005

「どこかしら、ココ」


 水琴が目を覚ますと全く知らない場所に居た。木造だが見慣れた造りではない。どちらかというとログハウスのような造りに見える。

 部屋は明るいが水琴の知っている照明ではなく光の球が浮いていて部屋を照らしている。

 木のベッドにマットとシーツが敷いてある治療台のような場所に水琴は寝かされていて、服も貫頭衣のような簡素なものに変わっている。

 そして傷がなくなっている。炎術師に受けた火傷も、風術士に受けた切り傷も消え、且つ体内で荒れ狂っていた霊力が落ち着き、体の内側に走っていた酷い痛みも消え去っていた。

 それどころか以前よりよほど霊力が高まっているように感じられる。今までほとんど使いこなせなかった〈水晶眼〉にも霊力が通っているのがわかる。

 今ならあの風術士も炎術士も無茶をせずとも即座に倒せそうだ。


「あ、あった。良かった」


 大蛇丸と脇差は壁に立て掛けてあり、傷ついた巫女服も同様に畳んで置いてある。武器が奪われていないということや水琴の傷が癒えているということは水琴を害す意図はないということだ。


「あ、起きたんだ。おはよう。お姉ちゃん」

「ぷっ、くくくっ。ごめんなさい。えぇと、玖条くんよね? 申し訳ないけれど、あのとき仮面の内側が視えてしまったの」


 水琴は笑いが堪えられなかった。

 今の水琴には仮面の内側は視えないが、あの一瞬見上げた時に知った顔が視えたのだ。生命力を燃やして無理やりブーストしたので〈水晶眼〉の出力が一時的に上がったのだろう。


 そこで視えたのは可愛らしい少年の姿だった。

 あの時は戦闘をしていたのでわからなかったが、落ち着いた今の水琴は相手が玖条漣という同じクラスの男の子であることを思い出した。

 濃いダークグレーのローブにまっさらな黒い仮面を着け、且つ少女の声をしたクラスメートが水琴をお姉ちゃんなどと呼ぶのだ。

 ローブも仮面も、そしておそらく腕輪も高位の術具だ。これほど近くにいるのに気配はほとんど感じられず、集中しないと明るい部屋であるのにレンを見失いそうになる。声もどこかで聞いたような幼い少女の声にきこえる。

 あの時に黒いモヤにしか見えなかった相手も、おそらくレンだったのだろうと水琴は思った。


「あぁ、バレちゃったんだ。まぁ勝手に〈制約〉は掛けさせて貰ったからいいんだけど」


 レンは仮面を外し、ローブを脱ぐ。内側は普通のどこにでもありそうなシャツとズボンを履いている。私服のレンを見たのは初めてだが、クラスの女子たちがその可愛らしい顔立ちにこっそりと注目していることを水琴は知っていた。


「えぇ、でも助けてくれたんでしょう。本当に感謝しているわ。御神体も守れたし、傷も癒えているし、言ってみれば命の恩人、いえ、獅子神家の恩人だもの。〈蛇の目〉から警告が来ていた春に近辺で覚醒する危険な力を持つ異能者って玖条くんのことだったのかしら? 如月家が必死になって探していたわよ」

「あ~、その辺は僕はあんまりよくわからないんだよね。その〈蛇の目〉ってのも如月家ってのもよく知らない。今回も見に行くつもりなだけだったのに、獅子神さんがあんな危険なことしようとするんだもの。つい手を出しちゃったよ」

「おかげさまで、御神体は守れた……のよね? それで十分よ」

「襲撃者たちは拘束したし、主力は捕まえたから大丈夫だと思うよ。死んじゃった人とかはどうしようもないけどね」

「それは仕方ないわ。大事なのは御神体を守れたかどうかよ。あとはお祖父様が生きているかどうか、かしら。もちろん犠牲になってしまった人たちのことは残念だけれど」

「本殿の結界があったあたりに何人かまだ生きている反応があったから、その中の1人がそうかもね。それは帰ってから確認してみてよ」

「あら、帰して貰えるの?」


 水琴は意外に思った。ココがどこだかはわからないが、高位の隠蔽や隠密の装備を持っている異能者など確実に狙われる対象だ。しかも謎の術まで使って獅子神家が苦戦していた襲撃者たちを文字通り一網打尽にしてしまった。

 それほどの術者の正体を知ってしまった水琴が、素直に帰されるとは思って居なかったのだ。


「うん、普通に帰すよ? さっき〈制約〉を掛けたって言ったじゃない。僕の正体や術については誰にも伝えられないようになっているし、体調ももう大丈夫でしょ? GW中くらいはおとなしくしていてほしいけど、問題はないはずだよ」

「むしろ体調が良すぎて驚いているくらいよ」


 そこでレンは水琴にした施術の説明をしてくれた。

 レンのいう魔力回路、水琴たちは霊脈と呼んでいる霊力の通り道が無理な過負荷を掛けたことでズタズタになっており、それを修復して、ついでにいくつか通りが悪かった場所も調整してくれたようだ。

 〈水晶眼〉がうまく使えなかったのも〈水晶眼〉につながる霊脈が細く、繋がりも悪かったのでついでに繋げておいたとさらっと言い放った。


「え、傷ついた霊脈を治したり調整したり……できるの?」

「できないの? 希少ではあるけどユニークな能力じゃないよ?」


 水琴は古今東西の術を知っているわけでは当然ないが、一度傷ついた霊脈は治せないというのが定説だ。

 霊力を使う者たちの引退は大概が霊脈を酷使して霊力を扱えなくなり、指導に回ったり隠居したりする。

 〈水晶眼〉も獅子神家に伝わる秘伝の1つだが、水琴が何年も掛けて鍛えてもほとんど使えていなかったのに今は軽く霊力を込めるだけで今までの何倍もの効力があるのがわかる。


「玖条くんは覚醒したばかりなのに治癒術とか色々できるのね。疑問がつきないわ」

「あ~、うん。そのへんについては細かく説明するつもりはないかな」

「いいわよ、助けて貰っただけで十分だわ」


 あと「申し訳ないけれど」と前置きして、レンは水琴に治療のために霊薬や魔法薬を口移しで水琴に飲ませたこと、霊脈の調整や傷の確認のために服を着替えさせたことを謝られた。


「……恥ずかしいけれど、う、うん。治療行為だもの。仕方ないわ」


 水琴は貫頭衣の下は真っ裸だ。下着すらつけていない。おそらくたたまれてある巫女服の下にでもあるのだろう。傷は治っていないが洗ってくれたのか水琴の血がついていた部分はその跡すら見えない。

 同級生に裸を見られ、治療行為としてでもファーストキスを奪われてしまったことに顔が熱くなるが、下心を持ってひん剥かれたならともかく、あのままなら命を落としてもおかしくなかったところを治療して貰ったのだ。文句のいいようはなかった。


「そういえばお腹空いてない? 簡単な物なら用意できるよ」

「あ、なんかすっごく空いてるわ。申し訳ないけれど頂けるかしら」


 治療にエネルギーを使ったのだろう、言われて初めて水琴は自身の空腹や喉が乾いていることに気付いた。

 レンがドアの外に出ていき、つい口元に右手を当て、頬が熱くなるのがわかった。


 ◇  ◇  ◇


「はい、どうぞ」


 レンはGW中に食べようと思って近くのパン屋でまとめ買いしていたサンドイッチやパン、それと牛乳をお盆に乗せて治療室に行く。

 水琴はなにか考えていたようだが、レンがテーブルを用意すると治療台に座ってすごい勢いで食べだした。

 霊薬と魔法薬は傷や魔力回路の修復を手伝ってはくれるが、身体エネルギーをかなり消費する。

 今の水琴は数日断食したのと同じくらい空腹なはずだ。

 実際3人前位の量をぺろりと平らげた。


「ありがとう、何度も言うけれど助かったわ」

「いいよ。毒喰らわば皿までって言うんでしょ? 助けちゃったんだから最後まで面倒見ないとね」


 レンの言い方がおかしかったのか水琴はクスリと笑った。

 水琴はクラスでも、いや、学年の中でも話題になる美少女だ。素直に可愛いなとレンは思う。


「それで、ここはどこなのかしら。玖条くんのおうち?」

「あ~、悪いけどその質問には答えられない。獅子神神社の北側の公園に出してあげるからそっから帰ってよ」

「そうなのね。何時間くらい経っているの?」

「5時間くらいかな? もうちょいしたら日が出るから早く帰ったほうがいいかもね。おうちも多分今大変なことになってるでしょ」

「そうね。襲撃されて、御神体を盗まれかけて、お祖父様の容態もしれない。その上私が行方不明だと大騒ぎね。多分みんな寝れてないと思うわ」

「じゃぁ僕は外に出てるから着替えてよ。アレだったら上に羽織る外套くらいは用意するよ」


 レンが水琴のために部屋を出るとカルラがにょろりとレンの腕に巻き付いてくる。


(良いのか?)

(まぁ早いか遅いかの違いでしょ。もう今更だしね)

(お主が良いなら良い)


 カルラはそう言ってスルリと地面に降りて姿を消した。

 最悪今回のことでレンの正体が露見し、日本の術士たちに追われる身になればレンは逃げれば良いと考えている。

 必要なものだけ〈収納〉に仕舞い、スカイボードで日本海を渡るか太平洋のどこかで〈箱庭〉の中でレンが満足行くまで鍛錬すれば良いだけだ。

 ロシア東部などは人のいない広大な地域などがあるしアラスカやシベリアなど人の手の入っていない地に潜伏するのも良いし、東南アジアなど暖かい地域に逃げる手もある。中央アジアや中東などの係争地に行くのも良いだろう。危険度は日本よりも高いがレン個人を狙い撃ちされる可能性は低くなる。


 〈箱庭〉はちょっと特殊なもので魔法というよりは神の加護に近いものだ。元々あった空間魔法を神と呼ばれるほどの強大な存在と縁があった時に、かなりの強化がなされた。

 少なくともレンの知る術士でレン以外に〈箱庭〉の入り口をこじ開けて入ることができるものはいない。

 神と呼ばれるような存在ならばわからないが、獅子神家や襲撃者たちの実力がスタンダードなのだとしたら問題はないだろう。

 結局使ったことはなかったが、万が一侵入されたとき用の強力な罠も完備している。

 どのみち入り込めてレンまでたどり着いたとしてもハクやカルラたちのような強力な護衛がいる。

 景色や地形は変わってしまうかもしれないが、そう負けることなどない。


(まぁ獅子神さんはちょっと惜しいけどね)


 レンが手を加えた水琴はつい先程までの水琴と比べてかなり強力になっている。

 魔眼も軽く調査したがかなりの高性能のものがついていた。

 剣術の才も高く、レンが魔力回路を調整したので今後どんどんと強くなっていくだろう。

 持っていた魔剣もなかなかの業物だった。

 盗まれかけていた御神体と呼ばれた術具も封印の箱の外からでも強力な気配を感じられた。正直奪って調べたいという欲求を見た瞬間に抱いたほどだ。


 水琴と縁がなく、単純にあの戦闘を観戦しに行ったのであればレンは襲撃者も獅子神神社側もお構いなく無力化し、御神体と水琴や他の獅子神家の者たちが持っていた剣や槍を奪い、水琴を攫って〈隷属〉などの強力な術を使って様々な実験を行う。そんな可能性もあったかもしれない。

 しかし結果としてレンが衝動的に水琴を救い、獅子神家の宝物や水琴に手を出さないのはたまたま同じクラスに水琴が居たという一点だけだ。


「ありがとう。大丈夫だと思うわ」


 巫女服に着替え、2本差した状態の水琴は普段学校で見る女子高生ではなく、いつでも戦える戦士の雰囲気を纏っている。

 しかもレンは水琴の魔力回路でボトルネックになっている部分や繋がりが悪く、魔力の流れを阻害していた部分を調整したので以前の水琴より遥かに強い。今は実感が薄いかもしれないが、戦闘訓練を行えば自身の力の変わりように大きく驚くだろう。

 鬼退治見物に行った時に現在の水琴であれば最初の抜き打ちは避けられなかったかもしれない。

 しかも魔眼の調整までしてしまった。今のレンは以前より隠密装備の能力を引き出せているがそれでも存在自体は気付かれる可能性が高い。


(まぁ敵にはならないだろうしいいか)


 レンは水琴を治療したついでに〈制約〉という特殊な術を掛けた。レンの能力や正体などを伝えることはできないし、明確な敵対行為もできないようになっている。

 〈制約〉が解かれたり、解こうとする行為があればレンは感知することもできる。

 水琴自身の性格や気質もそうだが、とりあえず敵ではないし良しとした。


「じゃぁ出すから刀とか見つからないように帰ってね。次はまた学校で」

「えぇ、ありがとう。何か手伝えることがあれば言ってね。なんでもとは言わないけれどできる限りお礼はするわ」

「じゃぁ今度〈蛇の目〉とか如月家とか獅子神家とか分かる範囲でいいから色々教えてよ」

「そのくらいならお安い御用よ。と、言っても〈蛇の目〉はほとんど知らないけどね」


 水琴から良い返事がいただけたところで水琴を〈箱庭〉から放り出す。近所の公園の人気のないところにでるし、水琴も民間人に見つからない程度の隠形の術くらいは心得ているだろう。

 刀を持っているので警察に見つかると面倒そうだが、流石にそこまでは面倒見きれない。

 と、言うより獅子神家は刀や槍を多く所持しているようだったので、おそらく何かしらの特別な許可などがあるはずだ。水琴も不安を覚えていないようだったので何かしら方策はあると思っていた。

 そのへんは後日水琴に聞けば良いかとレンは思った。


「あ~、疲れた。あとはあの視線だなぁ。ずっと視られてたけど千里眼系だよね。どうしたものか」


 今日に限らずレンはこの世界にレンとして意識を持ってから視線を感じている。

 方角はおそらく北東。距離も遠い。少なくとも数百kmはある。

 以前のレンなら逆探知のようなこともできたが、今のレンでは難しい。

 しかし視られているだけで襲撃があったり、レンを探していたという如月家へのリークなどをされた様子もない。ただ視ているだけなのだ。

 〈箱庭〉内は流石に視れないようだが、学校に行っている時や外出時にもかなり気配が消されているが視られていることは間違いがない。

 そして正直心当たりも全くなかった。

 探していたという如月家、近所にある獅子神家ならともかくレンは全くこの世界の術士事情を知らないのだ。


「まぁいいか。とりあえず今日捕まえた奴らを尋問してみよう。ちょっと楽しみだな」


 レンは凶悪な笑みを浮かべながら、〈白牢〉に捕らえた襲撃者たちのもとへ向かった。

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