第83話「内から響く声」
「…………」
この場にいて一番不機嫌だったのは、俺でも白久さんでも、他のレイドメンバーたちでもなく。
「全く、なんでこんな朝から……」
羽月だった。
ただでさえ朝が弱いのに加えて、ダンジョン発生のアラートで叩き起こされたからな。
機嫌が悪くなるのも当然だ。
「とっとと終わらせてお昼寝するんだから……」
「お前は少し寝すぎだ」
「いたっ」
ツッコミがてら、頭を叩く。
「だいたい、お前寝てるか稽古してるかばかりだけど、夏休みの宿題はちゃんとやってるのか?」
「フッ、ワタシのことを舐めないでちょうだい?」
「ほう?」
「綺麗さっぱり、真っ白よ!」
「ダメじゃねぇか!」
また羽月の宿題の手伝いをすることになるのか……。
「そういう匠はどうなのよ」
「俺はもう八割は終わってるな、なんなら白久さんはもう全て終わってるぞ?」
「嘘……でしょ……?」
「なんで、そんな信じられないものを見るような目をしてるんだ」
「だって、まだ八月に入ったばかりなのよ? なのにもう八割以上終わってるって……」
「夏休み前から時間を決めて、コツコツやってるからだよ。お前の感覚と一緒にするな」
「ぐぬぬ……」
「こりゃ、期末テストの時みたく、みっちりやるしかないか?」
「絶対に嫌! あんな日々はもうこりごり!」
「だったらちゃんと毎日やるんだな」
「はぁい……」
そんな世間話をして、羽月の肩の力を和らげながら、ダンジョンの出発を待つ。
「三峰君、羽月さん」
「どうした?」
「今日のダンジョン攻略、二人に先陣を任せてもいい?」
「ん……」
「私は真ん中から、戦況を見つめることに徹しようって思う」
「俺は構わない。羽月は?」
「ワタシも問題ないわ」
「それじゃあ、お願いします」
頭を下げて、白久さんは他のレイドメンバーの中へと入って行った。
「ちゃんと反省したみたいね、晴未さん」
「そう、だな」
俺たちが懸念していた部分は、もう問題ないだろう。
ただ、別の問題が生まれて可能性があるけれど。
こればかりは、彼女が自分自身で乗り越えるしかないからな。俺たちは口出しできない。
「よし、それじゃあ行こうか」
「えぇ」
俺たち二人を先頭に、レイドメンバー全員がゲートをくぐってダンジョンの中へと踏み込んでいく。
「即会敵、ってことはないみたいだな」
ダンジョンに入ったらまず訪れる警戒ポイント、入った瞬間に敵が襲ってくること。
今回はそれには該当しなかったようだ。
「けど、何かしら。この雰囲気……」
羽月が周囲を見渡しながら、珍しく眉間に皺を寄せる。
「……確かに、いつもと少し違う」
普段のダンジョンは、そこら中から殺気が向けられてくるような感覚に囚われる。
けど、今日のダンジョンからは、その無数の殺気がまるで感じられない。
「嫌な感じだ」
なのに、空気は普段よりも澱んでいて、何かが起こる予感がする。
こういう時に起こることは、決まって悪いことだ。
「けど、進まないわけには行かないよな」
進まなければ、このダンジョンを攻略することはできない。
「全員、周囲を警戒しつつ前進──」
カツンッ、カツンッ。
「⁉︎」
ダンジョンの奥から、足音がしてくる。
レイドメンバーの全員が、緊張に包まれる。
俺も重心を落として、刀に手を伸ばす。
「これはこれは、よりどりみどりさねぇ」
「……?」
それは、人。そう、人だった。
現れたものの姿形は、人間そのもの。
見た目は三十代前後の、女性の容姿だった。
「あれは、人か?」
「なんだ人かよ」
「けど、なんでこんなところに?」
「先にダンジョンに入っていたとか?」
その姿を見て、レイドメンバーの緊張が一気に弛緩していく。
「人? フッ、確かに、見てくれは人さね」
レイドメンバーの言葉を聞いた何者かが、呆れたような笑いを見せる。
「確かにあたしゃ、人だねぇ。けど……元、だけど」
瞬間、全身に鳥肌が立った。
すぐさま俺と羽月は構える。
「お前は……」
「へぇ、わかるやつもいるみたいさね……ん? あぁ、なんだ、そういうことかい!」
明らかに俺と羽月を見て、高笑いを上げた。
「誰かと思ったら、エンキが言ってたおかしな剣士二人組かい!」
「お前……!」
奴の名前を口にしやがった。
やはりこいつは……。
「おやおや、随分と怖い目をするねぇ。人間離れした化け物さん」
「なんだと……?」
「事実だろう? 人の身でありながら、人ならざる力を扱える。それが化け物でなくて、なんだって言うんだい?」
「この──」
「──孤風!」
頭に血がのぼる寸前に、隣の羽月が抜き様に技を放つ。
「落ち着きなさい、匠。あんなやつのペースに乗せられてどうするの」
「……すまない」
羽月の指摘で、小さく息を吐いて熱を冷ます。
「なるほど、これは確かにただの人間じゃないみたいさね」
「避けられた?」
「……みたいね」
いくらわかりやすかったとはいえ、羽月の一閃を受けても、何事もなかったかのようにそこに立っているとは。
「ワタシたちのこと、随分勝手に言ってくれてるけど、あんただって同類でしょ? 人の姿をした、元人間さん?」
「……っ、ハハハハハッ!」
羽月の凍てつく視線と言葉を浴びて、敵は高笑いを決めた。
「確かにそうさね、こんな力を使えるアタシもまた、もう人間とは言えないねぇ!」
そして、奴の身体から噴き出す、黒いオーラ。
「あれは!」
間違いなくラガッシュやレシュガルの時と同じものだ。
「こっちだけが一方的に知ってるって言うのも不公平さねぇ、せっかくだから名乗ってあげるよ。アタシの名前はシーナ、よろしくとでも言うべきかねぇ、異世界からの侵略者さんたち?」
人の姿をしながら、人ならざる力が膨れ上がっていく。
「よろしくもなにもないわ、人間もどき。あんたはここで、ワタシが──」
「それはどうかねぇ?」
「──⁉︎」
奴の身体から膨れ上がった黒いオーラが、一気にこちらへと襲いかかってくる。
「っ、なにを⁉︎」
「フッ、すぐにわかるさね」
少なくとも、真っ先に直撃を受けた俺と羽月には、何も変化はない。
「う、うああああああああッッッ!」
「グオオオオオオッ!」
「なんだ、やめろやめろやめろォ!」
「「⁉︎」」
だが、俺たちの後方にいるレイドメンバーたちから、喚き声を上げる人が続出する。
「なにをした!」
「なぁに、たいしたことじゃないさ。彼らの中に燻る
「
「あぁそうさ、人は誰しも
「匠!」
「っ!」
背後から飛んできた雷をかわす。
「……暴走」
レイドメンバーの約三分の一が、さっきの黒いオーラを浴びて、豹変していた。
目は虚になり、己の力を誇示するかのように、魔力を暴発させている。
そして、そのレイドメンバーの顔には……見覚えがある。
いずれも、あのダンジョンに参加していたレイドメンバー。
「つまり、これまでの暴走事件も、全てあんたが黒幕ってことであってるのかしら?」
羽月が鋒を、敵に向ける。
「そういうことになるねぇ。けどいいのかい? アタシなんかに構っていてさ」
すでに暴走した覚醒者と、残ったレイドメンバーによって戦いが始まってしまった。
「なんて悪趣味な……」
レイドメンバーに対してそれほど情を持たない羽月も、この状況には怒りを露わにしていた。
そうだ、奴らのやり方はいつだって
「羽月、奴のことは頼んだ」
「は?」
「あいつらのことは、俺がなんとかする」
「……わかった」
暴走したレイドメンバーを止めるのが最優先だが、だからと言って奴を逃すわけには行かない。
だから俺たちにできる最善の手は、背中合わせの二正面作戦。
「ふっ!」
羽月をその場に残して、レイドメンバーたちの元へ駆け出した。
「へぇ、一人かい? 随分と舐められたものだねぇ」
「舐めてる? それはあんたのほうでしょう。ワタシから逃げられると思ってるの?」
「……生意気な小娘は嫌いさね」
「ほざいてなさいっ!」
*
「はあっ!」
暴走した覚醒者の頚部に、刀の棟を打ち付けて気絶させる。
「数が多すぎる」
暴走した覚醒者の数が多すぎて、一人じゃ対応しきれそうにない。
けど、俺が一瞬でも立ち止まっている間に、無事なレイドメンバーがディフィートアウトしていく。
「白久さんは⁉︎」
それに、なぜかレイドの中に彼女の姿がなかった。
「くそっ……」
また一人、こちらに襲いかかってくる暴走者に応戦する。
白久さんの行方を探したい、けどこの状況じゃ……。
*
「なんで……」
唐突に、複数のレイドメンバーが暴走して。
その一部が、なぜか私を執拗に追いかけ回してくる。
「アイスインヴェード!」
動きを止めるべく、手足を狙って魔法を吹雪かせる。
けど、この魔法じゃ威力が弱すぎて、暴走した彼らの魔法によって、すぐに打ち消されてしまう。
「これ以上は、もう……」
私の手持ちの魔法を行使したら、彼らがどんな目に遭うか……。
──なら、手に取ればいいのさ。
「⁉︎」
唐突に、脳内に響く声。
──今お前の目の前にあるもの、それを手にすれば、力を手にできる。
気がつけば、今朝の夢に出てきた光り輝く果実が、手のひらにあった。
「でも……」
どう見てもこれは、禁断の果実。
それを口にすることは、罪となって、その結末は……。
──ならば、今のお前にできることはあるのかい?
「……それは」
今の私に、彼らを止める手段はない。
──ではまた、彼らの力を頼むのかい?
「っ……」
──そしてまた、足手まといの烙印を押される。
「それ、は……」
──ならどうする? そこで立ち止まるか、それとも……。
「わた、しは……」
*
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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