カイギ

 村には無事にたどり着きました。


 けれどそこには、お父さんやお母さんや村長さん、村のみんながそろって仁王立ちしていました。


「どこへ行っていたんだ」

お父さんが強い口調でそう放ちました。お母さんもわたしを睨んでいます。冷たい海流もわたしを責めているみたいでした。身のすくむような思いで、わたしは採ったワカメを地面に置いて弱々しく話しました。


「おいしそうなワカメを見つけて、それで。けっこう遠くなんだけど、すごくいいワカメなの」

「許可もなく村から出たのか?」

お父さんは容赦しません。わたしはパニックになって何も言えなくなりました。


「まあまあ、無事だったんだからいいじゃないか」

寄り目気味の友達のお父さんがなだめてくれました。


「そうだよ。またあの時みたいなことになるんじゃないかってヒヤヒヤしたからね」

目の濁ったおじさんがそう言うと、なぜかみんなおじさんに白い目を向け、その場は凍りついたように嫌な空気になりました。



「さあ、この話はもうおしまいだ。いい魚も獲れたし、食事にしよう。おいしいワカメとやらも食べてみようじゃないか」

村長さんが大きな声でのんびりそう言うと、さっきの空気が嘘みたいにみんなワイワイと食事の支度を始めました。




「こんなに美味しいワカメは食べたことがないな」

「これどこにあったの!?」

口実のために採ってきたワカメは想像以上に大評判でした。


 わたしも思い切ってそのワカメを口にすると、確かに爽やかな味がぷにゃぷにゃ口の中でとろけるような美味でした。



 そのワカメが評判だったおかげで、わたしはワカメ当番の時だけ特別に、巨大ワカメを採るために村の外へ出ることが許されました。

 わたしは嬉しくてぴょんぴょん飛び跳ねました。

 これでまたラデンに会いに行けるのです。





 次の当番の時、わたしはドキドキしながら海の上の方へ向かいました。前回ラデンに会ったあのすべすべした岩で、ラデンはわたしを待ってくれていました。

 そしてわたしたちは楽しくお話ししました。絵本にあった恐ろしいことなんて何も起こりませんでした。




 それからもわたしはワカメ当番になるたびにラデンに会いに行きました。



 ラデンはとても物知りで、様々なことを教えてくれました。


 食用の魚は、はらわたという苦い部分をえぐってから食べた方が良いこと。人魚に生えているものはといい、頭のワカメはカミと呼ぶこと。海には冷たい海流と温かい海流があること。海の上にはリクがあり、そこには別の生き物が住んでいること。


 わたしはラデンの美しい唇からこぼれる数々の新しい言葉が大好きでした。



 一方、わたしは村でのことをたくさん話しました。

 この前、寄り目気味の友達がね。村では人魚のウワサがあってね。この前みんなですごく美味しい魚をね。

 ラデンはそれは楽しそうに聞いてくれました。



「アナタの村って、みんな仲良しでとっても楽しそう。うらやましいわ」

ラデンはウデのアザをさすりながらそんなことを言いました。


 美しい人魚であるラデンが醜い半魚人をうらやましがるのは奇妙で、理解できないことでした。


「うらやましいだなんて、どうして。わたしはこんなに変な見た目なんだよ。わたし、ラデンみたいなきれいな人魚になりたいの」

そう返すと、ラデンはいつも困ったような悲しそうな顔をしました。


 ラデンの顔が歪むのを見たくはなかったので、そんな時はいつも話題を変えていました。わたしはラデンが笑ってくれるのを見るのが何よりも好きでしたから。





 次第にわたしは村のおきてに疑問を持ち始めました。

 ラデンはあんなに優しいのに、どうして大人たちは人魚が危険だと言うのでしょう。

 わたしは思い切って村長さんに聞いてみることにしました。


 食用の魚を探しに出かけようとしている村長さんを呼び止めます。


「ねぇ、村長さん。人魚ってどうして危険なの? 人魚に会ったら、何されちゃうの?」


 そう聞くと、村長さんは困ったように深くため息をつきました。その口から泡がぶくぶくと生まれます。ゆっくり呼吸をして、村長さんはおごそかな雰囲気で語りました。


「いいかい。人魚は半魚人を攫うんだ。そのあと何をされるのかは誰にもわからない。ただ、──最終的に殺されてしまうのは、恐らく確実だよ」


 わたしは背ビレにぞくぞくとした寒気を覚えました。

 けれど、ラデンがわたしをあやめるなんてありえません。

 わたしは村長さんにくってかかります。


「それ、本当なの? 人魚が村の誰かを殺したところ、見たことがあるわけじゃないでしょう」


 すると穏やかだった村長さんは思いきり両目を開き、今までに見たことのないほど恐ろしい形相で言いました。


「本当さ。この村で、ずっと行方がわからない半魚人がいるんだよ」


 わたしは村長さんのあまりの目力とその事実に圧倒されて、何も言えなくなってしまいました。


 村長さんはまた穏やかな表情に戻り、にこにこと言いました。

「さ、そろそろ魚を探しに行かなくてはね。君も弟たちと遊んであげなさい」


 その場に立ち尽くすわたしを置いて、村長さんは行ってしまいました。





 わたしは急に怖くなって、あの寄り目気味の友達を探しに行きました。

 いつも明るいあの子と話せたら怖さも吹き飛ぶだろうと思ったのです。


 寄り目気味の友達は、あの洞窟のすぐそばにいました。心の病気のお母さんに会ってきたようです。


 わたしが来ると、にっと笑って駆け寄ってきました。

「あのねあのね、今、ママと話してきたのー! ママ元気そうだったからあたし嬉しい!」

寄り目気味の友達の無邪気な笑みを見ていると、心がぽかぽかしてきました。



 わたしたちは少し移動して、いつも食事を食べている岩に座りました。

「またママがお姉ちゃんの話してくれたんだ。お姉ちゃんはすっごく賢くて、村のみんなの人気者だったんだって!」


 寄り目気味の友達は、しょっちゅうそのお姉さんの話をしていました。わたしは会ったことがありません。寄り目気味の友達はあるのでしょうか。


「ねぇ、そのお姉さんって、会ったことあるの?」

「え? ないよ。あたしが生まれた時にはもう訓練に行ってたんだって」

「そっか。訓練っていつ終わるんだろうね」

「ねー。それ聞くと、みんな嫌な顔するんだよね……なんでだろ」


 寄り目気味の友達の不思議そうな瞳に、若干悲しみが混じっているように見えました。悪いことを言ってしまったな、と思いました。



 寄り目気味の友達の無垢な寄り目を見ていると、なぜだか心が痛みました。

 寄り目気味の友達とは年齢が同じで、幼い頃からよく一緒に遊んでいるし、気心の知れた仲なのです。

 寄り目気味の友達はわたしに何でも話してくれたし、わたしも寄り目気味の友達には何でも話していました。


 それなのに、ラデンという人魚に出会ったことだけはどうしても言えませんでした。

 寄り目気味の友達はお姉さんの話や色々な感情を包み隠さず話してくれるのに、わたしの方では隠し事をしているのです。


 汚らしいこのウロコがズキズキ悲鳴を上げるような苦しみに襲われても、わたしは隠し通さなければなりませんでした。




「あれ、何だろう?」

ふいに寄り目気味の友達が言い出しました。どれ、と聞き返すと、ほらあの光ってるやつ、と寄り目気味の友達は胸ビレをぱたぱたさせて場所を指し示しました。


 確かに、少し遠くにキラリと光るものが落ちています。

「行ってみよう」



 少し歩くと、地面に落ちている光るものがはっきり見えました。

 とてもこの世のものとは思えない奇妙なものでした。


 細長いそれは、上半分がキラキラ銀色に光り尖った形をしていて、下半分は茶色で丸っこい形をしていました。尖っている方はとても鋭く、触るとケガをしてしまいそうです。

 上半分と下半分が全然違うそれは半魚人の体と似ているように思えて、なぜだか親近感を覚えました。


「これ、何なんだろうね」

「尖っている方、危なそうだね」

「村長さんに届けた方がいいかな?」

「ううん」

とっさに否定した自分に少し驚きました。さらに次の瞬間には「わたしが預かるよ」なんて口にしていました。

「そっか。なら安心だね」

寄り目気味の友達は寄り目をさらにぎゅっと寄せてほほ笑みました。



 それからわたしは足の指の間にその丸っこい方を挟みました。感触は岩より少し柔らかいような感じでした。

 そのまま引きずっていって、洞窟の地面にくぼみができているところにそれを隠しました。


 きっと物知りのラデンなら、こいつの正体も知っているんじゃないか。わたしはそう考えて、次にラデンに会う時に持っていって聞いてみようと思いました。





「それはナイフね」

すべすべした岩の上で、それを見てラデンはあっさりと答えました。


「ナイフ?」

「人間の使う道具よ。海に落としたのかしら」


 ニンゲンというのは、海の上に住んでいる生き物の種名だそうです。言語を使うし、食用ではありません。以前ラデンに教えてもらいました。


「こんな尖ったもの、何に使うんだろう」

「食べ物を切ったりするのに使うのよ。……他の人間を傷つける時に使うこともあるわ」


 ニンゲンがニンゲンを傷つけるの?

 すぐにそんな疑問が湧きましたが、わたしはラデンにそう聞けませんでした。


 ラデンはニンゲンという生き物に妙に詳しいと思う時が度々ありました。

 しかもラデンは、ニンゲンの話をする時は決まって嫌そうな表情をするです。

 ちょうど、食用の魚のはらわたを食べてしまった時のような。


 その時も、ラデンは苦しそうにマユをひそめていました。



 ラデンの苦い表情を見ていると、わたしの中のどこかおかしな部分がくすぐられるようでした。

 あのおかしな感情が湧き上がったのは、確かあの時が初めてだったと思います。わたしがわたしではなくなり、何かに乗っ取られたかのようなあの感覚です。


 わたしはラデンの笑顔が好きなのに、一番大好きなはずなのに、なぜだかその時はそうは思えませんでした。

 人魚の美しく完璧なその顔が苦痛に歪むところを見たくてたまらなくなってしまったのです。


 だからわたしは、わざとこんなことを言いました。

「ラデンってニンゲンにずいぶん詳しいよね。どうして?」

「どうしてって、そんなこと、ないと思うのだけれど」


 ラデンの顔はおもしろいくらいにくしゃくしゃになりました。その姿があんまり惨めで、わたしはもっと言ってしまいました。


「そうだよ。ニンゲンに会ったことあるの?」


 ラデンはいよいよ困っているようでした。そのまま黙って白く輝く両手でその魅惑的な顔を覆ってしまうと、わたしのあの不気味な気持ちはしゅんと消えてなくなりました。



「ご、ごめんね、ラデン。わたし……」

自分のしたことが恐ろしくなって、わたしは必死に謝りました。


「いいのよ。私の方こそごめんなさいね」

ラデンがいつもの調子でそう言ってくれると心底ほっとしました。



「私もアナタみたいになりたい……」

ラデンはカタにある青黒いアザを触りながら、急にひとりごとのようにそう言いました。


 消え入りそうな声でそんな言葉を吐くラデンを見ていると、心臓がギュッとつかまれたみたいに苦しい気持ちになりました。





 それからしばらく経って、わたしの村で集会がありました。いつも食事をしている岩の横で、みんなで輪になります。


「えー、今回、河童の行商から海苔を入手することができました。こちらからは例のワカメを渡しました。彼らの口に合えば、次回は向こうでしか獲れないという大型の食用魚を……」

集会といっても、村長さんが今回の取引を報告し、そのあとみんなで団欒するだけのものです。



 報告はすぐに終わり、みんなそれぞれに雑談を始めました。



「追いかけっこするとぼくだけいつも逃げきれないんだよなー。もっと早く走れるようになりたいな」

わたしの歳の離れた方の弟がこぼしました。


「いつも負けてるもんな」

ウロコが大きめの友達がにへらと笑ってからかいます。


「よーし、なら今度、みんなでかけっこ大会をやろう!」

わたしの歳の近い方の弟が大きな声で提案しました。


「いいねぇ、やろうやろう!」

「ぼくもやるー!」

ウロコが大きめの友達も歳の離れた方の弟もすぐに賛同しました。


「楽しそう! あたしも入れて〜!」

寄り目気味の友達も寄り目を輝かせて言いました。


「もちろん! みんなでやろう!」

みんな、参加するようです。



「かけっこ大会だって? ぜひ私も参加させてほしいな」

大人たちも集まってきて、自分も参加したいと口々に言います。


「もちろんいいよ!」

歳の近い方の弟が誇らしげに言いました。自分の提案が大人に受け入れられたのが嬉しいのでしょう。


「そうだな、せっかくだし、村のみんなでリレー大会をやろうか」

村長さんが楽しそうに言いました。


 みんな嬉しそうに賛成して、リレー大会の開催が決定しました。村のみんなは細かいルールなどを話し合い始めました。




 わたしは、村のみんなが仲良くわいわいしているこの雰囲気が好きでした。

 家族がいて、友達がいて。

 みんな仲が良くて。

 わたしは幸せだったのです。本当はそのことに気づいているはずでした。

 けれどこの幸せに満足できなかったのはやはり、この醜い容姿のせいなのです。



 楽しそうな村のみんなを見ていて、わたしははっと気づきました。

 ラデンはいつもわたしの話を楽しそうに聞いてくれるけれど、ラデン自身の家族や友達について聞いたことは一度もありません。それどころか、ラデン自身の話自体、ほとんど聞いたことがありません。


 隙間なく敷き詰められた食用魚の内臓のように、色々な情報がかちかちとはまっていきます。


 この村からいなくなった半魚人。

 人魚も半魚人と関わることが禁止されていた。

 いつ帰ってくるのかわからない、寄り目気味の友達のお姉さん。

 

 自分の話をしないラデン。

 半魚人をうらやましがるラデン。

 ニンゲンに詳しいラデン。

 人魚は半魚人を、──殺す。


 この時わたしは、何か恐ろしいことが起きているんじゃないかと直感的に思いました。

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