで、精鋭と言って良い。

 内容的に無視もできないために試しに獅子神神社の周囲を張らせて見たところ、急に反応が途絶え、30分ほどで元の場所に現れた。

 しかし彼らのその30分の記憶は全くなく、残されたのは相手の声と彼らがペラペラと機密を話した音声記録のみ。


 尋問や薬剤、精神系の術に対する訓練をしている者たちはまるで相手が上位者のように機密をペラペラと喋っている様が記録されている。話し方も機械的で明らかに操られているのが理解できる。ただその方法が全くわからないだけだ。


(この5人を一瞬で捕らえ、機密を漏らさせるだと。そんなことができるものが日本にどれだけいるのか)


 少なくとも誠本人では不可能だ。彼らより少し年長で職位も高いが、実際の実力で言えばそれほどの差はない。

 1人、2人なら相手にできるかもしれないが5人を気づかせずに捕らえる術士など誠の部下の精鋭たちでも難しいだろう。

 彼らは襲撃にも気付かず、音もなく捕らえられたのだ。襲撃の音が残っていればまだわかるが、それすらないのはあまりに異様だ。

 また、GPSの電波が途絶えたことも気になる。電波の届かないどこに連れ込まれたというのか。

 こんなことは獅子神神社の勢力でも、あの辺りを縄張りとする如月家でも不可能だ。


 しかもそれが、推定ではあるが最近目覚めたとされる異能者だ。

 声は少女であるが尋問の手際は諜報の訓練を受けたかのように的確だった。

 声自体科学的分析をしてみたところ、日曜朝に少女をターゲットとした魔法少女系のサブキャラクターの声と一致したと判明した。

 つまり声からは性別も、年齢も推定することはできない。

 血筋に寄らない覚醒者は幼少時か10代に目覚めることが多いが、30歳を超えて新たな異能に目覚めた例もある。

 血筋と言っても日本人はほとんどが何かしらの異能の家の血を薄くでも引いている。先祖帰りや急に異能に覚醒すること自体はそれほど珍しいことではないのだ。


「今回の件は不問にする。また、獅子神神社周辺の異能者捜索はやめだ。何をされたのかわからなければ対策が打てん。どのみちやらなければならない案件は山程ある」

「しかしっ」

「命令だ。それとももう一度醜態を晒したいのか? 少なくとも何をされたかもわからない相手に「次はない」と言われているのだ。お前たちを失えば国家の損失だ。もう一度言う。命令だ。そして同様の相手に出会った時に対処できるだけの実力をつけろ」

「はっ」


 リーダーを任せている男は悔しそうにしているが、相手の正体も術式もわからないのだ。今は苦汁を飲むしかない。


「全く厄介なことだ」


 誠は部下たちを下がらせてから小さくつぶやいた。その目にはいつか捕まえてやるという断固たる決意が漲っていた。


 ◇  ◇  ◇


「あの、呪われてるんじゃないのか?」


 レンは6月にしてはきれいに晴れた空を見ながら呟いた。

 水琴を、獅子神神社を助けてから1月と半分も過ぎただろうか。その間にレンは水琴と何度か逢瀬を重ね、色々なことを学んできた。

 インターネットや表の書籍に載っていないことも神道に関わる獅子神家なら文献や口伝がある。

 仏教勢力や陰陽師との戦闘記録や共闘した記録もある。

 レンが頼れるのはレンの正体を図らずも知ってしまった水琴しかいないのだ。

 水琴も恩返しと思っているのかレンが疑問を投げかけ、即座に答えられなくても調べられるところは調べて後日教えてくれる。そういう関係性に落ち着いている。

 スマホやSNSは誰に見られているのかわからないので基本的に対面だ。

 そして今日は水琴と会って話す日だった。


 水琴は真面目な女の子だ。ドタキャンするにしても必ず連絡は入れてくる。

 家を出るときもきちんと連絡を入れてくるのだ。

 しかし家を出た、という連絡が来たにも関わらず水琴は現れない。時間に正確な水琴ではありえないことだ。


(やっぱり移動してるな)


 レンが水琴に掛けた〈制約〉はいくつか隠し機能がある。掛けた相手の大体の方角と距離がわかるのだ。全員にそんな機能をつけていたら把握するのも大変な情報量になるのでしてはいないが、レンは水琴に掛けた〈制約〉についてはその機能もつけていた。

 そして水琴は明らかに高速で、東方面に向かっている。車か電車か、通常の速度ではない。どちらにせよレンに連絡なしに使う手段でも方向でもない。

 つまり水琴は高確率で、連絡を取ることもできない状態にされて攫われたのだ。

 レンは頭を抱えたくなりながらもどうしようか思索を巡らせた。


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