第82話「夢と現実の狭間で」

「私は……」


 帰ってきて、何もせずにただ布団の中に潜って、うずくまっていた。


「私は……なにを……」


 三峰君の忠告を聞かずに、自分の力を過信して。


 あれだけの窮地に立ってもなお、自分の力を使えば、変えられるはずだと。


 あの苦しい状況をひっくり返すことができるはずだと、そう信じて。


 その結果、たくさんの人をダンジョンで……殺……して……。


 私自身も……ダンジョンに、倒れて……。


「っ……!」


 あの瞬間の記憶が、蘇る。


 自分から力が消えていく感覚。


 膝を屈して、何もできなくなった悔しさ。


 迫り来る敵を見上げて、ただ逃げることしかできない絶望。


『大人しく匠の言うことを聞きなさい! 今のあなたがいても足手まといなだけよ!』


 突きつけられた事実が、私を蝕んでいく。


「わた、しは……」


 一体何がしたかったのだろう。


 一体、何が正しかったのだろう。


「…………」


 私にできることは、一体……。


 …………。


 ………………。


「……ここ、は?」


 気がつけば、周囲は白く染まっていた。


「私の、魔法……?」


 冬の枯れた木が、雪で覆い尽くされたようなオブジェクトが点在している。


 そんな凍てついた世界を、歩いていく。


 何かに、導かれるように。


 やがて森の奥に、光が球になって集まる場所があった。


「これは……」


 その正体がなにか、直感で理解した。


 あれは、私の中に眠っている、未だ制御しきれていない魔力の塊。


「もし、あれを私が手にすることができれば」


 ゆっくりと、手を伸ばす。


 その力を、手にするために。


「っ⁉︎」


 私がその光に触れた瞬間、光は弾け飛んで、霧散する。


「う、そ……」


 絶望しかけたその時、光の粒が一斉に私の手の中に集まってくる。


 そして、その光は、一つの果実のような形を成す。


「これ……」


 これじゃ、まるで────


「……?」


 パチッと、目が醒める。


 ゆっくりと身体を起こすと、そこは見慣れた私の部屋。


「そっか……私、あのまま寝ちゃって……」


 カーテンを閉め忘れた窓から、朝日が差し込んでいる。


 目をこすりながら目覚まし時計を見れば、五時半をまわったところだった。


 時間を頭が理解した瞬間、お腹からきゅるるという音が鳴る。


「……夕食も食べずに寝ちゃったから」


 三峰君と羽月さんにも、悪いことしちゃったな。


 中川さんが一緒だったから、大丈夫だとは思うけど。


「それにしても……汗だく」


 いくら冷房が効いているとしても、この真夏に布団の中に潜って寝落ちてしまったら、寝汗で全身がびっしょりになるのは当然だ。


「先にシャワーを浴びよう……ご飯はその後で」


 昨日休んじゃった分、今朝は美味しいものを食べてもらいたい。


 そう決心して、着替えをクローゼットから取り出して、部屋を後にした。



     *



「はっ! ふっ!」


 夏休みだろうが、毎朝の日課は変わらない。


 竹刀を、真っ直ぐ正確な剣筋で振り続ける稽古。


「今更だけど、竹刀を新調して良かったな」


 以前のものと比べて、使い心地が段違いだ。


 そしてその分、自分の剣の軌道がいかにブレているかがより鮮明にわかる。


 だからこそ、修正のしがいがあるというもの。


「……それにしても」


 剣を振る手を止めて、近くに置いたタオルで汗を拭く。


「暑すぎる」


 建物の日陰にいるにもかかわらず、竹刀を十回振っただけでもう汗だくだ。 


 竹刀を振っては、汗が流れてタオルを手に取る。


 ここ最近は、ずっとこれの繰り返し。


「朝もあの訓練室が使えればな……」


 空調が完璧に効いているあそこなら、こんな汗だくになる必要はないのに。


 けどあそこには白久さんと一緒でなければ、立ち入ることができないことになってる。


「……それも、奴の差し金なんだろうが」


 白久さんの父親、白久政也。


 白久さんが言うには、奴は覚醒者が嫌いらしいが。


「なら、なんでダンジョンストリームの運営なんてしてるんだか」


 覚醒者が嫌いなら、わざわざ関わりたいと思うだろうか。


 しかも、一度襲われているというのなら余計にだ。


「……わからん」


 多分、考えても無駄なことだろう。


「さて、もう少し」


 タオルを置いて、再び竹刀を振り始める。


 そうして小一時間稽古を続けると、インナーから胴着まで汗だくになる。


「今日はここまでにするか」


 時間もいい感じだしな。


 早くシャワーを浴びて、朝食を食べたい。


「けど、昨日の今日だからな、白久さんのご飯を食べれるわけないよな……」


 昨日は寝込んでいたみたいだし。


 夕食は中川さんが用意してくれたけど、中川さんが用意してくれるものって、なんだか格式高く感じて、落ち着いて食べられないんだよな……。


 作ってもらってるんだから文句は言えないけど。


「でも、落ち着いて食べられるって意味だと、やっぱり白久さんの作る献立の方が好きだな」


 なんというか、家庭的で。


「白久さんは将来絶対いいお嫁さんになるよな。うんうん」


 腕を組みながら頷く。


 頭に浮かぶのは、エプロン姿の新妻風白久さん。


「……何考えてんだ、俺」


 暑さで頭がおかしくなったんじゃないか。


 実際、外の暑さは頭がおかしくなりそうだったからな。


「さっさとシャワーを浴びて、頭をリフレッシュしよう」


 そうして、大浴場へと続く扉を開くと──


「え……」


「へ?」


 ──そこにいるはずのない人物の声が聞こえてきた。


 風呂から出てきたばかりなのだろう、全身から湯気が立っている。


 一糸纏わぬ生まれたままの姿を、再び脳に刻み込んでしまった。


「あ、あ、あっ!」


 そんなことを頭の中で反復している場合じゃない。


 俺の姿を見た白久さんの顔が、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。


「きゃああああぁぁぁっ!」


「わ、悪いっ‼︎」 


 慌てて扉を閉める。


「いやっ、でも扉に使用中の札はかかってなかったよな⁉︎」


 以前も同じことがあった後で、白久さんと相談して決めた取り決め。


 でも今、その札は扉にかかっていない。  


 だから中に誰もいないと勘違いしても、俺は悪くない、俺は悪くないぞ。


「み、三峰、君……」


 急いで着替えたのだろう、白久さんが扉を僅かに開けて、顔だけ覗かせてくる。


「その……、ごめん。一度ならず二度までも」


「う、ううん。私の方こそ、その……札、かけるの忘れちゃってたから」


「いや……俺の方こそ、扉が閉まってたんだし、中に人がいるか確認すれば良かった」


「ううん、三峰君は悪くないよ」


「いや、でも……」


 そうしてお互い謝りあった果てに、無言になってしまった。


「その、身体は大丈夫か?」


 流石にこのままではまずいと思ったから、こちらから切り込む。


「う、うん……ただの魔力切れだし、一晩休んだから」


「そっか……」


 再び無言になる俺たち。


 気まずいのは事実だけど、いつまでもこのままでいるわけにはいかない。


 勇気を振り絞って、今度こそこちらから踏み込もう。


「……昨日のことだけど──」


「昨日はごめんなさいっ!」


「え……」


 こちらから切り出すのに被せて、白久さんから切り込んできた。


「もう昨日みたいな失態はしないから!」


「そ、そうか……」


「それじゃあ、私は朝ごはんの準備してくるね。三峰君はシャワーを浴びてきて」


「あ、はい……」


 そそくさとこの場を去ってしまう白久さん。


「本当に反省してくれた、んだよな……?」


 さっきのことで、気恥ずかしくて、まくし立てて伝えてきただけ、だよな?


「……ま、これ以上悪く言うのもおかしな話だな」


 そもそも彼女を制止できなかった、俺にだって責任はあるのだから。


 昨日のことは全て彼女のせいだなんて、とてもじゃないが口にできない。


「風呂入るか」


 そろそろ頭が茹だりそうだし、朝稽古で流した汗がベタついて気持ち悪い。


 考え事の続きは、湯船にゆっくりと浸かりながら考えよう。



     *



「なんか、今朝はちょっと豪勢?」


 ザ・日本の朝ごはんであることはいつもと変わりないけれど、やけに気合が入っているように感じる。


「あはは、気がついたら色々作っちゃってたんだ。多かったら、残しても大丈夫だから」


「まさか、残さずに全て食べるよ」


 出されたものは、ちゃんと全て食べ切ること。


 親父や師範に何度も言われてきた教えだ。


 そうでなくても、こちとら食べ盛りの高校生だ。


 しかも朝稽古を経て、お腹は十分に空かせている。


 今ならなんでも無限に食べられる。無限は言い過ぎだけど。


「お食事の準備中、失礼します」


 食器を並べている途中、中川さんが現れる。


「本日の午前中に、件の浴衣が到着するとのことですので、確認のお時間をいただけますか?」


「わかりました。到着したら教えてください」


「かしこまりました」


 要件はそれだけだったようで、中川さんはすぐにダイニングを後にした。


「なんだか忙しそうだな」


「今日は午後に私に取材があって、その準備で忙しいんだと思う」


「取材?」


「うん、これでもストリーマーランキング七位だからね、忙しいんだよ?」


 確かに、白久さんは訓練の時間以外は結構忙しくしてる印象だ。


 この間のプールの時間も、一日空けられたのが驚きのレベルで。


「それに、今日の取材は……あの人が関わってるものだから」


「あぁ……」


 なるほど、そういうことか。


「ところで、浴衣ってもしかして夏祭り用に?」


 暗くなりそうな空気を払拭させるために、話題を変える。


「うん、三峰君と、羽月さんの分もあるから、一緒に確認して」


「そういえば、この間採寸させられたっけ」


 俺は別にいいって言ったんだけど、せっかくだからと俺も甚平を着ていくことになった。


「けど、もう明後日か」


 白久さんが誘ってくれた夏祭り、それがもう目の前に迫ってる。


「楽しみだね、夏祭り」


「だな」


 雑談しながら、朝食の準備を整えて、向かい合って席に着く。


「それじゃあ、いただきま──」


 ビーッ! ビーッ!


「「…………」」


 手を合わせてから、味噌汁に手を伸ばそうとした瞬間だった。


「…………はぁ」


 この間の羽月の気持ちが、身に染みてわかるな。


 食事の楽しみを台無しにされるのは、確かに気分が悪い。


「…………」


 流石の白久さんも、複雑な顔をしている。


 けど、俺たちに行かないという選択肢はない。


 顔を上げて、お互い頷く。


「……それはそれとして」


 味噌汁のお椀を持って、一口。


 ホッと落ち着いた息を吐いて、今度は箸でおかずに手をつける。


「え、えっと?」


「前に羽月が言ってただろ? 出されたものを食べてからって。それに、腹が減っては戦はできぬ、だ」


 いくら緊急性が高いと言っても、俺たちが朝食を食べる時間くらいは待ってくれるはずだ。


「そうだね。それじゃあ、いただきます」


 白久さんも、気合を入れて朝食を口にした。



     *



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