008.神子1

「この世界の宗教は難しいなぁ。歴史とかめっちゃ関係してるしヒト種しかいないのに民族問題大量だし」


 表向きの情報だけでも宗教関連の書籍や歴史は調べることができる。

 インターネットというのは本当に便利なものだ。地球の裏側の宗教勢力やすでに力を失った古代の宗教についても研究がされていて、それをレンのような一介の学生ですら閲覧することができるのだ。

 当然専門書や歴史書なども図書館や電子書籍、場合によっては洋書を取り寄せて勉強しているが、正直日本の宗教だけでもかなり厄介だ。


 日本では国教としての神道。古い時代から権勢を誇った仏教。中国から伝わり、独自に進化した陰陽道の3つがあるが、それらが融合した特殊な宗教観がある。

 神道も仏教も陰陽道も多神教であり、一神教のキリスト教やイスラム教は日本では勢力が弱い。

 仏教もいくつも宗派があるし、元よりインドで生まれた仏教はチベットや中国を経由して日本に入ってきているので本来の仏教と違う物になってしまっているだろう。

 日本の神社はそれぞれ様々な神を祀っていてそれぞれの神や司る物、神話などを把握するのだけでも大変だ。

 ちなみに獅子神神社は武御雷が祭神だそうで、有名な武神でもある。


 朝廷に力があった時代。武士が朝廷を立てつつも実権を握っていた鎌倉、室町時代。室町後期の混乱と戦国時代を経て江戸時代から近代の明治以降の100数十年で様々変化が起こっている。

 神仏習合や神仏分離、陰陽寮の解体などその時代時代で勢力図は変化し、そして文献で調べられる範囲では魔力の存在は明記されていない。

 おとぎ話や伝説として鬼退治や土蜘蛛退治、妖怪などの存在は残っているが、現代ではそれが事実であったという解釈はされていないのだ。

 ただ実際レンは実在の鬼と戦っている水琴たちを見ている。どこから現れたのか知らないが、存在はするのだ。

 様々な文献に残っている妖怪や神霊の伝説もレンは判断はできないが何割かは事実を元にした物も多く混じっているのだろう。

 そう考えれば海外の神話もいくつかは本当にあった出来事なのだと思う。

 ただどれが事実でどれがフィクションなのか判断できないのは問題だ。


「どこかで魔力を使った術の存在や鬼なんかの存在を公にしなくなってるんだよなぁ」


 ただこちらの魔物、現在は主に妖魔や怨霊と呼ぶらしいのだがそれらはほとんどの人が見ることもできない。カメラにも映らない。

 街を歩けば弱いが怨霊と呼ばれる怨念を持った霊が人や土地に憑いているが、憑かれて居る側は気付いていないのがよくわかる。

 特殊な力、魔力を持っているものしか感知できない危険な妖魔の存在を公にしても結局対処するのは魔力持ちだけであるし、政府は魔力持ちの管理に失敗している。

 鬼は実在する。しかし見ることもできない。

 気がついたら人を食べているかもしれないけれど、食べられる側は危険が迫っていることも知らずに襲われる。

 そんなことを公開してもパニックを誘発するだけで百害あって一利なしだ。これはどこの国でも同じなのだろう。存在を公にしない理由もよくわかる。

 近隣に肉体を持った魔物が居て常に脅威に晒されていた元の世界とは違うのだ。


 しかしフィクションの世界では魔法や魔術、陰陽術などはメジャーなジャンルだ。

 現代兵器も強力ではあるだろうが、大出力の広範囲爆弾やミサイルなどはともかく銃程度なら今のレンや水琴程度でもそれなりに対応ができる。

 実際に獅子神家襲撃を行った犯罪組織は銃も使っていた。

 幸いと言ってよいのか銃の構造や原理などは海外のサイトなどで普通に閲覧することができる。

 接収して使ってみたが銃や小銃程度では、魔力を持たない一般人には脅威だろうが鍛えた魔力持ちには通用しない。弾丸を見ることができるし、避けることも防ぐことも難しくない。

 魔力持ちは自然と魔力で防御力をあげているし、単純に〈障壁〉を張っても良い。〈強化〉をすれば防御力自体も上がり防具なしで弾くなどそれほど難しい話ではない。当然防具を使えばより安全になる。


 そして指一本で対物ライフルや戦車砲よりも強力な一撃を放つことができるのだ。魔法士や魔術士の方がよほど物騒である。

 魔力が込められる素材で弾丸を試作し、ハクたちにも試してみたが彼らが普段から張っている魔力防御すら抜けなかった。ハクたちは〈障壁〉や〈結界〉も使える。更に強力な毛皮を纏っている。多少の牽制にはなっても彼らに傷1つつけられるとは思えない。

 逆にドールに自動小銃を持たせてレンを撃たせて見ても、初見ならともかく対応することも防ぐことも難しくないことも確認できた。

 ただ水琴のように魔眼持ちは魔力の動きを察知する。そういう相手には奇襲として使うには効果的だろう。


 タブレットの中には大量の歴史書や宗教関連書、日本や他国での神話や妖魔や神霊の伝説など莫大な数になっている。

 学校のテストも近いがそちらはほどほどで良いと思っているのでそっちに注力しているのだが、さすがのレンも情報量が多すぎて処理しきれない。




 レンの居た大陸には大きく3つの宗教があった。

 1つが最大の勢力を持つアトラ神殿。正式名称はあるが神殿と呼べばその宗教を指す。

 2柱の主神と6柱の大神を主軸に据え、眷属神などを含めると八百万とは言わないが100を超える神を祀っている。

 もう1つが光神教。これは光の女神アーミラを主神と定め、他の神は女神の下にあるという宗教だ。単に教会と呼べば光神教を指す。

 神殿では女神の伴侶であり、同格の闇の神アトラも神殿で大きな力を持つとされる6つの大神も1段も2段も低い扱いがされ、眷属神など神ではなく使徒や従者扱いだ。


 神殿は主に大陸東側で勢力が強く、教会は西側が近い。というよりは神殿内の光の女神を重視する宗派が勢力争いに負け、当時魔物の領域だった西大陸に逃げ出し、魔境を開拓し、宗教国家を作り、勢力を拡大したという歴史がある。

 当然この2つの仲はとても悪い。


 3つ目は精霊信仰だ。これらは主にヒト種ではなく妖精種や獣人種、小人族などに信仰されている。

 ただ名や役割は違うが8柱の精霊王が居て、多くの精霊を従えているという構造は似たようなものだ。


 これは神、精霊王と呼ばれるような強大な力を持った存在は確実である、という原則があるからだ。8柱の神がこの世界を作り、維持し、ヒト種に限らず様々な種族に力を貸している。これを疑う者は居ない。

 神官が使う神聖魔法や精霊の力を借りる魔法も本質は同じだ。神や精霊などの強大な存在の力を借り、個人の魔力だけでは起こし得ない現象を起こす。

 実際に神の使徒や神の声を聞くスキルを持つ者は存在するし、ヒト種や妖精種が絶滅の危機に陥った時に神や精霊の助けがあった歴史的事実が残っている。逆に天罰などで消え去った都市や国の記録もしっかりと存在する。

 他にも小さな宗教や竜や龍、巨大な魔物を信仰する宗教はあるが勢力としては大きくない。


 レンは生まれてからずっと神や精霊の存在を疑ったことがなく、実際に神霊や精霊と関わったこともある。

 巻き込まれた形で結果的になんとか生き残ったが、その代わりに加護をもらい、ヒト種ではありえない長い寿命や〈箱庭〉などの加護持ちしか使えない魔法や術を使うことができるようになったので結果としては良かったが、当時は本気で死にかけたし巻き込まれた不運を嘆く暇もないくらいヤバかった。


 そんなレンに取って、地球の宗教は多すぎ、複雑すぎ、そして曖昧すぎる。

 調べ始めると一筋縄では行かないことに即座に気付き、じっくりと腰を据えて公開されている情報だけでもなんとか集めているが現状はどうにもなっていない。時代や地域に大きく違うので歴史的背景もしっかりと理解しなければならない。宗教関連書籍を読みながら当時の時代背景や国や為政者、法などの歴史を往復して少しずつ消化しているのが現状だ。

 ついでに面白いエピソードなどを見つけると寄り道もしてしまうので時間がいくらあっても足らない。

 鍛錬は怠れないし、学校にも通わなければ行けない。

 授業中は教科書を丸暗記してしまったので、机の中に隠したタブレットを〈透視〉を使って授業中にも知識を詰め込んでいる。


 良いことなのか悪いことなのかはわからないが、主に3つの宗教が日本では三竦みになっている。

 ついでに皇族や武家の末裔、修験道などもあるので複雑怪奇だ。

 獅子神神社には多少関わってしまったが、水琴はともかく獅子神家や神社そのものに関係はしていない。


(なんとかなる、いや、するしかないなぁ。いつものことか)


 読み終わった文献と気になった部分のメモを〈脳内書庫〉に保存しておき、レンは気分を変えようと鍛錬場に向かった。


 ◇  ◇  ◇


「ふふふっ」


 玄室と呼ばれる部屋の中で、特殊な香を炊かれた白い薄衣で覆われた場所で少女は目を瞑り、静かに笑っていた。

 龍脈の力が漏れる龍穴、その龍穴の上に建てられた神聖な建物。


 その瞑った眼には遠くからではあるがレンの姿が見えていた。今は学校から帰るところらしい。1人でなにか考え事をしながらゆっくりと歩いている。


 予言や予知能力者が多く集う組織、〈蛇の目〉。少女はそこでは神子みこと呼ばれている。名はあるが4人の神子長のうちの1人になった時からは「神子様」や「神子長様」としか呼ばれないようになった。4つの玄室の東側に居るので「東の神子長」などとも呼ばれる。


 しかし少女には未来を読む力以外にも様々な力を隠し持っていた。

 強力な結界で守られている〈蛇の目〉の隠れ里の中からでも遠くのレンを見ることができる千里眼。その千里眼で少女は外の世界を知った。そして自分たちが囚われの囚人であることを。外には様々な聞いたことも見たこともない世界が広がっていることを。

 そして1つの未来ではなく、一度視た未来からの可能性を辿り、他の神子たちよりも多くの未来の可能性を見つけることができる。

 第一予知や予言というのは最も起こりやすい未来が視えるだけで、確実性があるわけでもなんでもない。見方も見え方もそれぞれ違う。

 夢で見る者も居れば急に幻覚のように頭の中に情景が浮かんでくる者もいる。どこからか声を聴く者もいる。

 そしてほんの少しのイレギュラーがあるだけで未来の可能性というのはどんどんとズレていくものだ。

 そんな曖昧な物ではあるが、数を集めればそれなりの確度は持てる。〈蛇の目〉は4人の神子長と他の神子や神子候補たちの予知を総合的に分析して、外に公表できるものだけを契約している寺院や神社、退魔の家などに高値で売っている。


(……レン様。貴方はいずれわたくしをここから連れ出してくれるお方)


 数年前に、誰もレンの存在など予知していなかった時に視た予知夢。

 少女は未来を夢で視るタイプの予知能力者ではなかったが、何故かその時にレンがこの世界に生まれ落ちることを予知夢で視て、それからはレンの存在をできるだけ秘匿しながら視るようにしていた。

 何年もレンがこの世界に来ることを神に祈っていた。そしてそれは叶った。


 今はまだレンの力は淡く小さく、気付いているものはほとんどいない。

 だが少女は知っている。

 レンはいくつもの試練を突破し、この〈蛇の目〉の本拠まで来ることを。

 生まれた時から檻に囚われた少女を救い出してくれることを。


(レン様……)


「神子さま~」

「ん、どうしたの? 未来みく

「ミク修行疲れちゃったの。遊んで~」


 まだ8才の将来の神子候補。〈蛇の目〉にはそんな幼い子はいくらでもいる。

 そして一生この檻の中から抜け出せずに、伴侶も勝手に決められ、次代の神子を産むことを義務づけられる。


(そんなのわたくしはごめんだわ)


 目の前にいる小さな少女。この子も連れ出してあげなくては。

 未来を見ながら少女はそう思った。

 〈蛇の目〉の隠れ里で生まれ、教育という名の洗脳を受けた子たちは、ここでしか生きられない者も多いだろう。

 なにせ神子や神子候補の中で外の世界を知る者はいないのだ。

 侍女が生活の世話をし、電子機器など存在すら知らない。自分1人では家事もできない。お金も触ったことがない。

 もし外に出たとしても庇護者がいなければ様々な組織がその能力を狙って来ることは予知など必要ないくらい誰にでもわかることだ。


「じゃぁおてだまをしましょうか」

「ミク、おはじきがいいな~」


 玄室の外で控えていた侍女たちがおはじきもお手玉も即座に用意してくれる。

 もう少ししたら夕食が持ってこられるだろう。

 着替えも、洗濯も掃除もすべて世話係がやってくれ、今と同じレベルの生活を外で行おうとすれば大変な苦労が必要とされることもわかっている。

 それでも……。


「ふふっ」

「どうしたのっ? 神子さまなんか嬉しそう」

「そう? 楽しい夢を見たのよ。でもどんな夢だか覚えていないの」

「そうなんだ。ミクわね~……」


 幼い神子候補と楽しくおはじきをしながら会話を交わす。

 その間にも少女は少女が視た未来に繋がるために様々な策謀を頭の中で巡らせていた。


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