第三章:秘めた思いが溶ける温度
第60話「ガラス窓の向こう側で」
『俺が天才? 全てを手に入れられる? ふざけるなよっ! そんなことができたら、俺はなにも苦労してないだろ!』
ガラス窓の向こう側で羽月さんと戦う三峰君が、聞いたことのない声量で怒号を飛ばしている。
『三峰君……』
あれが、彼の本音。
『やっぱり、そうなんだよね』
『晴未様?』
窓ガラスに手を当てて、剣を振り続ける彼を見つめる。
ずっと、あれだけの苦しみを、痛みを、心の奥にしまっていた。
彼の言う通り、肉親を失って、居場所も奪われて。
その絶望を、ずっと奥底にしまって過ごしてきた。
だから三峰君は、誰かに傷つけられることに、あれほどまで慣れている。
ダンジョンで周囲からの罵声を浴びても、ダンジョンストリームで心ない言葉を並べられても。
彼はそれを見ても、取り繕って過ごしきた。
『……それは、いつまでも続けられることじゃない』
いつか自分のキャパを超えて、心が壊れてしまう。
いや、もうすでに三峰君の心にはヒビが入っていて、それに気づいていないのか、気づかないふりをしているのか。
だから今、自分の中にしまっていた思いを叫ぶ彼を見て、「よかったね」と伝えてあげたい。
『……本当は、その本音を叫ぶことのできる相手が』
私だったら良かったのに、そう考えてしまう。
でも今、彼が口にしていることは、羽月さんが相手だからこそ叫ぶことができる本音だ。
二人が離れていた間に積もっていた恨みつらみを、戦いながら吐き出すことによって、ようやく五年という溝を埋められる。
その役だけは、私には絶対にできないことだ。
羽月さんもまた、内に秘めた思いを吐き出すことができるのは、三峰君に対してだけなのだから。
『……羨ましいな』
同じ剣士同士で、同じ高みを目指すことのできる者同士。
これ以上には考えられない組み合わせ。
互いに望むものを与え合える、理想的な仲。
……なら私は、彼になにをあげられるのだろう。
心の奥に、そんな疑問が湧き上がる。
……ううん、それはずっと私を悩ませている種だ。
私の命を救ってくれた彼のためになることを、最初はそう考えていた。
でもそうして彼をダンジョンストリーマーの道へと誘ったのは、あの人の命令があったから。
あの発案は、私が最初に思いついたことじゃなかった。
しかもそれによって、彼に更なる負担を強いてしまっているのかもしれない。
実際影森さんとのことも、元を糺せば私が悪いことだし。
ダンジョン攻略でさえ、彼に頼りきりな戦術をとってしまっている。
住む場所だって、私の所有物というわけではない。
私にできることといえば、家事をしてあげることくらい。
でも元々一人暮らしをしていた彼は、完璧とはいえないまでも、ある程度は一人でこなしてしまう。
ダンジョンに連れ去られた時、三峰君は私からたくさんもらっているって言ってくれたけど。
私は、彼になにもあげることができていない。
だから、羽月さんが三峰君の唇を奪った時、私はなにもできなかった。
むしろ三峰君が蓋をした本音を引き出せる彼女の方が、彼の隣に相応しいとさえ思ってしまった。
なのに、一人きりになると、それが無性に悔しくて、腹立たしくて。
ベッドに横になって、枕を涙で濡らしてしまった。
……でも、なによりこんな感情を抱えてしまっている自分が、一番嫌いだ。
「私は……」
自分で自分の感情が、よくわからない。
けど……。
*
「白久さん?」
「!」
「大丈夫? なんかボーッしてたけど」
「う、ううん。大丈夫」
「そう? でも今日は朝から稽古してるし、ここら辺で一旦休憩を挟んでもいいんじゃないか?」
「ううん、まだもう少しできるよ!」
「……そうか? ならもう一セットやるか」
「お願いします!」
今日もまた、魔法を──魔力を扱う訓練に励む。
少しずつ魔力の出力を上げて、使う魔法の威力を上げていく。
魔法を使う時の感覚は、言うなれば蛇口を開け閉めすることと同じ。
自分の奥にある魔力を少しずつ解放していく。
けれども私は、この調整がすごく下手。
絞ると強い魔法は使えないし、逆に開けてしまうと制御できない。
それは、私が内包する魔力量が他の覚醒者に比べて何倍もあるかららしい。
だから蛇口の開け閉めを調整できるような訓練に、三峰君に付き合ってもらっている。
「また動きを追ってるぞ! 狙うのは動く先だ!」
「は、はい!」
その上で、魔力をあまり使えない状態でもできることを増やす。
それが私の目標。
「っ……!」
魔法の発動を中止して、魔力の流れを無理やり堰き止める。
危なかった……油断すると 魔力の流れを制御しきれなくなる。
「大丈夫か、白久さん!」
「……なんとか」
「やっぱり少し休憩しよう。朝から根を詰めすぎだ」
「うん……」
魔力の使い方は、人によって上手い下手があって、慣れるのに時間がかかる人もいる。
けど、私は五年もダンジョンの攻略を続けてきているのに、この状態じゃ……。
「おはよう……」
「っ──」
大きく背伸びをしながら、羽月さんが訓練場に現れた。
「相変わらず休みの日はねぼすけだな」
「休みの日なんだから、休むことのどこが悪いのよ」
「やれやれ……」
「むしろ、朝からずっと稽古してる二人の方が信じられないんだけど?」
「それは、私が三峰君に頼んだから……」
「そうみたいね。それで、魔力の制御? はどんな調子?」
「……全然、かな」
「そう……。それ今は休憩中?」
「あぁ、朝からほとんどノンストップだから」
「なら匠、今度はワタシと相掛かり稽古よ」
「……お前話聞いてたのか? 俺も朝からノンストップなんだが」
「別に本気でやっていたわけじゃないでしょ? それにワタシも本気で斬り合いをするなんて言わないし」
「当たり前だ、羽月と本気でやるならもっとちゃんと準備しないと無理だっての」
「ひとまずは、剣筋とかを確認する程度で終わりにしてあげる。というわけで、匠のことは借りるわよ」
「う、うん……どうぞ」
「…………。じゃ、はじめよう?」
「はいはい」
羽月さんに引っ張られて、訓練室への奥へと向かう三峰君。
「羽月と稽古するのは久しぶりだな」
「そうね、手順は覚えてる?」
「……なんとなく?」
「なら、まずはそこからね」
あの日の戦い以来、二人の距離はグッと縮まった気がする。
けど、羽月さんの告白に、三峰君はまだ返事をしていない。
でもいずれ、二人はきっと……。
「っ……」
また胸が苦しくなって、二人を見ないように下を向く。
「……私、なにをしてるんだろう」
なに一つ、彼の役には立っていなくて。
むしろ迷惑をかけてばかりなのに。
けど三峰君には嫌われたくなくて、ダメな人と思われたくなくて。
だから一生懸命、できることを探して、もがいてる。
けど、まだなに一つその芽が開くことはないまま。
結局私は、いつも自分のことばっかり考えている……。
「……だから私は、私が嫌い」
*
最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
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