第6話 黒の異形(2)
全身に寒気と痺れが走る。鼻と口を塞がれたように息苦しい。なんなんだあの化け物は……? 熊が街に出没して人を襲ったニュースがうっすら頭によぎったが、こいつはそもそも動物なのか?
扉が吹き飛ばされた威力を見る限り、間違いなく関わるのは危険だ。
「……」
複島先生が声を出さずに、俺に目線だけ合わせてきた。それから保健室の窓の方を見た。窓から逃げようという合図だ。幸いこの保健室は一階で、窓の外は駐輪場だ。
音を立てないように複島先生は窓に近寄り、閉まっている鍵を開けようとした。その手は恐怖のせいか震えている。
「……!」
部屋の様子を伺っていたのだろうか、黙って突っ立っていた異形は、俺たちが描かれていたベッドカーテンの方に一歩ずつ近づいてきた。
先生が窓をゆっくりと横に引いて開けていく時間が、永遠の時間のように感じた。
「ギェ」
踏み潰された生き物のような、ぎこちない高い声が聞こえたその次の瞬間。カーテンを黒い腕が突き抜けてきて、俺の頬を掠めたのだ。
「架川くん!」
窓から先に出た先生が、俺の方に腕を伸ばす。俺は先生の手を取ると、必死に窓に足をかけて出ようとした。
異形の黒い腕はカーテンを引き裂くと、そのまま俺がさっきまで居たベッドの方に来て、ベッドを蹴り上げた。
(ベッドがあんな簡単に宙に浮いて……)
窓から必死に出ながら、俺はその様子を見ていた。信じられない。一発の蹴りでいとも簡単にベッドを宙に浮かして、壊してしまうなんて。
「早く逃げるよ!」
逃げなければいけないことはわかっているのに、あまりにも現実離れした光景に頭が働かない。
先生に引っ張られるがままに俺は、久しぶりに全力で走った。
部活の練習の走りとは違う。もっと子供の頃に友達とやった鬼ごっこに近い走り方をするのは本当に久しぶりで、どこに向かって走ってるかもわからない。口の中はあっという間に血の味が広がり、脇腹が締め付けられるように痛い。
「はあ、はあ……」
校門の前まで逃げてくると、俺と複島先生はその場にしゃがみ込んだ。校庭には誰も居ない。体育の授業の生徒は居なかったようだ。
「なんだ、なんだあれ……」
「わからない……さっき聞こえてきた悲鳴も、あの化け物を見た生徒の声かも……」
あの化け物は、保健室で見たやつだけなのか、他にも居るのか? なぜこの学校に現れたのか、何もかもわからない。
「ヨル子……ヨル子を助けに行かないと……」
「! 今戻るのは危険よ……見たでしょう、扉もベッドもあんな簡単に吹き飛ばされて……」
「多分、俺も同じように吹き飛ばされる気がします。けど、ここで行かなくてヨル子に何かあったら、俺は絶対に後悔します」
父さんが死んでしまった時に、いくつもの後悔をした。あの時ああしていれば良かったという無数の選択肢を俺は選べず、全ての可能性を手放した。そしてもう二度と、俺と父さんを繋ぐ選択肢は現れなくなってしまった。
「架川くん!!」
止めようとする複島先生の手を振り払い、俺は校舎にもう一度向かった。
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